#2094/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 8/24 3:42 (138)
ハイ−アングル(結) 青木無常
★内容
13
死因は心臓麻痺と断定された。
発見された前後の状況の不明さが幾度か美貴と比矢根を警察に運ばせたが、それ
もさほどもつれることなく立ち消えになった。大神家のだれかが裏で手をまわした
のかもしれない。無論、関係者の口から浄土、芦屋といった名前が出ることは一度
としてなかった。
葬儀はいささか派手はでしいほど盛大に挙行され、無数の人が参列した。浜田ツ
ネの姿もあった。
そして、驚いたことに――奈良場教授の姿も。
傲岸な常の顔をおしこめるようにしてしめやかな顔をとりつくろった教授の姿を
参列者の中に見つけた時、美貴はむしろなかば予期していたかのごとく、意外に平
静な己の心にこそ驚きを覚えた。美貴を見つけてひととき、目をそらした教授の挙
動のほうこそ、よほど狼狽しているくらいだった。
「あれも警告のひとつだよ」
悔やみの文句もそこそこにずばりと正面から切りこんできた教授に、美貴はやは
り驚きよりもおかしさを感じていた。
「尸虫の呪法を眼前に見せつけることで、あんたたちがどう反応するかを見たと、
まあそういうことなんだろうな」
「そうだったんですか」もはやどうでもいいと思っていた解答に形式的にうなず
いてみせ、美貴も教授を見ならって核心にいきなり触れた。「芦屋にご協力なさる
ことで話をつけられたんですね」
バツが悪そうに教授は目を伏せ、
「話をつけたとか、そんなご大層なもんじゃない。二者択一というやつだ。恨ん
でくれてかまわんよ」
「いいえ」美貴は心から言って、微笑んでみせた。「奥様と久美ちゃんを大切に」
「ああ、わかっとるよ」
照れたような笑いが、仏頂面を瞬時おし分けた。
美貴も微笑み、
「かわいらしいお嬢さんですね。きっときれいになるわ」
今度こそ教授の顔は笑み崩れた。
長くけだるい一日が終わり後かたづけに精を出しているところへ、もうひとりの、
これも意外な人物に声をかけられた。
「君もたいへんだったね」
紅四郎が労をねぎらうのは当然といえば当然だったかもしれない。そつなく適当
に受けこたえていたのだが、次の台詞をいわれた時は思わず顔をあげた。
「よかったら、私のところにこないか?」
優秀な個人秘書を以前からさがしていたところだという。「男なら何人も紹介さ
れたんだが、身のまわりを爺さんばかりにとり囲まれては潤いがなくてね」真顔で
しれっとそう言った。
美貴は微笑む青年をまじまじと見つめた。
学校に一人や二人はいそうな、外向型の秀才といった容貌には、非のうちどころ
も見当たらないかわりに強烈な個性も存在しない。事実、その外貌にふさわしい程
度の行状しか残していない男だった。
女好きという噂はきいていたので、その線のアプローチかとも思えた。事実、紅
四郎自身もそれを装っているように思えた。
装っている――そうだ。
葉山からの帰路ですれちがったプレリュードの助手席にすわる、ヴェールに顔を
隠した女の姿が目の前に浮かんだ。和晃の言葉がよみがえる。
ロンドンへ、何をしにいったのか?
