#2594/3137 空中分解2
★タイトル (RAD ) 92/12/25 21:10 (177)
野生児ヒューイ 第二部(2) 悠歩
★内容
子鹿は怪訝そうに辺りの匂いを嗅いでみた。そして不安気に、落ち着きの無い視線
を周りに送る。独り立ちするにはまだ、あまりにも幼い。母親とはぐれたのだろう。
密林は幼い子鹿一頭で生きるには、危険が多すぎる。己の生命の頼りなさを感じな
がら、子鹿は必死で母親の匂いを探し出そうとしている。
子鹿はまだ充分に危険から身を守る術、危険を回避する術を母親から教えられては
いなかった。
「ピイッー」
おどおどと歩いていた子鹿の体が宙に飛んだ。頭を下にした不自然な姿勢で。
そして、そのままの格好で子鹿の体は空中に停止した。後ろ足からは一本の縄のよ
うなものが延びていた。罠だ。誰かが仕掛けた罠に掛かってしまったのだ。
子鹿は後ろ足に掛かった罠を解こうと、体をゆする。しかし、罠は簡単に外れる訳
も無く、子鹿の体は振り子のように宙に揺れるだけだった。
吊された子鹿にゆっくりと近づく少女がいた。
若いと言うよりも、幼い体を豹の様な獣の毛皮で包み、首には何かの皮で作られた
首飾りが着けられていてその真ん中には紫色の石が嵌め込まれていた。そして口には
石のナイフをくわえている。黒く短い髪はちょうどウルフ・カットの様になっている。
健康的に陽に焼けた肌をしていたが、その顔立ちは黄色人種の物である。年齢は十を
越えたばかりだろうか。幼い顔立ちに似合わない、鋭い眼光で周囲の警戒を怠らない。
その様は少女がこの密林の中で生きる者である事を、無言のうちに示していた。
少女は子鹿の吊されている木の真下で立ち止まった。
鋭い視線を頭上の子鹿に送る。不安気な目が少女を見下ろす。
少女はおもむろに口にくわえたナイフを、右手に持ち変えた。
「やあっ!!」
叫び声と共に、少女は自分の横の木の幹に絡み付いている、罠の一部の縄を切断し
た。
その途端、子鹿の体は重力にしたがって落下を始める。
少女はナイフを投げ捨てて、落ちてきた子鹿の体を両手でがっしりと受け止める。
5メートルほどの高さから落ちてくる子鹿の勢いは、半端なものではない。それを少
女はほんの少し、顔を歪めはしたが、決して下に落とすことはなかった。
罠の戒めから解放された子鹿は、少女の腕のなかで暴れ出した。まだ子どもとは言
え、その後ろ足のキック力は当たり所によっては野犬程度の小動物なら、一撃で仕留
める力がある。その蹴りが少女の顔をかすめる。小さなあざが残る。
「だいじょうぶ。何も心配しなくていいの」
蹴られた跡も気にせず、少女は優しく子鹿に話掛けた。
少女の言葉が通じたのか、子鹿は抵抗を止めてその身を彼女の腕の中に委ねた。
「かわいそうに、怪我をしたのね」
子鹿の後ろ足には、縄の食い込んだ跡が鮮やかな傷となって残っていた。
「ちょっと待ってて」
少女は子鹿を草地の上にそっと降ろすと、腰に吊した小さな袋から薬草を取り出し、
それを子鹿の傷口にそれを塗り込んでやる。
その様子を子鹿は、ただ静かに見つめていた。
「これでよし!」
少女が薬草を傷口に塗り終えると、子鹿は勢い良く立ち上がって三歩、四歩と駆け
出した。そして少女のほうを不思議そうに振り返った。
「早く、お母さんのところへお帰り。もう、罠になんてかかるんじゃないわよ」
優しく微笑みながら少女は手を振った。
突然、少女は背後に何かの気配を感じた。その何かに恐怖した子鹿は、森の奥へと
素早く消えて行ってしまった。
その気配の正体を確認しようとした少女の頬に、強烈な力が加えられ、小さな体は
軽々と横へふっ飛んだ。
真っ赤に腫らした頬を手で押さえながら、地に伏した少女は自分にこのような仕打
ちを与えた者を見つめた。
「何の真似だ? ミン」
