AWC 希望の果てに……(3)      悠歩


        
#2407/3137 空中分解2
★タイトル (RAD     )  92/11/27   0:20  (194)
希望の果てに……(3)      悠歩
★内容
 そうだった。今はこんな事をしている場合ではなかったのだ。
 私は手短にホアの事をシンに伝えた。
「分かりました」
 それだけ答えるとシンはすぐさまホアのいる船先へ向かった。
 私達がホアの元に戻った時リンはしっかりと母親の側に付き添っていた。
「リンちゃん、お母さんのことを見せてもらえるかな」
 シンは極めて優しくリンに言ったはずだった。ところがその声に振り返ったリンの
顔はいつに無く険しく、両手をさっと広げシンをホアに近づけまいとした。
「困ったな、リンちゃん。それじゃあ、お母さんの病気のことが分からないよ」
 しかしリンは頑なにシンが母親に触れることを拒んだ。
 私はそれをいまだリンがホアと私以外の人間に対して心を開いていないが故の行動
だと思い、特に疑問も感じなかった。
 それよりも早くシンにホアを見てもらわくてはならないという気持ちが急いでリン
の手を取り、こちらに引き寄せた。
「ほら、リン。聞き分けて。お母さんに早く良くなってもらいたいだろう?」
 私はシンの邪魔にならないようにリンをしっかりと抱き締めた。
「だって……おのおじちゃん……怖い」
 リンが耳元で囁いた。この時、私はそれを人見知りの激しい少女の呟きとして何気
なく聞いていたが、今にして思えばリンは誰よりも正確にシンの本性を見抜いていた
のかも知れない。
 やがてホアの事を一通り診終わったシンが目で合図してきた。
「さあ、リン。お母さんを頼むよ」
 私は再びホアをリンに託し、シンと共にその場を離れた。
「かなり衰弱し切っています。元々、体が弱かったようですから…。このままでは明
日の朝まで持つかどうか……」
「何とか……何とか出来ないのか?」
「無理です。薬も食料も無く、どうしろと言うのです? もういくらもしないうちに
彼女の他にも、体の弱い者から次々と力尽きて倒れて行くでしょう。でも、私にはど
うすることもできないのです」
「分かっている、分かっているが何とかしてやりたいんだ……。何とかあの母娘だけ
は…」
「この船には100人からの人間が乗っているんです。こうなってしまっては一人や
二人の事に構ってはいられない。だいたい、あなたは私に頼りすぎだ!!」
 シンは荒々しく叫んだ。何事が起きたのかと、周りの視線が集まったのでシンはそ
のまま私から離れて行ってしまった。
 去り際にシンの独り言が私の耳元まで届いてきた。
「まだ…少し早いか……」
 何の事か分からない。しかし私は何やら背筋に寒いものを感じた。

