#2560/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 4/ 3 10:33 (199)
幻都放浪(7) 青木無常
★内容
ぶすったれて言い捨てると、意外にも怒ったのはタツの方だった。
「そんなんじゃねえ、ゲスなセリフ吐かすなこの」
たいした迫力だが、顔が赤らんでる。ふふん。
「あーすまん。まあ、なんでもいいけどよ」
肩をすくめてみせつつ、俺は奇妙なことに気づいていた。
派手なアロハシャツにスラックス、肩には日本刀のタツの格好にはさきほどまで
とさほどの変化は見られないが、沙羅のナリの方はちょいと見なれぬものだった。
黒いO襟のシャツにスーパースリムの黒のジーンズ、ベルトがわりに腰に巻きつ
けた銀の鎖に、ラフに背なか側に投げあげた黒のジャケット。このあたりはいつも
の沙羅の定番だが、問題は首から下げた直径二十センチくらいの鏡と、そして背に
負った赤いデイバッグだ。ご丁寧にもバッグの上部にはシュラフらしき固まりまで
積載されてやがる。くそ、どうもいやな予感がする。
「珍しいじゃねえかよ沙羅。山歩きでもしようってのかい? そういう趣味があ
るとはしらなかったよ」
警戒心まるだしで問いかけると、沙羅は少年のように白い歯を光らせてニッと微
笑んだ。長い髪を後ろでたばねてそうしてたたずんでいると、スリムな身体とあわ
せてこの娘は本当に男の子のようだ。そのアンバランスな容姿が、母親とはまるで
別種の奇妙な色香をただよわせていやがる。
「ついていくんだと、よ。てめえによ」
恐れていた返答を口にしたのは、タツの方だった。
げ、と目をむきつつ俺は小娘と野郎とをバカ面で交互に眺めやり、言葉さえ口に
できないままわなわなと指で二人をさし示す。
「おおよ」ふてくされたような顔で、タツがうなずく。「当然、俺さまが沙羅の
ボディガードだ。おふくろさんに、くれぐれもと頼まれたからな」
がくん、と全身から力がぬけ、俺は天をあおいだ。アブーカジェリフだけでもう
ざったいのに、おまけに足手まといの小娘と俺に敵対心を燃やす居合切り野郎まで
パーティに加わるつもりらしい。なんてこった。
ふらふらと俺は歩み出し、ハッと踵をかえしてかけ出した。砂浜にころがるボブ
カットの生首から短剣を抜きとり、寝こけるアブーカジェリフのもとへと走りよる。
正直いうと「できるかぎり望みをかなえよう」という奴の約束は魅力がないわけ
でもなかったが、人のことを盗人よばわりして侮蔑と警戒を抱く道づれなど、いな
いにこしたことはない。
「おい、アブーカジェリフ!」
陽ざしから影になった地下道への入口に横たわる肥満体にかけよった。
いびきをかいてやがる。畜生、人が死にそうな目に会っていたというのにこの役
立たずめ。
「おい呑気な味出して寝てんじゃねえよこの」
と太鼓腹をぽこんと蹴りつけると、
「むう、ムタウワ? アフラーフアクバール」
何を言ってやがんだか。
なおもつまさきで小突いてやると、ぬぼーっと起きあがって呆然とした顔つきで
あたりを見まわす。こいつ、この体型で低血圧か。
「アーミーン」
と、なおも意味不明の寝ぼけをかましてからしょぼしょぼした小さな目の焦点が
やっとのことで俺をとらえた。
「この役たたずめ、能天気にぐーすかと。おまえはくびだ。どこへなりととっと
と消えっちまえ。わかったな」
と指を突きつける。
呆然と見かえす丸顔に、みるみる警戒と怒りとが浮かびあがった。
「何を言っとるのか、おまえは。わしはおまえに請われて行をともにしておるの
ではない。おまえからわが家宝のヒンジャルを取り戻す機会をうかがうためにこう
しておるのだぞ」
「だからよ」と、俺は得意げに胸をそらしてみせた。「そのヒンジャルとやらを
返してやろうってのよ。ほれ。あれ?」
頓狂な声を最後にあげたのは、さっきまで固く握りしめていたはずの問題のヒン
ジャルがどこかに消え失せてしまったからだ。
おかしい、確かに俺はあの蛇女の首を切り落とした上、脳天カチ割り、ついさっ
きその脳天から抜き出してそのままこの手に握りしめていたはずだ。おかしい。お
かしい。どう考えてもおかしい。離した覚えはねえぞ。それともまた、どこかで落
としたかしたのか? え?
