#2721/3137 空中分解2
★タイトル (RMC ) 93/ 1/19 12: 8 (182)
海鳴りのスローバラード 02 〈トラウト〉
★内容
あまり見かけないぶ厚いドアのL字型の取っ手をひねり中を覗くと、若い男性が
なにやらテープデッキを回していた。
横田ディレクターだろう。紺のブレザーに白いポロシャツ、それにコインローフ
ァーを履いている。
「初めまして、神崎みなみです」
「あっ北さんから聞いたよ、僕−−横田よろしく!」
彼はにこにこして答えると、聞いていた音楽を止め「ターンテーブルを回してく
れる?」と早速それを顎でさした。
といわれても、彼女にはどうしていいかわからない。
「なるほどね、そういう訳」
横田はそこで初めて彼女がド素人であると気がついたのか、一から説明を始めた。
「−−下にボリウムがあるでしょ、ボリウム0が止ってる状態、それを右にひねる
と回る。それで、このVUメーターを見て、丁度いいところまでボリウムを上げる」
みなみが「よいしょっと」と、そのボリウムをゆっくり回すと、上のターンテー
ブルが動いた。
「そうやって、のんびり上げたら、どう聴える?」腕を組んで彼が言った。
「だんだん大きくなります」
「それフェードイン。音が立上がる前に素早く80%ぐらいまで上げて」
今度はそれを素早く回す彼女−−メーターが右いっぱいに触れた。彼がそれを見
て笑いながら言った。
「ほら、行き過ぎでメーター触れてんだろ。一回止めて」
今度はターンテーブルの脇にあったスプレーを彼女に見せ「これがスプレー、な
にするんでしょう?」と先生がするように尋ねた。
「レコードを拭きますっ」彼女が小学生のようにはっきり答えた。
「ピンポン!それ回して」
彼女がその前にたち、スプレーを構えた。
「そう、スプレーをかけて」
彼女はそのスプレーを回すように「プニューーー」といいながら、グルリとお皿
にかけた。
「何がプニューだよ、止めて」
「止めてから、拭くんですか?」
彼がうなずく。みなみがそれを手前に何度も丁寧に拭き彼に目を向けると、横田
が今度は「じゃアタマだして」と言う。
「頭?」
「曲のアタマだよ曲の。ターンテーブルが止った状態で3曲目の溝に針をおいてみ
な・・・・そう、それで手でターンテーブルの淵を持ってギコギコ回すの」
「音が出た!あっ、これスクラッチですよね、すすき野のディスコで・・・・」
−−ギコギコ ギコギコ
「遊んでんじゃないの。アタマ出し覚えた?」
「はい、バッチリです」彼女がOKサインを出した。
「そこから1/3程戻すの」
「タンテーブルを?」
彼がうなずいた「タンじゃなくて、ターーンテーブルだけどね」
「そうですよね」みなみは照れながらもめげず、針をおいたままのそれを、左側に
1/3程戻して止めた−−これでいつでも音が出る状態という訳か、なんだ簡単だ
と思った。
「それで、僕がQだしたら動かすの、ホイッQ!」といきなり彼がQを送った。
みなみがあわてた「あっ、さっきみたいにボリウムをこう・・・・」
「君、多分本番でもそうやって失敗するよね」
「いえ、だって、今のは急にですもん」みなみが頬を膨らませた。
「するんだよそれじゃ。一晩中やろうよ、これからね」
「えっ一晩中?」
「たとえば明日、君が曲出し失敗して、十秒ぐらい音出ないとするだろ。そしたら
責任問題。ごめんなさいって僕が始末書かなきゃいけないのね。2・3度やったら
クビだよ。じゃ帰るわ」
「えーーっ!」
「企画書がよかったって北さん言ってたけどね、君がおんなのコだから言ったじゃ
ないの・・・・僕はさ・・・・」
「いえ、女だからって甘えません。やりますよぉー」横田の事を−−大人しそうな
顔して結構言うもんだと思いながらも、彼女は一応そういった。
「北さんにもまいるよな・・・・明日の〈生〉終ったら編集も教えてやる」
「よろしくお願いします・・・・がんばりますから・・・・大丈夫ですから」
「・・・・言い方きつかった僕?」彼が笑いながら、みなみの顔を覗いた−−みなみは
首を横にふった。
