#2561/5495 長編
★タイトル (GVJ ) 94/ 4/ 3 10:37 (200)
幻都放浪(8) 青木無常
★内容
きわたった。幸いにして異臭が立ちのぼることはなかったが、音がした方向からし
てうら若き乙女が、不覚にも眠りのさなかでちょいと弛緩しすぎたようだ。
まあお互い人間だ、と思いつつもややしまらぬ思いに俺は眉根をよせつつ目を開
き、やはり情けなげに目を丸くしたタツと正面から、視線をあわせちまった。
お互いぎょっとしたように目をそらし、やがてどちらからともなく、照れ笑いの
ようなものを浮かべあった。
「眠れねえな」
低く、よく響く声でタツがそう言うのへ、俺はふたたび目を閉じたまま「ああ」
と生返事をかえす。
「カフェインが効いたのかもな」
なるほど、とタツが相槌をうち、そしてしばしの沈黙。
「相手は、<混沌>の連中らしいな」
ふたたび、ぽつりと声が問う。
「ああ」
「勝算はあるのか?」
痛いところをつきやがる。
「ねえよ」
かすかに、鼻を鳴らす音がした。
「その場しのぎか?」
「ああ」
「計画ぐらい、立てたらどうだ」
「立てられるんなら、とっくに立ててる」
やや憮然と俺が答えると、それもそうか、と案外かんたんに納得した。
「酒でも飲みてえなあ」
しみじみと、タツがそうつぶやいた。
おお、と心からの同意をこめて目を開く。
同じように見返す黒瞳が、やがて、かすかな笑みに溶けた。
「沙羅とは、いつからの知り合いだ?」
と、やけに素直な口調でそう聞いてくる。
「<異変>以後さ。よく覚えてねえな。井の頭公園で、クビガラスを狩りにいっ
たときに、弁天と出会ってよ。なんだか知らねえが、お茶をごちそうになった。そ
のとき以来、か」
ふん、とタツは鼻をならした。
しばし口をつぐみ、今度は俺が聞いた。
「おまえの方は?」
すぐには答えは返らず、やけに長い間をおいて奴にしてはあいまいな声音が言っ
た。
「ガキのころからの、なじみよ。歳は、五つほど離れてるか」
「じゃ、俺ともそうか。沙羅とはタメだからな、俺は」
「ふん」
「へ、オヤジじゃねえか、あんた」
「ふん。ガキが」
横たわったまま、互いに視線に圧力をこめつつ微笑みかわす。
いつのまにか、雨はやんだようだ。間断なく天井をたたきつづけていたリズムは
とぎれ、ランプの芯が燃えるジリジリという音がやけに大きく、耳もとで鳴ってい
た。
「無謀だよな」
ややあってぽつりと、タツがそう言った。
「何が?」
きき返す自分の声は、ありがたいことに眠気にみちあふれている。
「おまえが、だよ。<混沌>に喧嘩を売ろうってんだからよ」
「売ったのは俺じゃない」
どうでもいい、といった感じの投げやりな答えに、やはり熱意を欠いた反論が応
ずる。
「同じことだよ」
あえて反対意見は重ねず、俺はつかみかけた眠りの端緒をとろとろとまさぐって
いた。
しばしの間をおいて、タツがふたたび問いかける。
「<混沌の騎士>てな、どんな連中だった?」
むー、と俺は夢心地でうめき、
「おめえなんかよりよっぽど、凄い使い手どもだったよ」
憎まれ口をたたいた。
単なる憎まれ口で、本心ではないと悟ったせいか、あるいはそれとも自分の腕に
よほどの自信があるのか、タツは怒るでもなくさらに問いかける。
「何人、いたんだ?」
「七人」
「ふむ。強かったか?」
「……おお」
不機嫌な生返事を、俺は返す。
思い出したくもない光景が、鮮明に脳裏によみがえる。
底ぬけに晴れわたった昼さがりだった。
俺たちは日課になっていた畑の見まわりに出ていた。
