#2084/3137 空中分解2
★タイトル (AQA ) 92/ 8/22 6:25 (200)
後戻りはできない ゆうた
★内容
(あの日に戻りたい・・・・・。)
隴は固い処刑台の石の上でひとり涙を流していた。
(苦しかったけれど・・・。)
手と足が柱に括り付けられ、集まった観衆の中へ引きずり出されていく。
空にはすじ雲が浮かんでいる。照りつける真冬の太陽がいやに眩しい。
「おい、あいつだぜ。遂にお縄かあ・・。」
「磔だってよ。ざまあ見ろだな。」
処刑の場にも関わらず観衆の群からはそんなざわめきと嘲笑が漏れていた。
「槍を持て!」
(きたか・・・。)
ふと、今迄のことが隴の脳裏を過ぎった。
長い槍を持った下っ端の兵士が五、六人と、その後ろに控えた死体処理係の賎民の
若者が、新雪を、きゅ、きゅ、と踏み締めながら近付いてきた。
頬に冷たいものが走った。縛られた手足の先までもが震えている。
(覚悟は決めていた筈なのに・・・。)
自分が恐怖にかられていることに気づくと、隴は目をつむって必死に気持ちを落ち着
けようとした。が、視界を遮断した途端に、歯ががたがたと鳴っているのが気になる。
涙もとめどなく流れてきた。その訳はわからなかった。
(あの死体処理係、俺と同い歳くらいか・・・。)
死体処理係の若者は、隴の視線に気づくと、視線を下げて目を逸らせた。まるで、
そんな目で、おれを見ないでくれ、と訴えているようだった。
「泣いてやがるぜ、情けねえ。」
「恥を知れ、ってんだよな!」
それは隴の耳にも入っていた。
(うるせえっ、てめえらじゃねえかっ、俺達を賎民だとか言って散々苦しめてきた
張本人は!)
そう怒鳴りたかった。が、下手な行動は自分の死を早めることになる。隴はそれが嫌
だった。今はこうして、少しでも観衆を上から見下ろしていたかったのだ。
処刑場の長と思われる男が近付いてきて、隴の足元まで来るとそこで歩をとめた。
「気分はどうだ?」
「ふん・・・、最高だ。」
隴は挑発的な笑いを浮かべて男から顔をそむけた。
「私を莫迦にしているのか?」
「莫迦を莫迦にして何が悪い?」
「このっ!」
男の手に握られていた木片は無抵抗な隴の鳩尾を思い切り突き上げていた。
「う・・・ぶ!」
隴の半開きになった唇から、細い胃液の糸が陽光に輝きながら足元の下にある地面に
落ちた。
「賎民は賎民らしく我々良民の奴隷となっていれば良いのだ!」
男は厳しい顔で叫んだあと、急に憫笑を浮かべてくるりと踵をかえした。
男が目くばせをすると、槍を持った兵士が配置についた。
磔は、まず左脇腹から右肩へ貫通をさせ、苦痛を味わわせた後、右脇腹から左肩、
つまり心臓を貫いて息の根をとめる。ただ、それが致死とならなければもう一度今度は
前から左胸を一度だけ貫通させて命を断つものである。
下唇を噛み締め悔しさに震える隴を満足そうな目で見ると、男は大声を張り上げた。
「構えいっ!」
おおっ、というどよめきが観衆の中に走った。いよいよか、と観衆に期待が募る。
隴は瞼をゆっくりと開けて空を見上げた。遠い野原に積もった雪の色がまるで空色
を薄めているかのようだった。
もう涙はでない。
ちゃりん・・、という刃の触れ合う音が隴の耳を優しく撫でた。
・
五年前−。
時は戦乱の世、この国の内部にいくつも点在する「くに」は、それぞれ自らの領土を
広げるのに躍起になっていた。「賎民」とは、それらの国によって滅ぼされた国の民に
つけられた忌まわしい名前だった。すべての生活の上で厳しい統制と、差別、偏見を
受け、財産を没収された彼らの行く先は、侵略者の奴隷となるか、浮浪者となり街の
あちこちに溢れるか、それらに限られていたのである。
「くそ、待てえっ、このくそがきっ!」
「待つかよっ、いいじゃねえか、果物のひとつやふたつ!」
都大路には露店がたちならび、山の幸やら海の幸やら、工芸品を捌く声があちこちに