「実は、僕もまだ入社して二年目でね、入った時は、北さんにおんなじ様にやられ
たんだよ」
それを聞いたみなみは、いきなり肩を落してためいきをついた。横田はそれをみ
て大笑いである。彼女もつられて初めて笑った。
「頑張って一緒にやろうよな」横田がみなみの肩をポンとたたいた。
「はい!今夜、頑張ってずっと皿回しやりますっ」
「ああ、僕も遅くまで試聴室で選曲してるから、わかんない事あったら来いよ。あ
っそれから、そんな服じゃなくて、ジーンズでいいよ明日から」
みなみがうなずくと、彼はスタジオを出ていった。北山の性格はよくわからない
が、とりあえず一緒に仕事をする横田がいい人のようで、みなみは安心した。
翌日の生放送は、どうにか〈心臓〉でこなしたという所か。彼のいう始末書を書
かなくてホッとしたのも束の間。横田が選曲リストのようなメモを彼女に渡してい
った。
「みなみクン、これっ今度の選曲。レコード室で出しといて・・・・出し方?わかんな
いか?」
みなみが申し訳なさそうに、上目使いで横田をみた。
「はは、レコード室にアイウエオ順で全部ある。曲順でもタレント順でもいいから、
リストを見て、それを探す。それでジャケットの下についているバーコードを受付
のコンピューターでピッとやるの。ないレコードがあったら、誰か他のディレクタ
ーが使ってると思うから、誰が使ってるかコンピュータで調べて、そのディレクタ
ーの所に行って、明日の生放送に使うからって借りてくるの−−そこまで解った?」
「はい」返事をしながらも『ウオーめんどくせい』と彼女は思った。
「番組が終ったら、必ずそれをディレクターに返すんだよ」
「はい、それから?」
「最初はそれだけで一時間以上かかるよ、多分」
横田は言うだけ言うと、彼女をおいてけぼりにして、さっさと行ってしまった。
早速彼女は、別の階にある〈レコード室〉と書かれた部屋に入っていった。
大きな部屋に背丈より高いスチールの棚が立並び、そこにレコードが、びっしり
と隙間なく並べてある。そのスチールの棚にはレールがついており、その重い棚を
動かすと更に、もう一つの棚がある。
さすがにこのレコードの量には、みなみもびっくりした。早速横田から渡された
選曲リスト−−衣笠みやこ・酒場の花?−−沖津三郎・兄弟波止場?−−などなど
を眺め、ひとつずつその聞いた事のない歌手の曲を探していった。
みなみはソウルフリーク、当然ながら演歌などまったく知る筈もなく、そのレコ
ードの本人−−つまりジャケット写真ときたら問題外にあかぬけないと思った。
カラオケが好きな友人もいるにはいるが、大嫌いで通っているのが彼女だ。蕁麻
疹が出そうなくらいなもんである。
彼女はようやくそのレコードを揃えると「遅くなりまして、一応揃えました」と
横田の所に持っていった。
しかし、彼はそれを見もしないで「じゃ次は、全曲聴いて、タイミングを計る」
と、またみなみのわからない事を言出す。
「演奏時間だよ」彼がそれを言直した。
「時間ですか?それなら・・・・」と彼女がジャケットを裏返し、タイトルの脇にある
演奏時間を見せようとした。
「ああ、でもそれいい加減なんだよ。ちゃんとした時間をもう一回計らないと、後
で秒数のしわよせが来るんだ。それに傷があるかも知れないだろ、音飛びしないか
確かめながら、全部ちゃんと聴くの」
これを一番彼女は恐れていた。出来れば聴くのは本番だけにしてほしいと思って
いたのだ。横田が更に何かつけ加える。
「それからイントロでもナレーション入れるから、イントロの秒数も計って、全部
そこに書いといて。ナレーション原稿は・・・・とりあえず、僕が考えるから」
そういうと横田は彼女にストップウオッチをくれた『こ・れ・は・タ・イ・ヘ・
ン・な・こ・と・だ』彼女は目を丸くした。
「ん?参ったの」
「参りません」
「参らないの、すごいネ、参れば?」
皮肉たっぷりである−−参る訳にもどうにも、やるしかないのである。
「やっぱ、やります」
彼女の返事を聞くと、横田がまたいじわるそうな目付きをして笑った。
「その後に・・・・」まだ注文があるというのか?