「おおーい! 船だ! 船だぞ!」
 誰かが大声で叫んだ。
 皆一斉に海の向こうに船影を求めて視線を送る。
「どこだ。船はどこだ」
「あっ、いたぞ! あそこだ」
 誰かが指さす。皆の視線が一点に集中する。
 いた! 水平線の彼方にまだ米粒ほどの大きさの船の姿が見える。
「おーい、ここだ。ここにいるぞー!」
「助けてくれー! おーい」
 元気なものは全員、力一杯叫んだ。もちろん私も。
 船影との距離はまだ大分ある。もし向こうがこちらに気付かずに行ってしまえば、
もう私達に望みはない。私は叫んだ。喉も張りさけんばかりに。
 その甲斐あって、船はこちらに気付いてくれたようだ。
 米粒ほどの大きさだった影が次第に大きくなって来て、ついには船上に掲げられた
国旗まではっきりと見て取れる程にまでなっていた。
 それはアメリカ軍の軍艦だった。私はそう言ったことに詳しくないのではっきりと
は断言出来ないが、あの大きさは巡洋艦クラスだと思う。ふと気付くとその軍艦の後
方にやや小さめの(距離が離れていたので小さく見えたのかも知れないが)船が待機
しているのが見える。たぶん、駆逐艦ではないだろうか。
 とにかくこれで助かる。ホアも死なずにすむ。安堵のため私の目には熱いものがこ
み上げていた。
 巡洋艦は私達の船から4〜500メートルほど離れた位置で停止して、しばらくこ
ちらの様子を伺っていた。甲板の上に双眼鏡を手にした人影が盛んに行き来している。
 やがて巡洋艦から小さなボートが降ろされ、三人の兵士が乗り込みこちらに近づい
てきた。ベトナム出国時の警備兵とは違い、少なくとも私の見えるかぎり銃は持って
いないようだ。
 ボートは私達から20メートル位のところで停止し、一人の兵士が何か大きな声で
叫んだ。英語のようだ。私達は互いに顔を見合わせた。
 いち早く兵士の呼び掛けに答えたのは、シンだった。やはりこう言った時には頼り
になる。どうやらシン以外に英語の話せるものはこの船には乗り合わせていないよう
だ。
 先程シンに感じた不安は私の気のせいだ。私はホア一人のことで動揺して、シンの
態度を冷たい非情なものと感じたが、彼は私達のリーダーとして、この船に乗った全
ての人々の事を考えなければならない。
 その気苦労は私などの想像の及ぶところではないのだろう。考えてみればあの状況
で、たとえシンとてホアを救う方法などある訳もない。シンに悪いことをしたと私は
思った。
 やがて一通りシンと兵士とのやり取りが終わると、ボートはくるりと反転して、巡
洋艦の方へと戻って行った。
 私達は期待と不安を胸に抱きながら、シンの説明を待った。しかしシンは押し黙っ
たままボートの後ろ姿を見つめているだけだった。
 私はふと、私のシャツの裾に重みを感じた。そこには不安気な顔で私のシャツの裾
を力強く握りしめたリンがいた。
 私は自分の思いに捕われてリンの事をすっかり忘れていたようだ。それに気付いた
私は、何かとても恥ずかしい気持ちになった。
「だいじょうぶだ、リン。お母さんは助かる。リンも、おじさんも、シンも、この船
のみんな助かるんだ」
 私は両手でリンの体を持ち上げ、幼な子にするように「高い高い」を二度繰り返し、
それが落下するのを胸で受け止めしっかりと抱き締めた。
 リンの体は悲しいほど軽かった。もともとベトナムでもろくな食事を取っていなかっ
たのだろうが、ここ四日間、ホアが自分の分を分け与えていたとは言っても育ち盛り
の少女には余りにも少ないものだったのだ。
「助かる……みんな助かるんだ……」
 私はリンの頭を強く撫でながら泣いていた。

 三十分、いや一時間は待っただろうか。巡洋艦から今度は二隻のボートがこちらに
やって来た。
「ほら、見てごらんリン。もう何も心配する事はないんだ」
 私は嬉々としながらボートを指さして言った。
「いや、そうとばかりは限らない」
 そんな喜びに水を指したのは、いつの間にか私の私の横に立っていたシンだった。
「どういう事なんだ、シン?」
「やつら、確かに水と食料、医薬品の補給を約束してくれた。エンジンの修理も、医
者も連れてきてくれるそうですよ。だけど……それだけだ」
 シンの言葉は冷ややかだった。私にはシンが何を苛立っているのか理解できなかっ
た。

 私達の船に横付けされたボートから次々と水、食料、医薬品が積み込まれる。積み
込まれた食料は、まだ置き場所も決められないうちに開封され人々の腹の中へ収まっ
て行く。その様はさながら餌に群がる猿の群れだ。
 このように客観的なことを言っている私の手にも、しっかりと三本のパンと罐切り
のいらないタイプの桃の缶詰めが握られている。
「さあ、リン。お食べ」
 私はリンにパンと缶詰めを食べるように進めたが、彼女はこちらを振り返らずにじっ
と母のほうを見守っている。
 ホアの横では巡洋艦からボートに乗って来た軍医が、彼女の容態を診ている。そし
て今頃船尾のほうではやはり巡洋艦から来た二人の技師がエンジンの修理をしてくれ
ているだろう。
 私には西洋人の年齢は良く分からないが、ホアを診ている軍医は私よりもかなり歳
若く見えた。しかし先進国の進んだ医学技術を身につけ、優れた薬と道具を以てホア
を診てくれているのだ。何も心配することは何もない。
 軍医は一通りホアの診察を済ますと鞄から注射器を取り出し、慣れた手付きで硝子
の管を薬品で満たし、それをホアの腕に打った。
 私は持っていた食料をリンに預け軍医に尋ねた。
「先生、ホアは…大丈夫なんですか?」
 彼は私のほうを振り返るとにっこりと笑って頷いた。私の言葉が分かるらしい。
「だいぶ弱っていたようですが、単なる栄養失調ですね。しっかりと食べるものを食
べていればすぐ良くなりますよ」
 それが出来ないから難民となってこの船に乗ったのだ。それが出来なかったからこ
んな状態になってしまったのだ。
 私は何も知らないでそんな事を言ってのける軍医に、文句の一つも言ってやりたかっ
たが、ここはぐっと堪えることにした。
「それからこの薬を食後に二錠、一日三回奥さんに飲ませて下さい」
 どうやらこの軍医は私達を家族だと勘違いしたらしい。だがそれは私にとって心地
のいい勘違いだったので、敢えて訂正はしなかった。リンも同じらしく、必要以上に
甘えるような仕種で私に擦り寄ってくる。

