#2083/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 8/20 15:12 (186)
物品巡回>通信ソフト 青木無常
★内容
「カム、バック! ユー、デッド!」
禿頭の日本人がたどたどしくくりかえす。どうやらおれたちが日本語を理解でき
ないと頭から思いこんでいるらしい。
「ヒラタ、どうやらおまえ、中国人かなにかとまちがえられてるらしいな」
白い息に嘲笑をのせて吐き出すラドックにおれは、鼻をならしてみせる。軽口を
たたける余裕を見せたいのだろうが、ただの空元気なのは見えみえだ。カイロから
こっち、五分と離れず背中をかばいあってきた相棒だがいささかの親近感も覚えな
い。それは奴のほうも同じだろう。隙あらば向けた背中に銃口を向けるつもりなの
もよくわかっている。二分の一より一分の一――そしてそれを実現する絶好の機会
が今、巡ってきたのもまた、お互いさまというわけだ。
生き延びるという先決問題が、重く横たわってはいるのだが。
居場所もはっきりわからない状態である以上、こいつはちょっとした難問だ。雪
に風がまじりはじめてもいる。幾許とかからずに吹雪にかわるだろう。墜落の衝撃
で肩をやられたのは幸運か不運か。足でもいっちまってんなら、糞ったれた任務や
それに輪をかけた欲望を無視しておとなしく救出を待っていられたかもしれない。
「糞ったれめ!」
背後を何度もふりむきつつ、ラドックは闇に向けて毒づいた。
「どうした?」
「糞! 暗くてよくわからねえ。どうも二、三人、後を追ってきやがるんだ」
「パニックを起こしたバカがいるんだろうさ。じっと待ってるのが不安になった
んだ」
「いや、あのアラブ人どもに決まってる。狙ってやがるんだ、『失われた女王』
をよ!」
この糞馬鹿、あまりにも不用意だ。
「でかい声出すんじゃねえ!」
叱責に、ラドックは瞬時顔を後悔にしかめたが、すぐに歪んだ笑いを浮かべなが
ら唾を吐き捨ててみせた。この性格でよくも今日まで生き延びられたものだ。
暗雲の彼方の光は夕暮れに追われてまたたく間に山を去り、訪れたのはかわたれ
時の言葉どおり、数メートルと隔たらないのに互いを見失いがちになるほどの濃密
な闇。さらに予想どおりの吹雪が永遠の暗黒へと、しきりにおれたちを招致する。
ヒラタ、ラドック、と声をかけあいながらかろうじて存在を確認しあっていたが、
「イワン!」
吹雪をつんざいて怒声のように響いた声とともに、銃声と衝撃がかたわらをかす
めすぎやがった。おかげで声を立てる危険は完全に犯せなくなった。おれたちの正
体を見抜いていることを知らすがごとき掛け声と、物騒なコンタクトの手段からし
て、先のラドックの決めつけはどうやら正鵠を射ているようだ。ムスリムどもも本
格的にユダヤの神知を研究しはじめたという裏付けにもなる。ジーザス! 主の民
の末裔に加えてイスラムの狂徒どもまでが、世界の破滅に際して有利な地位を確保
するつもりか。もっとも、金目当ての小悪党であるおれにはどうでもいいことには
ちがいない。
生き延びること、ただそれだけだ。
ほどもなく、ラドックとは完全にはぐれていた。
どこをどう飛んで墜ちたのかはわからないが、飛行機はずいぶんと奥地に流され
たらしい。どこをどう歩いても道らしき道もなく、灯火のひとつも見えやしない。
電源を確保しないことには任務の完遂はおぼつかないが、このぶんじゃおそらく
“時限爆弾”が働いてディスクがお釈迦になっちまうのはまずまちがいないだろう。
リミットは刻々と迫っている。
タン、とまた風が鳴いた。間をおいて、もうひとつ。二撃目は跳弾が脇の木肌を
はじいて雪冠をあたりに蒔き散らした。
「あっ」
思わず声がおれの喉を震わせた。
冷塊の重量をまともに頭上に受けて、手にしていたケースをうっかり離しちまっ
たのだ。その上、冷静な判断力を完全に喪失していたらしい。雪上をすべるスーツ
ケースを追ってあわてて歩を踏み出し、そのまま足をとられてケースもろともボブ
スレーのように地獄への降下に頭からつっこんだ。
天地が逆転し、重力がおれを縦横無尽に攻めたてた。幾度目の痛撃か、数える余
裕ももちろんない。
全身くまなく占拠した痛覚を認識したのと、自分がもはや落下から解放されて静
止していることに気づいたのと、どちらが先だっただろう。いずれにせよ、己の身
体の安否をさしおいてケースの行方の探索にかかったのは、我ながら驚嘆に値する
浅ましさだ。
雪の白の間から黒い塊がのぞいているのを見つけて、おれは豹のように飛んだ。
