#1984/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 7/24 10:53 (195)
毬つきの夜(1) 青木無常
★内容
****************************
* 1992年コバルト短編小説新人賞応募落選作第3弾 *
****************************
鞠つきの夜
この広い校内に、いまはあたしひとり? 反響する靴音、ジジジとかすかに鳴
る白々とした蛍光灯の列、おおきな窓の外の、絵の具を流しこんだような闇。冗
談じゃない。はやく帰ろう。忘れものをとりに夜の校舎でひとりきり、なんて絵
に描いたような学園ホラーの設定じゃない。ああ、あたしこんなの、耐えられな
いっ。
ふいに、だん、だん、だんだんだだだだだだタタタ、と音がした。何? ボー
ルの転がる音? ふりかえるけど、長い廊下はえんえん無人。
曲がり角の向こうで、きゅっ、と床を摺る音が響いた。つづいて、だん……だ
ん……と間をおいて二回。やっぱバスケットボールだ。だれかいるのかなあ。声
かけて……みるのはやめよう。こんな真っ暗な校舎でボール遊びしてる奴なんて、
変態に決まってる。
ごごご、とぎくしゃくスライドするたてつけの悪い扉の音が、今宵はとくに巨
大に反響する。電気のスイッチは、と。あれっ? なによこれ。切れかかってる
じゃない。今日の夕方までなんともなかったのに、あーもうなんて意地の悪い。
あたし、急いで机の内部まさぐる。……ない。
……嘘でしょお。たしかにここにいれたのよぉ。んでもって忘れて帰ってきち
ゃったんだからあ。まちがいないわよお。あたし、泣きそうな顔で途方にくれる。
その時。
がったん。
「ぎゃん!」
と悲鳴をあげて(わめいて、じゃないわよ)飛びあがったあたしの視界が、な
んだか入口にたたずむ影をとらえる。
「なななななな、なによなによなによ!」
「そんなに驚くことないじゃんかよ」
笑いを含んだ声が教室に入りこんできた。スリムな長身、きゃーっ。
「もーお、金沢せんぱあい。びっくりさせないでよー」
半泣きでへたりこみながら甘え声あげるあたしに、金沢先輩、にこにこ笑いな
がら、
「いやあ悪かったな。部活おわって帰ろうとしてたら、おまえがなんか教室の
ほういくの見つけたからさ」
ときた。悪い気はしない。どころか、極上いー気分。だって、あたし好きだも
ん。大好きだもん! 一ヵ月も前から好き好き好きってつきまとってるんだから。
でも先輩もてるし、彼女いないっていうけど、こおーんなにかっこいい人にホン
トにいないのおーって感じで、うまくかわされてばっかでちっとも見てくれない
の。あたしを。
「なんだよ和美、。忘れものかよ」
へたりこむあたしに覆いかぶさるようにして(きゃーもっと来てーっ)先輩、
きいた。
「そうなんですよお、それがねー」とあたしは、ここぞとばかりにまくしたて
る。「盗まれちゃったんですよお! もうっ、ぜっ、たい許せない。犯人つきと
めて吊るしあげてやるんだから。なんて嘘」
「いんや、断固吊るしあげるべきだ」と無責任に煽るのへ「そうですよねえ」
とあたしも調子いい。
「で、モノはなんなんだよ。モノは」
ちょっと、十六の乙女の所持品さして「モノ」なんて言い方、しないでよね。
でも先輩だから許しちゃう!
