#3089/3137 空中分解2
★タイトル (VHM ) 93/ 4/ 7 6:24 (174)
お題>「謎の二つのミルクティー」 井上 仁
★内容
「謎の二つのミルクティー」 井上 仁
2037年。
すでに明けきった21世紀は、20世紀と何も変わってはいなかった。
・・・のではない、変わった。変わってしまった。
自然はもはや自らの身を守る気力さえなくしてしまったかのように、無抵抗な崩壊
を続けていた。
人の心の天秤の黒いほうの皿は一層重くなっていた。昔話のように、善人が悪人を
改心させていくなどといったことは、ついに理論上で成立することもできなくなった。
善人は即座に追放され、死神の仕事を増やす。生きていくことは、不可能になった。
だがそれでも、文明は発展を続けていた。
光の援助なしに二酸化炭素を酸素に変える驚異の金属の誕生。おかげで人類は、地
球上における森林の占有率を0%にすることにためらいも後悔も感じる必要がなくなっ
た。
食料は、0.1秒間でおよそ3億人の1日分の食料がまかなえるようになって、余っ
てしまうほどになった。
空気をある化学反応によって純水に変える方法が発見された。今や、その作業は小
学生でも10分あれば家庭でできてしまう。
などなど。そして、そして−−−
人類は、ついに宇宙からの恵みを一切遮断した。
地球上表面を一つの隙間もなくうめつくす地表1キロの高さに浮遊する厚い壁によっ
て。
これで、酸性雨も紫外線も人類を襲えなくなった。
その上、壁の中に居住空間を作り出すことによって住居は一気に増えた。
その壁は、暦の中のすべての太陽と完璧に同じタイミング、同じ感触、同じ性質の
光、同じ軌道で太陽の映像を再現して映し出す事が可能だった。太陽は壁の中に封じ
られた。昼間、太陽のない部分の壁は目に優しいうす茶色をしていた。
コンピュータ制御の夜が、いつもと同じように明けた。
カラン・カラン・・・
古風な鐘の音がその喫茶店へ客が来た事を告げた。いまどき、この鐘の音が本物だ
などと思う奴はいない−−−コンピュータ・サウンドに決まっている。
「いらっしゃいませーっ!」
俺が入ってくるなり、妙に明るい女性の声がそう古くからの言葉を放ってきた。
俺は昨日まで、大阪で仕事−−−スペースコロニー製造の下請け−−−をしていた
が、転勤ということになって、ここ東京の本社に今日から勤めることになった。栄転、
というやつだ。
ここには、朝の紅茶でもと思って通勤途中に寄ったのだ。
店内をぐるりと見回して、なかなかいい店だな、と思った。
内装の配置は、20世紀に多くあったもので、落ちついた、やわらかい感じがして
好感が持てた。
それに、カウンターにいる女性。おそらく、16か。女子高校生に相当する年齢に
見えた。髪をショートにまとめていて、まさに俺の好みに一致していた。赤と緑のチェ
ックが入った活動的な服が妙に似合ってもいた。
もちろんこんな若い娘が店をやっているわけはないから、たぶんアルバイトかなに
かで、マスターがでかけたりして一人になっているだけだろう。それより店の奥にい
る可能性のほうが高いが。
おそらく、ここには毎日通うことになるだろう。こんな感じのいい店は、ちょっと
見つけるのが難しい。
俺は、ちょうどぎりぎり日の光が届かない場所のカウンターへ座った。
「あのっ、ご注文はなにになさいます?」
紅茶・・・と言おうとして、念のため壁に貼ってあるメニューを見た。もしかした
ら変わったものがあるかもしれない。
おや、と俺は思った。
あの、メニュー表の下から三番目ぐらい。あれはミルクティーだ。820円と書い
てある。
ではその上はなんだ?あれも、ミルクティーと書いてある。両者の違いは確かにあっ
た。上に書いてあるのが『ミルクティーA』もう一つのほうが『ミルクティーB』だ
からだ。そう書いてある。ということは、印刷ミスではないだろう。
いったいどう、違うんだ?
