AWC 幻都放浪(6)       青木無常


        
#2559/5495 長編
★タイトル (GVJ     )  94/ 4/ 3  10:28  (200)
幻都放浪(6)       青木無常
★内容
なかには何も持ってはいなかった。となれば、それ以前、おそらくはクビガラスど
もとぎゃあつく騒いでいた時にでも紛失したとしか思えない。
 「すまん、アブーカジェリフ」さっきまでの高飛車な態度はかなぐり捨てて俺は
がばと歩道の上に身を伏せた。「どっかで落としちまったらしい。たぶん井の頭公
園だ。とにかくここにはない。まことにすまん。許してくれ」
 すると肥満体の魔法使いは、いっさい信じられぬ、とでも言いたげに小さな両の
目をいっぱいに見ひらき、言葉にもならずただただ首を左右にふるいつづけたあげ
く、
 「ヤー・サフラーム! なんということだ、この、この、この、異教徒めが!
この、この妖霊めが! 信じられぬ、なんということをしでかしてくれたのだ!
落とした? 落としただと?」
 口もとと、そして肉づきのよい頬をぷるぷると震わせてアブーカジェリフは俺を
罵った。腹も立ったが返す言葉もない。俺はただただひれ伏して、あまんじて非難
のセリフを受け入れるばかりだ。だいいち、この男の性格からして、このていどの
罵詈雑言はまだまだ序の口、これから先がいよいよ本格的な難詰と罵倒のはじまり
なのだろう。そう考え、防御の意も含めて俺はますます身を縮めて固くなる。
 が――
 しばしの沈黙をおいて、意外なセリフが降ってきた。
 「おおザール・トゥーシュ! すべてアフラのおぼしめしなり。おまえはわが家
宝たるヒンジャルを落としてなどいない」
 なんてこった、この男は、俺が盗品をかえすのを惜しんで嘘をついているとでも
思っているらしい。実に失礼なやつだ。
 それはそれとして、ぜがひでも落としたということを納得させなければ互いにま
ったく不利益な状況なので、俺は必死になって説明し説得をくりかえしたのだが、
このデブの頑固な魔法使いは一向に俺の主張をきき入れようとはせず、
 「いいや、たしかにおまえが持っている。まちがいはない」
 鷹揚を装ってうんうんとうなずきながら、断じてゆずる気配がない。
 まいった。
 この一件で俺も疲れ果ててしまい、しかたないので橋の終わり、地下道の入口あ
たりで一休みすることにした。何がなんでも俺についてくる、という魔法使いに対
して、短剣をなくしたという負い目を感じてもいたからだ。
 出発してから数分と移動していない。さきゆきを思いやり、俺は暗澹たる気分で
突堤に腰を降ろしてすやすやと寝入る肥満した褐色の顔を見やる。畜生、置いてき
ぼり喰らわしてやろうか。
 じりじりと焼け焦げた砂と太陽の熱。
 五年前なら、ひと夏を賑わした海の家も、つぎつぎと解体されかかっているころ
あいだろうか。それでも行く夏をおしんで水着の家族づれやカップルたち、ウイン
ドサーフィンに興ずる連中から水上スキー、ヨットやボートで海はまだまだ往生際
悪く最後の夏を満喫していたにちがいない。
 ずいぶんと、遠くまで来ちまったもんだ。
 不便や不満は山ほどあるが、とりあえず今いちばん気にくわないのは、夏の海辺
に水着のねーちゃんの姿がひとつとして見あたらないことだ。
