#2762/3137 空中分解2
★タイトル (HHF ) 93/ 1/31 10:12 (166)
月夜話、其之四 「 小さな冒険 」 (3/3) ■ 榊 ■
★内容
「舞姫さんは、何かないのですか?」
「私?」
うーん、と何か考える。
「私はあまり無いけど………お父さんとお母さんが神奈川の方に引っ越しちゃ
った時、私は更紗や萌荵と一緒に残ることに決めたんだけど、お母さんが心配
しちゃってね」
静かに、静かに、舞姫は語った。
「料理の真似ごととか、洗濯をしたりして、『お母さん、私でもできるよ。心
配しなくてもいいよ』って言ったんだけど、本当にいなくなったらすごく寂し
くって」
芳春は真剣に聞いていた。
「何度も更紗に、『お母さんどこ? お父さんどこ?』って聞いて、困らせた
ことがあったなぁ」
髪をかき上げると、ちょっとだけ寂しそうな笑顔が見えた。
「いるときは分からなかったのに、いなくなって初めて今までそこにいたんだ
って気づいて。いるわけが無いって知っているのに、いろんな部屋を開けて調
べちゃったりしたの」
「僕も、どの家にでもお母さんがいるって知ったときは、どこかに隠れてるん
じゃないかって探したときがありました」
「タンスの中とか?」
「ごみ箱の中とか」
舞姫はまた笑った。
「その時は真剣だったんですけど………」
うん、と舞姫はうなずいた。
二人の間だけで、なごんだ雰囲気が流れた。
振りむけば、静かに広がる教室があるというのに。この学校のどこかにいま
だ、「顔」がいるというのに。
そう芳春が思ったとき、舞姫が抱きついてきた。鼓動が一気に跳ね上がる。
「まっ、舞姫さん」
「……来た」
説明はそれだけで十分だった。
思わず体中の筋肉がかたくなった。
あたりを見渡すが、そこは変わらず静かな教室だった。
違う。
床から、何かが出てきた。
ぎゅっと舞姫の体をつかむ。
ところどころが欠け、焼けただれた「顔」が、ぷかりと浮かんでいた。
すぐ目の前に。
芳春は目をつぶった。
恐い。
恐い!
舞姫をくだけるほど強く、抱きしめた。
息などしていないようなのに、すぐ耳元で聞こえるようだった。
たれる涎。
ぎらついた歯。
もとのままの片目。
目をつぶっていても、あともう1cmのところまで来ていることを、肌で感
じる。
かっぽりと口をあけ、ほんの一口で飲み込んでしまう。
そう思っていたが、けっきょく何も起こらなかった。
永遠のような時がすぎ、気づいてみれば「顔」はいなかった。
もうそこは、静かなままの教室だった。
「もう大丈夫みたいです」
「うん……」
舞姫はそぅっと、離れた。
それでも、二人はしばらく落ち込んだように口を閉ざした。
早く、誰か助けにきて。
そうでないと、食べられてしまう。
残り時間は、ほんのわずかしかなかった。
「誰もこないわね」
芳春は何も言えなかった。
「もうすぐ、この円の効力もなくなるわ」
「はい」
「でも、最後まで頑張ってみるから、信じてね」
「何か手があるのですか?」
「他にもいくつか知ってる呪文があるから、それを唱えてみる。なにも効果が
ないと思うけど」
芳春は少し不安になったが、「顔」よりなにより、舞姫が泣いてしまうこと
の方が嫌だった。
「僕も頑張ってみます」
「うん」
舞姫はそう言って、何かを呟いた。
「4つ、かな思い出せるのは。この円が壊れる瞬間に合図するから、私から離
れてね」
「はい」
舞姫が顔をあげた。
やっぱり、今にも泣き出しそうだったので、芳春はまた慌ててしまった。
「あっ、あの。たぶん呪文、効くと思います。それに、危ない時になったら、
誰か助けに来てくれるかも知れませんし………ウルトラマンみたいに」
舞姫はぷっと吹きだした。
泣きながら、笑いながら。
ぼたぼたと涙をこぼすと、やっと落ちついて笑ってくれた。
芳春はほっと安心した。その時、舞姫が近寄ってきた。
これ以上近寄れないところまできて、そして、額にそっと唇が触れた。
温かな、柔らかな感触。
「有り難う」
とくん
一回だけの鼓動。
そして、今までいちばん強く、大きく、早く、鼓動が鳴り響いた。
「こわれたわ!」
もう恐いものは何もないっ!
芳春は舞姫から離れると、椅子の一つをつかんだ。
どこからか、叫び声が聞こえる。
二人を見つけたらしい。
風が吹いてくる。
廊下から。窓から。
叫び声が大きくなる。
すぐそこにいる。
廊下を。そして、すぐそこに。
来たっ!
舞姫が必死に、いくつかの呪文を唱える。
「顔」は一瞬ちゅうちょしたようだが、呪文が意味をなしていないことをし
ると、ゆっくりとさぐるように舞姫に近寄っていった。
まだ舞姫は、呪文を唱えていた。
かぱりと口が開く。
「顔っ! こっちに来い!」
芳春の声に反応して、「顔」の瞳がぐるりとこちらを向いた。
そしてもう一度、舞姫を見つめる。
芳春を見る。
そして、芳春の方に向かってきた。
どうやら万が一、舞姫からさっきのようなものを受けるよりは、芳春の方が
いいと思ったらしい。
教室の反対側へ逃げた芳春は、もう一度、椅子を構える。
「顔」が再び口をかぱりと開け、そして向かってきた。
芳春は必死にその口の中に椅子を投げ込み、横に逃げた。
ぐしゃっ
振り返ると、もうすぐそこに顔があった。
ぱっかり開けた口には、ひん曲がった椅子があった。
なす術はもうなかった。
食べられるっ!
その時、すべてが白く輝いた。
まばゆいばかりまでの光。
ほんの一瞬のできごと。
光が消えたとき、「顔」はもうどこにもいなかった。
二人はもたれ掛かるように寄り添いながら、家路についていた。
外はもうまっくらで、今になってやっと月が明るく光っていた。
歩いている人が見えたときは、嬉しくて涙が出そうだったけど、二人はただ
もう寄り添って歩くぐらいしかできなかった。
「最後に唱えたのは、どんな呪文だったんですか」
芳春は、これだけは聞いておきたい思って、呟くように聞いた。
「最後のはね………霊を呼ぶ呪文」
「え?」
「だから助けてくれたのは、何かの霊なの」
どんな霊がいったい助けてくれたのだろう。
あの明るい光。
すべて包み込むような、温かい光だった。
たぶん霊に好かれているのは、萌荵だけではないのだと、芳春はふと思った。
家につき、玄関を開けると、出てきたときと変わらない土間があった。
あたたかい、住み慣れた家。
「舞姫?」
食堂からタオルをかぶった萌荵が、顔をだした。
そして、二人を見て目をまん丸に開く。
「……どうしたの、二人とも」
そう言って、軽い足どりで二人のもとに来て、そして頭にかけていたタオル
で二人の顔をおおった。
タオルは温かくしめり、ほんのりとリンスの香りがした。
そのタオルでごしごしと顔を拭かれた二人の子豚は、やっと子供ように泣き
だした。
わんわんと泣くと、萌荵が優しく抱きしめてくれた。
月夜の晩の、そんなお話。