とそのとき、向こうにいた中年の客が少女に注文をした。『ミルクティーB』をく
れ、と。
「・・・はい。ミルクティーのBですね。少々、お待ちを」
一瞬、ほんの一瞬だけ、彼女は残念そうな表情を走らせた。ただの錯覚かもしれな
いが。
おっと、また客が入ってきた。
俺は入ってきた若い男性の客がどんな注文をするのか、聞いてみたくなった。まあ、
そうそうミルクティーばかりは・・・
「えっと、Bのミルクティーを」
「あ、はい。少々お待ちを・・・」
と思ったら・・・しかし、また、Bか。
「ここの店はミルクティーを注文する人が多いね、なんで?」
とりあえずその疑問は後回しにして、彼女にミルクティーが人気の訳を聞いてみる
ことにした。
「ええ、うちはミルクティーが特別おいしいんですよ。それに、つい最近、雑誌でそ
のことが紹介されたし・・・今日はこれでお客さん、少ないほうなんですよ。にぎや
かになって嬉しいです」
「へえ、そうなのか」
・・・ものは試し。
「じゃあ、俺もミルクティーAをもらおうかな」
少女は一瞬、Bですね、といいかけて、はっとした表情を見せた。
「え、あの、Aですか?」
「ああ、そうだよ」
「は・・・はいっ!かしこまりました!」
彼女のその嬉しそうな表情を見て、俺は不思議に思った。どうしてそんなに喜ぶん
だ・・・?
「はい、お待たせしました!」
俺がそのカップの中身を見た時の驚きを、なんと表現すべきか。たぶん−−−
・・・は・・・?
というのがいい表現だと思う。
ミルクティーの色は、茶色だ。
いまここに、その常識が爆発音とともに四散した。
・・・青いぞ、これ。
その飲物は、完膚なきまでに青かった。
確かに美しい色ではある。のぞき込んでみると、まるでどこまでも続いているよう
な気がして、吸い込まれてしまいそうだった、が。
飲むとなれば話は別だ。
「あ、あのさ・・・これ、なんていう紅茶?」
助けを求めるような俺の言葉に、彼女はうふふ、と無邪気に笑って、
「まあとにかく、飲んでみてください。このメニューが見えた人は、久しぶりなんで
すから・・・」
見えた?するとあのミルクティーAというのが他の客には見えてないのか?
そう思いながら、俺はその奇妙な紅茶を一口、口にいれた。
・・・・・・。
それから、俺は毎朝必ずその喫茶店に行くことにしている。飲むものは決まってい
る。ミルクティー、Aだ。
紅茶の味など、かけらも感じられなかった。
そのかわり、飲んだ瞬間に感じられるあの味。
それは、冷たくない冷水で体を洗い流した後のような感触を、全身にもたらしてく
れる。
ストレスなど、一瞬で吹き飛んでしまう。
かといって中毒になるようなものではない。どんな飲物よりも味は薄かったからだ。
もしかしたら水より薄いかもしれない。
そのさわやかさが、また格別だった。
そして、20日あまりが過ぎたある晴れた朝−−−
「いつもの、Aをもらうよ」
疲れを知らなくなった俺は、会社での成績が急速に上がっていた。このままいくと、
次の人事移動の時には確実に昇進だな、と仲間に言われるほど。
聞いてみたところ、ここは彼女の父の店で、現在ちょっとした病気で入院している
父に替わってしばらく一人で店をやっているそうだ。
今日も、あの青紅茶を堪能するはずだった。
「・・・あの、すみません。A、というのは・・・?」
いつもと全く変わらぬ姿と表情の少女が放ったその言葉を、俺は理解する事ができ
なかった。
「なに、って・・・ミルクティーの・・・あ、ああ?」
そう言ってメニューを見た俺は、今度は愕然となった。
ミルクティーの表示が、一つしかない。
そこにはAとも、Bとも書いてはいなかった。ただの、ミルクティー・・・
「・・・ど、どうなって、るんだ・・・?」
一瞬、夢だったのか、とも思った。
しかし、絶対に違う。確かに俺は、この店で、この娘に、あの青い不思議な、素晴
らしい味のする紅茶を、飲んだんだ。確かに、確かに−−−
「確かに・・・」
あ、あの、お客さん?という少女の声も、今の俺には聞こえていなかった。
俺は、会社を辞めた。
理由は、ただひとつ。
あの紅茶を、探すため。そして、他にうまく逃げられた「もの」を探すため。
あの紅茶がなんだったのか、やっとわかった。
太陽は逃げきれずに壁の中に閉じ込められてしまったが、「あれ」は逃げることが
できたのだ。紅茶という姿をとって。
風。
雲。
月。
そして、緑・・・
それらも、きっとどこかで隠れているはずだ。たとえどんな姿に変わっているとし
ても。
青空の、頭文字は−−−
そう。あの紅茶は−−−
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あとがき
うーん。ちょっとひねりが足りないかなぁ・・・
中盤で、オチがわかってしまうような気がする。「お題」じゃなかったらわからない
と思うけど。
ご感想など、ぜひお聞かせ下さい。
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