わきあがる疑問を抑え切れず、美貴は質すことにした。
「パット・マクベインさんはお元気ですか?」
と。うまいやり方だとは思わない。ほかに方法を思いつかなかっただけだ。
案の定、紅四郎はなんのことだとでもいいたげに曖昧な微笑をうかべて首をかし
げただけだった。
なおも熱心な勧誘の文句をならべたてたあげく、考えておいてくれよという言葉
を置き土産に紅四郎はその場に背を向けた。
かたづけものを手伝う形で脇からさりげなく様子をうかがっていた比矢根が、
「どうかしましたか」とそっと訊いた。美貴は疑惑を口にしかけるのをかろうじて
押し戻し、「私たちの針路が決まったわ」とだけ告げた。
14
浜田ツネとつれだって新宿を訪れたのは事態もおちつきはじめた秋口のころだっ
た。
半日以上をかけて西口一帯を歩きまわったが、あの日、浄土武彦についての不思
議な物語を語ってくれた老自由人の姿はついに見つからなかった。「ああ、あの爺
さん……そういやあ、最近見ないねえ……」駅前通りをしばらく言ったところで見
つけた、比較的若い浮浪者からやっと得た情報もそれだけだった。
「お酒でも飲んでいきましょうよ」と老婆が秘密の遊びをうながす少女のような
口ぶりで告げたのに美貴も不思議なときめきを覚え、荒らくれた小汚い露店の一角
で酒杯をしばし傾ける。
ほろ酔いで深夜の中央公園をゆっくりとそぞろ歩いた。都市の夜景が奇妙に遠く、
まるで幻のように樹々をすかして浮かびあがっていた。
夢なのだろう、とふいに言葉が浮かんだ。人が見る夢の光景なのだろう、と。言
葉に意味を付与できぬまま、その感触と気分をおぼろげに楽しんだ。
ベンチのはずれに二人の自由人が所在なげに腰かけているのを見つけたときも、
そんな都市のひとつの光景として認識していただけだった。こんなお爺さんを知り
ませんか、ときいてみたが答えを期待していたわけでもない。
「ああ。アサじいかい。死んだよ」
返答は簡潔で投げやりだった。
二人は口をつぐみ、自由人は淡々と経緯を語る。ちょっと前にどっかの社長さん
からなにか尋ねられて答えた。その礼にいくらかの金をもらい、しばらくの間はち
ょっとばかり生活がかわったらしい。といっても、新しいシャツ、そして酒屋から
一升瓶を何本か、そんな程度の贅沢だったらしい。が、満足に歩くこともできぬ浮
浪者の老人が近頃ちょいと金まわりがいいらしいという噂は、意外に広く伝わった。
手を下したのは、池袋あたりから最近流れてきた二、三人だったという。その時
点で爺さんがどれだけの金を残していたかも定かではない。爺さんが身ぐるみはが
れた夜以来、そのグループは新宿から姿を消した。それだけのことだった。
美貴は力なく首を左右にふるばかりだった。
「浄土武彦という人をご存じありませんか?」
とツネ婆さんがたずねると、
「名前だけは知ってるな」
二人組の、やや年配のほうがそう答え、
「会ったことァねえけど、よ」
と、もう一人が後をつづけた。
そうですか、どうもありがとうとツネは告げ、しばらく躊躇した後、頭を小さく
さげて美貴をうながしつつ背中を向けた。
「……世界はもうすぐ滅びるからよ」老婆を追って立ち去りかけた美貴の背中を、
年配のひとりの言葉がかすめ過ぎた。「おれたちだって、もうすぐ死んじまうのさ。
どんな暮らししてようとさ」
それに続く若いほうの男の言葉が、瞬時、美貴の足をとめさせた。
「いんや、まだまださ。……昔の知恵を誤用しなきゃな」
自分に向けられた言葉――のような気がしたのだ。
しばし背中が聴覚器官と化した。
「狂ったやつらが多すぎらあ……」
その言葉がどちらの口から発したのかはわからなかった。そのまま、いぶかしげ
に己を見上げる浜田ツネをかたわらに意識する余裕もなくしばしたたずみ――そして
小さくため息をひとつ、おきざりにして再び歩きはじめる。
「世界はもうすぐ終わりだと思いますか……?」
公園をぬけて雑踏の中に踏みだしてからやっと、美貴は口を開くことができた。
浜田ツネは長いあいだ、その質問に答えようとはせず、ただ黙々と歩をつらねて
いるだけだった。
黙殺されたか、と思い返答をあきらめかけたころ、老婆のころころとした笑いが
やわらかくはじけるのをきいた。
皺にうずもれた顔をおおう笑顔は、どこか寂しげに美貴には感じられた。
「人間てのはね」笑いを優しく余韻にのせて、老婆は静かに口を開く。「愚かで、
それでも……なんと言えばいいんだろうねえ」
口ごもり、ネオンに照らされた煙る夜空をついと見上げた。
東京の夜には星がない、という一節が脳裏に浮かぶ。
そんな近い、そしておぼろにかすんだ夜空を見上げたまま、老婆はしみじみと言
葉をついだ。
「……それでも、素敵だと思うよ。人間て。あたしは好きだねえ……」
言葉をかみしめてみた。実感は浮かばなかった。かわりに、意味のしれない涙が
胸の奥から抑えがたくわきあがった。
雑踏のただ中にたたずんだまま、少女のように美貴は声もなく泣いた。
腰にまわされた皺くちゃの手が、ぽん、ぽんとあやすように背中をたたく。
その感触から哀しみと、そして力が広がっていく……そんな気分に救われたよう
に感じながら、美貴は長いあいだただ、泣きつづけた。
ハイ−アングル――完
*主要参考文献:阿基米得「謎のカタカムナ文明」徳間書店