 畜生め。
 と、ひとり毒づいてふと波打ち際を見やり、俺はぎょっと目をむいた。
 ……水着のねーちゃんだ。
 黄と黒と赤をちりばめた申しわけ程度の布きれは確かに、まろやかな双つの丘を
かろうじて隠している。日に焼けはじめか、かすかに赤らんだ白い肌に水滴が宝石
のようにちりばめられ、濡れた長い黒髪をかきあげつつ俺に向けて放たれた流し目
は実に挑発的だ。
 ひひーん、と鼻の下がのびかける。なに、別に世界が滅びたからって、海水浴ま
でなくなっちまったって法もないだろう。足だの宿だの治安だの、とりわけ海中に
潜む妖怪邪霊の類だの、不安材料をならべれば幾らでも積み重なるから普通の神経
してるヤツは海になど泳ぎにくる気にはならないかもしれないが、頭のちょいと足
りない地元の能天気娘かもしれない。おお、手まねきしてるじゃねえか。
 俺はだらしなく口もとをゆるめながらひょいと身軽く立ちあがり、靴のゴム底か
らでさえ熱気が伝わるほど焼けた砂の上を、ひょいひょいと飛びはねるようにして
移動しはじめた。
 その間にも、水ぎわの女の子は一人から二人へと、人数が増えていた。今度の娘
は夏中休まず太陽の下で素肌を躍動させてきたんだ、という感じのこんがり小麦色
のトースト娘だ。脱色気味の短めの髪とやや幼い感じの顔だちも悪くない。うんう
ん、いくらなんだって一人で泳ぎに来るってこたねえわな。もしかしたら男づれか
もしれねえが、なに二人そろって手まねきしてるんだ構やしねえ。
 おかしい、と思ったのは、波間から三人めの頭がすうと現れたのを見てからだっ
た。そういえば前の二人にしても、押しよせる波にどん、と力まかせに洗われても
まるで動じる気配さえ見せず、単調に微笑みながら手まねきをつづけている。加わ
った三人め、ボブカットのワンピース娘もあわせて、どの一人の微笑もどこかうつ
ろなのも不気味だった。
 が、奇妙なことに、立ちどまろうかという俺の意志とはまるで裏腹に、俺の両の
足は機械じかけのように前進運動をやめようとはしなかった。
 やばい。
 どうも魅入られたらしい。
 あまりにもうかつだった。仮に地元の娘どもが水浴に来たのだとしても、見知ら
ぬ他人、しかも若い男に向かって無防備に手まねきなどするもんじゃない。考えて
みりゃ、連中自身が妖物である可能性のが格段に高いのだ。まずい。糞、いうこと
をきけこの馬鹿足めが。
 女たちの淡い微笑が、俺という獲物が近づくにつれニタアリと派手に裂けていく
のを俺は絶望的な気分で眺めやっていた。


    4


 待ちきれないのか、最初のひとりがすう、とまるで車輪でもついているような滑
らかな動きで海面を前進しはじめた。それに誘われるように相前後して、残りのふ
たりもすう、すう、と移動をはじめる。
 そして連中がなぜ、頭上から波が砕けるような中途半端な波うち際にさっきまで
居すわっていたのか、その理由がはっきりとした。
 冗談じゃない。詐欺だ。上半身、つまり乳房はきちんと水着で覆っていながら、
三人が三人とも下半身はまる裸だ。冗談じゃない。そりゃ、相手が人間だったら俺
もうれしいが――腰から下が蛇体では、いくらノーパンだからってまるっきりあり
がたみはない。ありがたみどころか、ただただひたすら不気味なだけじゃないか。
