AWC 《新宿豚》(2)                   カラオ


        
#2527/3137 空中分解2
★タイトル (JHM     )  92/12/12   9:14  (197)
《新宿豚》(2)                   カラオ
★内容



 救急病棟のベッドの上。香川三男は、喉に何かふさがっている感覚にもがいていた。
看護の人々は、かつぎこまれて来た心筋梗塞の患者さんの処置に付き添うのに精一杯
で、気がつく筈も無い。心電図の無線モニターは、基線の揺れを映している。

 今来た患者さんは、中年の女性である。酒場で意識不明になったのを回りが気づき、
ギャラリーが一杯ついて連れてきた方である。意識が無いからと言って、「脳卒中」と
は限らない。心臓がうまく動かぬと、脳に血液が回らなくなって意識がなくなる。

 当直医は脈を触れぬ事を知ると、やにわに、彼女の胸を拳で強打する。それだけで、
運が良ければ、心室細動が止まる事もある。手加減をまちがえると、肋骨が折れて、
それが命取りになる事もあるので遠慮気味。でも、軽い一発はやっぱりダメだった。
カウンター・ショックの機械のお出ましである。心電図モニターは、心臓の不規則な
けいれんを映し出している。

 病院に到着した時に、心臓が停止している場合を「到着時死亡」と呼ぶ。英語で言う
と“DEAD ON ARRIVAL”、略して“DOA”という(DEAD ON ABDOMEN
ではないのである、念の為)。カウンター・ショックと言ったって、結局、電気の衝撃
で心臓の調律を正常化させる訳である。電気を通すペーストを塗り、通電する一瞬には
患者さんの体は「ビクッ!」と跳ね上がる。「死者」が生き返る瞬間である。はてさて
フランケンシュタイン博士か、ブードー教の魔術師か、幸いにして、モニターは正常の
調律に戻った心臓の様子を映している。

 果たして、この女性が意識を取り戻すか、社会復帰が出来るか否か、は神のみが知る
事である。多少、救急蘇生を早期に行ったとして、救命率は少々向上するかもしれない
が、植物人間を多数つくったり、重い障害を持った方を量産したんでは何もならない。
救急救命士さんとやらの養成に多額の金を使うのなら、心臓病の予防にもっと更に金を
使う方が有意義であろう。

 当直医は、彼女を心臓カテーテルを行うチームに引き渡すと、待機モードに戻った。
救急病棟は静かであり騒がしい。人工呼吸器の音がする。意識の無い患者さんのうめく
声が聞こえる。

 「シューッ、パーッ、シューッ、パーッ・・・・・・・・・・・」
 「うううううううぅぅいぅ・・・・・・」

 点滴の瓶が吊るしてある支柱が立ち並び、覚醒しているのは、当直医と深夜勤務の
看護婦さん4名だけ。あとは、意識の戻らぬ患者さん達(戻って、状態が良くなれば、
一般病棟へと行く訳である)。誰かが、ここを「眠りの森」と呼んだ。

 先ほどの美女が処置を終えて戻って来た。話を聞くと3枝病変で「冠動脈バイパス」
の適用は無く、PTCA(心臓カテーテルによる冠動脈形成術)を行ったが、冠動脈の
再開通は見られなかったとの事だ。一人になって当直医は、思わず

 「心カテ(心臓カテーテル)なんて、しんかて、良いがね〜」

と自嘲気味に小声で言った。末梢血管から、ストレプト・キナーゼを流してやった方が
効果があると当直医は心密かに思った。だが、口に出して、心臓チームの連中に聞こえ
たら事だ。経過から考えると彼女は「眠りの森の美女」になってしまうのかもしれぬ。
重篤な病気になってから「ウルトラマンを呼ぼう!」とか言っても遅いのだ。発生自体
を予防する事が重要なのである。白馬の王子様にもなれそうもない。すやすやと眠る様
をじっと見つめてはいるが、気管内挿管を外してまで接吻する勇気も無い。

