#1983/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 7/24 10:49 (154)
ラディフバッドの笛吹き(2) 青木無常
★内容
神への供物として非人間的なまでに美々しく装われた少女は、もはや自分の知っ
ているフィーではないのかもしれない――ふとそんな弱々しい想いにつかれ、バル
ナは激しく首を左右にふると狂おしく少女の視線を追った。群れ集う群衆のただ中
にあっても、自分だけは判別できるはずだ、と、なかば狂熱的に思いこみながら。
判別は、なされた。視線は、瞬時重なった。永劫とも思われるほど長く、重い瞬
時だった。その瞳にこめられている意味を見て、バルナは絶望に膝をつく。
かつてはよく知っていた、今はまったく無縁の赤の他人――視線は、バルナに向
けてそう語りかけていた。
呆然と崩おれる若者を乗りこえるようにして群衆はつぎつぎに傍らを通りすぎ、
そして丈高い尖塔をいただく神輿がはるか彼方に去ってしまっても、バルナは長い
あいだ膝をついた姿勢のままでいた。
“捧げの塔”の下界にあって、ラディフバッド全土から寄り集った群衆に囲まれ
ながら、ドクター・ラインは沈澱する思考の底でもがいていた。
ゆうべ、未来に絶望せんとする若者に向かって、彼は慰撫の形を借りた破滅の因
子を投げこんでいた。
クセノフォークロア――先史文明伝説。
銀河全般にわたって無数の遺蹟をのこしたまま忽然と消えうせていった先史文明
人はいったい、どこへ行ってしまったのか。それに対する宗教的解答が、この伝説
だ。すなわち、彼らは進化の究極、神の階梯へとたどりついたのだ、と。
さらに伝説は語る。神の座より先史文明人は人類の行く末に目をそそいでいる。
そして人類が晴れて神の座へと正しい道を歩みだした時、大いなる導師としてその
前に立ち現われる。だが――人類がその道を踏みあやまり、はてしない堕落へとひ
た走りはじめた時――彼らは破壊神をつかわす、と。
人類文明の版図のほぼ全域に流布するこの伝説は、各種宗教の教条に巧妙にとり
こまれてこの超文明の時代にさえ根強く生き延び、そして無意識の奥底に、不安と
恐怖の萌芽として居座っている。ドクター・ラインが中央の学会を追われたのも、
たてまえとしては神秘主義に偏りすぎているとされているものの、実のところはい
えばこの根本的な恐怖の部分を逆撫でするような研究をつづけてきたからなのかも
しれない。
そのドクターが分類した伝説のパターンの中に「笛吹き型」と名づけたものがあ
った。 神々が宇宙に祝福を賜るある聖なる一日、天使が降臨してひとりの汚れな
き乙女を召喚する。その乙女こそ退廃爛熟した文明世界における唯一の無垢なる魂。
そして最後の純白を喪失して暗黒に染めあげられた人類文明は、破滅の宣告を受け
る――。
この奇妙な伝説は不思議なことに、多岐にわたるヴァリエーションを排出する各
種クセノフォークロア中にあって、銀河全域にほぼ均等に見られる定型の最たるも
のであった。反目するふたつの異文化宗教間にあってもこの伝説はほぼ同じ形で吸
収されており、各種教義がひしめきあいながら互いを排除する中にあってこの伝説
だけは、どの宗教も同じ口調で語り継がれていた。
長い間、ドクターはその意味するところを考えつづけてきたが、どうしても決定
的な因子には思いあたるに至らなかった。ただひとつの仮定――それが事実である、
という一点をのぞいて。
考えるだに馬鹿馬鹿しい奇想にしかすぎないことは承知の上で、ドクターの脳裏
からはその考えがこびりついて離れようとしなかった。
論拠はない。単なる、超自我の投げかける不安と恐怖の影にすぎないのだろう、
と自分でも納得しているつもりだった。それがなぜ、自ら破滅へと駆り立てられつ
つある若者に、そのようなことをさも事実めかして語ってしまったのか。
苦い残悔の念と、そして漠然といすわる得体の知れない不安とに苛まれて黙考す
るドクターとはまるで無関係に、あたりのざわめきはいつ果てるともなくつづいて
いた。
それがふいに、静まりかえった。ぎくりと我にかえったドクターは、群れつどう
無数の人びとが耐えがたいほどの緊張と――期待に憑かれて“捧げの塔”の丈高い
祭壇へと飢餓にみちた視線を投げかけているのを見た。
荒野を睥睨する長大なバベルの塔のはるかな高処に、司祭長サイヴェルの老いた
