AWC 《父親不知》(1)                  カラオ


        
#2482/3137 空中分解2
★タイトル (JHM     )  92/12/11   6:45  (181)
《父親不知》(1)                  カラオ
★内容



 春先とはいえ、まだ肌寒い。ベンチ・シートの足元から伝わるヒーターの温み。裾の
乱れたスカートを直して、足を組み直す。酔いにまかせて、しばしまどろむ。この心地
もいつかは醒める。

 「 このままがいいっ・・・・ 」

と呟いたまま恵は一人。ワイヤレスのヘッドホンからは、「ペットショップボーイ」。
鉄路は東へ西へ走り、北から南へと延びている。外は闇。終電に近い列車に飛び乗った
人々と肩と肩を寄せ、カタカタと揺れる列車の音に耳を澄ませ夢を見る。あの頃の事、
昨日の事、ついさっきの店の事、そして明日の事。

 「 もしもし、終点ですよ 」

 恵を揺り起こす人がいる。乱れたスカートの裾を直しては、慌てて跳び起きる。

 「 えっ、終点? 」

 「 えぇ、大垣ですが・・・ 」

 車掌さんは、空になった車両の見回りに来たらしい。

 「 ・・大垣・・? 」

 「 切符を拝見できますか? 」

 手足は半分痺れていて、頭は宙に浮いている。こめかみを手で押さえて、しばし目を
閉じたまま、辛うじて返事をする。

 「 はい・・ 」

ポーチを頼り無い手付きで漁っては、やっとの事で見つけた回数券。

 「 え〜っと・・不足分は7140円になります 」

 まだ、事の次第を十分に掴まないまま、ホームに降り立った。まもなく、本当に空に
なった車両は車両置き場へと回送されていった。風は無いが、寒い。もうとっくに明る
い空に星が光っている。乗越し分を払ったおかげで所持金は2万円を切っている。新幹
線には少し足りないか。どちらにせよ会社は土曜休みで、夫は火曜日まで出張で留守。
終点の駅の改札を出、温かい缶コーヒーを買い込み、待合室のベンチに腰掛ける。とり
あえず名古屋まで行ってみよう。

 「 名古屋・・・ 」

名古屋に何があるんだ。思い出そうとして思い出せない事がある。半分寝ながら、それ
でもしかし名古屋で降りた。
 早い通勤客が、空いた通路を駆け抜けて行く。恵は手にテレホンカードを握りしめて
いた。緑色の電話機へ向かって駆け出していた。何もみないまま、プッシュする番号。

 「 つぅるるる つぅるるる つぅるるる つぅるるる つぅるるる つぅるる 」

 通じないかもしれない。通じて欲しくない。耳がズキンズキンと脈打って、受話器を
握りしめる掌が汗ばむ。

        サギヌマ
 「 ・・はい、鷺沼ですが・・・誰ですか〜 こんな時間に・・・ 」

一瞬、息を飲んだ。夢の続きなのだと誰かが恵に言い聞かせている。

 「 あの、恵・・今、名古屋駅、名古屋駅なの、恵・・ 」
                       メグミ メグミ
 「 恵、じゃわからないんだけど〜・・・えっ、恵? 恵ちゃんなの? 」
          トシタケ   トシタケ
 「 えぇ、恵・・利剛さん、利剛さん、ねっ、今、今から行っても良い? 」

 「 えっ、うん、今、俺しかいないけど・・・ 」

 「 じゃ、今からタクシー乗るから・・ 」

返事も聞かないまま電話を切った。誰も待っていないタクシー乗り場に駆けて行くと、
半分寝てた様な運転手のオジサンが、気の無い返事をした。

 「 どこまで行きゃ〜すか? 」

 「 えっと〜 とにかく今池の方へ行って! 」

 お客の道案内なんてこんなもんだ、みたいな顔でうなづいたオジサンはコラムシフト
をカチャカチャと動かして、まだ空いた道をビルの横を抜けて車を走らせて行った。
 不思議な程に道を覚えていた。ゴチャゴチャした繁華街から少し外れてはいたが、朝
にたちこめる生ゴミの臭いが鼻をついて、ふと高田馬場を思いだした。千円札を3枚。
釣りを受け取らずに払いを済ませると、ところどころにひび割れがあるマンションの前
に立っていた。