響いている。大路は行き交う人々が溢れかえり、活気にみちていた。
その人だかりをかきわけかきわけ、数個の林檎をぼろぼろの麻の服の懐に入れて
必死に都の裏路地に向かって走っていくひとりの少年−ことし十二になった隴だった。
そのすぐ後ろから追い掛ける果物屋の主人。
隴が裏路地に入ると、すぐに数人の子供たちが隴を待ち受けていた。
「隴にいちゃん!」
「お前ら!・・・よおし、受け取れ!」
懐から林檎をひとりひとりに投げ渡すと、隴は子供らの尻を蹴るような勢いで、早く
逃げるようにと促した。
子供らが散ってすぐに、隴の後頭部に激痛が走った。
「がふ!」
全身が痙攣して動かなくなり、意識が薄れていく。
「・・・・このがき・・・、どうしてやろうか・・!」
肩で息をしながら隴を憎々しげに見下ろす果物屋の主人が隴の視界に入った瞬間、
ふっ、と隴の意識が遠退いていった。
全身をかけ抜ける激痛に、隴が目をさましたのは、それから半日の後であった。
「痛っ・・・。」
はじめ隴は自分がどこにいるかを判断できなかったが、自分が頬をこすりつけている
固く冷たい石の床、僅かに天窓から差し込む陽光、そして力なく床に伏している隴の
まわりをとりかこむ、木刀などを持った男たちが二人・・・・。
刹那。隴の顎を、正面に立っていた男が思い切り蹴り上げた。手足を縛られていた
隴はなすすべもなく海老のように体をくねらせたあと、反動で石の床にこめかみを強打
した。低く呻きながら隴は必死に体をおこそうとしたが、ほとんど全裸にされている上
黒く灼けた肌には無数の痣が染みとなって広がっている。
「ここは・・・どこだ・・・。」
「きさまのような罪人を拷問にかける部屋だ。」
ひとりが口を開いた。
「・・・ほう。きさま、賎民か。」
もうひとりが、隴の右の手の甲をちらと見て微笑を浮かべた。
はっとして隴が右手を隠そうとすると、その男は縛られたままの隴の右手を強引に
掴んで隴に言った。
「手の甲に三本の黒い線の入れ墨のある人間は、卑しい身分の者・・・そうだな?」
「だったらどうだっていうんだ。」
隴は少し悪びれて訊いた。
「特に理由がなくても殺していいモノなんだよ、この都では。そのほうが都に散乱
する屑どもの掃除にもなるしな。」
「なんだとォ!」
隴は男の足首にかみつこうとしたが、すぐに頬を蹴られ、床に突っ伏した。
すかさず木刀が、鞭が、隴の体を打ちのめす。既に悲鳴もあげられない。辺りが次第に
返り血で赤くそまっていく。飛沫が飛び散り、朱に染まった顔の中で、歯を食いしばっ
ていた口は半開きになり、血眼になった眼球はゆっくりと濡れた瞼に覆われていった。
「まさか死んだのか?」
「いや、まだだ。」
「この程度で弱ったか。久しぶりに体格のいい奴だったが、期待外れだな。」
「いやいや、かなり耐えたほうだ。これからさ。水牢に入れておけ。」
「ああ。」
そんな話し声と、ふたりの男の笑い声が暗い部屋に谺していた。
じゃりっ、と口の中で音がした。拷問の部屋で舐めさせられた砂が口の中に未だ
残っていたようだった。
「気が付いたか。」
声だけが聞こえたが、重い瞼をあけても何も見えない。
(今・・・・度は・・ど・・こだ。)
掠れた声で隴は聞いた。口の端に浮いた血の泡が、泥のように柔らかな床に落ちた。
「こういうところだ!」
声の主と思われる者の足が隴の腹を蹴った。
一瞬の浮遊感のあと、ざぶん、と音がして隴の体は何かの液体の中に浸された。
「ここは先程の部屋の地下にあたる、水牢だ。手足を縛ったまま水槽へ放り込む。
水はきさまの胸あたりまでしかないが、暗闇の中での孤独感からの発狂か、その前に
体力が尽き、立っていることができなくなれば溺死。もし、きさまがそれらに耐えても
2日も立ち続けていれば、ふやけた足の先の皮が腐食し、次第に足全体が腐って崩れ
