AWC 《新宿豚》(1)                   カラオ


        
#2526/3137 空中分解2
★タイトル (JHM     )  92/12/12   9: 5  (162)
《新宿豚》(1)                   カラオ
★内容



 「サ〜イレン・ナ〜イ、ホーリー・ナイ〜 ほ〜し〜は・・・」

 地下鉄の駅から地上に出た。街にはクリスマスがあふれている。毎年、お決まりの
クリスマスの歌。その中を歩き始めた途端に腹が減ってきた。

 「ヤマシゲででも肉食って帰るか・・・」

誰が聞いている訳でもない。とぼとぼ、と階段を上がり、ふらふら、とよろける様に
店に入って、ゆらゆら、と座敷に腰掛ける。まだ早いせいか空いている。最近、胃の
調子がおかしく、油ものは受け付けない。35歳を過ぎたのなら、胃検診とやらを受
けた方が良いらしいのだが、面倒くさいので受けた事が無い。

 「そう、そうだよ、ストレスって奴がいけないんだ」

と一人納得しながらメンソール・タバコを一服ふかす。一仕事仕上がった今日は、何
だか気分が良い。久しぶりに肉食ってみたくなったんだ。おしぼりで顔を拭うと手酌
でコップを満たす。

 「ぐびぐびっ」

とビールを流し込んで、焼肉を頬張る。もう一杯。かけつけ3杯行ってみよう!

 「ぐびぐびっ」

ビールを仰いで上を向いた拍子に頭の中が真っ黒になった。手の力が抜けてコップが
すり抜ける。コップは木のテーブルで跳ねて、石の床へと落ちて行く。

 「パリーン」

と弾けて割れた。泡がジュワジュワはじけては消えていった。みぞおちに手を当てて、
目を閉じたまま、うずくまる。ゆらゆらと振り子の揺れは次第に大きくなり、椅子から
落ち、しこたまに尻持ちをついた挙げ句に、もんどりうって床へ転がった。開いたまま
の口でゆっくり息をするだけ。

 「大丈夫ですか〜」

店の人が大声で呼んでも返事もない。息は止まっちゃいないらしい。床に落ちていた
ガラスの破片に、こめかみから血を流している。しゃっくりみたいな嗚咽を上げた。

 「げぼっ、げぼっ」

ドロドロと赤黒い血が混じった焼き肉とビールらしき吐物が床を流れてゆく。
 慌てて店の人が救急車を呼んだ。担架で運ばれて行く。救急指定病院へと。渋滞の
中を救急車は走る。「ピーポー、ピーポー」と電子サイレンの音が響く。

 「サ〜イレン・ナ〜イト、ウォーリー・ナ〜イト・・・」

そぞろ忙しい、ゆううつな夜のひとときがやってきた。当直室の電話が鳴る。

 「プルルルルルルル」

 「はい、当直室です」

 「救急車入ります。中年男性1名。吐血。意識不明。食事中に倒れたそうです。」

 「はい、了解」

 食事を中断され、白衣を着込んで、救急措置室へ向かう。つねると顔をしかめて
うめく。嗚咽の様なうめきをあげる。ベテランの看護婦が手回しよく、側臥位にして、
膿盆を口の処にあてている。血圧50。脈拍150。バイタルサインを取って、中心
静脈への輸液ラインをつなぐと、医師は輸血と胃内洗浄の用意を告げた。

 「元から絶たなきゃダメってね・・・」
                    ノコリカス    オリ
食塩水で胃内洗浄を繰り返すと、コーヒーの残渣みたいな澱を含んだ胃液に混じって、
時折、赤い凝血塊が吐き出される。胃か、食道かから出血している事はまちがいない。
単純レ線像からは穿孔している可能性は低い。出血源を確定するために内視鏡の用意。
口から、黒いチューブが差し込まれる。思わずうめき声が出る。

 「なんだ〜、こりゃ、あかんで〜」

胃角部に阿蘇山を思わせる進行癌のクレーターがくっきりと見える。一応の処は止血
しているらしいが・・・。止血の為、純アルコール局注を行い、SBチューブを挿入。
血圧が回復してきたので、看護婦への指示を書いて、一息ついた。