 そんな内心の嘆きと焦りも甲斐なく、俺は夢にとらわれたように朦朧とした足ど
りで砂浜を海へと歩みより、三人の女怪の前に立ちつくした。畜生、さぞかし間抜
け面をさらしているのだろう。
 ロングヘア、ショートカットにボブカットの上半身のみ娘たちは、涎をたらしそ
うな恍惚とした笑みを浮かべ、頭上から、横手から、そしてなめ上げるように下方
から、とろけそうな視線を俺に投げかける。
 くそ、せめて声だけでも出ればアブーカジェリフを呼べるのに、と歯がみする思
いさえ、まるで遮幕にさえぎられるように他人事だ。ぼんやりと佇んだまま、首を
めぐらすことさえできそうにない。
 はり裂けそうなほど笑いをたたえた三つの口から、ちろり、と二股に割れた爬虫
類の舌がのぞきはじめる。
 つい、とボブカットがまず砂上を滑り出て俺の足もとからくるりと輪を描き、愛
撫するようなねっとりとした動きで俺の足から胴を巻きはじめた。
 それに折り重なるようにしてロングヘアが縦にS字を描きつつ哀れな獲物の肉体
をからめ取り、ショートカットは少し離れたところから首だけを突き出して俺の顔
を右から左から、ためつすがめつ眺めやる。
 吐息が耳もとや首筋をくすぐり、俺は笑い出したくなっていた。どうもこれで一
巻の終わりといった感じだ。まあ、下半身をのぞけば美女三人に涎を流させての最
期だ。悪くはない終わりかたかもしれない。
 露骨な自己慰撫の論理に、凶暴な意志が異を唱えた。
 ぐ、と俺の喉がうめきをもらすのを耳にした。
 唾を嚥下する感覚。と同時に、夢中の肉体のごとく意にそわぬ身体にも、感覚が
よみがえる。
 筋肉にぐい、と力をこめて、金縛りになった体に無理やり意識を通し、弾け飛ぶ
ように俺は両腕をふりあげていた。
 ぬめぬめと捕縛にかかっていた二つの蛇体をぐいと押しかえし、かきわけるよう
にして逃れ出る。蛇女どもはあわてて捕捉にかかったが、しばらくぐにぐにともみ
あっている内にひょいと俺は抜け出ていた。ボブカットとロングヘアはご丁寧に、
固結びにからまりあっていやがる。へ、ざまあみやがれ。
 ぎりぎりと奥歯をきしる音が聞こえてきそうな顔をして女どもは憎悪もあらわに、
こんぐらがったまま飛びかかってきた。動きが鈍いのでかわすのは難しくない。問
題は、唯一自由のままでいるショートヘアだ。ぱち、ぱた、ぴちと砂浜を打ちなが
ら身をくねらせて逃げる俺を追ってくる。
 焼けたフライパンの上みたいに強烈に熱い砂浜を飛びはねながら俺は海岸道路を
目ざして走った。こんぐらがった二体はともかく、ショートカットは異様に長った
らしい蛇体を器用にくねらせながら、着実に逃げる俺との距離を縮めつつある。
 反撃に転ずるか、と考えたものの、得物は弓矢だけ。頑丈さだけが取り柄のごと
く、弓は巨大に太く作ってはあるが、元来が白兵戦用につくられたものじゃない。
窮迫するショートヘアの幼な顔を二、三回はり倒してはみたが、相手の怒りを誘う
ばかりであまり効果はないようだ。
 くそ、こんな時にあのアブーカジェリフの短剣さえあれば――と、無駄と知りつ
つ思わず懐をまさぐり――
 奇跡を感得した。なるほど、アフラーとやらは実際、偉大なのかもしれない。さ
っきはどれだけ探しても見つからなかったあの短剣が、俺の指先に確かにふれてい
る!
