AWC フクさんのいた年(三)      くり えいた


        
#2394/3137 空中分解2
★タイトル (DRB     )  92/11/23   3:10  (196)
フクさんのいた年(三)      くり えいた
★内容
 隣のテーブルの腕まくりをしたごつい浴衣姿の男達のひとりが、こち
らに身を乗り出してきて聞いた。
「柿さん、今宵の獲物は何匹かのう」
盆踊り帰りの地元青年団といったところか。
「クジラ一匹」
柿本さんはにこりともせずに答えた。
「しかし柿さんとやるたあ、そいつは若いチンピラじゃ。もひとつ上の
世代のチンピラなら柿さんとはすれ違わんように道歩くがね」
明るい笑い声がスナックに響いて、しばらくは「狂犬柿本」の昔話でも
ちきりだった。
 柿本さんは空手を始める前から喧嘩ばかりしてきた人だったのだ。僕
はこれから何年空手をやっても永遠にあんな場面には対処できないと落
胆した。なにしろ人に殴られたのが生まれて初めてだったのだから。暴
力の武勇伝など吐き気を催すほど嫌いだったはずの僕だったが、何故か
今夜は不思議に興奮して皆の身振り手振りの講談「狂犬柿本暴走族十七
人切り」に震えるほどに酔いしれた。フクさんが地元の言葉で酔うまま
に話すその語り口がとっても臨場感があってワクワクするほど面白かっ
た。話を聞いているだけで自分が強くなった気がした。いつの間にかマ
マさんまでもフクさんの横で涙を流しながら例のハスキーな声で笑い転
げていた。ボケ松はにこにこしながら未成年のくせにマイペースで水割
りをちびちびやっている。当の柿本さんはジュースを飲みながら、まる
で他人事のように茶々を入れていた。このヒーローはお酒が全然飲めな
いのだ。柿本さんとその奥さんとの馴れ初めは、ある奇麗な女性が暴力
団風の男達にからまれていた、というのを聞いただけですぐ僕がその後
を続けて面白おかしく喋れそうだった。店のオレンジ色のライトがみん
なの顔を照らして、時間がいつまでも止まっているように思えた。

 「そう……それで俺等は何の話をしてたんじゃろ」
話も出尽くして会話の途切れた頃、フクさんがもう呂律の半分回らなく
なった口で、突然言い出した。
「あ、そうだった。お前等のおかげで重要会議がめちゃめちゃじゃあ」
柿本さんがむっくり起きだして僕の方を見て笑った。
「デカちゃんは写真撮れる?」
「は?」
「写真は撮れるかっちゅうことよ」
「僕、中学と高校で……写真部でしたけど……」
「なにーっ、ねえフクさん聞きました?」
柿本さんがあんまり大きい声を出すので、僕は思わず顔面を両腕でガー
ドした。柿本さんは普段はぞんざいな喋り方だけど、フクさんと話すと
きだけは敬語を使う。フクさんはもうママさんに寄り掛かってほとんど
眠っていた。
「お前ね、写真係。じゃあカメラは持ってるな。撮りまくれ」
「あの……何を……何を撮りまくるんです?」
「決まってるよ。フクさんの結婚式」
「え、フクさんてまだ独身だったんですか」
「おうよ。悪いか」
「いっ、いえ……悪く……ありませんっ」
かちかちになっている私にママさんがうつむき加減に優しい声で言った。
「お願いね。奇麗に撮って……今晩のお勘定はなしでいいから」
 フクさんはもう安らかにママさんの膝で寝息を立てていた。


