#2729/3137 空中分解2
★タイトル (RMC ) 93/ 1/19 12:37 (198)
海鳴りのスローバラード 10 〈トラウト〉
★内容
−−三○秒前よ、いい?横チン
彼女がいうと、横田がついに怒りだしてしまった。
−−みなみ!何言ってんだバカヤロー、いい加減しろよ、お前がついてて。曲だよ
曲!テーマ何かけるんだよ、聞えないのかよーこのヤロー!
−−怒鳴らないでよっ、うるさいわね!北山さん言わないんだから、しょうがない
でしょ!
−−インカムかけてんだろ、インカムで呼べよ、ばかっ!
−−北山さん!二十秒前です。曲はどうすんですか?横チンあせってる、聞える?
−−みなみ、曲ならいらないよ。下手な曲より海の音の方が、音楽だと思わないか?
北山が低い声でゆっくりと言った。
−−横チン、聞えた?いらないってさあ曲。どうするのぉ?う〜ん
−−あきれかえるな、知らないよ。こうなったら勝手に曲送るぞ!
−−でも・・・・やめよう、やっぱり。海の音だけ・・・・流したい、私も
彼女が言うと、しばらく沈黙が流れた。
−−テーマもナレーションもなにもなしで、ただ海かよ?
−−私、それがいいと思う
−−わかった・・・・わかったよ・・・・知らないよもう
十秒前です!
彼女がふっきれたように、はっきりとカウントダウンをしだした。
9−−8−−7−−6−−5−−4−−3−−2−−1−−
−−北山さん、オンエアー入りました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・海鳴り
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・絶え間なく寄せる怒涛
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吹きすさぶ風と雪
・・・・一○分・・・・・・・・二○分・・・・・・・・・・三○分
誰も何も言いださずに、その音を聴いていた。
本番前の緊迫感は今、嘘のように引いてしまっている。
外気温マイナス三十度。強い風が雪をともない、唸りはじめた−−まるでブリザ
ードだ。周囲の景色が白一色で覆いつくされた−−何も見えない、何も見えない。
ふわふわだった雪が小粒にかわり、真横から吹付けている。
その怒涛の音は美しいというよりも、地の果ての寂寥感さえ漂わせている。
一瞬雲が割れ、そのブリザードが弱まると、一方向に吹付けていた雪が舞いだし、
あたりがいくらか明るくなった−−鉛色の海面が見える。それがときおり光る。
インカムから初めて北山のゆっくりとした声が聞えた。
−−みなみぃ、どうだぁ音は?
みなみが我にかえった。
−−あっはい、多分そこと同じ音です
−−来ないかぁこっちに、卓なんかほおって
−−いえ、ここにいます
−−そうか。いい音だ・・・・広大な海だ、親父が愛したオホーツクだよ。電波は届く
かあ親父んとこに?
−−無理です・・・・
天売が見えそうだっていうところなのに、電波は札幌からだ。
−−局に出力を上げて貰ってくれ、もう20%。出来る筈だ。
−−そ、そんな
局全体のパワーを上げるなど法律違反もなにも論外だ。
「うるせい!」と彼は一瞬声を荒げ、また「お願いだよみなみ、そうシマキンに言
ってくれよ」と呟くようにいった。
それを聞いていた札幌の横田が、シマキンに振向いた。
シマキンはしばらく考えた後で「・・・・わかったよ・・・・わかった・・・・OKだって伝
えてくれ、北山クンに」といい、スタジオを出ようとした。
横田が何かを考えている−−シマキンが先にそれに気づいた。
「横田クン、それからもう一回天売に電話をして、北山クンの親父さんが寝ている
部屋の・・・・」
「FMをめいっぱい大きくしろって?」
「あたりまえだ、早くやれっ、ばかもん!」横田は急いで電話をとり、シマキンが
スタジオを飛出した。
彼女が北山に出力のアップを伝えると、北山は「ありがとう」といい、インカム
のスイッチを切った。
みなみがあわてて「横チン!インカム切った、北山さん」と伝えると、横田から
の声も何故か途絶えてしまったようだ−−。
鉛色の海がうねり、雪が渦巻いている。また風が吹いてきたのか、海鳴りが高ま
る。回りのなにもかも−−すべてがみえなくなった。ホワイトアウトだ。
−−横チン、どうしたの聞えてるんでしょ
−−「・・・・・・・・・・・・」
−−横チン?
−−「・・・・・・・・・・・・」
みなみが顔を蒼白にして言った−−「嘘!」
−−うん
やっと横山の声が小さく聞えた。
「死ん・・・・?」彼女がいいかけると、横田が「今、お袋さんから電話が入った。北
さんは?」と尋ねてきた。
北山は多分ズッと岩場に立ったままだと思うが、中継車の彼女にはその姿が見え
ない。ただ海鳴りの音だけが聴える・・・・。それより、みなみには雄冬岬の存在が次
元を超えていると思えた。それは白い砂漠、いや雲海の中。遠い遠い地球の果てに
さえ感じ始めた。
・・・・・・・・・・・・すげえ迫力だよ、海の音
横田の声が聞えた。
・・・・・・・・・・・・うん
−−行ってやれよ、北山さんとこ。卓はもうそのまんまだろ、どうせ
と、彼女の耳になにか音が聞え始めた。
−−ちょっと待って、なんか聞えない?
−−ああ、こっちにもなんか聞える
ヴーン ビーン ボーン ヴーン ヴーン ビーン ボーン ヴーン
−−みなみ、それジュースハープじゃないか?
−−えっ?なにそれ
−−アイヌの口琵琶だよ、いつも北さん練習してた
−−アイヌの口琵琶・・・・
−−何ボケッとしてんだ、何番のマイクかしらべて、ボリウムあげろ!