長身が、まるで挑むようにして天へとその視線を向けている姿があった。
そして、つぎの瞬間、塔上に現われた光輝に歓声が広場をどよもした。司祭長の
背後から、可憐な贄が姿を現したのである。歓声は、長くつづく間もなく潮がひく
ように消失していく。残ったのは――感嘆と、真の美に偶然のように人が出会えた
時のあの、得体のしれぬ哀切にみちたため息だった。
司祭長は美の化身を群衆にもよく見えるように前面へといざない、みずからは背
後にまわって厳かな儀式の動作を開始する。召喚と感謝と祈願をならべ立てた唱句
は遠く届くはずとてなかったが、ひざまずき、伏し、そして両手をさしあげる仕種
の敬虔さは痛切に感じられた。
形式化された儀式からふと目をそらし、ドクター・ラインは妙なものを見つけた。
塔の中腹、背面側にちらりと、人影が見えたのだ。ドクターの心は荒れ騒いだ。
儀式のさなかに塔にとりつき、贄の立つ祭壇をめざすような者には心あたりがある。
塔の入口は屈強な神官戦士によって固く守られていた。招かれざる客が贄のもとに
たどりつくには、たしかに背壁から死と隣あわせの登頂を試みるしかあるまい。
やがて不遜な若者に気づいた神官戦士が十数名、口々に怒号をわめき立てながら
制止をかけに塔の根もとにかけ寄った。が、ふりむきもせず一心に昇りつづける愚
者に対して成すすべもなく、ただ罵りながら見上げるばかりだった。塔内に延々と
蝋燭の火をつらねた長い螺旋階段には外部につながる窓の類はなく、そして祭壇は
司祭長と生神以外、足を踏みいれることさえできはしない。
ざわめきは四囲を埋めつくし、野次や叫声が飛び交うなか、ドクターもまた成す
すべもなく登攀をつづけるバルナの姿を、息をつめて見守るだけだった。が――
おお、と一角で声があがった。見上げる視線を追って黒雲に埋めつくされた天頂
に目をやり――群衆とひとしなみに、ドクターは息をつまらせた。
閃光放つ巨大な珠。
黒雲を割ってゆっくりと降下しつつある大いなる無音の光球は、忘れかけていた
神威を人びとの心に呼びさますには充分以上の効果を発揮していた。
「通信プロセッサ」
震える呼びかけに、耳腔内のメカニズムは敏感に反応し、入力待機の信号音を発
した。宙港管制部、と口に出しかけて己が一介の学者に過ぎないことに思いあたり、
気象情報局に変更する。コマンドは遂行され、間をおかずに局員の殺伐とした応答
の声音が響いた。
「連合特殊分類市民17781J11、ライン・ゲルハルト・フォーレ。インフ
ォメーションを希望する。資格と手つづきは?」
「質問の内容はわかっている」局員は早口でまくしたてるようにして告げた。
「だが解答は無理だ。わかってることだけ羅列するぞ、いいな? ラディフバッド
の第三衛星の軌道上に、突然エネルギー塊が出現したのが五分前だ。人為か自然か
駐留軍には判断がつきかねた。勇み足の新兵がひとり、戦闘機できちがいじみた特
攻をかけ、次の瞬間にゃ半径三メガをとりかこんだすべての人工物が消失した。観
測機器も巨大な光エネルギーの塊としか分析を出しちゃいない。あとはあの化物が
座標2002に降下していくのを、馬鹿みたいに眺めていただけだ。なにもするこ
とがないからあんたの質問に答えたが、これで全部だ。ほかにはなにもない」
「ありがとう。あなたのお名前をお聞きしたいんですが……」
言い終わらぬうちに通信はぶつりと切れた。動転に気づいて遅まきながら秘匿す
べき情報の漏出を中断させたのは、局員本人か、それとも別の人物か。いずれにせ
よこのことは後々責任問題に発展するだろう。
破滅が、人類を嘗め尽くさずにすめば。
光球はいまや尖塔上部を覆いつくし、司祭長も贄の娘の姿も、ともに眩光の内部
に呑みこまれていった。バルナの姿をさがして塔壁に視線を移したが、ドクター・
ラインには、それを果たすことはできなかった。
四囲は光に占拠されていた。目蓋を閉じても氾濫する光の量は変わらない。見え
ているのか否かさえ、判別しがたかった。圧迫する物理的な圧力に奪われる思考力
と気力を、歯を食い縛るようにしてふるい起こし、若者は恋しい娘の名を叫んだ。
「フィー!」
人影が、見えたような気がした。さだかではない。夢の内部でのできごとなのか
もしれない――脳裏をかすめた想念は、聴覚への刺激によって否定された。
何者か?