「CDウォークマンなんですよお、CDウォークマン! 京子にむり言って貸
してもらった最新の! それもねえ、せんぱあい、中にCD入れっぱなしなの。
RCの『Blue』! あたしの宝物なんですよお」
上目づかいで見ると、先輩一瞬、まぶしそうな顔してからニヤリと笑う。ここ
らへんの反応、希望はあると思うんだけどなあ。
「ああ、多摩蘭坂の入ってる奴ね。ありゃいいよなあ。今度きかせてくれよ」
「ぜひ! ぜひぜひぜひぜひ! んじゃあたしの部屋にきてくれるっ?」
「あ? CDウォークマンもってんだろ?」
あーん。それじゃ駄目なんだってばーあ。
「でもーぉ」と精一杯鼻声。げー気持ち悪ぅ。自分でもそう思うけど、なんだ
ってやるよ、あたし。「それが盗まれてないんですよお。あたしのじゃないし」
「よくあるんだよ、この手の事件は」自信ありげにほほえむ先輩。ああっ、こ
の笑顔が好きなの。「犯人も見当はついてる。こっちだ」
言って先輩、くいと手をふり歩きだす。ぴょんと跳んで後につづく。
「あ、ねーねー先輩ー、さっき先輩、あっちの方でボールついてなかった?」
「ボールぅ? なにそれ」
あー、やっぱ違うんだあ。そりゃそーだ、先輩、真っ暗な校舎でボールつくよ
うな変態じゃないもん! それに先輩はテニス部だし。なんでもないんですぅと
誤魔化して、雑談の合間に「好き」と「先輩かっこいい」をおりまぜながら二階
の渡り廊下をわたった。「先輩のタイプって、どんな感じの娘ですか」ときくと、
何度目かのこの問いに先輩、テレ笑い浮かべながら「いっしょに戦える女の娘か
な」と答えた。
「えー。ダブルスですかあ?」と不服いっぱいこめていうと(だってあたし、
運動神経まるでない)、
「ばーか。そーゆーんじゃねえよ」
とやさしく笑いながらぽんぽんと、あたしの頭、たたく。どういう意味? 先
輩。
第二校舎のすぐ向こうが体育館。窓から見えるでっかい建物も灯りはすっかり
消えて、真っ黒いかたまりにしか見えないの。と、ふいに先輩、立ちどまった。
いきおいあまって(というのは半分嘘)先輩の背中にぶつかり、甘え声で、
「あーんもう、急に立ちどまってどうしたんですかあ」
「だれかいる」
と答えた先輩の横顔、さっきまでの笑いが消えてぎゅうっと引きしまってる。
ああっこの顔も好きっ。
「だれかって、まっくらですよー」
と覗きこみ――背筋が凍った。
だん、だん、だんだん、だんだんだんだんだんタタタタタタタタタ……。
「いるだろ」
うん。こっくり。してから、悪い予感が背筋をふるるとはしった。
「ちょっと、見ていこうか」
的中した。いたずらっ子の顔してる。先輩がこういう顔をしたときはあたし駄
目。だってロクなことないんだもん。この前なんか、一緒に帰ろうっていうから
喜んでついてったのに、墓場なんか通るのよー。もうっ、このホラー好き!
いやですよお、と抗うあたしを無理矢理ときふせ、先輩さきに立って階段をお
りた。はあ。惚れた弱みだよなあ。
ずう、う、う、う、と体育館の重い扉あけると、あたしたちは八ヶ所についた
非常灯の薄灯りに索漠とした空間を眺めわたす。だれもいない。
「空耳だったんですよー」小さくささやいたあたしの声、震えてる。
「いんや、たしかに音がした」と先輩、こーゆーことにかぎって意固地。ああ。
可愛いっ。でも、恐いっ。
でもやっぱり、だれもいないものはいない。いないったらいない! ちょっと
踏みこんできゅっきゅっと床鳴らしながら小さく一巡りするあいだ、あたしは先
輩のシャツの背中引っつかんでずうっと目、伏せてた。幸せだけど、はやく出た
あい。
おっかしいなあ、とつぶやきつつ館内に背を向け、外に出ようと扉に手をかけ
た瞬間――
だん! だん! だん! だん!
ひっと喉つまらせ、白い背中にしがみついた。
だんっ……!
「……だれも、いなかったよな……」
だんっ……!
「……うん。……でも」
だんっ……!
「……見落としたのかもしれねえしなあ」
だんっ……!
「……うん」
だんっ……!
「用具室にいたのかもしれないし……」
だんっ……!