そこには頭に鳥の羽で作った飾り物をした男達の一団がいた。ミンと呼ばれた少女
はそのなかでも、一段と派手な飾り物を着けた青年に平手打ちを食らったのだ。
「ラガ………」
ミンは恐る恐る、彼女の部族のリーダーの名を呼ぶ。
「どういうつもりなんだ、ミン。何故罠に掛かった獲物を逃がした?」
「ご、ごめんなさい。でも、あの子鹿……まだ、子どもだったから……」
「ふざけるな!!」
ラガは激怒して怒鳴った。その声にミンは身を縮める。
「我が村にも子どもがいるのだぞ! その子ども達はどうする? 飢えさすのか。そ
れでなくともあれのお蔭でこの所、獲物の数が減っていると言うのに!」
ラガは冷たい目を地に伏す少女に向けて言った。
「所詮は他所者と言うことか……」
その言葉にミンは悲しそうに顔を伏せた。
「まあいい。村に戻るぞ」
ラガが皆にそう声を掛けた。
そっと顔を上げたミンは、その場を引き上げようとする男の肩に、見慣れぬ金色の
髪の少女が担がれているのに気付いた。
「ラガ、その女は?」
「ん、森で拾った。見ろ、金色の髪だ。お前、見た事があるか? 無いだろう」
ラガは自慢気に言った。
「その女……どうするの」
「決まっている。俺のものにする」
その言葉にミンは絶句した。
「そ……それじぁ……私は」
やっとのことで絞り出すような声を出し、ミンはラガに問いた。
周囲の男達は好奇心に満ちて、ラガとミンのやり取りを見つめた。
ミンは将来ラガの妻になるはずだった。これはラガの父でもある族長の決めたこと
である。彼らは年齢という概念を持たないが、ラガは18歳、ミンは10歳位になる
だろう。ラガから見てミンはあまりにも幼すぎた。妻にするなどということは馬鹿げ
ている。そんな時、密林でティナを見つけた。10歳の少女ミンと、13歳の少女ティ
ナ。この位の少女の三年の違いは大きい。その上黄色人種の血が濃いミンは、白人の
少女ティナと比べ、なおさら幼く感じられる。また、遺伝子の関係か、この世界に金
色の髪をした者の姿はなかった。そんな中で、プラチナ・ブロンドの髪のティナはこ
の世のものとは思えない美しさを、見る者に感じさせていた。
「好きにするんだな。お前に釣り合う男と一緒になるもよし、村を出るもよし」
それだけ言うとラガはミンに構わず、村に向かって歩き出した。他の男達もそれに
従ったが、ラガ以外の者達はみな知っていた。
ラガの前ではおとなしいミンだが、その気性は極めて荒いものであることを。
ミンはその場にうずくまったまま、大粒の涙を流しながら泣いていた。少女の泣き
声は密林に響き渡った。それは密林に潜む肉食獣達に、自分の居場所を知らせている
ようなものだったがミンは構わず泣き続けた。
一頻り泣いて気が済んだのか、ミンは突然に泣くのをやめた。そして、ゆっくりと
上げられた目にはおよそ、幼い少女には似つかわない凶悪な光が宿っていた。
「殺してやる……。わたしのラガを盗ったあの女……、殺してやる……」
もしその声を聞いている者がいたなら、とてもそれが10歳に成るか成らないかの
少女の声とは信じられなかっただうう。こんな幼い子どもが、これ程まで殺意のこもっ
た恐ろしい声を出せるものなのかと、己の耳を疑っただろう。
ミンは静かに立ち上がると村のほうへと歩き始めた。
「ここは……、どこ?」
ティナはゆっくりと辺りを見回した。
始めは真っ暗な闇の中に思えたが、次第に目が慣れてくると、どこかの小屋の中で
あることに気付く。小屋と言っても細い木の骨組みに、草を編み合わせて作られた簡
素なものである。
その小屋の直径5メートルほどの土間の中央に、ティナは横たわっていた。
「私……、どうしてこんな所にいるんだろう」
ティナはそっと体を起こしながら、その目に映る見慣れぬ光景を不思議な気持ちで
見つた。
何故自分のベッドでなく、土間の上などで眠っていたのだろう。どうして自分の部