幸運の女神というのは実在するらしい。ケースをひろいあげて雪を払う。防水では
あるが中身が無事かどうか、なお気にかかる。おれはわが子を抱く慈母のごとくケ
ースを胸に抱えこみ、四囲を見まわした。
ふたつめの幸運だ。すぐ目の前に白い輝き。崖にさえぎられて上からはまるで見
えなかったのだ。点灯している窓はひとつだけだが、意外に大きな建物だ。
林立する樹々をぬけて玄関にまわりこみ、見かけだけはご立派な安普請の扉を乱
打した。悪夢のように長い時間をおいて玄関灯に火が入り、腹の底からマグマが煮
えくりかえるほど鈍い間をおいて鍵が開かれた。
背後に閉じられた扉がたたきつける風雪をさえぎり、暖気が全身をつつみこむ。
不審と同情を半々に闖入者を迎える老人へ、おれは飛行機が墜落したことを手短
かに告げた。警察に電話せにゃあ、とあわてて背を向けかける老人の肩をいささか
乱暴にとらえ、
「電源はありませんか?」
いきおいこんで問うた。
「ああ、あ? ま、孫の部屋にでも」
大事件に驚倒したせいか要領を得ない返答だが、これでおれには、孫の部屋とや
らをさがすためにこの建物の中を自由に行動できる権利が与えられたことになる。
電話に走る爺さんに礼をいっておれは灯火のともっていた二階をめざした。
どうやらそこが孫の部屋だったらしい。盛大に燃えるストーブを背にしてデスク
トップのパーソナルコンピュータに向けられていた蒼白い顔が、ぎょっとしたよう
に不意の来客を見返した。よけいな騒ぎを起こすこともなかろうとおれはせいいっ
ぱいの愛想笑いを浮かべながら、ディスプレイに通信ネットの画面が浮かびあがっ
ているらしいのを確認し、「やあ、どこのネットだい? NEC? 草の根かな?」
と話しかけた。
「ル・サイファー」
痩せこけた病気少年が答える。怯えているらしい。表情やものごしがおれの一挙
一動にあわせるようにびくびくと痙攣する。こんな幽霊じみた糞餓鬼におれの本性
を見抜かれたとも思えない。どうやら極端な対人恐怖の気があるようだ。なに、い
まどきの日本の若者にはありがちなタイプだろう。故国を捨てて十数年、経済も人
間も空洞化しているという話は耳にとどいている。
リミットまで三十分。糞餓鬼の使ってるコンピュータを連動させればどうにか間
にあいそうだ。俺は手っとり早く餓鬼の注意をひくためにケースを開いてラップト
ップをとりだしてみせた。臆病な兎のようにまたたく眸の中にちらりと光が灯った
のを見逃さず、さらにおれは坊磁ケースにおさめられたディスクを取り出す。
「このディスクの中にはね」我ながら反吐が出そうな甘ったれた口調でおれは言
った。「超国家機密級のデータが入ってるんだ」
「……へえ」
鈍い反応だが、あきらかに興味を示している。やはり妙な理屈をこねるよりは手
の内をさらした方が得策のようだ。
「知ってるかい? 『ラ・レータ・ベルデュー』」
「『失われた女王』!」今度の反応は迅速だった。できの悪い生徒が、たまたま
答えがわかったときに見せるような哀れを誘う反応だ。「ノストラダムス! ほん
とに? あるかどうかもわからない『諸世紀』第十二巻?」
ディスクそのものに負けず劣らず、自分の知識を披露することにも熱心だ。人に
ほめられることなど滅多にないのだろう。ここぞとばかりに知っていることを羅列
しやがる。内心の嫌悪感をおしかくしておれは糞餓鬼の博識をほめそやし、ディス
クをコピーさせてくれないかと頼みこんだ。無論「ぼくの分もね! いいでしょ!」
と身をのりだして叫ぶのへ甘い顔で何度もうなずいてみせたのは、リミットぎりぎ
りに近づいている焦りからだ。
通信を切らせておれのラップトップをセッティングし、コピーをはじめた時点で
限界すれすれだった。胸の底からため息をつく。ディスクを盗みとった時点からデ
ータ破壊プログラムの時限爆弾は着々と進行しているはずだ。破壊プログラムをガ
ードする形で暗号封入されたコピープロテクトを外すのに、機内でバッテリを使い
はたしてしまってはいたが、それでも予定どおりに成田につけばこんな苦労はせず
にすんだはずだった。タイ航空が墜落するご時世だ。MSが墜ちてもなんの不思議
もあるまい。
胸のつかえがとれた気分で、おれは煙草をふかした。糞餓鬼はコピー中の単調な
画面を夢中になって見つめている。神智でも手に入れつつあるつもりになっている
のだろう。政府上層部に巣くうマフィアに食い荒らされて弱体化しつつあるロシア
の連中も、この日本のコミュニケーション障害児とまったく同じことだ。ただし、
連中にはいくらでもふっかけられるがこの糞餓鬼では取引相手には大幅に役不足だ。
