AWC フクさんのいた年(五)      くり えいた


        
#2396/3137 空中分解2
★タイトル (DRB     )  92/11/23   3:16  (180)
フクさんのいた年(五)      くり えいた
★内容
 人間の髪の毛のようなものが見える。色は薄汚れた肌色だ。肌色の材
質はビニールのように見えた。浮き袋に付いているような空気を入れる
ノズルのようなものが見えた。フクさんがそれを口にくわえて息を送り
込む。少し大きくなって、むくむくと折れ曲りがとれる。人間の顔のよ
うなものが現れた。それを見て僕はそれが何であるかを知った。いや実
際にこの目で見たのは生まれて初めてである。雑誌の通信販売の広告写
真か何かでその存在は知っていたのだ。何はともあれフクさんが殺人犯
でなくて良かった。
「……これは……あれ……ですか?……」
「だよ」
「久子……さん」
「うん」
赤くなったフクさんは再び空気を抜いて丁寧に折り畳んでいた。
「こんなものが押し入れから出てきたらやっぱりまずいでしょ。随分前
から処分しなきゃって思ってたんだけどさ……」
また紙に丁寧にくるんで箱に納める。フクさんの手つきは僕にはまるで
肉親の遺骨を納めているように見えた。
「でもね……捨てられないんだよね。そんなに簡単には。俺の青春時代
をともに過ごしたんだもん。物だからって割り切れないんだよね」
「……うん、ちょっとわかります」
「わからないよ、デカちゃんには……だって俺もハーフだもん、『物』
と『人間』の……」
 僕は外気の温度と同じになっているであろうフクさんの足を見つめた。
僕等はフクさんの掘った穴にその箱を納めて二人でしゃがんで少しずつ
土をかけた。この埋葬に列席していたのはフクさんと僕と赤い寒椿の花
だけだった。
 じっとうつむいていたフクさんが突然また土を掘り始めた。
「デカちゃん。掘って」
「え、また掘り返すんですか……」
「いいから掘れ」
「押忍……」
僕等はまた土をうんしょうんしょと退け始めた。人が通りかかったら何
と思うだろう。
「だめだ。ここじゃ。子供らが来て掘り返して悪戯するに決まってる。
そうじゃなくても久子は土の中で永遠にこのままだ。ビニールって分解
されないんだろ」

 僕がライターで火を付けると河原の丸い石ころがそこだけ浮かび上が
った。焚き付けにあつめた小枝がぱちぱちと音を立てる。あれから僕は
フクさんの最期の抱擁を見た。フクさんの分厚い大胸筋に締め付けられ
て、ちょっとひしゃげたデク人形の大きく開いた口がまるで何かを喋り
出しそうに見えた。棒くれで火をかきまわしながらフクさんが言う。
「デカちゃん、ここんとこ元気ないね。稽古も休みがちだし。何かあっ
たの……俺で良かったら相談に乗るよ」
僕はうつむいてしばらく考えたけど、何かそんな自分が馬鹿馬鹿しくな
って、どこからか自然に笑いが込み上げてきた。やがて僕の笑いは押さ
え切れないほど大きくなって、川の水音をかき消すほどになった。フク
さんは僕の奇妙な笑いを見てきょとんとしていたが、そのうち一緒にな
って笑いだした。フクさんの笑い顔がオレンジ色の火に反射する。頬の
傷は見事にきれいにくっついて跡がほとんどわからないくらいだ。煙が
透明な夜空に高く高く上がる。笑いながら白い煙の行方を追ってふと見
上げると、オリオンの並びがまぶしいくらいだった。

