#2483/3137 空中分解2
★タイトル (JHM ) 92/12/11 6:48 (198)
《父親不知》(2) カラオ
★内容
流石に終点が目的地だと心強い。起こしてくれた車掌さんが呆れる程に、しゃっきり
して、駆け足で中央線に乗り、お茶の水で乗り換えて会社についた。留守番をしていた
、市川さんが言いにくそうに言った。
「 あの〜 海野入鹿さんが・・・ 急に御亡くなりになったそうで・・・ 」
海野入鹿といえば、ちょっとは知れた作家である。
「 まだ 若いのに・・・40才ちょっとでしょ? 事故? 」
「 えぇ〜 『事故』っていえば『事故』ですけど・・ 」
「 何よ はっきりおっしゃいよ・・ 」
「 何でも・・・・女性の方と御一緒だった時に・・・心臓麻痺とか・・・ 」
スケベ作家の幸福な一生、とでも言おうか。さして、深い付き合いがある訳でもない。
取材に応じ、近くに来たついでに来てくれる筈であったくらいだから葬式には出ない事
にしよう。いつもの様に何でもスッポンみたいに喰らいついてゆく気分じゃない。彼女
に対するいつもの不機嫌な調子で恵は言った。
「 おいっ 飲みに行くぜ〜 」
美味しい酒というものは、いつも潤沢にあるものではない。どうしても、先に飲み干
す美酒に酔いしれても、それがもう無い事を忘れる程には酔いつぶれられる訳ではなく
結局、何か適当に有り合わせの酒でヘベレケに酔っぱらってしまわないと、やるせない
思いで潰れそうになるのだ。あれだけのビールを車中で飲んだのに、満たされぬ感に、
夕食替わりのツマミを一杯頼み、酒と一緒にカパカパと流し込んでいる。今一に冴えた
感じが無い市川房子をカラカイ半分にそそのかして見る。
「 ほっほ〜 じゅるじゅるですね〜 あそこの男
・・・・そうそう 二人連れ・・・・・・ 結構 良さそうじゃん? 」
例によって例の如く、「一緒に飲みません?」とか誘ってみたらダボハゼの様に吊れる
のだ。動く道すがらに壊れぬ様に、箱と荷物の隙間に詰め込むパッキングみたいなもの
なのだ。マシな方の男は、房子に譲ってやった。居酒屋から先は別行動。そこまで生活
指導したんじゃ、「給料返せ」と言いたくなるから。いつもの様に済ませると、さっと
タクシーを拾って、恵は家まで帰った。
着ているものを全て脱ぎ捨てると、シャワーを浴びなおして素肌で眠る。短い髪は、
こういう時に便利である。昔っから、短い髪の毛で通してきた。専用にしてある布切り
鋏で、月に一度ジョキジョキと切る。短い髪を撫でながら一人眠る度に思い出す光景。
それは、いつも看護婦が恵を呼ぶ処で始まる。
ボブ メグミ
「 菩部 恵さん お入り下さい 」
ボブ メグミ
菩部というのは恵の旧姓である。処置台に登り、点滴の注射を刺して、しばらくすると
意識が遠のく。子宮の口に差し込まれた海草の一種であるラミナリアが水を吸い、子宮
の口が開大する。そこから、ヘガール鉗子とかキュレット(匙)で胎児をかき出すので
ある。
初めて処置台に登ったのは、大学2年の頃だった。生理が遅れているな、とは思った
けれど、あんまり順調な方じゃなかったから、そうだとは思えなかった。吐き気は昨日
の二日酔いのせい、とか思ってた。薬局で買った妊娠判定薬では陰性に出たけど、日付
を見たら期限切れだった。心配になって、バイト先の常連客を拝み倒して一緒に行って
貰った。思ったより、あっけなく済んだとは思った。部屋に帰って一人で横になると、
訳のわからない気持ちの悪さに包まれていた。
あの時も、TVが付けっぱなしだった。夜明けまでずっと放送していた。目が醒めたののは、もう夕方近くだった。やたら、自分の身体に何が起こったのか無性に知りたくな
った。近くの本屋へ飛んでいって「家庭の医学」とか言うのも何冊かむさぼり読んだ。
難しくってチンプンカンプンだった。それでも、大きな書店に行く度に医学書をやたら
と立ち読みした。けど、何だか訳がわからなかった。
「 TVをつけはなして眠ろまい ホワイトノイズは私の子守歌だがや 」
そう、いつもの通り呟くと、恵は眠りに落ちていた。
いつの間にか、夏も盛りとなっていた。朝のミーティングが済むと、他の連中は外へ
出かけた。市川房子だけが連絡も無しに出てきていなかった。夜も11時過ぎになって
、恵が一人きり居る時になって、電話が鳴った。
「 とぅるるるる 」
「 はい!チンプ・スタッフ えっ? 市川さん? どうしてたの連絡も無しで〜
え? 何? 結婚? 馬鹿言ってんじゃないわよ〜! うん それで? 」
市川房子が出てこないのは男と一緒だからで、その男と近々に結婚するのだという。
結婚と同時に退社するつもりだという。そして、その男は、あの時の居酒屋の男だとも
言った。
「 えっ いいわよわかったから もういい ともかく 明日 出てらっしゃい 」
電話を不機嫌にガチャンと切った後、机の周りをクマの様に歩き回りながら、
「 サギにひっかったって 私ぁ〜 知らないもんね あの馬鹿! 」
と呟く。そんな馬鹿げた事につき合ってはいられない。原稿が遅れがちなライターに
電話を入れる。今日は、何かしら下腹が痛む。
