#2290/3137 空中分解2
★タイトル (RAD ) 92/10/21 15:28 (185)
野生児ヒューイ 第一部(5) 悠歩
★内容
野生児ヒューイ 第一部(5)
悠歩
唖然として立ち尽すティナに女は優しく微笑んだ。
ティナのなかで今まで堪えていたものが一気に弾けた。ティナは女に飛び付くよう
に抱き着いて泣き出した。
女はそんなティナの頭を撫でながら優しく言った。
「かわいそうに、よほど辛かったのね。それに、こんなに濡れて…あの子の仕業ね」
一頻り泣き続け、ようやくティナが落ち着くと女は時折咳き込みながらも、その濡
れた衣服を脱がし、毛皮の毛布を羽織らせ、火を起こしてくれた。
本当はヒューイ達の着ているような服を着るように進められたのだが、ティナはそ
れを頑なに拒んだ。それを着ることで彼ら野蛮人の仲間になってしまうような気がし
たのだ。
ティナにとってはこの部族のマリアを除くすべての人間は野蛮人であった。
マリア…それがこの女の名前だった。
長い黒髪を束ね、それを肩から前のほうに垂らしている。黒い瞳と白い肌を持つ優
しい女性だ。
歳は三十を越えた位だという。位というのはマリア本人も自分の年齢が幾つなのか
はっきり分からないだ。
マリアもやはりティナと同じようにタイムカプセルのなかで眠り、この世界に来た
のだという。
しかし、それは二十年近く前のことだという。ここでの生活に暦はない。必要がな
いのだ。その為、始めのうちは自分がここに来て何日が過ぎたか記憶していたが今で
はすっかり分からなくなってしまったという。
そして、マリアと一緒にこの世界にきた幼なじみのジョンとの間に生まれた子供が
ヒューイだった。今ではそのジョンも、もうこの世にはいない。
マリアの話を聞いてティナは初めて少年の名前を知った。
「フフッ、不思議なものね」
ティナの横に腰を降ろしたマリアが”くすっ”と笑いながら言った。
「え? 何がですか、マリアさん」
「だって…本当は私とティナちゃんは同い歳なのよ」
「?」
ティナはマリアの言っていることの意味が分からず、しばらく考え込んだ。
「あっ、じゃあ…」
ようやくティナは理解した。
「そう、私ももといた世界ではあなたと同じ十三歳だったのよ
でも私の方がティナちゃんより、二十年くらい先に目覚めたからこんなに歳の差が
ついちゃったけど…」
「もし、カプセルに入る前に会っていたら、私たちいいお友達になってたかも知れま
せんね」
「そうかも知れないわね。いえ、きっとなっていたわ」
赤々と燃える炎にマリアの優しい微笑みが照らし出された。
ティナはマリアの中に、今は亡き母の面影を見たような気がした。
体の暖まってきたことと、マリアの温もりを感じてすっかり安心し切ったティナは
今日一日の疲れもあって、いつの間にか眠ってしまった。
ティナが目覚めたのはマリアの激しい咳のためだった。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」
マリアは倒れ込むようにして苦しそうに咳き込んでいる。
「マリアさん、マリアさん、だいじょうぶですか!? しっかりして、マリアさん」
ティナは懸命にマリアの背中をさすった。
「ゴホッ、だ…だじょうぶ…よ、ゴホッ、ごめん…なさい…起こして…しまって」
マリアはしばらくの間そのまま咳き込んでいたが、ティナの介抱の甲斐もあって次
第に落ち着いてきた。
「きっと、今日ティナちゃんがカプセルから目覚めて私の所に来たのは、神様の巡り
会わせね…ゴホッ」
「マリア…さん?」
「私、胸を病んでいるの…多分、もう長くはないわ…」
そのとき、あの少年、ヒューイが勢い良く帰ってきた。
『ただいま母さん、長老から薬もらってきたよ』
その声を聞いた途端、優しいマリアの顔が一変して厳しいものに変わった。すっと
立ち上がったマリアはヒューイの頬に痛烈な平手打ちを与えた。
ヒューイはそのまま横に飛ばされ、洞窟の壁に受け身を取ることもできずに激突し
た。
ティナは自分の目を疑った。
あの怪物や大男と互角以上に戦っていた少年が、マリアのようなか弱い女性の一撃
を避ける事なく受けてしまったことも驚きだったが、まさしく「聖母」の様に優しい
マリアがそこまでしたことが、それを目の当りにしてもなお信じがたかった。
「ヒューイ! あなた、お父さんに言われたことを忘れたの? どんなことがあって
も女の子を泣かせたり、怖がらせるようなことをしてはいけない、そう言われたのを
忘れたの?」
マリアは激しく叱咤した。それをヒューイはまるで借りてきた猫のようにおとなし
くしゅんと聞いていた。口許に血の跡が見える。口の中を切ったようだ。
『ごめん…母さん』
もちろんその言葉はティナに理解することは出来なかったがそのの態度でマリアに
対して誤っていることはすぐに分かった。
なおもマリアはヒューイを叱った。
「ヒューイ、私ではなくあの子に誤りなさい! それから、ちゃんとあの子に分かる
ように」
ヒューイはマリアに促され、と言うよりは半ば強制されティナの前に歩みでて頭を
下げた。
「ご…めん、すまなかっ…た。ティ…ナ…だった…け?」
途切れ途切れではあったが、それは紛れもなくティナの耳に聞き慣れた英語であっ
た。
「あなた…私の言葉…初めから分かっていたのね」
ティナは小刻みに体を震わせながら言った。
「分かって…いた。…この言葉…母さんに…習った。でも…話し…にくい…」
ヒューイが話し終わるか終わらないかのうちに、ティナの右手が飛んで先程のマリ
