AWC ハイ−アングル(後編5)       青木無常


        
#2093/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  92/ 8/24   3:39  (189)
ハイ−アングル(後編5)       青木無常
★内容
 「いやだね。老衰のあげくに畳の上で死に臨むってんならともかく」
 池上に浮かぶ長身の《天神》が、仮面の顔を雄弁に左右にふるう。
 「老醜をさらしたあげくの往生でも満足などできはすまい。ここで運命を受けい
れようが、同じことだ」
 「もっとも」
 と、傍らでべつの声があがった。見ると、階段の陰にうずくまるもう一人の《天
神》――闇閂の雷蔵の黒々とした小柄な影。
 「おまえたちが満足しようがしまいが結果は同じだがな」
 返事はせず、二人の怪人に向けて挑むような視線を据えたまま和晃は口中かすか
に「遅い」とつぶやく。
 ぱちり、と空気が弾けて異臭がただよった。
 スパークはショーの演出かなにかのように雷蔵の広げた両掌の上でぱちり、ぱち
りと弾けては消えた。
 ロングコートを揺らめかせて、もうひとりの《天神》がついと池面をすべるよう
に移動する。いつのまに現われたか、手にした巨大釘をぐいと差し上げた。
 タン、と冴えた音が響くと同時に、その《天神》の手がくいと震えた。
 「三島人材センターも質が落ちたな。反応が遅すぎる」
 固有名詞を耳にして初めて、美貴は音の正体に思いあたった。銃声だ。葉山から
帰る夜、和晃にいわれて電話を入れた先の名前だった。ボディガード、それも国際
謀略に対応できるクラスの人材を確保している会社だと教えられた。
 黒服のこわもてが四人、わらわらと茂みの陰から走り出てくるのを目にする。全
員、出現点は同じだ。たしかに和晃のいうとおり質が落ちているのかもしれない。
 「美貴、いくぞ」
 低く言い放つと同時に和晃は美貴の背をおして走りはじめた。
 二人の《天神》は、阻止する気配も見せずうっそりとその姿を視線で追う。二人
をかばう形で黒服のボディガードが前に立ち、銃をかまえて狙いをつけた。
 たん、たん、たん、と三つの銃声が控えめな咆哮を放ち――まったく同時に、二
人の怪人の手前で三つのスパークが閃いた。
 「銃は効かんようだな」
 和晃のコメントに、四人の黒服のあいだにわずかな動揺が走った。和晃はひそか
に舌うちをし、
 「あとは頼む」
 言い残して、美貴の手を引き走りだす。
 ボート乗り場をぬけて住宅街へとつづく階段に足をかけた時、背後から野太いい
くつかの悲鳴が闇を震撼させた。ふりかえらず、歩調をゆるめることもなく走りつ
づけた。出口わきに鎮座する交番にもまったく動きはない。ちらりとのぞいた美貴
は、制服姿が二人、いぎたなくよだれをたらしながら眠りこけているのを目にした。
これも尸虫や浮遊と同じ、浄土の――芦屋の力によるものなのか。
 公園を迂回し、住宅街をぬけてとりあえず別宅へ帰りつく――それが和晃の思惑
だろう。だが、美貴にはこの逃走に意味があるとは思えなかった。
 都心の路上で威風堂々と浮遊しつつパニックひとつ起こさせない――理屈はわか
らないが、そんな芸当のできる化物を相手にいかなる逃亡も意味をなすものではな
いのではないか?