 「 ピンポーン 」

待ちかまえていたみたいにドアが開いた。

 「 入れよ 」

所帯じみてもいる。やもめ暮らしの様でもある。花柄のテーブルクロスの上に食べかけ
のカップラーメン。割り箸を突っ込んだまま。クシャクシャに丸めた原稿用紙が辺りに
散らかっている。

 「 俺の書いたもん、最近読んだ事ある? 」

唐突に聞く。フリーのライターっていったら、何でも書くんだけど。
   トシタケ
 「 利剛 の名前で出てるの? 」

 「 いんや、色々の名前 」

 「 じゃ わかんないわ! で 彼女どうしたの? 」

 「 子ども生まれるんで 実家に帰ってる 」

 「 予定日はいつなの? 」

 「 6月の始め頃かな 」

 妊んだ子は一度も日の目を見た事がなかった。利剛と別れてから、恵がくっついたり
離れたりした男は数え切れない。何かの本で読んだ。「アッシャーマン症候群」とか。
頻回の中絶、感染等による子宮内膜炎などが原因で、子宮の内膜が癒着して、子どもが
出来なくなる病気。結婚して、もう5年。夫はとうに諦めたみたいな事をいつも言う。
それでも欲しい。

   メグミ
 「 恵も・・・子ども・・・欲しいな・・・ 」

夫に言っているのではないのだ。汗ばんだ体の臭いが自分にもわかる。何か書類の捜し
物をしている利剛の背中にしなだれて言う。利剛は、単行本を何冊か持ち上げて言う。

 「 こんなシチュエーション、今度書いてみようかな? 」

 「 えっ? 」

 「 俺、エロ本作家としちゃ 結構 名が通ってきたんだ 」

恵の手は、思わず下の方へ伸びていた。

 「 へぇ〜っ 御立派 御立派・・・ 」

 「 おぃ よせよ 」

と言いながら、利剛は笑っていた。二人はシャワーを浴び、そして時が過ぎた。付けっ
ぱなしのTVは、奥様向けのワイドショウの時間になっていた。「いつものテーマ」っ
て奴は決まっているらしい。一応は主婦の筈なんだが、恵はその手の番組を見た事が余
りなかった。音だけが聞こえてくる。二人とも耳を澄ませながら、暗い部屋の中。

 「 今日は戦慄の心霊写真を皆様に御紹介いたします。早速に、この写真。ここに
   生まれなかった赤ちゃんの姿が!・・・水子の幽霊が写っています。皆さん!
   ご覧下さい! 水子の幽霊ですっ! 」

そんな題目を大仰にする事もなかろうに,急に恵はおびえた顔になって、目を閉じて呟き、そして唇を噛んだ。

 「 水子・・幽・・」

心配そうにのぞき込む利剛。

 「 ほら あそこ・・・ 」

利剛の胸に顔を埋めて、小指で指さした方は決して見ようとはしない。一生懸命に見る
利剛には、壁のシミが2つ3つ見えるだけ。

 「 赤ちゃん 欲しいの ちゃんと ちゃんと 生まれて来る・・ 」

その意味と昔が急に襲ってきて、利剛は呆けた顔になった。抱きしめて、ウンウン、と
うなずく様でいて、心はそこのカーテンの隙間をとうに抜けて、雲一面の空に紛れて行
ってしまっている。

 「 あのさ 2時から八事で打ち合せあるんだけどさ 恵は仕事大丈夫? 」

夕方には、大事な来客がある。手配の準備は昨日しっかり済ませたから、今日はその時
に居れば良いだけ。でも、3時には東京に着いてなくっちゃいけないから。遠回りには
なるけど、駅まで送ってくれるんだって言ってくれた。銀行に寄って、新幹線の切符を
買って、

 「 じゃ〜ね〜 」

とお別れして、指定席に座り込んで、窓の外の利剛に手を振ってると、いつの間にか、
列車は走りだしていた。ビールの缶のステイオン・タブを

 「 ぶしゅっ 」

と開けた途端に泡立つ程に涙がこぼれた。いつも、こんなふうに逢って、そして別れて
、おためごかしの明け暮れが待っている。夫へのおみやげと称して買い込んだ「御当地
ビール」半ダース。その全てがなくなる頃、薄ぼんやりと富士の山が見え、そのまま暗
い中へと落ち込んでいた。





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