#3088/3137 空中分解2
★タイトル (AVJ ) 93/ 4/ 7 5:56 (161)
児童文学探訪「へちまのたね・5」 浮雲
★内容
われわれ日本人にとって、魔女といえば、魔法使いのおばあさんのことでした。
いずれにしても、それは「童話」の世界の噺であって、「お化け」や「ゆうれ
い」などに比べ、決して身近なものではないといってよいでしょう。
たとえば、「魔女ってなあに」と聞かれたとき、「それはね」と即座に答えら
れる人は、おそらくいますまい。そこで、手元にある辞書をひいてみることにし
ましょう。
[魔女]@ヨーロッパの民間伝説で、悪魔と交わり、その魔力を借りて呪術を
行い、人に悪害をおよぼすとされた女性。A悪魔のような女。また、男を惑
わすふしぎな力をもった女。B中世ー近代のヨーロッパで、魔女裁判にかけ
られた人たち。
[悪魔]@善を妨げ悪と苦しみをもたらすと信じられる霊的存在。Aキリスト
教・ユダヤ教で、神に反逆し、人を悪に誘うもの。サタン。B仏教で、仏道
を妨げる悪神の総称。魔。魔羅。
−講談社[カラー版]日本語大辞典より−
【魔女】中世以降のヨーロッパで、魔術を使って悪霊を呼び出したり、占いを
したりなどした女性たち。
【魔術】普通の方法では不可能な事を、トリック(特別の訓練)によって、や
って見せる術。
【トリック】たくらみ。策略。
−三省堂 新明解国語辞典より−
もっとも、子どもたちにこのままそっくり語り聞かせてよいものかどうか、疑
わしいようです。なぜなら、子どもたちが、ぼんやり頭に描いている「魔女」と
、あまりにもかけ離れているように思われるからです。
なんにしろ、辞書にのっている「魔女」とわれわれの魔女とのあいだには、大
きな隔たりがあるようです。舶来のものがなんでもそうであるように、日本人好
みに加工されてしまっているということでしょうか。
*
中世ヨーロッパにおける伝承としての魔女が、いつごろ、誰によって、どうい
う形で日本に紹介されたのか、まことに勉強不足で承知していないのですが、魔
女の歴史は古代にさかのぼる、といいます。
『「魔女」の歴史は人間の歴史とともに古く、すでに古石器時代の洞窟の壁画
にその姿を現しており、青銅時代に属するデンマークの「魔女の墓」からは
、魔女が用いたさまざまな呪術用の小道具をおさめた壷が発見されている。』
(「魔女狩り」森島恒雄 岩波新書)
『ともあれ、中世のキリスト教国は、こうしたさまざまな魔女迷信の吹きだま
りであった。この吹きだまりのなかから、中世後期の一般大衆の間に、ひとつ
の伝承的な魔女像が浮かび出ていた。その魔女は例外なしに女である。それも
年老いた、醜悪な老婆である。
「年をくい、しわ枯れた老婆。あごは落ち、膝は曲がり、弓なりに杖にすが
っては歩く。眼はくぼみ、歯は抜けて、顔のしわは深く、手足は中風でふる
え、なにかぶつぶつつぶやきながら、通りを歩く。主の祈りは忘れても、悪
態をつく意地悪な舌は、まだ失ってはいない。・・・」(ハースネット「カ
トリック教の欺*」』(同)
ここに、われわれ日本人が小さい頃によく聞かされた、魔女の「原型」があり
ます。
また、先に引用した二つの辞書が、いずれも、魔女を「女性」としているよう
に、われわれ日本人は、魔女=女性、と理解してきました。
しかし、よく知られている、十五から十七世紀にかけてヨーロッパ各地で吹き
荒れた「魔女狩り」においては、女性たちばかりか、多くの男性たちも「魔女」
として処刑されたことを知っておいてよいでしょう。
『「きびしい告発を受けていますのでいつなんどき逮捕されるかもわからぬ男
女が、当市にはまだ四百人ばかりもいるのでございます。男もあり女もあり
、身分高きもあり、低きもあり、聖職者すらまじっています」(ヴェルツブ
ルグの司教附宗教顧問が一六二九年八月、高貴な知人に宛てた手紙より)同』
*
ところが、「魔女の宅急便」(角野栄子)の登場によって、われわれ日本人の
魔女に対するイメージは、一変してしまったのではないでしょうか。というより
も、その後、宮崎駿によってアニメ化された「魔女の宅急便」によって、といっ
た方がよいかも知れません。改めて原作を読みなおしてみて、なるほど映像の持
つ力というものは、凄いものだと驚かされます。
では、わが日本の児童文学に魔女が登場するのは、いつごろで、それは誰によ
って書かれ、さらには、日本の現代児童文学において魔女たちはどう描かれてい
るか、今回は、それらの手がかりとなるものをみてみましょう。
手はじめに、「新版児童文学−はじめの一歩」に掲載の、児童文学作品リスト
一覧をざっと拾い読みしたが、タイトルに魔女という文字は見あたりません。や