<異変>以前から畑だった土地を、そこらあたりに住む生き残り数世帯で分配し、
それぞれどこからか調達してきた種をまいていろいろとこしらえていた。
畑のまわりには、落とし穴が無数に掘られていた。
ただの落とし穴じゃない。竹やりを植えてあるやつだ。屍毒――動物の死骸をつ
きさしておいて作る簡易毒素を含んだものもあるから、相当凶悪なシロモノではあ
るが、盗賊、妖物、化物が昼夜の別なく徘徊する新世界ではとうぜんかつ最低の防
衛手段だ。
ほかに、空中にはテグスを張りわたし、それは鳴子と投石器に連結されてもいた。
宙を舞う妖魔用だ。
しかけの位置を知っているものにとっては大した脅威じゃないが、それを知って
いるのは畑を所有する数世帯だけだった。
すくなくとも、そのはずだったのだ。
だから、でかい図体の馬にまたがった、同じユニフォームに身をつつんだ奴らが
俺たち兄妹をとり囲んでいるのに気がついたとき、呆然とするよりなかった。
さく、さく、と土を踏みしめて馬は俺たちをとり囲む輪を縮める。
弓はいつでも持ち歩いていた。矢をつがえ、そして射た。
が、リーダー格とおぼしき男に、いとも無造作にそれは払いのけられるだけだっ
た。
麗子の、念をこめた矢を持っていればどうなっていたかはわからない。だがその
とき矢筒にあったのは、ふつうの矢ばかりだったのだ。
妹の結界はふつうの人間には効かない。俺たちになすすべはなかった。
包囲を破って逃げだそうとあがく俺たちを、七人の<騎士>どもは軽くあしらい、
俺の手から妹を奪った。
奴らは剣をぬこうとさえせず、リーダー格がひとり、代表のつもりか馬から降り
て俺と対峙した。腰にした剣はぬかず、鞘ごと地に落とした。
俺の拳に奴は四つまで耐え、五つめを顔面わきに流してやり過ごし、そして重い
一撃を俺の頬に叩きこんだ。
生まれてはじめて、といっていいほどの衝撃に頭の芯までしびれ、俺は倒れこん
だ。立ちあがる気力ひとつわかず、そのまま伏していた。
伏したまま、ぶざまなうめきをあげ、喉を鳴らし、涙を流した。痛みよりは、く
やしさと、そして無力感とが、俺から力を奪い去っていた。
我に返ったときには、妹も、そして<騎士>どもも消えていた。
俺は鼻をすすりながら、踏み荒らされた畑をでき得るかぎり復旧し、そして肩を
落としたままとぼとぼと家路についた。
殴られた顔面は、痛みよりも熱に脈うっていた。横になると、すぐに眠りに落ち
こんでいた。そして、夢ひとつ見ずにこんこんと眠りつづけた。
目が覚めても、妹はいなかった。
怒りと恐怖は、同じくらいの強さだった。
いや。
正直に言おう。
恐怖の方が、明らかに勝っていた。
たぶん、ラジオからのノイズまじりの妹の呼びかけがなかったら、俺はこの探索
行には出なかったにちがいない。
まったく、情けなくって涙がちょちょ切れる。
「なあ」
そんな俺の沈思黙考を破るようにして、タツがまた声をかけてきた。
「ん……?」
下唇をかみしめたまま、かすれた声で俺は答える。
「おまえにとって、妹、麗子っつったか? 麗子はいったいなんなんだ?」
テレパシーでもあるのか、この男は。
「気安く呼び捨てにすんじゃねえよ」
「あ? そうか。すまん」
やけに素直に謝りやがる。
思わず苦笑していた。
笑いにまぎらして怒りと悔しさをのみこんだ。
「で、よ」
と、なおもタツは問いかける。
「……んー?」
「寝ぼけるない」軽く怒気をふくんで、声が言う。「妹のことよ。麗子ちゃんの、
よ」
「んー……」
と俺は、返答に窮してうなった。
答えなどもとよりない。
「十六年、いっしょに暮らしてきた仲だからな。よくも、悪くもよ」