 シャ、と音がしそうな切れ味鋭い感触とともに剣は鞘から抜き出、勢いのままに
俺はふりむきざま、闇雲に腕をふるった。
 真っ赤に裂けた口が俺の眼前でふいに斜めにかしぎ、ぽろりと落下した。
 ぎは、と血色のいい丸顔が血を吐き出し、砂の上をころがった。一拍おいて、左
首筋から右わきの下まですぱりと走る鋭利な切り口から、どっと血流が噴出する。
すげえ切れ味だ。なるほど、家宝だかなんだか知らねえが、アブーカジェリフが執
着するだけのことはある。
 残る二匹は、と見ると依然、波打ち際でじたばたとやっているだけなので俺はほ
う、と息をつき――足くびに激烈な痛みを感じて「ぎゃっ」と叫びながら飛びあが
った。
 うえ、とんでもねえ、首だけのくせに憎悪むき出しで人の足くびに喰いついてや
がる。童顔は激しいとだれかが知ったかぶってたが、ありゃ案外ホントなのかもし
れない。
 あまりの不気味さに、ぶざまに悲鳴をあげつつ弓の端でがっがっと生首の額を打
ちすえたが、苦痛に顔を歪ませはするものの離れるどころか白い歯をいっそう激し
く食いこませてくる。
 「野郎――じゃねえ、女郎!」
 とわけのわからぬ悪罵を吐きつつ、宝剣を生首めがけてふり降ろした。
 硬質の抵抗感は、頭蓋骨のものだろう。はねかえされるか、と瞬時危ぶんだが、
刃は硬い感触とともにずぶりと脳天深くつき刺さり、柄までめりこんだ。
 ほぼ同時に、ぶち切れそうな痛みが足くびから閃き、があは、と俺は苦鳴をあげ
る。目の端から涙がにじみ、食いしばった奥歯がきいんと脳天まで鳴らした。
 そして、痛覚のパルスが残る。
 歯ぐきまでむき出しにした凄絶な怒りと憎悪の表情のまま、ショートカットの生
首はついに力つきてほとりと砂の上に横たわり、双の眸は虚空を睨みあげていた。
 どうにか息たえてくれたらしい。
 うめき声に喉ふるわせつつ俺はどさりと尻をつき、骨にまで食いこんだ歯形を足
くびに見つけて改めておぞけをふるう。
 「冗談じゃねえや」
 一人ごち、気配にふと顔を上げ――
 般若の形相がふたつ、眼前に肉迫しつつあった。
 短剣は生首に突き立てられたままだが、それ以前に、いかなる反射行動ももはや
迫りくるふたつの地獄の口には対応しきれなかった。
 後悔のほぞをかみ、俺は目を見ひらいて破滅の到来を待ち受け――
 出しぬけに、ふたつの首が視界から消え失せるのを見て、呆然とした。
 寸時、何が起こったのかまったく理解できずにそのまま呆然と、いきなり眼前に
展開した青い空と白い雲を眺めやり――おそるおそる、眼下に視線を転じて、そこ
に、残る二体の首が仲良く並んで落ちているのを、信じられぬ面もちで眺めおろす。
 切り離された胴体の方はいまだばたばたとのたうちまわっていた。腰から上だけ
は人間の胴体なので、異様さもひとしおだが――問題は、二体同時に首を落として
のけたのは、どこの何者なのか、という点だ。
 なかば予想しつつ側方に視線を転じ、そしてその予測がまったく正しかったこと
に俺は思わず舌うちをしていた。
 「助けてもらって、気にくわねえか?」
 嘲るように、タツがそう言った。居合刀はすでに鞘におさめられている。少なく
とも、俺は閃光さえ目にしなかった。相当の腕なのだろう。――悔しいことに。
 「先が思いやられるわ」
 最悪なことに、タツの痩身の背後には沙羅までいた。
 「お、お、おまえらここでいったい何してやがんだ」
 うろたえつつ間抜けなリアクションをする俺をおもしろそうに眺めやりながらタ
ツは、俺の足もとを指さした。
 「いいのかい、また噛みつかれるぜ」
 「見物してやがったのか!」
 カッと顔面が熱くなる。それでもあわてて飛びのきつつ、今しも噛みつこうとカ
カッ、カカッと歯をならす二つの生首の形相をぞっとする思いで見おろした。
 「人が悪いぞおまえら。見てたんならさっさと助けてくれりゃいいじゃねえか」
 怒りよりは揶揄の調子がこもる口ぶりに、我ながら嫌気がさした。
 案の定、タツはクククッとさもおかしそうに喉を鳴らした。
 「なに、どの程度の腕なのか見てやろう、と思ってよ。悪いが、あのうろたえぶ
りでよくもまあ今日まで生きてこられたもんだ、てのが俺の感想だな」
 「余計なお世話だっ」
 むきになって言いかえすのを、沙羅が笑いながら見ていた。わかってる、自分で
だって、みっともいいもんじゃないってことは。
 「なにしにきやがったんだ、てめえら。島ン中で乳くりあってりゃいいだろうが」




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 青木無常の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE