AWC 希望の果てに……(4)      悠歩


        
#2408/3137 空中分解2
★タイトル (RAD     )  92/11/27   0:24  (172)
希望の果てに……(4)      悠歩
★内容

 また私の中にシンに対する不信感が沸き起こってきた。
 アメリカの巡洋艦が立ち去ったあと、彼らの置いて行った水、食料、医薬品の全て
をシンは自分の管理下に置いたのだ。
「誰かがその配分を管理しなければ、無計画に消費され、再び何かあった際に困るこ
とになる」
 それがシンの言い分だった。
 私も彼の言い分はもっともなことだと思う。正直、ベトナムでは食うや食わずの生
活をしていた私達には目の前に積まれた食料に対し、何の計画性も持てなかったこと
は事実である。後先のことは考えず、食べたいだけ食べる。
 もともと船の上のスペースの関係で、それ程大量の食料が積み込まれた訳ではなかっ
た。予定の四日間ぐらいなら充分にもつだろうが、それ以上となると心もとない。確
かにシンのようなしっかりした者の管理が必要かも知れない。
 しかし、事もあろうにシンはその管理をあのやくざ達に任せたのだ。彼は皆に対し、
毎日必要な分の食料を配分することを約束した。そしてつい先程私達はシンとやくざ
達に、最初の分の食料の配分を受けた。
 それはいい。管理をやくざ達に任せたのも、彼らがその役目をきちんと果たしてく
れるのなら文句はない。ところが私にはどうしてもそうは見えない。
やくざ達はまるで好き勝手に食料の包みを開け、思い思いにそれを口にしていた。シ
ンはそれを目にしながらも何も注意をしない。それどころかやくざ達と一緒に、自分
も配分以上の食料を口にしていた。
 シンに対し不満を抱いたのは私だけではないだろう。しかしそれを言葉にして、シ
ンに抗議するものはいなかった。何にしてもあと四日の辛抱だ。ここで下手に抗議を
してやくざ達に袋叩きにされてもつまらない。差し当たって配分さえ受けていれば飢
えることはない。このまま四日間我慢していればニッポンにたどり着く。ニッポンに
さえ着けば、すばらしい生活が待っているに違いない。

 私にとって気がかりなのはホアの事だった。薬と食料のおかげでだいぶ良くなって
きてはいたが、やはりまともに横になることすら出来ない船の上では、充分な体力の
回復もままならない様子であった。
「私はだいじょうぶですよ。あと四日してニッポンに着けば、全てがうまく行きます」
 ホアは愛しそうにリンの頭を撫でながら私に言った。
 ニッポンに着いたら真っ先に、ホアをいい病院に入れて治療させたい。しかしどの
位、お金が掛かるものなのだろう。私が働いて支払える程度ならいいのだが……。

「畜生!! あのアメ公め! いい加減な仕事をしやがって!!」
 シンの口汚い罵り声が、船上に響き渡った。
 それは実に不快な声であったが、その気持ちも分からなくはない。私だって大声で
怒鳴りたい。
 昨日、アメリカ軍の技術者の手で直されたばかりのディーゼルエンジンが朝になっ
てまた、停止してしまったのだ。
 そしてそれは、これから始まる惨劇の幕開けでもあった。


 あれから何日経ったのだろう。一週間か? いや、もっと経っているだろうか。も
うとうに、巡洋艦から補給を受けた食料も底をついてしまった。と、言うよりもエン
ジンが停止してしまった日から、ほとんど充分な食料の配分を受けていない。
 シンとやくざ達によって形成された一派は、あの日から私達に対し、ごく僅かな配
給を三度行ったが、残りの食料は全て彼らの腹に収められてしまった。
 そのため、シン達は私達に比べて遥かに元気なのだが、既に彼らも飢え始めていた。
私達より元気ではあるが、飢えていて狂暴さが増している。それはもう、始末におえ
たものではない。
 先日、一人の男が彼らのやり方に、猛然と抗議をした。怒ったやくざは男を殴り飛
ばし、海へ落とした。そして海面に浮かんだ男の頭を、木の棒で何度も何度も力一杯
叩き付けた。ついに男は海面を赤く染めながら、海の底へと沈んで行ってしまったの
だ。
 それからの私達は飢えと、やくざ達の二つの恐怖に悩まされることになった。
 ホアの容態は、もはや絶望的であった。
 頬はそげ落ち、目は窪み、手足は悲しいほどにやせ細っている。床に丸く横たわり、
ただ、餓死するのを待っている。
 その横では同じように痩せ細ったリンが右手に人形を抱き、左手で母の手をしっか
りと握りしめて、横になっている。痩せ細った体には大きく感じられる目だけがきょ
ろきょろと動き回っている。
 私自信もかなり衰弱してきていたが彼女達より、幾分かまだ体力が残っているよう
だ。この分であれば、私が息絶えるのはホアとリンの最期を見届けた後になるだろう。
 周りも全て同じような状況だった。皆横たわったまま、身じろぎする者さえない。
中には既に息絶えた者もいるようだ。一体、何処からやって来たのか、蠅が飛び交っ
ている。
 この状況のなかで、唯一動き回れるだけの元気を持ったシン達一派のやくざが、横
たわった人々の間を何やら徘徊している。どうやら人々の生死を確認しているようだ。
死んだ人間を担ぎ挙げては船尾のほうに運んでいる。
 私はそこから先の作業に興味は無く、ただ自分の死について考えていた。限界を越
えた飢えからくる死の恐怖は、私の人間としての真の心を浮かび上がらせていたのだ
ろう。私の頭の中にベトナムに残してきた家族のことは無かった。それどころか、あ
れ程まで、何とかしてやりたいと心から願っていた筈の目の前にいる母娘の事すら、
興味がなくなっていた。もしこの場に神なり、悪魔なりが現われ「お前一人だけなら、
助けてやる」と申し出れば喜んで飛び付いたかも知れない。あれ程愛しく感じた少女
すら見捨てて。かくも私の真の心は、醜いものだった。

−−ドボン ドボン ドボン−−

 船尾のほうから、海上に何か投げ捨てる音か連続して聞こえてきた。死んだ人間を
海に捨てているのだろう。正しい判断だ。死人をその儘放って置けば、飢えの上に更
に悪い病気まで発生しかねない。まあ、私にとってこれ以上悪い状況には成りえなかっ
たのだが……。死人を捨てた分、船が広くなって体を少し延ばして死ねるか…。
 やがて船尾のほうから蒸気と共に、何やら不思議な匂いが漂ってきた。
「まさか……食べ物?」
 そんな筈はない。この船の上に食べ物など、欠片すら残ってはいないのだから。仮
に残っていたとしても、どうせ私が口にできる訳もない。あのシンが自分達の一派以
外に分け与える筈がない。それをどんなに不満に思ったところで彼らに逆らう勇気も、
気力も、力もない。
 ところが驚くべきことにしばらくして、あのやくざ達が様々な入れ物や、板切れに
乗せた食べ物を船中の人間に配って回ったのだ。
「さあ、これを食って少しでも命を長らえてくれよ」
 私にそれを配ったやくざは、彼にとって精一杯の優しい口調で言った。
 私はしばらく目の前に置かれたそれを、不思議な気持ちで見つめていた。 それは
何かの肉を海水で煮込んだ物のようだった。
「まさか……これは……」
 私の頭に浮かんだ考えは、とてつもなく恐ろしいものだった。
 シン達の方を見ると彼らはそれを、実にうまそうに食べていた。彼らばかりではな
い。それを分け与えられた船上の全ての人々が、それにかじりついていた。それが何
であるか、皆想像できたであろうに。
 ええい! 何を迷う必要があるだろうか。食べなければ確実な死が待っているのだ。
食べた。私は食べた。うまかった。何とも不思議な味だったが、それは今まで私が食
べたどんな物よりもうまかった。
 私はそれを一欠片も残さずにたいらげるとホア達母娘に目をやった。
 目の前に置かれたそれに恐る恐る手を延ばすリンをホアが止める。
「どうしたリン、さあ食べろ、食べるんだ!」
 少し飢えが満たされた私は、何とか母娘のことを気遣う余裕ができていた。
私の言葉にリンは助けを求めるような視線を母に送った。
 ホアは私を見て弱々しく首を横に降った。
「心を…捨てて……生きるより……人として…死にます…。リンだけは……生きて…
…欲しかった…でも……仕方ありません」
 そしてもはや起き上がる力の無いホアはリンに何かを耳打たした。
 リンは母の言葉に小さく頷くと、二人のために用意されていたそれを海に投げ入れ、
小さな手を合わせ何かを祈った。
 その姿は醜い私の心には眩しすぎた。
「私は…死にたくない。人間の心を捨てても!!」
「誰も……あなたを……非難…出来ません」
 ホアの言葉は何処までも優しかった。