「 例の原稿、もう上がってるよね・・えっ?・・・出来てない〜?・・・
(何言ってるんだよ、この馬鹿!)・・・困ったわね〜・・ 」
「ドスを効かせて、機嫌の悪いのを皆ぶちまけて毒づく・・・」ってのが出来ない人の
葉緑素入りガムとか言うのを口に放り込む。縁を切りたいのはヤマヤマだが、シガラミ
って奴があって切れない。散々に因果を含めて電話を切る。こういうのは胃に来るのか
。下腹が、みぞおちが、臍のあたりが無性に痛む。
「 痛い〜 痛い〜 ううううぅぅ 」
差し込む様な痛みが、下腹からみぞおちへ貫く。眼も開けていられない。言葉も出なく
なった。机の下にうずくまる。唐突に、ビールを飲んだら治るかもしれない、と思いつ
いた。そう思うと何故か少し元気になり、冷蔵庫へ行き、冷たく冷えた缶を取り出し、
「 ぶしゅっ 」
とタブを開けると、だいぶマシになった。グイと一口あおると、腹がグルグルと鳴って
思わずトイレにしゃがみ込んだ。苦しい。ロール・ペーパーの上に置き忘れのタバコと
ライター。この際だと思い火をつける。タバコとビールを交互にあおる。ちょいとキバ
った瞬間に目の前が真っ暗になった。尻から倒れ込んでいた。
「 ポチャ〜ン 」
と音がした。それでもタバコとビール缶が落ちない様に持ち上げていたが、10秒とは
持たなかった。倒れては泡を吹きながら転がるビール缶の飛沫に、短くなったタバコが
落ちて、
「 じゅっ 」
と音を立てた。洗面所の窓の端に置かれた皿の人参の切れっ端に緑色の芽が出ている。
白熱電球の光。窓の外の柳の枝が揺れるのが見える。風の強い晩であった。
次の日の朝、いちばん早く出社してきたのは市川房子だった。ホテルから直接に来た
のだから、早いのは当然と言えば当然。房子は罪滅ぼしだと思って、部屋の掃除を始め
、やがて、トイレも、と思い立った。
「 キャーッ 」
カルマメグミ
尻から便器に突っ込んで倒れている女は、いつも見慣れた「軽間恵」に相違なかろうと
は思ったけれども、あまりにも異様な光景にしばし立ち尽くし、やっとの事で、その手
に触れる事を思いついた。冷たい。昨晩の極楽から地獄に連れ戻された気がした。警察
に慌てて電話した。ワープロの前に座り込んで、白い画面をぼんやり見ているだけで、
まんじりとも動かず、オマワリさんを待っていた。
「 市川房子さんですね 」
「 はい 」
呆けた様に答えた。ありのままを答えた。
「 死亡推定時間は、本日午前3時頃だと思われます 」
直腸温度などから、鑑識官があたりをつける。身元もはっきりしている、という事で、
やがて、放免となった。
当然、この様な場合、幾ら生前にマトモな方であっても「変死体」という事になって
、遺体解剖資格を持つ医師による司法解剖が行なわれる。体表には外傷も無く、暴行を
受けた形跡も無い。腹腔内には大量の凝血塊があり、それを膿盆に移して観察すると中
から胎児が見つかった。『卵管妊娠』による『卵管破裂』による大量出血が死亡原因で
ある事は明白。外力が加わった形跡も無い。刑事事件では無さそうだと判明した。摘出
した子宮に割を入れてみると、子宮の内腔は八分通り癒着してしまっていて、授精した
卵子が着床する余地が無い。このような「アッシャーマン症候群」の典型例では、妊娠
しにくいと同時に、子宮外妊娠のリスクが高い。胎児の血液型も当然ながら調べる事と
なる。ピンセットでつまんで、生理食塩水で洗って、小さなガラス瓶に移した。やがて
着替えをして、別室で「胎児の血液型」を検査する事となる。
「 O型 」
検体の量が少ない事、母体の血液に浸かっていた事などから、ちょっと特殊な検査をば
しなければならなかった。
今日も遅い夕食となった。休憩室で、当番がコンビニまで一っ走りして買ってきた御
弁当を検死官が食べていると、ボスが入ってきた。
「 あっ そうそう 午前中の『あの人』の胎児の血液型 出たかい? 」
「 O型です 」
「 母体は A型 だったよな 」
「 とすると 父親は O型 ですね 」
夕食を食べ終わり、これから歯を磨こう、という段になって、遺体を引き取りに来た
『あの人』の夫が、死亡の原因について詳しく聞きたいといってきたと言うのだ。
「 ご主人の血液型は AB型 ですってよ 」
検死官は、一瞬うろたえたが、眉毛を2mmくらい痙攣させたに留まった。大きく気を
取り直してうなずく。小学校や中学校で血液型を調べなくなって久しい。
ウィルスに関する検査結果が出るのは3日の後である。ウィルス陽性であった場合、
また忙しくなる。個人の秘密に関わる医療情報を守り抜く責務を持つ。かつ社会の安寧
も保たねばならない。妻を突然に亡くした上にウィルス陽性だと宣告された場合、多く
は自棄に陥り、ウィルスをかえってまき散らす事になるであろう。そうでない事を祈る
ばかりである。
「 まぁ そんなにメクジラ立てんと 一杯どうだい 久しぶりに・・・ 」
その店の名物の半透明の皮に包まれた「水餃子」が胎児に思えた。思わず噛まずに、
「 グイ 」
と飲み干した。腹の中に混沌の暗黒が生じ、その中へと落ちて行く様な気がした。