っと「魔法」(坪田譲治)というタイトルが見えるだけです。(この作品には、
魔女は登場しません)
「児童文学の世界 作品案内と入門講座」(偕成社 1988.6)からは、
次のようなタイトルを拾うことができます。
・魔法の庭 坪田譲治 1946
・にげだした魔女のほうき 末吉暁子 岩崎書店 1983
・クミ+クミ=魔女? さとうまきこ 偕成社 1984
・魔女の宅急便 角野栄子 福音館書店 1985
こんどは、少し角度を変えて、「現代児童文学作家対談」(神宮輝夫 偕成社
)1−6巻までを調べてみました。結果は、次の通りでした(著作リストより抜
粋)
1. 佐藤さとる ぼくは魔法学校三年生 大日本図書 1976
竹崎有斐 −なし−
筒井敬介 −なし−
2. 小沢 正 −なし−
寺村輝夫 まほうつかいのチョモチョモ 実業之日本社 1969
山下明生 まほうにかかったいたずらグマ *成出版社 1981
3. 角野栄子 魔女の宅急便 福音館書店 1985
立原えりか 恋する魔女 新書館 1967
ほんものの魔法 青土社 1979
まほうの売り場はどこですか TBSブリタニカ 1981
中川李枝 −なし−
4. 今西祐介 −なし−
大石 真 魔女のいる教室 岩崎書店 1980
まほうつかいのワニ 文研出版 1982
5. 那須正幹 妖怪クラブ・魔女にご用心 偕成社 1987
舟崎克彦 魔法の時間です ポプラ社 1978
まほうのパチクリ ポプラ社 1984
三田村信行 −なし−
6. いぬいとみこ ちいさいナナと魔女ガラス 理論社 1986
神沢利子 −なし−
松谷みよ子 −なし−
「魔法」「悪魔」などまで範囲をひろげても、おおよそこれだけです。
「現代児童文学作家対談」に登場する作家たちは、いずれも、押しも押されも
しない、いわゆる゛大御所゛ばかりですが、その彼らの作品に、ほとんど魔女が
登場しないというのも、なかなか興味深いものがあります。
*
さらに、最寄りの図書館(市立)の「子ども部屋」に開架されている本のタイ
トルを、調べてみました。その結果が次のとうりです。
・まじょのカリナちゃんといたずらたまご みづしま志穂 ポプラ社 1991.06
・魔女シャーホ 奥田継夫 校成出版 1987.05
・魔女ジパングをゆく 浜田けい子 ペップ出版 1990
・魔女があなたを占います 長井利子 偕成社 1987.08
・魔女見習い通信 石田としこ 偕成社 1992.04
・まりおばあさんは魔女かしら 木村静枝 偕成社 1983.04
・魔女ごっこ 武鹿悦子 小峰書店 1986.11
・魔女たんていの箱いりママ事件 浅川じゅん ポプラ社 1992.08
・夏休みは魔女の研究 山末やすえ 偕成社 1992.06
・ナナコは魔女のひまご 高井節子 偕成社 1987.08
まあ、よくこれだけ、と思われるほどたくさんあるのには、正直おどろきまし
た。書庫に保管されている古い(出版年)ものも加えたら、相当な数にのぼるこ
とでしょう。
なにはともあれ、これらの本のうち上から順に7冊を借りだし、ざっと目を通
してみました。
このうち、中世ヨーロッパの伝承にほぼ忠実に、魔女らしさが再現されている
のは、「魔女シャーホ」「魔女ごっこ」の2冊だけです。あとのものは、いずれ
も、子どもたちの興味を引こうと、ただそれだけの理由でむりやり魔女を持ちだ
しただけであって、その必然性などないものばかりといってよいでしょう。
つまり、不思議なできごとを出現させるために、魔女を小道具に使おうとして
いるに過ぎないのです。構成力のなさ、想像力の貧困さを、魔法によって補おう
としているのです。一読してみれば、そうまちがった見方ではないことは、おわ
かりいただけるに違いありません。
また、ほとんどの作品で魔女のキャラクターが少しも描かれずに、魔女=魔法
、というとらえ方しかされていないように見受けられるのですが、それは、作者
たちが、魔女について、小さいときに聞かされた、輸入され、その後変質した「
和製魔女」ていどにしか認識していないことの証ともいえます。
中世ヨーロッパの伝承を離れ、「和製魔女」をつくり出すことには、大いに賛
成ですし、むしろ、それを期待しているわけですが、やはり期待は裏切られたと
いわなければなりません。
アニメ「魔女の宅急便」は、「和製魔女」の一つの典型を示した、という点で
画期的であったのです。
これからも、日の目をみることなく、書庫や本棚に埋もれている、たくさんの
魔女たちと会いたいと思っております。
−つづく−
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