 香川三男氏が、バルーンを膨らませずに胃に留置してあるSBチューブを、自らの手
で抜去してしまったのを巡回の看護婦さんが発見した。吐寫物がベッドから床へとした
たる。嗚咽と苦悶の表情が見える。

 「香川さん、わかりますか?」

幸い吐寫物には、血液の混入は見られていない。冷食塩水がひっこ抜かれたチューブの
先からトロトロと流れ出している。

 「うううっ・・・」

うめく度に顔をしかめ、眉をひそめる。

 「ふぉ・・・ふぉーちゅ・・・」
 「ふぉーちゅ、何ですか?」

聞いても答えない。それだけ、言い終わると、少しは楽になったと見えてガックリと
静かになった。吐物の清掃と、より細い胃管の挿入を全員で手短に済ませると、また、
病棟は、

 「眠りの森」

に帰っていった。
                   ★
                              カジ
 何かの弾みで来てしまったが、こういう類の宿泊施設に入るのが梶は初めてだった。
やけにキョロキョロと見回して、このホテルにはいわゆる「フロント」が無い事に気が
ついた位だ。彼女は先にシャワーを浴びて、シーツを被って隠れている。
 さて、これからどうするんだろう。膝を立ててもらって、お腹を触診しましょうか?
困ったなぁ!これから先は良くわかんないなぁ〜!臨床実地問題だな・・・そうか、
だから「C問題」って言うんだな〜! 発見!

       ◆ 回線の状況が良くない事を御侘び致します ◆
                   カジ
 事を終え、某宿泊施設を出てきた感激の梶茂一郎である。まだ明け染めぬ暗い通りを
出て、「夜明けの納豆朝定食」でも食おうか、とべったり寄り添って歩く。朝のカンファレン
では当然ながら香川さんの事が取り上げられるから、内視鏡所見について説明しなけれ
ばならぬ。全身状態等については夜間当直の「松任谷内科」の御曹司である松任谷内蔵
先生が、今ごろまとめている頃であろう。再出血の恐れが強いから、当然手術になる。
 「昨日と同じ服」を冷やかされるのを半ば楽しみにしている彼女は、夕べとうって変
わってオシャベリになっている。いつもより贅沢をして「納豆」よりも「鮭」を選んだ
二人は、朝の侘びしい朝食をかき込む男達のイヤーな目付きに曝されながらも、平然と
飯粒一つ残らず平らげ、店を出て、新宿東口改札へと向かって行った。
 周囲を気にする気も無い二人には余分な事であろうが、昇りかけた太陽を背にして、
「新宿」さんが、黒い大きな袋を下げたまま、遠ざかる二人をずっと見据えていたのも
事実であるのだ。
                 ★

 目に「隈」でも出来ていたのでもないだろうが、先輩の医師が

 「ゆんべは、『当直』ご苦労さん」

とニンマリ笑って言うものであるから、二の句が告げない。これを称して

 “ Yellow Sunrise Symptom:(黄色の太陽徴候)”

と呼ぶらしい。学生時代、そういう事由を「合宿」と称していたのだが、そういう良い
目をした事は無かった梶であった。

 早朝のカンファレンスが始まる。通称「組長」と呼ばれる田岡外科医長が進行役だ。
隣に村中外科部長がふんぞりかえっている。POS(PROBLEM ORIENTED SYSTEM)に
走り書きされた症例に関するメモのコピーが当直の松任谷先生から配られる。毎日開か
れる救急で入院した患者さんに関するカンファレンスである。梶の番になった。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□    43Y.O. MALE   T.I.        ADMISSION 90/12/22  PM 05:20
□    S  # HEMATOMESIS
□      # HYPOVOLEMIC SHOCK
□     O  # GASTRIC CA. ( BORRMANN III / ENDOSCOPY )       
□     A  BLEEDING FROM G.C.                     ALCOHOL INJECTION   
□    P  PALLIATIVE? OP. ??                      
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 何書いてあるのか、素人にはちんぷんかんぷんなのだが、以上の事につき松任谷先生
が説明し梶が2〜3の質問を村中部長から受けた。結局、香川さんは状態が落ちついた
ので外科へと転科する事となり、主治医は梶と決まった。手術は明日だ。