「フォーマット(台本)は僕が書くけど、CUEシートを君が書く」
そろそろ、彼女は分らない事が恥ずかしくなくなってきたのか、教えて頂戴ね、
とばかりに首を傾げた。
「今日は何をオンエアしましたって、局に届ける紙。そのシートがキューシート。
レコード会社と歌手名、曲名、レコードナンバーをすべて書いておく。あとでリ
スナーから、あの番組の何曲目はなんというタイトルですか?なんて電話かかって
来る時がよくあるんだ、そのための記録でもある。CMの入り時間とか、ナレーシ
ョンのキッカケとかも書いとくんだよ。はい、これが昨日のだから、真似して書き
な」なにやらB4の大きさの紙を彼が差出した。
テープ速度、放送時注意事項、終了部AN・・・・、放送レベル実施要領などなど、
随分書くところが多そうだ、とみなみは思った。
「はは、忍耐なのだよみなみクン。こうして君は嫌いな演歌を毎日、たっぷりと二
時間ぐらい聴くんだ。そのうちに好きになる・・・・ふふ、わかった?」
「横田さん、それも北山さんにやられたんですか?」彼女はそう思って尋ねた。
「そう・・・・でもいま君がめげてる事、今まで僕がひとりで全部やってた」
それは尊敬すべき事である。
「演歌好きなんですか?」とみなみが聞くと「嫌いだよ、こんなの!」と彼がレコ
ードを指ではじいた。
「えーっ、そーいう人が演歌番組やっていんですか?」
「この番組、もともとは北さんが作った番組なんだよ」
「でも今、北山さんがやってる番組って・・・・」
彼女が聞いた限りでは、北山の番組はほとんどが和製ポップスの番組なのだ。
「うん、生き字引っていわれてる、今はそうだけどね。でもルーツっていうのかな、
人間が〈演歌〉だろあの人。こういう番組まんざらでもなかったんじゃない」
あの品のなさはどこの生れなのかな?と彼女は思った。
「北山さんって、どこの?」
「生れ?天売だよ、天売島。知らない?」
「稚内の脇にある島?」
「違う、それは利尻、その少し下・・・・」
北海道の最先端・稚内の南に比較的大きな礼文島(れぶんとう)と利尻島(りし
りとう)がある。天売島(てうりとう)は、そこから更に南に下がったところに焼
尻島(やぎしりとう)と並んで存在する小さな島である。
「あっ知ってます。・・・・北山さんのご実家って漁師なんですか?」
「うん、親父さんニシンの漁師だった。一時は、凄いアレって景気よかったみたい
だけどね・・・・」
「ニシン御殿?」それだけは彼女も知っていた。昔はニシンが豊漁で漁師は御殿の
ような家に住んでいたらしい。
「そうそう。今はそのニシンも全然いなくなっちゃったんだろ。それでニシンの漁
師達は、本マグロを追いかける漁師とホッケをとる漁師とに、別れたんだってさ」
「ふ〜ん」
「それで北さんの親父さん、家族の反対を押切って、賭博みたいなマグロ漁の方を
選んだんだって」
みなみもマグロ漁はいつかテレビで見た事があった。
「へえぇ跡は継がないんだ」
「よくわかんない。釣りは好きで渓流にしょっちゅう行ってるみたいだけど、漁師
の方は継いだとしても食っていけないんじゃない」
みなみは、そんな演歌があったみたいだと思った。
「石狩挽歌って知ってる?知らないか、あの世界だよ。北さんあの歌好きでさ、カ
ラオケでもあれ専門。よくこの番組でもかけてた。そのくせディレクター降りて、
誰かやってくんないかってさ」
「・・・・それで横田さんに」
「演歌の好きなディレクターがいないから僕なの、わかる?。東京じゃFMで演歌
なんか絶対やんないのにさ、やっぱりローカルだよなあ。わかる?」
みなみは、なんとなくその感じが分るな、と思いながら試聴室にむかったが、考
えてみれば何の事はない、今度は自分の番なのだと気がついて嫌になった。