おちてくる。その苦しみに耐えた者は今迄ひとりとしていない。」
一息おいて声は続いた。
「屑にここまで丁重な処刑方法を用意してやったのだ。感謝してもらおうぞ。」
隴は何もいわなかった。ただ声のする方向に向かって憎悪の炎を燃やしているだけ
だった。どんなに食らいついても無駄だということは判っていたし、賎民の立場を
いくら説明しようと思っても、それをうけつけようとする耳を彼らが持っていないこと
くらい、隴には予想がついていた。
声の主は、あれだけ暴行をうけてもなお悪びれた態度をとっていた隴が、今になって
一転して神妙な態度をとっていることに多少の疑問を感じていたようだったが、やがて
隴のいるところと反対の方向へ向かって足音を響かせ、格子らしきものを閉めた。
格子の外には見張りの兵が二人ほどいるらしく、ひそひそと隴のことを噂する声が
僅かではあったが隴の耳に届いていた。
(さて・・・と。)
隴は急に目を見開いて水槽の底に足をつけた。手が縛られていて使えないので、
首を繰り、顔を水につけて、至る所にへばりついた血の塊を洗い落とした。
(莫迦め、あの程度で俺がくたばったと思ってやがる。)
隴は腕を延ばして、それから一気に縄を引き千切った。
(・・・・にしても賎民だと思って、あいつら滅茶苦茶やってくれる。まあ武器が
真剣だったらいくら俺の体が丈夫でも危なかったがな。)
自由を取り戻した腕を繰って足の縄もほどくと、隴はいとも簡単に水から上がった。
大分暗がりに目が慣れてきたらしく、ざばっ、という水音に異常を感じた見張りの兵士
が格子の向こうから中を伺うのが見えた。
(こいつは絶好のチャンスだぜ!)
隴は北叟笑むと、足音がしないよう格子に近付くと、踵をかえしてどこかへ行こうと
する兵士に向かって格子の隙間から手を延ばした。
「ぐ。」
隴はまず兵士の顔を左手で掴んで格子ぎりぎりまで近付けると、右手で兵士の首を
しめ、無理矢理左手を兵士の口に入れた。むぐ、と兵士は呻いたが、それはもうひとり
の兵士には届かず、散々甲冑を揺らしてもがいたあと、兵士は口から泡をふいて絶命
した。
隴は屍をくまなく探り、やっと格子の鍵らしきものを探りあてると、格子を探って
鍵穴をみつけ、格子を抜けた。それから、屍から甲冑と綿の服ををはぎとると、自分
の身に纏い、かわりに屍を水牢に沈めて外から鍵をかけた。
鍵をかけた時、がしゃん、と音がしたので、もう一人の兵士が何事かと牢の前に
駆け付けたが、隴がやや焦りながらも手を振って異常ないことを知らせると、兵士は
頷いてもときた方向へ去っていった。
(外へ出る前に・・・、あいつらに復讐してやりたいな。)
隴はふと体中の痣が疼くのを感じていた。そういえばさっき屍からはぎ取った装備
の中に長剣があった。もっとも剣など今迄使ったことなどなかったが、とにかく、振り
回せばどうにかなるだろうと思っていたから、隴は一路、来た道を辿っていった。
二人は拷問の部屋の手前の小部屋で椅子に腰掛けて休んでいた。隴の腰の剣が閃いた
かと思うと、次の瞬間には眠っていた二人の首が床に転がっていた。はじめのうちは、
手足がびく、びく、と動いていたが、まだ動くのか、と隴が再び身構えると、その動き
は椅子に腰掛けたままの姿勢でとまった。
(なんだ、剣の扱いなんて簡単じゃないか。)
隴は脂のついた剣を握り締めて微笑むと、シャツでそれを拭って鞘に収めた。
(そうだ、あいつらのところへ帰らなきゃ!)
思い立ったように走り出すと、隴は長い廊下をぬけて外へ出た。その間、何人かの
兵士と擦れ違ったが、みな一様に、
「ご苦労様。」
とか、
「今日はどこかへ?」
などと訊いてきた。冷汗の感触を背中に感じつつも、隴が適当に会釈やら相槌を打つ
と、兵士たちは、にこ、と微笑んで隴の背後に去っていった。
あの笑みを俺達に少しでも向けられないものかな、と隴はその度思った。