 翌日は幸いなことに、しかし今にして思えば不幸なことに死者は出なかった。昨日
皆に配られた、あれのおかげだ。
 船のなかで唯一あれを口にしなかったホア達母娘も生きていた。おそらく、力尽き
た後、己の亡骸がどのような扱いを受けるか、その恐怖が気力となって命を繋いでい
たのではないだろうか。
 これは一見喜ばしい事ではあったが、その実、深刻な問題でもあった。なぜなら、
死人が出なければ飢えた私たちの胃袋を満たす、あれが出来ないからだ。
 シン達一派が何やら話をしている。もともと、目付きの悪い連中ではあったが、そ
の時の目は悪魔すら逃げ出すほど凄まじい物であった。
 やがて何か話がまとまると、彼らはぞろぞろとこちらの方へ歩いてきた。途中その
変に横たわった人々を指でつついてみたり、足で蹴ってみたりして何かを調べている
ようだった。
 やくざの一人が私たちのところまで来た。
 やくざはホア達母娘の様子に気付くと、他の連中がしているのと同じように、ホア
とリンの体をいろいろと調べ始めた。人見知りの激しい少女も、全く抵抗を見せず、
やくざの為すが儘にされていた。
 それが終わるとやくざは大声で仲間を呼んだ。
 たちまちホア達母娘はシンを含めたやくざ達に取り囲まれる。
「母親のほうは、何やら病気かもしれん。やめておいたほうがいいな。だが娘のほう
はいけるだろう…」
 私にはその言葉で彼らの考えが容易に想像できた。
「やめろ……シン…。それだけは…」
 私は力無くシンに向かって叫んだ。シンは背筋も凍り付くような冷たい視線でこち
らを振り返った。
「何を今更…。あんただって昨日、あれを食べたじゃないか。この娘だって放って置
いたところですぐ死んじまう。それがほんのちょっと早まるだけのことだ」
 そう言って笑ったのだ。
 そうか……そう言うことだったのか。彼らがあれを皆に分け与えて食べさせたのは、
私達がやがて食料にする目的で牛や豚に餌を与えるのと同じ事だったのか!
 やくざの一人が抵抗する気力さえない、リンの小さな体を肩に担ぎ上げ、船尾に運
ぼうとした。その時、それまで死んだようにじっとしていたホアがやくざの足にしが
みついてきた。
「なんだこのアマ! うっとおしいんだよ!!」
 やくざは弱り切ったホアを何の手加減も無しに、蹴り付けた。何処にそんな力が残っ
ていたのか、それでもホアはその手を離さなかった。しかしそれはやくざ達をただ、
怒らせるだけだった。周りのやくざ達が、寄ってたかってホアを痛めつけた。
 私は恐ろしくて、ただ震えながらそれを見ているしか出来なかった。あの心優しい
母娘が殺されて行くのを何もできずに見ているだけだった。
 その時微かに聞こえてきた、ホアの「リン…リン…リン…」と娘の名を呼ぶ声が今
も耳を離れない。
 ホアがなぶり殺されるまでいくらも時間は掛からなかった。
「おい、もう止めろ。そいつはもう死んだ」
 シンがやくざ達を止めた時、既に絶命しながらもホアはリンを担ぎ上げたやくざの
足を掴んだままだった。はたしてリンは、やくざの肩の上でなぶり殺される母の姿を
どんな気持ちで見ていたのだろう。
 やくざの足に爪の食い込んだホアの手を引き剥がすのは、一苦労の様だった。ホア
の亡骸はそのまま海に投げ捨てられた。
 それが終わるとシンは私のほうへ向き直ってこう言ったのだ。
「いいことを思いついた。あんたにも見せてやるよ。この娘の最期をね。口先だけの
あんたに」
 私は両腕を二人のやくざに取られ、リンと共に船尾に引きずられて行った。




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