屋でなく、こんな薄暗い小屋の中にいるのだろう。
「目が覚めたか?」
男の声がした。
振り返ると小屋の、何の扉もない入口から若い男が入って来るところだった。
「インディアン……!?」
ティナがそう思ったのも無理はない。男はギリシャ彫刻のように鍛えられた上半身
に何も纏わず、頭には、まさに西部劇のインディアンのように派手な鳥の羽の飾りを
被っていたのだ。
”インディアンは白人の頭の皮を剥ぐ”
そんな古いテレビ番組で得た、不確かな知識がティナの脳裏を掠め、思わず身を引
く。近づいてくる男の顔は、丁度逆光になりはっきりとは分からなかったが、ティナ
には舌なめずりをしながら獲物に忍び寄る野獣のそれに思えた。
「どうした? 怯えることはない。食べ物を持ってきた」
男の声に敵意はないようだ。
「あれ?」
男の言葉が英語でないことに気付きティナは驚いた。英語でないのに理解している
自分に驚いた。
やがて男はティナの直前にまで歩み寄った。目の前に籠に乗せられた果物と干し肉
が置かれる。ここでティナは男の顔をはっきりと見て取ることができた。
「あっ……」
それまで虚ろだったティナの記憶が蘇ってくる。
父の事、アルトマンの事、研究所の事、マリアの事、そしてヒューイの事。
今ティナの目の前にいる男、この男にさらわれたことも。途端にティナの警戒心が
強くなり身を固くする。
「ヒューイは……ヒューイは何処?」
ティナは彼らの言葉で質問をした。旅の間、必要を感じてヒューイから習ったのだ。
覚えてみればさほど難しい言葉ではなかった。だいぶ他の言語が混じってはいるが、
基本的には英語が大きく訛ったようなものだ。
「ヒューイ? 誰だ。お前の連れか。知らんな」
男、ラガはティナと分かれて食料を探しに行った少年を思い出した。
『この女を取り戻しに来るかもしれんな』
ならば力で倒してしまえばいい。彼らに取って、力の強いものこそが正義なのだか
ら。
「俺はラガ。この村の族長の息子だ。今からお前は俺のものになった。いいな」
ティナはラガを睨付けた。「いいな」と言われても、そんな一方的な事を承知でき
る筈もない。
「ふん、いい目だ。女、名前は」
「誰があんた何かに教えるもんですか。あんた何か、ヒューイが来たら簡単にやっつ
けられちゃうんだから」
それは強がりであったが、ティナは自分でも気付かないうちにあの少年に対して絶
対的な信頼を持っていた。狂暴な獣達を彼女の前で倒して見せた少年を。
「俺を怒らすな、女。お前の名を聞いている」
ラガは凄んで見せた。彼とて後の族長としての己の力に絶大な自信を持っている。
そしてその自信は、いつしか全ての者を自分に従わせなければ気に入らない物になっ
ていた。
「ティ……ティナよ」
その凄みにティナは負けた。ここでラガを怒らすことが得策でないことを感じ取っ
たのだ。
「ティ…ナか。お前の姿に似て変わった名前だな。そのヒューイとか言う小僧が来た
ところでお前は逃げられない。この俺が、その小僧を倒してしまうからだ」
ティナは何も答えなかった。ヒューイが負ける訳はない。そう思いながらも、もし
ヒューイが負けてしまったら……。考えるのが怖かった。そして、改めてヒューイ以
外に何も頼るもののない、自分が弱々しい存在であることを感じていた。
「楽しみだな、そのヒューイとか言う小僧が来るのが」
そう言い残してラガは小屋を後にした。
ラガはそのまま族長の小屋へと向かった。密林の中にぽつんと存在する広場を、粗
末な木の柵で囲った村の中央に族長の小屋があった。族長の小屋と言っても、他と比
べて特に豪華という訳でもない。幾等か大きく作られている程度である。
ラガは族長の息子であったが、同居はしていない。既に一人前の戦士であるラガは
族長の小屋の隣りに、その立場に見合った小屋を持っていた。