−−あっはい・・・・これかな・・・・行った?
ヴーン ビーン ボーン ヴーン ヴーン ビーン ボーン ヴーン
−−おお、来た来たよ、エコーだエコー!
−−エコーかけるの?
−−めいっぱいかけろ!
ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン! ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン!
−−うおおおおおお、凄えや・・・・凄えや・・・・風が唸るような凄い音だよ、みなみ
ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン! ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン!
ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン! ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン!
−−泣いてんのかよぉ、みなみ。聴くんだよ。きっとさ、北山さん親父さんに向っ
てやってるんだよ。最高だよ、凄え、しびれちゃう。
北山は口琵琶を奏でる前に、雪の岩場にひれ伏し、まず塩水を飲んだ。それは北
方民族シャーマンの身を清める儀式だ−−そして彼らは口琵琶をならし、神を呼ぶ
のだ。彼もまたそれに習い、その口琵琶を鳴らしつづける。
ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン! ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン!
鳴らしつづける。
ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン! ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン!
北山は瞳を閉じた。そこに天売の陽炎が浮ぶ−−真冬の陽炎だ。その陽炎の中を
オロロン鳥が飛立った。ゴメ岬−−赤岩が見えた。
『届いている筈だ、親父の目に耳にこれが、この音が、天売の島が』
雪がしばしおさまる−−雲の切れ間から月光が崖を照らす。
ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン! ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン!
ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン! ヴーン!ビーン!ボーン!ヴーン!
みなみがドアを開け、下の岩場をのぞく・・・・北山が見える・・・・岩場に座り込んで
いる北山が見える−−同時に彼がその口琵琶をやめ−−低く何かをつぶやき始めた。
エイヤー オー ホレ エイヤー オー ホレ
−−聴える?横チン−−北山さん見えたわ−−何か呟いてる
−−ああ聴える−−なんだかわからない掛け声−−あっ!声だよ声
−−何?
−−親父さんに、しゃべりかける訳にもいかないし、声を届けてるんだ声を、凄え
エイヤー オー ホレ エイヤー オー ホレ
エイヤー オー ホレ エイヤー オー ホレ
−−聴いてんのかよ、みなみ。覚えとこうな、これがFMだよこれが
みなみも凄いと思った。なにも言葉に表せないでいた。
−−凄え、凄えよ。日本一のディレクターだよ
−−ホントに凄いわ
−−当り前だよ、あっ部長!部長!・・・・シマキンだって泣いてるよ、飛出した
海鳴りの中、次第にその声が叫びに変る。
エイヤー! オー! ホレ! エイヤー! オー! ホレ!
エイヤー! オー! ホレ! エイヤー! オー! ホレ!
−−俺、一生忘れないよこんな音、みなみ、海だよ、スタジオが、いや大晦日の札
幌中、いや北海道中が海になったよ・・・・。
−−あっ、年があけた・・・・年が・・・・みなみ・・・・どしてんだ・・・・みなみぃ!
また、どす黒い雲が割れ、輪郭のない月が霞んでその位置のみを示している。
崖下に吹きよせられた雪が、空よりも明るく、青白く光っている。
みなみは、岩場に座りこんで震えていた北山のアタマを胸に抱いていた。
今の彼は、手も、足も、血も、すべて−−心さえも凍り付いている。
「・・・・みなみ・・・・番組は?」北山は開かなくなった目を開きながら、みなみに尋ね
た。
「・・・・終りました」
北山が首をたれた。
「悪かった・・・・見えたかな親父に・・・・海の音・・・・俺の声・・・・天売・・・・」
みなみはなにも言出せないでただ黙っていた。
「・・・・・・・・そうかぁ・・・・死んだのかぁ」
北山の言葉に彼女はうなずいた。
北山が声を荒げた。
「・・・・・・・・・・・・なんでだよぉ」
「お父様の部屋中がオホーツクだったわ。お父様・・・・海で死ねた・・・・」
みなみはやっとの事でその事を伝えた。
「そんなのねえよぉ・・・・なんでだよぉ・・・・」北山が彼女の手を振払った。
みなみが振り飛ばされた。
「なんでだよぉ・・・・・・・・どうやって天売に行けっていうんだあ・・・・なあ」
みなみがまた北山の頭を抱く、強く抱く−−そのほかに何が出来るんだろう?
「・・・・海鳴りの向うに天売が見えたよ」彼がようやく鎮まって言った。
「私にも見えました・・・・お父様にだって・・・・」
「・・・・・・・・みなみ」
「・・・・・・・・」
「・・・・お前・・・・あったくて・・・・柔らかいな」みなみの胸の中で彼が呟いた。
「・・・・・・・・」
みなみは、しばらくそうしていたかと思うと、ボアのジャケットを脱ぎ、ブラウ
ス一枚の姿になり、そのジャケットを北山に掛け、胸のボタンを外した・・・・
「・・・・触って」
「・・・・・・・・」
彼女は北山の視線をよけるかのように、顔を横にそむけたかと思うと、手をブラ
ウスの背中に回し、下につけていた純白のそれも外した・・・・
北山の手をとり・・・・その手を自分の胸の丘に導く・・・・
彼の手が遠慮がちにみなみの胸をまさぐる・・・・
「・・・・・・・・・・・・なんてやつだぁ・・・・なんてやつだぁ」
彼女が彼の頭を、また胸に抱きしめた「いいんです・・・・いいんです」
−−つい先程までの雪嵐は、嘘のように止み。月が次第に輪郭を現し、降り積った雪
の反射と相まって、崖下の二人を照らしていた−−いつまでも照らしていた。