「……それだけか?」
不思議そうに、いくぶんかは不満げにそうきき返すタツに、
「それだけじゃ、悪いかよ」
眠気に不機嫌をまぶして、そう答えた。
「悪かぁ、ねえけどよ」
それきり、考えこむようにして、タツもついに黙りこんだ。
朦朧と脳内にしのびよる睡魔の向こうで、雨音がとぎれていることにおぼろに気
がついた。
「雨がやんだな」
つぶやくように口にした言葉に、返事はかえらない。
眠っちまったのかもしれねえな。
自身、睡魔に心地よく抱かれつつそんな感想を抱きかけたころ――
「……おい」
ささやくような呼びかけに、どこか尋常ならざる響きを感じて、俺はひくりと肩
ふるわせた。
「なんでえ」
答えた声をひそめたのは、なかば無意識が警報をくりかえしていたからだ。
「聞こえねえか?」
問いかけに、目を閉じたまま耳をすましてみる。
たしかに、聞こえる。
ぱち、ぱち、と何かが燃え盛り弾け飛ぶ音。
それも、複数の方向から。
つい、と細めに目を開き、足もと方向の窓外に視線をとばした。
割れたガラスのむこうに、いくつもの炎の塊が浮遊していた。
「なんだありゃ?」
声をひそめて俺が問うのへ、タツもまた緊張にみちた返答をかえす。
「わからねえ。はじめて見る。言ってみりゃ、鬼火だが」
ゆらゆらと朱い舌を揺らめかせつつ、炎の塊はひとつ、ふたつと、ガラスの破れ
目を通して室内に進入してきた。
「襲ってくるかな?」
答えなど返らないことは承知の上で、そう聞かずにはいられなかった。
「魔法陣、効いてくれれば、よ」
つぶやきつつ、タツは静かに、ゆっくりと、半身を起こしにかかる。
俺もそれにならい、得体の知れぬ妖魅どもを極力刺激しないよう、つとめてゆる
ゆると、上体をひきあげた。
十五、六もあろうか。鬼火の群れは、ぱち、ぱちと爆ぜながらつぎつぎに室内に
入りこんでくる。タツの期待どおり、沙羅の結界が効いているのか、魔法陣の内側
には踏み入ってはこないものの、明らかに俺たち四人の存在にひき寄せられている
感じだ。
揺らめくプロミネンスに、半身を起こしたタツと俺との影が壁に映って小刻みに
ゆれる。
「これじゃ、おちついて眠れやしねえ」
顔をしかめて情けなくつぶやく俺に、タツはちらりと微笑を投げかけ、かたわら
に置いた居合刀に手をかけた。
音を立てぬよう、ゆっくりと引きよせ、柄に手をかける。
そのまま数刻、時も空間も凍りついたかのように、俺たちは微動だにできぬまま
で過ごした。
アブーカジェリフはといえば、この期におよんでまるで気づく気配もなく、尻な
どぼりぼりとかいていやがる。どこまでもこの魔法使いは役たたずな。
まるで燃え盛る紅の芯部に、なんらかの視覚器官をでも持っているように、鬼火
の群れはゆらゆらとたゆたいながら俺たちを取り囲んだままいつまでも、浮遊して
いた。
歯をむきだしつつ、タツが剣の柄をぎゅっと、絞りこむ。打ちかかるべきかこの
まま静観するか、決めかねているのだろう。さもありなん。俺だってどう反応して
いいのやら、見当もつかない。
「誘って、みるか」
ひとりごとのように言って、タツはちらりと俺をうかがい、夕げの名残である空
のマグカップのふちに、つい、と剣の鞘を当てた。
ず、と、リノリウムの床をカップがすべり、魔法陣の円の外へとおしやられる。
それが、結界を出はずれた瞬間――
ボン!
と音を立てて燃えあがった。
鬼火のどれかひとつが、体当たりをくらわせたようにも見えなかったが、どうや
ら攻撃を受けたことだけはまちがいなさそうだ。鉄の容器は高火力に一気にあぶら