 その日の道場の窓からはこちらでは珍しい牡丹雪が見えた。今日の稽
古には、こちらでの仕事をやめ東京の本部の道場に移籍して職員となっ
た柿本二段も参加していた。やっぱり柿本さんのあのやくざな目で睨ま
れると僕を含めた皆の基本稽古もいつになく気合が入る。
 組み手ではおかっぱ頭の山崎さんが茶色い帯をきりりと締めて前に出
る。山崎さんも前に比べるとひとまわり大きく見えるような気がする。
柿本さんは黒帯に金色の線が入ってますますかっこいい。開始の合図と
ともに山崎さんの体がいきなり丸くなって前に回転した。柿本さんの頭
に上から山崎さんの踵がマサカリの様に降ってくる。これは胴回し回転
蹴りとか言って、非常にアクロバティックな大技だ。油断をしていると
開始の合図と共にKOされる。まばたきもすることなく横にかわした柿
本さんは背中から落ちた山崎さんのおかっぱ頭をゴンと軽く踏みつけた。
この大技は失敗すると実に間抜けな技でもある。普通は足で踏む真似だ
けするのだが、本当に踏んでしまう柿本さんも柿本さんである。
 雪降りの今日は他の色帯の先輩達は稽古に来ていなかったので、次は
ボケ松が立った。ボケ松の壁塗り攻撃も一段と凄味を増した。息もつか
せぬラッシュだ。最近は蹴りにもバリエーションが出てきて乗りに乗っ
ている。びゅんと音のするローキックを繰り出したボケ松は軽い受けで
流されて勢いで後ろ向きに回転してしまい、柿本さんに襟首をつかまれ
てどすんと頭から下に落とされた。遅れてやってきたフクさんが向こう
で柔軟運動をしながらげらげら笑っていた。
 僕はいきなり高いまわし蹴りを柿本さんの頭めがけて打ち込んだ。柿
本さん相手なら思い切り腰を入れて蹴りこめる。つもりだったが頭を下
げた柿本さんに軸足の方を蹴られて後ろにひっくりかえってしまった。
すぐに飛び起きてボディーの連打に及んだが、簡単に肩を取られてその
身体に似合わぬ大きな手でぱーんと顔面を平手打ちされた。「顔面がガ
ラ空きだ」という日本語を空手語に翻訳するとこの平手打ちになる。も
ちろん柿本さんの正拳を叩きこまれていれば、僕は今頃この世にいない。
そしてフクさんの身体が十分暖まった。

 こうやって改めて道場中央に向かうフクさんを眺めると、一目で太股
がぱんぱんに張っているのが稽古着を通してもわかる。向き合った柿本
さんも「足、太くなりましたね」と笑いかけていた。でもあの腹の筋肉
の異常さを知っているのは僕とボケ松だけだった。
 フクさんはちょっと下を向いて黙想していたが、すっと首を上に上げ
ると鼻から大きく息を吸い込んだ。と同時にいきなり柿本さんめがけて
突進した。おやと思った。スピードが全然違う。技の種類は以前と変わ
っていないが、その連続のスピードと勢いが夏の時とは段違いだ。その
証拠にブロックしながらも柿本さんが勢いに押されて後ろにじりじり下
がっている。僕には見ていてその秘密がやっとわかった。腿から腰、腹
にかけてのバネだ。以前のフクさんは当然なのだけれどもその上半身に
頼りすぎていた。腕や胸の筋肉だけでパンチを繰り出していたのだ。今
は十分腰のバネで力をためて全身でパンチを叩きこむ。下半身がくるく
る回って実にリズミカルだ。しかも下半身の筋肉が十分に重力を集めて
実に身体のバランスが安定している。柿本さんの中段のまわし蹴りの反
撃を力でこらえず、膝を跳ねてすっと蹴りと反対側に身体をすべらせ軽
くいなした。
 お互いが静かに速い息をつきながら、にらみ合う。柿本さんの顔は明
らかに真剣だ。僕は組み手の時に真剣な顔をした柿本さんを初めて見た。
例の横や後ろに回りこむ柿本さん得意の戦法なら、やっぱり今のフクさ
んでも簡単に倒せたかもしれない。でも以前と同じ様にフクさんに対し
ていた柿本さんはいささかその気迫に押されていると言った感じだった。
 突然フクさんが身体をまっすぐにすると微笑みながら両手のひらを手
前に振り、「おいでおいで」をして言った。
「柿さんローキック、ローキック」
なんとフクさんは柿本さんにローキックを打って来いと挑発しているの
だ。柿本さんはあっけにとられてきょとんとしていたが、同じ様に微笑
み返すと身体を構え直して間合いをとった。
 ぶんと風が切り裂かれる音がした。僕の目はその一瞬をスローモーシ
ョンでとらえた。柿本さんの蹴りが飛ぶ一瞬、フクさんは腰を低く落と
してバネをためた。そしてその鋭い蹴りがフクさんの脚に命中する寸前
にフクさんの腰のバネが弾け飛んだ。左から来たローキックをかすめて
フクさんの身体が右前に飛んだのだ。そう、明らかに、間違いなく「飛
んだ」のだった。フクさんの身体が柿本さんののけぞった身体に当たる
直前にフクさんは柿本さんの左肩をしっかり掴み、左手を伸ばして丁度
柔道で言う奥襟をとった。と同時にその短い脚がびんと持ち上がって、
上半身を押さえつけられた柿本さんのみぞおち中央にその膝を思い切り
突き入れた。そのまま二人は転がるようにもつれあって倒れる。
 僕の目が平常のスピードでその機能を開始したときも、まだ柿本さん
は床で丸くなっていた。柿本さんは寝転んだまま上を向くと、もう起き
上がっているフクさんに笑いかけた。こんなに嬉しそうに笑う柿本さん
も僕は初めて見た。僕等は茫然として何も言えないまま座り込んでいた。
フクさんがにっこり笑って照れながらタンカを切った。
「父となる者の意地よ……」
屋根から雪がばさっと落ちる音がした。