あわててさっき演じた行程をふたたびくりかえし、ご丁寧にズタ袋の中身までひ
っくり返してみたのだが、どこにも見当たらない。
俺は助けを求めるように、背後で呆然とやりとりを見物していた沙羅とタツの二
人組をふりむいて言った。
「なあ、俺、持ってたよなあ。アラビアの三日月形の短刀をよ」
はあ、という感じで沙羅が目をむき、タツはといえば狂人を見る目つきで俺を見
つめかえす。
「短刀だよ短刀。俺があのヘビ女の首、ぶっ飛ばすの見てたろうが」
必死の体で主張するのへ、二人は無情にもけげんに首を左右にふるうばかり。
「おい、いったいどういうこったい、アラビアのおっさん」
タツがそう問いかけるとアブーカジェリフはこともあろうに、
「この男は盗人なのだ」
と得意げに胸をそらして言った。
「なんて奴だ」
「人間じゃあないわ」
くわしいことを問い正しもせず二人が唱和する。だー、なんて奴らだ!
「ちがーうっ」
「とぼけてやがる」
「男らしくないわよ」
「ヤー・アフラー、神よ、どうかこの盗人に天罰を」
ぐわーラチがあかねえ!
爆発一歩手前で俺は生首の落下地点にかけ戻った。
焦慮と悔しさに苛まれつつ、ショートヘアの娘の首の残骸を子細に点検する。た
しかに、アブーカジェリフのところに行く前に、この首から短剣を抜きとったはず
だ。感触まで覚えてる。だから、鋭利な切り口と天頂の刺し穴を残しているだけで、
首に剣が見あたらないのは当然だ。んじゃ、いったい短剣はどこへ消えたってんだ?
気づかないうちにどっかへ放り投げちまったってのか? んなバカな!
などと思いつつ一往復半した道すじを、砂上に残った足あとの中から周囲五十メ
ートルにいたるまで穴があくほど探してまわったが、短剣どころか昆布ひとつ見つ
かりゃしない。
不気味そうに顔を見あわせながら、タツと沙羅は遠まきにそんな俺の姿を眺めや
っている。その横では絨毯に乗って空中浮遊しつつアブーカジェリフがアラビア語
らしき異言まじりの罵声を存分に巻きちらしていた。くそ。
しかしいくら探しても短剣は見つからなかった。ついにへたりと、俺が腰をつい
たころにはすでに、太陽は中天にさしかかろうとしていた。
「気を落とすんじゃないのよ、ジン。きっと今にいいこともあるからさ」
とまるで狂人か幼児をでもあやすような口調で沙羅になぐさめられた。あああ!
まったく! どうなってやがるんだいったい!
と、そんな俺の嘆きにはいっこうかまわず、沙羅とタツは弁天からもたされたら
しい弁当のつつみを広げはじめた。アブーカジェリフに供与するのへ、イルアーナ
人もありがとうの一言も言わず当然のごとく食卓に加わる。
「ジンもおいでよー」
「うらっ。すねてんじゃねえよ小僧」
畜生、これじゃいたずらを咎められてひとりでうじうじするどっかの悪ガキじゃ
ねえか。あああ畜生っ!
しかたがないので一緒に飯を食った。水で喉をうるおし、ひと休みの後、ようよ
うのことで出発だ。
井の頭公園からワープして後、半日以上、江ノ島あたりでうろうろしていた計算
になる。新宿へたどり着くのはいったいいつになることやら。
降りそそぐ暑熱も加えて俺は、はやくも果てしなくうんざりと沈みこんでいた。
5
日が暮れるまでに都合三回、ラジオは雑音を立てた。うち一回はノイズのみにと
どまり、残り二回、細い声で麗子が俺に呼びかけた。
「妖霊の係累は妖霊か」
と失礼きわまりないことをぬかすイルアーナの魔法使いに、嫌味のひとつもくれ
てやるつもりで家族のことを問い正すと、
「父と父の父、息子が二人に娘が四人、妻が三人」
と、とんでもない答えが返ってきた。あんぐりと肥満顔を見かえす俺には目もく
れず、アブーカジェリフは遠い故郷に思いをはせるような顔つきをしていた。
「なぜ帰らねえんだ?」
ついしんみりして聞く俺に、
「どうやって帰れというのだ。想像力が欠如しているのかこの異教徒め」
あいもかわらず憎々しい答えを受けて、俺は仏頂面で黙りこんだ。
たしかに、速度も疲労度も人間が歩くのとさほどかわらぬ浮遊能力なんかじゃ、
太平洋をわたりきることなど困難きわまりないのだろう。もっとも俺は、イルアー
ナという土地がどこにあるのかさえ知らない。
目白山をこえて鎌倉に入り、頭上に現れては消える湘南モノレールの残骸をあお
ぎつつ山を下る。大船で休憩を入れてから横浜へ。鎌倉街道をてくてくと歩くこと
数時間、宙をすべるアブーカジェリフやタツの野郎はともかく、意外にも沙羅まで
がこの強行軍に文句ひとつたれるでもなく黙々とついてくる。
朽ちかけたバス停の看板に「七曲がり」とかすれた文字の見える昇り坂。タツの
野郎がふいに、感慨深げな口調でひとりごちた。