平坦で、何の意志も覚えさせぬ冷厳な問いかけ。ハーリヴァータ?
バルナは己が名を叫び、「フィーを返せ!」と血を吐くように叫びあげた。
それはおまえが決めることではない、と声は言った。ではだれが決めるのだ、と
浮かんだ疑問を口にする前に、答えが返ってきた。
私の意志よ。
と――フィーの声で。
絶望にバルナは絶句する。かわって、もうひとつ別の声が問いかけた。そは、何
者か?司祭長サイヴェルの声だった。遺蹟の管理者――答えに、戦慄の気配と間を
おいて、サイヴェルは新たな問いを口にする。先史文明人?
答えはなく、さらなる問いが発された。伝説は本当なのか? 破滅の到来が?
因子は発動した。姿なき天使の声は、恐るべき解答を無機的にならべたてはじめ
る。それは人類の発展の萌芽の段階で挿入されたものだ。すなわち、この宇宙の脅
威たり得る文明が破局を指向した時、遺伝子の連関は必然の中の偶然によって交錯
し、ごく低い確率ながら発動するようプログラムされていた。われわれは神ではな
い。己の関与せぬ遠い未来の汚辱と罪を裁くことなどできはしない。だが、この宇
宙の存続を願う意志が、発効せぬかもしれぬ処置を遺させた。因子が発動し、破滅
の御子が生誕を果たしても、それが導引として銀河にちりばめられたいくつかの遺
蹟に遭遇せぬかぎり、因子を内包したまま人間として定命をまっとうしたはずだ。
だが――われらは遭遇した。破滅は執行される。
「なぜだ!」
胃の腑をしぼるように悲痛な叫びが、瞬時――光をさえ震わせた。
「なぜ! フィーが!」
偶然により、と、声が答えたかどうか。世界が回転し、落下感が襲った。
呼びかけに力なく目を開く。視界は白濁に占拠されていた。悪夢のつづきか、と
首を左右にふると、ふたたび叫びにも似た呼びかけとともに何者かの手がバルナを
抱きしめた。
「ドクター?」
問いにラインは幾度もうなずいてみせ、ふとバルナの両の目が光を宿していない
ことに気づいて愕然とする。声もなく見守るラインの手をふりほどき、バルナは半
身を起こして静かに耳をすました。
傍らでうめき声とともに、司祭長サイヴェルが起き上がるのに気づいた。どうや
ら破滅とやらには、先触れにたかだか人間二人の命を奪う気はなかったらしい。
風が吹いていた。
長いあいだ、そうして風に吹かれていた後、ふいにドクターがつぶやくようにし
て口を開いた。
「なにが起こったんだ……?」
「笛吹きが、最後の無垢な魂を連れ去っちまったのさ」
無表情につぶやき、見えぬ目を閉じた。
崩壊の序曲が、遠く響いてくるのが聞こえた。
(了)