アに打たれた頬を再び痛打した。
ティナの目からは多粒の涙がぼろぼろとこぼれだした。我ながら良く涙が枯れない
ものだ、泣きながら冷静なもう一人のティナは思った。今日、一体何度涙を流しただ
ろう。ひょっとしたら、私の体の中は一杯に涙が溜まっているのかも知れない。
そんなことを考える一方で、もう一人のティナは高まりくる感情を押さえられずに
いた。
「怖かったんだから、本当に怖かったんだから、ばか! ばか!」
ティナは小さな拳を握ってヒューイの胸を幾度となく叩いた。
「ばか! ばか! ばか! ばか! ばか! ばか! ばか! ばか! ばか! ば
か! ばかぁ…」
そのままティナはその場に座り込み、幼な子のように声を上げて泣き出してしまっ
た。
夜。静かな夜。
空には無数の星が瞬き、満月の煌々とした月明かりが密林の木々を浮かび上がらせ
る。
しかし、そんな僅かな自然の明かりも繁った枝に阻まれ密林の木々の下の地面にま
では届かない。
「ウオーーーン」
何処かで獣の遠吠えがした。
「ギャア、ギャア、ギャア」
驚いて眠りから覚まされた鳥達が騒ぎ出す。
「ギイッ、ギイッ、ギイッ、ギイッ、ギイッ、」
「グルルルルルルッ」
「グオーーーン」
今度はその鳥達に驚いた獣達が様々な声を上げ騒ぎ始める。
その喧噪はたちまちのうちに密林の端から端まで行き渡る。
やがてその喧噪が落ち着いてきたところで、再び鳴き出すものが現れる。
また喧噪。
そんなことを繰り返し、密林の夜は更けて行く。
その夜、ティナはマリアの横で眠っていたがなかなか寝付くことができなかった。
慣れない獣達の喧噪に脅かされたせいもあった。今日一日のことがぐるぐると頭の
中を巡って行った事もあった。
しかしそんなことよりもティナの気持ちを高ぶらせ寝付けなくしていたのは、先程
のヒューイとの一件だった。
散々泣いた後、ようやく落ち着きを取り戻したティナは自分が下着一枚であること
に気が付いたのだ。そのことに関してはヒューイのほうは全く気にしていなかったが、
ティナのほうはそうは行かない。十三歳と言えば立派なレディである。
少なくともティナはそう思っていた。
そのレディがこともあろうに、男性の前で下着姿のまま、あれ程取り乱してしまっ
たのである。
片言ではあるが自分と同じ英語を使えると知って、ティナのなかでヒューイは”野
蛮人”から”男の子”に昇格していた。
そのことに気付いたティナはうなじまで真っ赤になってしまった。
それを察したマリアがすぐにヒューイを洞窟の外に有無を言わさず追い出して、よ
うやく乾いた服をティナに着せてくれたのだ。
ふと、洞窟の入口のほうを見るとヒューイが既に深い眠りについていた。
いつもならばもっと洞窟の奥の母親に近い場所で眠っているのだろうが、今夜はそ
の場所をティナに取られている。もっともそれでもヒューイはティナ達の近くに自分
の寝床を作ろうとしたがマリアに咎められ、その意味も理解できないまま、渋々と入
口のところに横になった。彼にとって男女が同じ場所で眠ることに特別な意味はない。
その姿を見たティナは無性におかしくなった。
密林で出会ったときにはティナの知っているどんな大人の男達よりも、遥かに強く
感じた少年が母親の前では本来の子供の姿に返り、逆らうことができない。
「やっぱり、どんなに強くても所詮は子供なんだわ」
マリアの話ではヒューイも多分、ティナと同い年位だろうと言うことだったが、ティ
ナは勝手に少年を自分より年下だと決め込んでいた。
そんなことを考えて、ティナは獣の毛皮のベットの中で「フフッ」と、小さく笑っ
た。
しかし、そんな楽しい気分も長くは続かなかった。
「パパは…生きているのかしら…」
自分はこうして生きている。そしてマリアや、ヒューイの父であるジョンもティナ
と同じようにカプセルに入りこの世界に来た。
「それなら…きっとパパも…」
それが天文学的な可能性であることは分かっていた。万一、生きていたとしてもティ
ナよりも何十年、何百年も前に目覚めてしまっているかも知れない。だとしたら…
だが、まだ眠っていると言うことだって有りうる。
とにかくティナは父が自分と同じように生きていると信じたかった。
「ゴホッ、ゴホッ」
マリアが咳をした。ティナはマリアが目を覚ましたのかと思い、しばらくその顔を
見つめた。だが、マリアはぐすっりと眠っているようだった。
「明日、マリアさんにお願いしてここから出してもらおう。そして…パパを捜しに行
こう」
もはや今、自分がどの辺りにいるのか分からない。父の行った研究所がどちらの方
向にあるのかも分からない。
それでも…
「そんなに…お父さんに会いたい?」
「! マリアさん…」
気が付くと目の前にはティナを見つめる優しい顔があった。
「起きていたんですか、マリアさん」
「ん。そんなにお父さんに会いに行きたい? ティナちゃん」
「はい…」
「会えないかも知れないわよ? いいえ、はっきりと言えば、お父様が生きている可
能性はほとんど無いのよ」
マリアは幼な子を諭すように言った。
「分かっています…でも、それでも行きたいんです! 行ってみたいんです!」
「そう……………」
マリアはしばらく考えた後、ゆっくりと何かを言おうとした。しかしそのとき激し
い咳に襲われ、それを言葉にすることが出来なかった。
「マリアさん、だいじょうぶですか! マリアさん、しっかりして下さい。マリアさ
ん?」
『私、胸を病んでいるの』
マリアの言葉が思い出されティナの中を不吉な予感が通り過ぎて行った。
つづく