「昔ァ、このあたりも俺のニンジャで流したもんだよなあ」
ため息まじりの独白に俺が、
「なんでえ、暴走族だったのか? イメージぴったりだな」
と憎まれ口をたたくと、タツは冷たい目つきで俺を一瞥した。
「暴走族じゃねえ。下品な言い方するな。ツーリングクラブといえツーリングク
ラブと」
ときた。へ。
くねった坂を昇りきり、そして下りつづける。インターチェンジをくぐってその
まま直進するころに、陽が暮れはじめた。そこで意外にも、屋根のあるところでの
夜明かしの準備を主張したのはタツだった。
なんでえだらしがねえな、もう少し歩いとこうぜと、からかい混じりに俺が言う
のへ、断固としてタツは首を左右にふるう。
「背なかの傷がうずくんだ」
意味不明のセリフとともにタツは、ふんふんと鼻を鳴らしながら西の空を眺めや
った。
けげんな面もちで俺も鼻をならし、もしかしたら、と思いあたる。
ともあれ、手近の元シーフードレストランが比較的損壊度が軽いのを見てそこに
居をさだめ、焚きつけと薪を調達した上で火を起こし、三鷹から持参した鍋に水を
はって湯を沸かした。
沙羅がもってきたカップに、これも極度のごちそうの部類に入るインスタントコ
ーヒーをそそぎ、昼飯の残りの弁当と俺の乾し肉をわけあい、軽い晩餐としゃれこ
む。コーヒーの供与にアブーカジェリフが派手に歓喜を表明し、ばかみたいに何杯
もおかわりをしたがったが残量を慮ったか沙羅はきっぱり各自二杯分より以上は出
そうとはしなかった。イルアーナ人が「なんと片手落ちな食卓か」等々とブーブー
ならべ立てるのへタツが気色ばむが、沙羅が「イスラム文化圏ではコーヒーを何杯
も飲むのがふつうなのよ。接待主に感謝の意を表しないのもね。だれかの招待に応
じるのは、<栄誉>を与えるんだって考え方、ね」とそっけなくなだめてみせる。
ううむ、この娘、意外と教養があるのかもしれない。
そうこうしている内に、外では雨が降り出した。なるほど、タツが危惧していた
のはやはりこれだったか、と合点がいく。
野郎が行軍停止を強行に主張したとき、俺はかすかに、雨のにおいを感じたよう
な気がしたのだ。「背なかがうずく」うんぬんという奴のセリフもたぶん、雨の予
感をさしていたのだろう。
奴が雨を執拗なほど忌避したがるのには理由がある。居合刀がそれだ。
<異変>以後、文明の存続に最後のとどめをさしたのは雨だ。
すなわち、雨ざらしの金属類の、まったき腐食と崩壊。雨ざらしにされた鉄類は
一週間と経たずにずたぼろの錆の塊と化してしまうのだ。だから自動車、単車の類
はむろん、燃料いらずの自転車でさえこの文明以後の世界からは消え失せている。
俺たちが江ノ島くんだりからてくてく徒歩で新宿目ざしているのもこれが原因だ。
タツの日本刀、俺の鍋や沙羅持参の金属製のマグカップなどなどはすべて、後生
大事に腐食雨の浸食から守りながら今日まで保持してきたことの証拠なのだ。アブ
ーカジェリフの短剣もその類なのかどうかは、よくわからない。
いずれにしろ、雨水をわかしたりそれで食器を洗って乾したり、ということに対
しては腐食はいっさい進まないので、どうやらこの雨にも何か超自然的な力が働い
ているらしい。
夜ふけて寝ようかという段になって、沙羅が奇妙なことを始めた。これも、よく
もまあ残存していたものだといった感じのマジックペンで、テーブルや椅子をかた
づけた後の室内に円陣を描きはじめたのだ。母親から教わった<魔法陣>だという。
なんだか妙な楔形文字みたいなものをキュッキュと丹念に形づくっていく。
奇妙なことに、どう見てもキリスト教圏の、サバトだの黒ミサだので描かれる悪
魔召還の魔法円にしか見えかった。弁天てのはインド発祥の神さまだったはずだが、
なんでこんな西洋式の呪術にくわしいのだろう。
ともあれ、焚火の炎を獣脂をしこんだ簡易ランプにうつしかえてそれを真ん中に、
店奥に沙羅が、そして入口を固める形で野郎三人組がそれぞれてんでに寝床をしつ
ほどもなくいびきが響きはじめた。アブーカジェリフだ。くそ、どこまでも能天
気な奴め。と、三人で毒づきながら、ふりつぐ雨音に耳かたむけているうちに、も
うひとつの寝息が安らかに響きはじめる。位置的に沙羅のものだ。
こうなると、俺とタツとの間には白けた沈黙が横たわるだけだ。互いに背を向け
あい、無言で寝入るよう努力をはじめる。
眠気はなかなか訪れようとはしなかった。俺は目を閉じたまま幾度か寝返りをう
つ。タツは微動だにせず、規則ただしく呼吸の音をさせていた。
くそ、どうにも眠れねえ、と心中毒づきながら、ランプの灯明がゆらゆらと揺れ
る闇の中で雨音に聞き入っていると、ふいに、ぶう、と盛大な音を立てて異音が響