「…………」
だんっ……だっ。…………ばこっ。
ゴールポストに、入ったみたい。
タタタタタタと響く音を背に、先輩が「ふりむいてみようか」と言った。「帰
ろうよう」とあたし、半泣きでうったえたけど、ああっダメっ。
だん……だん……。
「……やっぱいたよ」
静かな声に、あたし、背中ごしに薄目あけてみた。
校名いりの赤いシャツに、クリーム色のジャージがゴールポストわきの暗がり
で、ボールをついていた。女のひと。すらあああああああああああああああああ
あああっとして、すっごくきれい。やだ先輩、見とれてちゃダメっ!
と思ったら――
「幽霊が……」
とつけ加えた。沈着冷静がウリの金沢先輩の顔が――蒼白。
白い繊細な手が、だん、だん、とゆったりとした歯切れのいいリズムをとりな
がら、大きな足取りで非常灯のもとに歩み出てきた。
……ボールじゃない。
だんっ……!
ショートカットの黒髪が、床にあたってふわりと広がった。反動で白い繊手に
すうっと戻り、その中で切れ長の黒い目と薄もも色の唇が、ふっ、と微笑を浮か
べた。
「い……」
と先輩がなにかつぶやく前に、
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
と身も背もなしに泣きわめきながらあたし、大好きな先輩の背中ぐいぐいひっ
ぱって必死で逃げだした。なによなによなによなによなんなのよおおおおお。
十分ぐらい先輩ひきまわして逃げまわったあげく、あたし息切らしてへたりこ
んだ。そこでまた五分ぐらいひいはあいって、先輩もういいから帰りましょうよ
うと言うと、
「ものごとを途中で投げだしちゃあいけねえなあ」
と、ニヤリとしながらお父さんみたいなこというの。もうっ。だから好き……。
ところが。
「ところでここ……」と――あーん、いたずらっ子の顔で、先輩いうの。「噂
の場所だよなあ。なんだっけ。花子とか……」
いやあっ。ききたくないっ。と耳をふさぎつつ、あたしも辺りの様子うかがっ
てしまう。そう。旧校舎脇の三年前から取り壊し予定されてるのにちっとも実行
されずにほうったらかされてる、昔のトイレ。だああ、よりによってなんであた
し、こんなとこでへたりこんでるのよーお。
「せせせせ、先輩、いこっ。はやくいこっ」
とまた先輩のYシャツの長袖ぐいぐいひきながら立ち上がった。「あっ、ちょ
っと待って、靴の紐ほどけちまった」なんてこんな時になに悠長に靴紐むすんで
るのよお。
そわそわそわそわそわそわそわそわしながら先輩が紐むすぶの待ってたら、え
っ何?
あたし、ふりむいた。
呼ばれたもの。
女の子の声で。
だれもいない。先輩の顔見たら――ぎくりとした表情、してる。
静寂が、世界を占領した。やばいっ、と思ってなにか喋ろうとした一瞬の間隙
をついて――
――花子さあん。か細い声が背後から呼んだ。
やだっ。あたし花子さんじゃないっ。ふりむかないっ。ぜっ、たい、、、ふり
むかないっ。
先輩、あんぐりと大口あけてる。意外と馬鹿面。ああっ、そんな顔しちゃイヤ
っ! そんな顔されたら、あたし、あたし……ふりむきたくなっちゃう!
誘惑がぐいぐいあたしの髪ひっぱるのへ、先輩、かぶせるように、
「手……」
と絶句しながらあたしの背後、指さした!
あたしまた、ぎゃあああああ以下略と叫びながらさしだされた先輩の手ひっつ
かんで走りだした。
今度の徒競走、五分に休憩が五分。ああ。あたしこの一時間で一ヵ月ぶんの運
動しちゃってる! 帰ったら体重はかってみよう。
「もおお、なんなのよお」
と半ベソかくあたしの背中をよしよししながら(うくく)先輩は、
「江多の奴、今度はそうとう悪質だな」
と、つぶやくように言った。