               秋

 ボケ松の足は臭い。こうやって鼻先に突きつけられると逃げ出したく
なる。何でこんな因果な事をやっているのかというと年に二回ある昇段
・昇級試験のためである。いや別に「足の匂い我慢選手権」が試験とし
てあるわけではない。僕等のように昇級試験を受ける連中には基本的に
三つの関門がある。一つ目が基礎体力の試験。二つ目が技の基本と型の
試験。三つ目が組み手である。その一つ目の基礎体力の試験に「逆立ち
して試験会場を端から端まで歩くこと」と言うのがあるのだ。僕は写真
部の他に必修のクラブで体操部にいたから逆立ちは得意である。問題は
ボケ松だ。それでこの特訓である。僕がボケ松の足を上で支えてやって
えっちらおっちら歩かせる。
 それさえクリア出来れば基本は僕等二人ともある程度自信があった。
僕なんか運動神経はあまりよくない方だと思っていたが、こういうマイ
ペースでこつこつトレーニングをやって強くなる武道はむしろ向いてい
るんではないかと最近思い出した。ボケ松も根性を入れて稽古をする。
それに何よりもあの一件の後、稽古時間の後で柿本さんやフクさんが個
人的にコーチしてくれているのである。柿本さん直伝のまわし蹴りから、
喧嘩の時の逃げ方まで教わった。正直言えば僕等は水色帯を通り越して
黄色帯をそろそろもらってもいいのではないかとさえ思っていた。ただ
やっぱり三つ目の試験「組み手」は正式には初めてだ。もちろん組み手
とは言っても白帯は先輩に技を受けてもらうだけの形式的なものらしい
のだけれど。
 フクさんは気合に殺気がこもっていた。サンドバックがひしゃげるく
らいのパンチをコンビネーションで叩きこんでいる。汗が湯気になって、
最近夜は冷えこむこの道場もそのまわりだけ生暑い。何しろ茶色帯から
黒帯になるのは当道場ではひとつの節目である。黒帯から「初段」とい
って「段」が付く。もっと簡単に黒帯のもらえる道場もあるらしいが、
うちは厳しかった。それだけに黒帯というのは天と地を分けるほどの憧
れの的だった。道場生が五十人入門すれば、ほとんどの者が止めていっ
て黒帯になるのはその中の一人だけだ。フクさんは今回で二回目の挑戦
である。やっぱりフクさんの場合、組み手がネックになるらしい。
 師範の犬塚先生はその体格通りの万事大らかな人だったけれど、こと
空手に関しては厳格だった。ハンディのことなど審査の考慮に入れたり
はしない人だった。小学校の養護学級の教員をしながら空手を教えてい
る。もちろん昔の教え子のボケ松だって贔屓はしてくれないだろう。柿
本さんは二段に挑戦だ。これもまた茶帯から黒帯に変わるとき以上の難
関らしい。山崎さん他道場生みんなが最近はどこか稽古にかける意気込
みが違った。皆がめいめいのカレンダーの十月十日に赤い丸を書き込ん
でいたのだ。

 あまりにも脳天気な秋晴れだ。その日の会場は初めて「ちんぽこ岩」
に出稽古したときに横を通りかかったあの高校の武道館だ。運動場では
昇段・昇級試験とは別に地元の運動会があるらしく、万国旗が風に揺れ
ていた。僕とボケ松は随分と早くからやってきて高い鉄棒に腰掛けなが
ら、白いラインを引く白髪頭のおじさんや三角の牛乳パックを山ほど担
いだ青年団なんかを目で追っていた。おばさんたちに混じってトレパン
姿の女の子達も大きな机の上で甲斐甲斐しくおにぎりを作っていた。ぱ
ん・ぱんと開催を告げる花火の音がすごい。打ち上がる煙の線を目で追
うと、朝の太陽がまぶしい。遠くまで広がった稲穂が金色に反射して波
打っているのがわかった。そのまま後ろにくるっと回って降りる時に逆
さまになった海が見えた。
 随分大勢が武道館に集まった。この県の他の支部の道場生も来るので、
始めて見る顔も多かった。子供等の他に元気なお年寄りや女の子もいた。
うちの道場の犬塚先生が県の総元締めをやっているのだった。殊に今日
は厳しそうな顔に見えた。ボクとボケ松は何度も一緒にトイレに行った。
先に用を足していたフクさんは横から覗きこんで「縮んどるな」と冷や
かす。少年部と壮年部の審査をやった後、いよいよ僕等の出番だ。フク
さんや柿本さんたちは午後の審査だった。
 逆立ち歩きだ。ボケ松は僕の発案の「倒れる前にゴール」作戦を実践
した。会場の武道館はそれほどの広さではなかったので、逆立ちの姿勢
に入ったら思い切り手を速く動かして倒れる前にゴールしてしまうのだ。
ボケ松は前の方にのめりながらものすごいスピードで向こう側の壁まで
突進し、羽目板にものすごい音を立てて激突していた。でも成功は成功
だ。スピードだけならフクさん級だった。稽古着の女の子が二人クスク
ス笑っていた。他の基礎体力試験は僕等には楽勝だった。女の子達は腕
立て伏せで苦労していた。基本稽古や型の審査は帯の色ごとに集団でや
る。緊張でちょっと動きが硬かったかも知れないが、僕等の動きはちら
りと目をやった他の道場の白帯の動きとは桁違いに良かった。終わった
後に座って水色帯の動きを見ていたが、僕等よりまずい動きが多かった。
 何だかとっても楽しかった。大学では実験やレポートに追われ、語学
の単位で汲々としていたけれど、友人達の気ままで派手な遊びに付いて
いけなかったけれど、インカレだ国体だと騒いでいる級友の話には加わ
れなかったけれど……こういう僕自身の世俗的な将来には何の意味もな
い試験が、僕には何だかとっても楽しかった。
 いよいよ組み手だ。茶帯や黒帯の先輩達が前に集まった。フクさんや
柿本さんを含めて五名だ。僕等の技を受けてくれる。黄色帯以下の僕等
は二十人くらいいたので、一人につき四人くらいの相手をしてくれるこ
とになる。まず他所の道場の茶帯の先輩が出た。
 僕は黄色帯の先輩が(といっても僕より年下だろうが)合図と同時に
突っ込んでいくのを見ながら、自分の場合を想定して戦法を考えた。も
ちろん僕等が勝てるわけはないのだが、お得意の高いまわし蹴りが効果
的に見える技の配分とバリエーションの組み立てをである。考えながら
計算高い自分にあきれた。むしろ柿本さんに当たるといいなと思った。
柿本さんは本気でぱーんと転がすのでちょっと痛いだろうけど。
 柿本さんが出た。水色帯ががむしゃらに突っ込んでいく。緊張で子供
の喧嘩のように腕を振り回す。柿本さんは苦笑いしながらブロックもせ
ずに胸で受け止めていた。顔に飛んできたパンチだけめんどうくさそう
に手で払った。さらに前へ突っ込む水色帯を柿本さんはひょいと横によ
けて、首根っこをつかんで畳に叩きつけた。水色帯は顔から畳に突っ込
んでつぶされたカエルのようになった。本当に手加減という事を知らな
い人である。畳が敷いてあって良かった。ふと数えてみると柿本さんは
ボケ松の所で終わる計算だった。その次の僕は誰に当たるのだ。ボケ松
が真っ赤な顔をして立ち上がった。
 気合もろとも前へ突進するのはボケ松も同じだったが、その勢いと技
の種類が違っていた。ローキック、中段前蹴り、正拳、まわし打ちの間
断をつかせぬ連続壁塗り攻撃である。普段はぼけーっとしているが、一
旦攻撃しだすと体重もあってバッファローの様である。柿本さんがきち
っとブロックしていたことでもボケ松のすごさがわかる。やっぱりカエ
ルのようにされたのはボケ松も同じであったが、ボケ松の場合牛ガエル
だった。そして僕の出番だ。
 中央に出て帯を整える。二三回トントンと跳ねる。これは昨日から考
えていた仕草だ。犬塚師範が言った。
「じゃあ、福崎。頼む」
「押忍」とフクさんが膝をすって出る。