こいつにはずたずたになったオリジナルディスクでもプレゼントしてやるのが関の
山か。それでも歓喜のあまり涙を流すかもしれない。まともな礼のひとつ――は期
待できそうにないが、まあいいだろう。おれは今最高にいい気分だ。
第六感がその気分に水を差した。原因は――風の音だ。しばし硬直し、耳をすま
す。話し声。衣服の雪をはらう音。二人――いや、爺いをのぞいて三人。
小さく舌を打ち、「お爺さんに挨拶してくるよ、ろくろく話もしていないからね。
コピーのほう、頼んだよ」と言いおいて背中に返る生返事に不安を感じつつ階段を
降りた。
三つ揃えにターバンを巻いた三人組が爺さんの言葉にやや色めきたっているとこ
ろを見ると、連中も日本語を理解できるらしい。
狭苦しい階段の陰でタイミングをはかること数瞬、ふいに鳴った電話のベルに全
員がふりむいたのを好機に、おれは銃をかまえて踊り出た。
七つの騒音が交錯し、おれは肩と腿を貫かれつつ反転する。確実にしとめたのは
一人、腹をブチ抜いたのが一人、残りの一人は無傷だ。流れ弾をくらった爺いを踏
みこえてリヴィングルームの陰に追撃を逃れ、火線をやり過ごしながら立てつづけ
にトリガーを絞る。弾倉はすぐにつきた。どうやらまたパニックにとりつかれてい
たらしい。放っちまった無駄弾をひろい直しにいくわけにもいかず、おれは壁の陰
に息をころしてナイフをかまえるだけで精一杯だった。
千年もの時がすぎたといわれても容易に信じこんでいたかもしれない。実際はほ
んの数十秒の静けさにすぎなかったのだろう。
「アッラーフ、アクバール!」
叫声とともに湾曲したナイフが首筋をかすめ、本能と反射神経だけで痛撃を避け
ながら、おれもただ闇雲にナイフをふりまわす。もみあい、手をつかみあいながら
ごろごろと転げまわる無様さは、習い覚えたナイフバトルのかけらさえ留めていな
かった。
したがって、痙攣する肉塊となって横たわるアラブ人を眼下に呆然と半身を起こ
した自分に気づいたとき、おれは幸運の女神に本気で感謝することにした。本当だ。
嘘なんざかけらもない。なんなら女神と同衾してみせたっていい。
足をひきずりながら階段を昇ると、血まみれのまま“孫の部屋”の前に立った。
ふたたび怯えを満面に浮かべた痴呆面に向きあう。
その面貌にかすかな違和感を感じなかったとしたら、まんまと裏をかかれていた
にちがいない。餓鬼の視線がちらりと左に走ったのを見て本能的に真相を看破し、
身を投げだしざま、壁の裏に潜むずぶ濡れの足に切りつけた。ラドックはおう、と
叫んで身をくぐめる。その時、暴発した銃声に追われておれのラップトップが微塵
に砕け散った。
ディスクに気が飛んだ。一瞬だ。だが、致命的だった。突き出したナイフがラド
ックの心臓を貫くのとほぼ同時に、二発目の銃弾はおれの腹を破って内蔵を盛大に
蒔き散らす。
断末魔のうめきを尻目におれは恐怖に震える餓鬼に手をのばした。移動する力さ
えなく、うめきに乗せて「救急車、呼べ」と言葉にするのが精一杯だった。
糞ったれめ。日本の餓鬼は本当に礼儀知らずだ。いままで鼠のように卑屈だった
のが、身動きひとつできないと見てとるや、手の平をかえすようにニタリと笑い、
「無理に決まってんじゃん。こんな吹雪の中、こんなとこまで救急車くると思っ
てんの、バーカ」
憎々しげに吐き捨てた。
そのままパソコンにくるりと向き直る。
インターフェースを抜き取ると残骸と化したラップトップをゴミのように蹴りつ
けて遠ざけ、糞餓鬼はデスクトップから『失われた女王』を抜き出すとしばし、う
っとりとした顔つきで眺めやった。
が、不意に傍らから紫色のディスクを手にとってドライブに挿入し、キーボード
をたたき始める。
モデムが作動し、ディスプレイに「Welcome toル・サイファーNet」
という文字につづいてメニューが流れこんだ。
かすむ視界の中で、いくつものハンドルネームが次々にスクロールしていくのが
おぼろに見える。チャットに入っているらしい。どういう神経だ、この糞餓鬼。
いくつもの言葉が断片的におれの意識を刺激した。「期限ぎりぎりに間に合った
ね」「絶対に手に入るはずだとわかってたんだって」「もうここには来られないけ
ど、よかったね」「どう使うつもり? 未来の地図がごっそり入ってるよ」
そこで限界だった。白濁する意識の底で、糞餓鬼のもごもごとくぐもった独り言
を聞いたような気がする。叡智を手にした痴呆人格――戦慄を覚えるだけの余力は
あったようだ。が、それだけだった。この世でおれが、最後に耳にした台詞――
「決まってるじゃん。世界の王になるのさ」