 ママさんのウエディングドレス姿は道場生の誰もが一緒に二人で写真
を撮りたがった。式場で僕は大忙しだ。脚の長いスタイルのいい人は何
を着ても奇麗である。ママさんはちょっと年増だったけど目鼻立ちの作
りが大きいので念入りに化粧すると女優みたいだ。今日はあのハスキー
な声で列席者ひとりひとりに丁寧な挨拶をしていた。お腹の大きさはま
だ目立たない。犬塚師範が仲人の挨拶をしている。ボケ松はマイペース
で料理に舌鼓を打っていた。柿本さんが黒い礼服を着るとどこから見て
も暴力団だ。さっきから友人代表の挨拶のおさらいを口の中でごにょご
にょやっている。もちろん僕の今迄のカメラ歴で一番の被写体はフクさ
んのくしゃくしゃの笑顔だった。


             再びの春

 「夜桜見に行くかい」
フクさんは真新しい黒い帯をほどきながら言った。同じくらい真新しい
緑色の帯で稽古着を縛りながら僕とボケ松は「押忍」と答える。先日の
春の昇段審査は大騒ぎで愉快だった。何しろあの「フクさん飛び膝蹴り
スペシャル」が会場の度肝を抜いたのだ、あらかじめ知っている僕等は、
その瞬間をちょっとした優越感を以って見ていられた。僕はと言えば、
やっぱり大学は留年してしまったけれども、登校拒否気味だった一年前
より、ずっと楽に大学に通えるようになっていた。今年は空手のサーク
ルを作る予定だ。準備をするフクさんを待っている間、僕は後ろ飛びま
わし蹴りでサンドバックをひしゃげさせた。

 ふと道場の入り口の方へ顔を向けた僕は、そこに立っているずんぐり
太った色の白い男と目が合った。図体は大きいが猫背気味で、前髪を子
供のように刈り揃えている。僕がその男の様子をじろじろ見ていると、
そいつは目を伏せがちに首を前へ突き出してひょこひょこ立ち去ろうと
した。僕は立ち上がると入り口まで走って行った。
「見ない顔だね。入門?」
僕がこぼれんばかりの笑顔を向けて大きい声でそう言うと、そいつは飛
び上がるようにして振り返った。
「い、いえ……見学してました……」
「ちょっと……ちょっとそこで待ってて」
僕はそう言うと引出しからごそごそ紙とボールペンを取り出し、引き返
して表でシャツをズボンからはみ出させたまま直立不動で突っ立ってい
る男の肩を抱いた。
「名前はここね。学生さんかな。住所はアパートの号室まで。入門の理
由の欄は適当でいいよ……そうかあ、強くなるよ。それだけいい身体だ
もん。うん大きいね。何キロあるの……」などと一気にまくしたてた。
「い、いえ……あの……その……」
「一〇〇くらいか。待てよ、LLサイズの稽古着あったかなあ。あ、七
千円ね。月末でいいよ……」とそこまで喋ったら、ビニールに包まれた
おニューの稽古着を両手に抱えたボケ松がすでに僕等の目の前にいた。
僕が道場からかしゃんかしゃんと出てきたフクさんに笑いかけるとフク
さんはこの世の物とは思えない無気味なウインクを投げ返した。


                           《了》
くり えいた




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