−−ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ−−

 実に久しぶりにディーゼルエンジンのけたたましい音が私の耳に響いてきた。あの
ポンコツエンジンが蘇ったのだ。
 気が付くと食料品の積込みも全て終わったようだ。それまで作業をしていた技師と
兵士がボートに乗り込んで行く。
「おっと、他は全て終了したようだ。私も急いで帰らなければ」
 軍医は荷物をまとめ、急いでボートに戻ろうとした。私は驚いた。てっきり病人や
女子どもは巡洋艦のほうで保護してくれるものと思っていたからだ。
「ちょっと待ってくれ」
 私は軍医の肩を掴み、彼を引き止めた。
「彼女を……ホアを連れて行ってくれないのか? リンは? いや、それだけじゃな
い。他にも体の弱った病人や女子どもがたくさんいるんだ。こんな狭い船の上じゃ、
良くなるものもならないじゃないか!!」
 私の訴えに軍医は極めて事務的な態度でこう答えた。
「私が艦長から受けた命令は、この船の病人を診てやると言うことだけです。それ以
上の命令は受けていない」
 なるほど、これがシンの苛立っていた理由か。
「あんたらは、彼女達を見捨てるのか」
 周りから、私に同意する者達の「そうだ、そうだ」と言う声が上がる。
「私は、現状で私に出来得るかぎりの治療はしました。私はその責任は果たした」
 軍医がなかなか戻ってこないので、既にボートに乗り込んで待っていた三人の兵士
がこちらにやって来た。
「おい、そこ、何を揉めている。先生、どうしたのです」
 三人のうちのベトナム語を話せる兵士が叫んだ。
 軍医は兵士に揉め事の理由を英語で手短に説明した。
 軍医から説明を受けると、兵士は私の方に向き直って言った。
「残念ながら、君の申し出は受け入れられない。我々は先を急いでいるのだ。
本来なら、君達を無視して通り過ぎたいところなのだが、艦長の好意でこうして水や
食料、エンジンを直すための技術者と燃料、病人のための医者と薬品まで提供した。
我々にとっても非常に貴重な物資と人材と時間を。感謝こそされても非難される覚え
はない」
 兵士の口調はかなり厳しいものだった。彼らにして見れば、ここまでしてやってま
だ文句を言うのかと腹ただしい思いもあっただろう。しかし私には納得できなかった。
確かに私達は皆、自分の意志で難民になった者達だ。理由は知らないが彼らにも急が
なければならない任務もあるだろう。しかし、しかしだ。私のような男達はともかく、
弱い病人や女子どもを危険の可能性がある状態に放って置いて、行ってしまうと言う
のか。
「せめて、何処か安全な場所、ニッポンの領海近くまで…いや、他のところでもいい。
曳航してもらえないか」
「さっきも言った筈だ。我々は急いでいる。なに、心配することはない。こちらの調
べではこの辺りの海域は、しばらく荒れることはない。ゆっくりと進んで行っても、
ニッポンまで四日もかからないだろう。運が良ければもっと早くニッポンの船に見つ
けて貰える」
「それならせめて無線で……」
「我々の任務は隠密なのだ」
「しかし……」
 必死で食い下がる私の言葉はここで中断してしまった。
 兵士の一人が空に向けて服の下に隠していた銃を打ったのだ。更に残りの二人の兵
士とボートに待機した二人の技術者も銃を構えた。
「我々は急いでいる。これ以上こんな事で時間を失いたくないのだ」
 そして彼らはそれ以上のは何も言わず素早くボートに乗り込むと、巡洋艦に向かっ
て戻って行ってしまった。
 仕方あるまい。私は巡洋艦を見たときに必要以上の期待をしてしまっていたようだ。
 とにかくエンジンも直り、まだホアの体が心配だがそれも四日の辛抱だ。水や食料
の状態も出向時より遥かにいい。
 あと四日。あと四日だ……。





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