 持ち物の中から出てきた免許証から氏名は「香川三男 42歳」。名刺から、会社
の電話が判明し、さっそくに電話をかける。上司の次長さんがお見舞いに来た。家族
も、これといった身寄りが無いそうだ。隣家からの火事で御両親を、自動車事故で妹
さんを亡くしたのが三年前。以後、髭を蓄える様になったという。細面のサングラス
の髭面だけれど、眼鏡を外すと童顔の優しい素顔になる。

 面会謝絶の救急病棟である。次長さんには、一応の「ヤマ」は越えた、当分入院に
なるだろう、としか告げていない。

 「う〜む」

医師は唸った。今夜は、愛しい彼女とデートなのである。当直の医師に内視鏡の所見を
告げ、止血処置は施したけれど、余程に運が悪ければ、

 「どばぁっ!」

と出血するかもしれないけれど、その時は頼むね、と念を押して申し送った。


 もう、帰る事にする。眼鏡を外して石鹸で顔を洗う。医局の洗面台の鏡にはボーッと
むくんだ顔の男が立っている。思わず頬を押さえた両手は口元までにじり寄って来た。
                       カジモイチロウ
指先にため息を感じて目を閉じる。一介の勤務医師梶茂一郎。今年で幾つになったか、
とうに忘れてしまっている。

 冬になると、ホームレスのおじさん達は都心へと集まってくる。寒さをしのぐには、
夏には熱地獄のアスファルトの大地。地下道とかに寝ころんで、かと思うと、所帯道具
を全て詰め袋を下げ、とぼとぼと歩いていなさる。その表情は何かしら求道者にも似て
果てしなく遠くを見つめている。おじさんだけじゃなくて、おばさん達もいる。

 この飽食の世の習いか、異様に肥満した方もいらっしゃる。セルの太い黒縁で、蔓を
セロテープでグルグル巻きにとめてある眼鏡を掛ける。ひときわに大きな、所帯道具を
全部入れた黒いズックのバッグを持っている。歳の頃もわからぬ。時折、見かける度に
笑っているのか泣いているのかわからぬ様な表情で、新宿とか飯田橋とか中央線沿線を
とぼとぼと歩いているか、それとも遠くを見ているか、のどちらかであって、それ以外
は決して無い。誰言う事なしに「新宿豚」と呼ばれる様になった。

 その「新宿」さんが、今夜も歌舞伎町に面した大通りの人混みに立っている。人波に
紛れ、近くを通る際にチラリと見ただけで、気にも止めてはいなかったのだが。何せ、
待ち合わせに相当遅れているのだから。

 「待った?」

 「待ったじゃないわよ!30分も遅刻よ!」

 「夕方に入った救急患者さんに手を取られてたもんでさ」

 「もう、知らないっ!」

 プンと向こうを向いてしまった彼女に、何と言っていいのか、わからない。ちゃんと
わかるくらいなら、三十路まで一人身を通す事も無かったとは思うが。こんな時はどう
するんだろう。いわゆる教科書やマニュアルを読んでも、チンプンカンプンだ。思わず

 「医者を呼べ〜!」

と叫びたくなる。所在なさそうに、キョロキョロとあちこちを見回すと、いつの間にか

 「ヌ〜ッ」

と至近距離に「新宿」さんは立っていた。ニンマリ笑って、彼女の方を見ている。相も
変わらず大きな荷物を持ったまま。

 「ねぇ、機嫌直してさ、場所変えようよ!」

緊急避難的に肩を抱き寄せ、足早にその場を歩きさる。幸い、少し怪訝な顔をしたけれ
ども、彼女は誘導に従っている。ふと、後ろを振り返ると、

 「こんな顔でしたか?」

と「新宿」さんが、しっかりと後方に追尾している。サイドワインダーミサイルの様な
奴だな、と思い、幾つかの路地を曲がってみたがトラッキングはロック・オン。

 「何なんだ、一体」

 「えっ、どうしたの?」

いぶかる彼女には、何でもない、と言い含める。いつの間にか、きらびやかなネオンの
宿泊施設の多く立ち並ぶ一角に出てしまった。

 「ええぃ、今宵こそ!」

流石に中までは追いかけては来るまい。案に相違して、彼女はおとなしくついてきた。





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