 こうやって向かい合うと、フクさんの頭は僕のみぞおちの当たりだ。
これで例の僕の高いまわし蹴りは使えない。「始め」の合図で、僕はフ
クさんの頭を狙う中段のまわし蹴りを繰り出した。フクさんがしっかり
としたブロックで受け止める。見物人が「おお」とどよめく。パンチを
当てようとするが、フクさんの腹に入れようと思うと、ちょっと前屈み
になって、アッパーを繰り出すような形になる。連続して思い切り何発
も打ち込んだが、フクさんは事もなげに受けてくれた。随分予定してい
た技の流れが狂ってしまった。思い付く限りの技を繰り出したつもりだ
ったが、技の流れでローキックを出しそうになって、思わず「あっ」と
足を止めてフクさんと向き合った。フクさんがちょっと困ったような悲
しいような何とも言えない顔をしたそのとき、前で座っていた柿本さん
の恐ろしく低い声が僕の耳に入った。
「水島、変なこと考えんなよ」
僕を本名で呼んだその声は、まわし蹴りを顔に打たれるより痛かった。
顔が真っ赤になっって頭の中が真っ白になった。僕は思い切り腰の入っ
た中段のまわし蹴りを三発連続でフクさんの腕のブロックに叩きこんだ。
フクさんの顔がぴーんと張り詰めた。まわりが一瞬見えなくなってフク
さんの目だけが視界に飛び込んだ。僕は左のローキックを力任せにフク
さんの左腿に叩き付けた。脚にまともに入ったけれど、フクさんは倒れ
なかった。しかしその反動で前のめりになり、「あっ」と言って手をつ
きそうになる瞬間、僕の右のまわし蹴りが飛んでいた。そしてそれはス
キの出来たフクさんの顔面にその大きな顎がずれるくらいヒットした。
それでもフクさんは倒れなかった。僕の稽古着の襟を左手で命綱に捉ま
るように握っていた。顔を起す。至近距離で目が合った。フクさんの口
からは水平に血が流れた。時間が一瞬凍り付いた。
 その時見たフクさんの顔。僕は心底恐怖した。腹の力が抜けた。その
腹にフクさんの拳が下から捻りこむようにどすっと僕の背骨までめりこ
んだ。そのままフクさんがおおいかぶさってもつれるように二人は倒れ
た。倒れながら僕はまた、あのおばあちゃんの家にあった般若のお面を
思い出していた。息が出来ない。
 どれくらい丸くなっていたろう。やっと息が出来るようになってあた
りを見渡した。中央に皆が集まっている。覗き込むと、真ん中にフクさ
んが仰向けに寝ていた。柿本さんや師範の呼び掛けにはきはき答えてい
たけれど、その口の左側が大きくぱっくり裂けて血が流れていた。僕は
吐き気がしてめまいがしそうになった。


                      (四)に続く




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