 月光に黒い影が踊るのを見て、和晃ははたと足をとめた。息を切らして目を瞠る
二人の眼前に、影はひらりと舞いおりる。
 「こっちよ」
 慣性にポニーテールをなびかせて、あどけない顔だちの少女がいった。
 ためらう和晃の手を引いて美貴が前に出た。
 と――それを制するように少女が掌をかかげる。
 「美貴さんだけ」
 言葉の意味を理解できず、美貴は呆然と少女に目をむけるばかりだった。
 察しは和晃のほうがよかったらしい。つないだ手をふりほどく。
 「駄目よ!」
 叫び、もと来た方角に踵をかえそうとする和晃に美貴はすがりついた。
 すがりついたまま少女をふりかえり、決然と言った。
 「一人なら、いかないわ」
 宣言を否定したのは、和晃だった。
 ぐいと乱暴にふりほどき、突き飛ばすようにして少女に向けて押し出した。足を
もつれさせて地に伏した美貴に瞬時かけよりかけ、ふりかえった美貌に足をとめ―
―そして、微笑をおくる。
 「おまえは死ぬな」
 言って、くるりと背を向けた。
 悠然たる足取りで歩みはじめる見慣れた背中に、美貴はつまりかけた声を叫びに
かえて押し出した。
 「勝手よ!」
 立ち去りかけた背中がとまり――幾許かの逡巡をおいて、自信にみちた笑顔がふ
りかえった。
 「今にはじまったことじゃない」
 言葉をおきざりに、もぎはなすようにしてかけ出した。
 言葉も、反応も喪って呆然とし――涙とともに破裂した思いを叫びにのせて闇に
放った。
 「和晃! このとうへんぼく!」
 金切り声を耳にして、和晃が微笑んだかどうか。君臨する王だった背中は闇の中
へと消えた。消えると同時に、美貴は立ちあがって闇雲に走り出した。
 「だめよ!」
 声とともに胴にまかれた華奢な腕が美貴に制止をかけた。
 もがいたが、少女の白い細腕のどこからそんな力が出てくるのか、まるで万力に
しめられたようにどうにもならなかった。
 気力が萎え、うずくまった。そして、大声をあげて泣いた。
 震える肩に静かにかけられた手をいやいやをしてもぎ離し、泣きつづけた。


    12


 かつ、とアスファルトを打つ響きに泣きはらした目をあげると、二メートル近い
均整のとれた巨体が目の前にあった。
 記憶が固有名詞をひねり出すまでに、寸時のタイムラグを要した。
 「比矢根さん……」
 呆然とした呼びかけに、太陽の微笑がうなずいてみせる。
 武骨な顔が美貴から浄土ゆかりへとその視線を転じた時、微笑は消え失せていた。
 真一文字に引き結ばれた唇の意味するところはただひとつ。
 「やめて!」
 美貴は叫び、ゆかりをかばうようにして両手を広げながら立ちあがった。
 「この娘はわたしを助けてくれたのよ! もう浄土のことなんかさぐらなくてい
い! さぐらなくていいから、やめて!」
 聞いているのかいないのかわからないような無表情で、比矢根は微動もせずにた
だたたずんでいるだけだ。
 「大丈夫よ美貴さん」
 おちついた声音で告げながら、少女は美貴の傍らをすりぬけるようにして巨漢と
対峙した。
 「だめよ」と狼狽しながらかかる手に、少女はふりかえって微笑みながら「大丈
夫」とうなずいてみせた。
 「あたしなんかに手もなくあしらわれたのが信じられなくて、それを確かめにき
ただけよ。そうでしょ?」
 と武術家に向き直る。
 不敵な微笑が、野太い唇を歪ませた。
 「今はすこし、仕事を離れさせてもらいます」
 静かにそれだけを告げると、比矢根はぐいと身がまえた。
 「離れてて」
 と少女は美貴を軽くおしやり、身を沈めた。
 惚けたようによろよろと後退りながら美貴は、なすすべもなく向かいあう闘士の
姿を傍観した。
 幻のようだ――ふいにそんな言葉が胸奥からわいた。
 弦月のおぼろな光のもと、闘気を抑制するようにして静かに、穏やかにさえみえ
る表情をかわしあいながら対峙する武骨な男と少女とのとりあわせは、まるで現実
から切り取って額におさめられた絵のなかのできごとのようにさえ思える。
 対する一対の彫像は今、神話の中の一場面を構成しているのかもしれない。
 そんな言葉をさぐりあて、同時に浄土ゆかりの境遇にまで思いは飛んだ。
 この少女にとって、こんな神話の場面が日常なのかもしれない……。
 そして闘いは、なんの前触れもなく展開し――そして一瞬後には収束していた。
