#2638/3137 空中分解2
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「江戸日記:酒盗人(さけぬすみびと)その二」 太竹 数馬
★内容
喜作はこのところ自分の感が狂うので、面白くなかった。
まだ残っているとばかり思っている樽なのに、小僧が入れ替える。
何度か、わざわざ立って行って中を確認したのだが、確かに空だった。
代金を計算しても合わない。明らかにだれかが中身を抜いている。
(いったい、だれが抜いているんだろう)
注意をして見ているのだが、なかなか現場を押さえることができなかった。
まず疑ったのが、「盗み飲み」だった。
(日中に飲むわけはない。それでは顔にでる。隠れて、夜にでも飲んでいるんだろう)
そう思い、夜中にこっそりと小僧や手代の部屋を見て回ったが、そんな素振りは発
見できなかった。
「これはきっと、誰かにタダで渡しているか、こっそり横流しをして、小使いをかせ
いでいるに違いない」
そう思った喜作は、奉公人達の行動を監視した。
そして、酒の少なくなる日を調べた。
(店先に、年寄りの坊さんが来る日に限って、少なくなっている)
その事実を発見した喜作は、小躍りして喜んだ。
(ようし、あとは渡している現場を押さえれば、だれが犯人かわかるわい)
喜作は、僧侶が現れるのを、わくわくしながら待った。
その日がきたのは、それから二日後の夕方だった。
僧侶が店先に立って、「経」を唱え始めると、ちょうど手がすいていた太助が気が
つき、喜作のもとに銭包みをもらいにきた。そして、不思議なことに太助は、そのま
ま店先へは向かわず、奥に入って行ったのだった。
「やや・・・」
喜作は目をみはった。
しばらくして出てきた太助は、小さな紙包みを持っていた。
「む、う・・・・・・・・・・・」
小僧の中では、最も信頼していた太助だったから、裏切られた気持ちになって、喜
作は逆上した。
「お・おのれ、太助めぇ」
座っていた帳場から立ちあがると、草履を引っ掛け土間に降りると、店先に走った。
あまりの激怒に、足元がふらついている。
喜作は、のれんをくぐって表に出ると、目の前で後ろ向きになって僧侶と話しをし
ている太助の肩をつかみ、グィと引っ張って自分の方を向けると、太助の頬を、思いっ
きり引っぱたいた。
突然のことに、太助は持っていた紙包みを放り出し、ひっくり返って尻餅をついた。
太助は、いったい何が起こったのかわからなかった。
喜作の目は血走り、こめかみには、青い筋が盛り上がっている。
「お・お前が、この坊さんにお店の酒を渡していたんだね。ま・まさか、お・お前だ
なんて、思ってもみなかった。あ・あんなに目をかけていたのに、お・お前ってやつ
は・・・・・」
興奮して口が良く回らない。
じっと、この様子を見ていた僧侶が、喜作と太助の間に割って入った。
「これこれ番頭さん。落ち着きなされ。ほれ、そこに落ちている包みの中身は饅頭じゃ
。酒ではないぞ」
「え・・・」
「で・で・でも・・・・」
喜作は、それ以上なにも言うことができない。
僧侶は、倒れている太助を起こし、付いた土を払いながら、
「すまんのぅ、太助さん。わしのためにとんだ痛い目をみたのう」
僧侶は、腰にぶら下げた瓢箪の紐を、帯から引き抜くと、瓢箪を喜作の目の前に突
き出した。
僧侶は、その瓢箪を左右に振って見せた。
瓢箪からは、ポチャンポチャンと音がして、中に液体が入っていることがわかる。
「番頭さん、悪さは、わしがしておったんじゃ。太助さんじゃあない。わしが寝酒に
しようと思ってなぁ、悪いとは知りながら、ちょくちょく失敬しておった」
喜作には、僧侶の言っていることが理解できなかった。
僧侶は、一度も店の中に入ったことがない。
酒を盗むことなんか,出来るはずがなかった。
「お坊さん、あなたが盗んだとおっしゃるが、そんなことが出来るはずがないじゃあ
ないですか。た・太助をかばってそんなことを言ったって、わ・私は承知できません
よ」
そう言ってはみたが、太助の持っていた包みが、酒ではなかったと知って、喜作は
動揺している。
「この店の酒は、あまり旨くはなかったが、わしがまじないをして旨くして飲んでおっ
たわ。番頭さん、太助さんは良い若者ぢゃ、こんな汚い乞食坊主に親切にようしてく
れた。店への侘びと、太助さんへのお礼に、これから太助さんが扱う酒は、わしが旨
い酒に変えてやろう。これでかんべんしてくれ」
言いながら僧侶は、かぶっている笠の紐を解き始めた。
いつも、深い笠で顔を隠している僧侶だったので、これまで太助もその顔を見たこ
とがなかった。
僧侶はゆくりと笠を脱いで、二人に顔を見せた。
「あぁ・・・・・」
その顔を見ると、喜作は悲鳴を上げ、気を失って倒れてしまった。
太助はと見ると、大きく目を見張ったまま、放心したようになって、身体は小刻み
に震えている。
「太助さん、もうこれで会うことも無いだろう。世話になったなぁ。約束は守るぞ。
お前の商う酒は、わしが、みんな旨い酒に変えてやる。良い商人になりなされ」
そう言うと、僧侶はスッと姿を消してしまった。
「クェッ・クェッ・クェーッ・・・・・・」
かん高い、奇妙な声だけが、だんだんと小さくなりながら遠ざかってゆく。
表の騒ぎに気がついた手代や小僧達が、飛び出してきて、気を失って倒れている喜
作を抱き起こした。
「番頭さん、番頭さん。しっかりして下さい、いったい、どうしたんですか」
必死に呼び掛ける手代の声に、ようやく気がついた喜作は、
「あ・頭に、さ・皿があった。あ・あれは、か・河童だぁ」
言い終わると、また、目を回して、気を失ってしまった。
僧侶の姿で、酒を盗みにきていた河童の約束は本当だった。
日を置かずして、こんな噂が町中に広まった
「天満屋の酒は、安くて旨い。特に太助さんが売ってくれる酒の味は絶品だ」
噂の広まるとともに、店はますます繁盛したし、太助が手代に昇進したのは、この
すぐ後だった。
「菊乃酒造」の代表銘柄は、全国銘酒品評会で、何度も優勝している『河童泉』で
ある。
子供のころからの疑問だった、
(近くに、川も海もないのに、何でうちの酒に「河童」なんて名前がついているんだ
ろう)
太助の、古い日記を読んで、僕は、そのわけが、初めてわかったのだった。
完