#1982/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 7/24 10:44 (197)
ラディフバッドの笛吹き(1) 青木無常
★内容
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* 1992年コバルト短編小説新人賞応募落選作第2弾 *
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ラディフバッドの笛吹き
「おれといっしょに逃げよう」とフィーの耳もとにささやいたとき、バルナは少
女の小柄な身体が小さく震えるのを、肩にかけた手のひらから感じた。
「なぜ」とフィーはその意志的な輝く双眸を正面からバルナに向けて、問いかえ
す。答えは、なかった。バルナの脳裏には。感じていたのは心臓だった。
「わからない」バルナはきっぱりと首を左右にふる。「逃げたほうがいいんだ。
この年の祭りは、いつもとは違う。なにが違うかはわからない。それでも絶対に、
違う」
「どう違うの?」
「わからない。人はみな、日々の苦しみも忘れて浮かれまわっている。神官は愚
にもつかない訓戒で民人に己の地位を再認識させるのに夢中だし、巫女たちは泥に
まみれた日常をきれいに拭い去るのに余念がない。今年も、何もかもがいつもどお
りだ。何もかも」
「すこし違うこともあるわ」とフィーは取りなすように言う。「星の彼方から来
た、あの学者さんが」
「ドクター・ライン? ただの旅行者さ。そりゃ祭りを外部の人間が見るのはは
じめてかもしれない。でも、おれたちも彼ももとを正せば同じ地球からの植民者の
末裔だ。神官だってたいして問題視していない。違う。彼じゃない」
「じゃあ、新銀河連合?」
「あれは単なる通商だよ。違う。違うんだ。そんなことじゃない。もっと……も
っと……。……うまく言えねえ。だが、胸騒ぎがするんだ」
「それじゃあ誰にも納得してはもらえないわ」
「だから逃げようと言ってるんだ」
「無理よ」
「おれとでは?」
フィーの顔に暮色が忍びこむ。「違うわ」と首を左右にふってみせ、ふいに瞳を
伏せ、もう一度、違う、と小さくつぶやいた。
若者は宿る意志を確認するようにして少女の瞳を深く見つめ――そして華奢な身
体を砕けるほど強く、抱きしめた。少女のとまどいは驚愕と幸福に溶け、全身が若
者のたくましい体躯にあずけられる。
「行こう」若者は白い手をとり、歩きはじめた。意志をなくした人形のように頼
りなげに、フィーは従った。少年の視線の先に横たわる巨大で荒涼とした宇宙港を、
けして手のとどくことのない遠い夢のような視線で、まばゆく眺めやりながら。
そして、それが現実だ。
通商の中継点として軌道エレヴェータの建造にまで着手しておきながら、新銀河
連合はラディフバッド人の星外流出を厳密に規制している。バルナのような学のな
い寒村の農夫などはいうまでもなく、ましてフィーは『大いなるハーリヴァータの
聖日』の――神への捧げもの。世界が終滅しようとも監視と選別の目を逃れること
などできはしない。そして、なにより――
「バルナ、フィーをどこへ連れていく」
と、十数歩と進まぬうちにふたりの行手をふさいで現われた、幾人もの男たちの
影。
「大いなるハーリヴァータへの尊き贄を欠いては、儀式は行なわれぬ。置いてい
け」
白髪白髭に古びた司祭帽をいただく司祭長サイヴェルが歩を踏みだし、皺枯れた
右手を差し出した。
「だめだ!」背後にフィーをかばいながら二、三歩後退り、狂おしくバルナは叫
ぶ。「フィーを贄になぞさせるものか!」
「贄、といっても」と温和な微笑を浮かべて二人の住む村の村長が前に出た。
「形式ばかりの、祭りの添えもののようなものではないか。何も畏れることなどな