 香川三男は悪い夢でも見たのか、鎖骨と頚の付け根あたりに入っていた点滴の管を、
自分でひっこぬいたものだからベッドをどす黒い血の海にしてしまった。幸い、発見が
早かった為に、それほどの大事にはならないで済んだ。3人がかりでドタバタと処置
していたおかげか、意識が戻ったらしい。

 「病院ですか・・・ここは?」

 「えぇ、胃潰瘍から大量に出血したんですよ。再出血の恐れがありますから
   明日、手術する事にしましょう」

 「手術・・・・」

香川三男は包茎手術以外に体にメスを入れた事がなかった。

 「痛いんですか・・・」
 「まぁ、注射する時くらいですね・・後は麻酔でわかんなくなりますから・・」
 「胃を切る・・んですね」
 「そです」
 「胃切る・・・」

ふいに昔の映画のシーンが頭をよぎる。今の自分みたいな中年男がブランコに乗って、
「命短かし・・恋せよ乙女・・」なんて歌ってたんだ。胃を切ったら酒を飲めなくなる
のかな?あの時、飲んでたビールが最後のビール・・・なんて寂しい。もう一度今一度
「一番絞り」が飲みたい。香川さんは、ジャッキ・アップしたベッドの上で、テフロン
・コーティングしたクリーム色の壁や天井を見つめながら、ぼんやり思い始めていた。

 ナース・ステーションでは、カルテの指示と薬剤部で調製した点滴の中身との照合を
行っている。病棟のEOS(エレクトロニック・オーダリング・システム)により発注
された処方内容に従って、薬剤部では基剤と混合される薬剤がコンテナに入れられる。
コンテナに入れる段階で薬剤師が、コンテナに入れた後にバーコード・スキャナが読み
とりを行い、再度の確認を行う。その後、滅菌条件下でオート・アンプル・カッターが
アンプルを切り、点滴の中に混合をしてゆく。これは、全て産業用ロボットの仕事。

 この様にしてできあがった点滴は、EOSの内容とバーコードの読みとり内容の印字
(プリントアウト)が添付されてコンテナに入って病棟にやってくる。そこで、配送を
された点滴の内容をもう一度チェックをかける訳である。EOSにて発注が行われた後
の状態の変化等から処方内容に変更が加えられたもののみ病棟での調剤が行われる仕組
である。こんな風に省力化してゆかないと、看護婦不足は解消できない。看護婦さんに
は、もっと看護婦らしい仕事をしてもらわねばいけない。

 病棟は、幾つものコンパートメントに分けられており、定期的に空にして清掃した後
エチレン・オキサイドで消毒をする。その為に、一面テフロン・コーティングを施して
ある。

 医局では香川さんの腹部CTを見て、梶と田岡先生が腕組をしていた。

 「こりゃ、肝メタ(転移)ですな、多分・・・」
 「ここ、と、ここ、それからここにも・・・」
 「すぐにわかる、ってのがこれだけだから、推して知るべしやな・・」
 「メタメタでんがな・・・」
 「ここ、良く見てみ、横隔膜に接した部分、ここは、ちょいとでかいか?」
 「そこから出たら(出血したら)、あの世行きですな・・・」
 「ほやな、どないしよかいな?運を天にまかせな、しゃぁないな・・」
 「まずは、胃を取ってつないで・・せんと、DSAはどないやろ・・」
 「HYPER-VASCULARITY(血管増成)がみられますけど・・・」
 「ふ〜ん・・・開腹して、エコーガイドで塞栓術するかな?」
 「そですね・・・」
 「村中先生にも相談せなあかんな・・、まぁ、そういうことで・・」
 「はい」

 大変な手術になりそうだ。ムンクの「叫び」みたいに、両手で頬を押さえてため息を
吐き、「げっそり」精力を使い果たした感じで梶はオーダーを書き始めた。彼女の事が
何故か思われてならない。





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