 比矢根の足が天高くつきあがり、そこにいたはずの少女の姿が深く沈みこんで大
男を見上げる。
 突きあがる掌を、男が後退してよけようとしているのがわかった。まるでスロー
モーションのような動きだった。退がるより突きあげられる速度のほうが、わずか
に速かった。
 少女の掌が男の水月に吸いこまれるとともに、音もなく巨体が後方に向けて弾け
飛んだ。
 苦痛――というよりは驚愕の表情の底に、歓喜が噴き出しているような気が美貴
にはした。
 どおんと重い音をたててコンクリート壁に激突し、おうとうめきつつ比矢根の巨
躯が、前のめりに沈んだ。
 突きあげた姿勢のまま敵のゆくえを見定めて、少女はついと立ち上がる。
 「五分もすれば動けるようになるわ」
 涼しげなものいいに、苦痛に身をもがかせながら比矢根は必死の体で半身を起こ
す。そして、
 「また挑戦させてもらう。何度でも」
 言いながら、無理やり唇の端をつりあげて微笑を浮かべてみせた。
 「あたしたちをさがすの、骨よ」
 あきれたように少女がいうのへ、
 「勝手にさがさせてもらうさ」
 咳こむ端からそう答えた。
 肩をすくめてみせ、少女はふりかえる。美貴の背後の暗闇を指さしてみせ、
 「その塀の陰にこの前の二人がいるわ。この人ほど頼りにはならないと思うけど、
もう大丈夫なころあいね。無事に帰れると思う。……あたしたちのこと、忘れてく
れるなら」
 見つめる淡い色の澄んだ瞳に返す言葉を見出だせず、ただ美貴は力なく首を左右
にふるうだけだった。
 少女は微笑を残してふわりと飛び上がり、いつかと同じように塀と屋根を足がか
りにして消えた。
 そのまま幾許かを放心の体のままやり過ごした。
 やがて力なく立ちあがり、敗北にうずくまる男の肩に手をかけた。
 男は顔をあげた。意外にさばさばとした表情だった。
 「このざまですが、まあこれからも幾らかはお役に立てると思います」
 「もういいのよ」ため息とともに美貴は言った。「やとい主がもう……」
 言葉はつづかなかった。
 涙は流れなかった。感情の爆発した先の思いとはちがい、今は非現実感だけが美
貴の全身を占拠していた。
 「再就職先、よかったら紹介するわ。心あたりがあるの」
 「ではあの二人に」言って比矢根は笑った。「私は、まあ今までもらってきた分
で当分は暮らせますよ。あなたはどうなさるんです?」
 「さあ」
 「ではそれが決まるまででも、お側にいさせてもらいますよ。それくらいの分は
前払いでもらってますから」
 言葉を美貴は呆然と聞き流し、しばらくの間はただたたずむだけだった。が、ふ
いに顔をあげ、
 「じゃあ公園までつきあってもらえますか?」
 比矢根は眉根を寄せた。
 「危ないんじゃないですか」
 「かもね」
 意をはかりかねたような顔つきで比矢根は美貴を見ていたが、意志が固いと見て
とるや背後にひそむ二人にむけて合図を送り、自ら先に立って歩きはじめた。
 橋の向こう、駅方向のステージのあたりに小さな人だかりを見つけて、二人は重
い足どりで歩みよった。
 人だかりの中心に警官の姿が三つあった。
 「どうしたんです?」
 手近の野次馬に比矢根がたずねる。まだ十代とおぼしき金髪のつんつん頭は「な
んだこのおっさん」とでも言いたげなうさん臭げな目を向けながら、「人が死んで
るんだとよ」と不貞腐れたような口調で告げた。
 つとその脇をすりぬけるようにして、美貴が人だかりの中心に歩みよった。
 たたずむ警官の脇、ステージを囲む木組の椅子のひとつに――眠るようにして腰
を降ろした四十前後の男を、美貴は無表情に見降ろした。
 男の手には、憤怒の形相の鬼気迫る、それでいてどこか哀しげなものを秘めた白
い仮面が握られていた。
 一矢むくいたのか。それとも、死出の土産か。
 答えは見出せず、美貴はただ無言で和晃の凍てついた眠りを見つめるだけだった。
 蜩の鳴声がひとつ、闇の底をつつましやかに尾をひいた。
 突如現れた女にいぶかしげな視線を向けていた警官たちも、その頬を涙がつたう
のを見て厳粛な面持ちになりつつ、声をかける機会をうかがいはじめた。




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