かろうに。おまえたちが好きおうておるのなら、祭りの後に晴れて祝言をあげれば
よいではないか。さ、ききわけのないことを言わず、戻るがいい。若いもんの、思
いこみでのちょっとした先走りなど、だれも咎めやせんよ」
そんなざれ言、と言いかけて、バルナは言葉につまる。己の論理こそざれ言に他
ならない。どう見ても村長や司祭長のほうが理にかなっている。まして連合の訪問
以来、いわれのない迷妄の類などとりわけ誰も目を向けぬような気運が、ラディフ
バッド全域にわたって広がりつつある。最後の迷妄、ハーリヴァータへの生け贄の
儀式を除けば。誰がそれを除けよう。大いなる開闢の時より世界の崩壊をおしとど
めてきた大神の威信を脇にしてさえ、飢餓と貧窮にあえぐ全土の民人の、年に一度
の祭りの日だというのに。
「さ、バルナ、ききわけよ。フィーはこれに」
司祭のやわらかなものいいに、歩を踏みだしかけるフィーを制し――バルナはな
おも言いつのる。
「たかが形式なら、なぜ贄を捧げる。そのようなもの、撤廃してしまおうと違い
はなかろうに」
「馬鹿をいえ」村長は若者の勇み足を見守る慈父のように微笑んだ。「祭りに花
を添えずして、だれが納得するものか。おまえとて将来の花嫁が全土一の美姫とみ
とめられて、かえって鼻が高いではないか。それとも、恋敵が増えることを心配し
ているのかな?」
ははは、と下卑た笑い声が夜を撹拌した。司祭長だけは、謹厳な顔を崩さない。
「フィー、これへ」
くりかえし差し伸べられた手を、バルナは痛烈に跳ね飛ばした。
「贄が受け取られてしまったら、どうする!」
炎のような叫びに寸時、司祭長のみならず、その場に集うた十数人の男たちが一
斉に目をむき、言葉を喪った。
「とり抑えよ」しばらくして、司祭長が能面のような無表情で、つぶやくように
告げる。「熱に浮かされた若者のこと、一晩蔵ででもじっくり考えれば、己がいか
に愚かしく、浅ましき所業に及んだかがわかるだろう」
屈強な青年の抗いも、かけられた無数の手にはかなうすべもなく、恋い慕いあう
二人は引き裂かれ、ひとりは今や納めるものとてないさびれた蔵の中へ、そしてい
まひとりは神殿へと、それぞれ引きずられるようにして連れていかれる。
闇の中でフィーは、想い人の悲痛な叫びに司祭長の眉が苦しげにひそめられるの
を、見たような気がした。
「贄が受け取られてしまったら、どうする!」
「バルナ」
鍵を開く音を追うようにして、声が光を闇に運んだ。扉口で暗黒に戸惑い目を慣
らそうと佇む長身の影は、ラディフバッドの民人にはない優雅なものごしを秘めて
いる。
「バルナ、どこにいる?」
「ドクターか」
重い声音は、暗闇に囚われてか細く消えやり、追放された異端の考古学者に驚き
と哀れみを覚えさせた。ドクター・ラインはつまずきながら青年のもとへとたどり
着き、薄闇の中、傷つき、埃にまみれた頬に気づかわしく掌をはわせる。
「かわいそうに。ずいぶん酷い目にあわされたのだね」
線の細いかつての新進考古学者の慰謝を、跳ねつけるでなく無表情に受けながら、
バルナはふんと鼻を鳴らした。
「あまり無茶をするもんじゃないよ、バルナ。ここは連合と違って、満足な医療
設備も知識もないんだ。万が一とりかえしのつかないようなことにでもなったら…
…」
「連合と違って!」嘲りに鼻で笑った。「二言目にはそれだ。そうとも、ここは
連合じゃない。連合を追放された男が、破れた希望のない夢を女々しく繕うただの
辺境さ」
痛烈な罵倒にドクターはしばし黙りこみ――やがて、笑った。
静かな微笑だった。
「夢は破れても」ささやくように、そして教えさとすように、ラインはバルナに
告げた。「希望が消え去ることはないんだよ。自らが希みを捨ててしまわないかぎ
りは、ね」
言いながら後ろ手に縛られた縄を解くドクターの横顔を、バルナは無表情に眺め
た。静謐、という言葉が脳裏に浮かぶ。
「負け犬のたわ言じゃねえか」
我ながら弱々しく響いたのを補うように、若く希望のない考古学者をにらみつけ
た。
微笑みが勝利者のそれのように真正面から見つめかえすのへ、まぶしげに目をそ
らす。
「なぜ民の総意に背くような真似をしようとしたんだい?」柔らかな口調が、バ
ルナの胸に針を刺す。「君らしくもないじゃないか。村長は、若者が熱情にかられ
て実体のない恐怖に怯えているだけだ、と言っていたけど」
「実体はある!」反射的に叫び、我にかえって目を伏せた。「……いや。実体は
ない。俺の胸が騒ぐだけだ」
返答に窮し、目で問いかけるドクターに、バルナは静かに質問を口にした。
「あんたは神がほんとうにいると思うか、ドクター?」
しばし口をつぐみ、ラインは、わからない、と静かに首を左右にふってみせた。
「この星の連中は、一部の頑固な年寄りや神官どもを除けば、もうだれもそのこ
とを信じちゃいない。神なんて概念だけのものだ、とな。だから、生け贄もただの
祭りの添えものくらいにしか思っちゃいない。俺もだ」
「だったら、なぜ?」
「わからない! ふと思ったんだ。神は存在する、と。それも、崇高な神じゃな
い。生け贄を受け取り、それを貪り喰らう餓えた野卑な神が」
言いながらバルナは、次第につのってくる不安と焦慮に衝かれて、掌のなかに顔
をうずめる。ドクターは、そんなバルナの姿を見やりながらしばらくの間、重くお
し黙ったままだったが、やがて静かに口を開いた。
「論拠はあるのかい?」
「ないさ!」激昂に鋭く叫びながら顔をあげたバルナの頬は、涙に濡れていた。
ないさ、ともう一度力なく繰り返し、そしてふたたび顔を伏せる。「ただの勘だ。
村長のいうとおりさ。ざれ言だよ、ただの。それとも、ドクター、あんた、中央の
知識とやらでこれに意味をつけられるかい?」
「つけようと思えばいくらでもつけられないことはないが……データ量があまり
にも少なすぎるのがネックだね。ただ――」
「ただ?」
言葉尻をとらえて、バルナの双眸がドクターを鋭くとらえた。
若き考古学者は、ためらうように何度も目を伏せてはしばたたき、そして決心し
たように口にした。
「クセノフォークロア、というのを知っているかい?」
長い冬が終わり、息の結晶が散りしだく花弁の舞にとってかわられるころ、ラデ
ィフバッドに祭りの時が訪れた。いつともしれぬ過去より――おそらくは、遥かな
星辰をこえて始祖がこの地に足を踏みおろし、先史文明の遺した巨大な遺蹟群を目
の前にして以来――延々と受け継がれてきたこの聖日の到来に、人びとはあふれか
える喜びを抑えようもなく朝の街路に撒きちらした。歓喜にわきかえる一日のはじ
まりはさながら楽土の顕現かと思われるほどだった。
そう。まさにそれは楽土だった。一日だけの。慢性的に世界を襲う飢餓と疫病、
不安定な星系運動がまきおこす惑星規模の災厄なども、この喜びに満ちた一日だけ
は奇跡のように影をひそめる。目には見えぬ光輝にあふれた大いなる神が全土をね
り歩き、支配し、そして祝福する。そして、街ぐるみ、せいいっぱいの労力と財力
をさいて華々しく着飾る。 道ゆく人びとはいつもの、重く疲れ、汚れきった顔を
きれいにぬぐい去って朗らかに声をかけあい、笑みを交わしあっていた。
そんな中でひとり、バルナだけが浮かぬ顔、重い足どりで、朝の陽光にふさわし
からぬ彷徨をつづけていた。夜半、ドクターとともに倉を後にした時、すでにフィ
ーは神殿の奥殿に深く封じこめられた後だった。今宵は自分の宿舎に泊まっていき
なさいと勧めるドクター・ラインの言葉を断って右と左に別れ、気づかわしげにい
つまでも見送る考古学者の視線を背に、あてどなくいつまでも夜の街をさまよった。
いや、あてはあった。ただひとつ。
神殿。手のとどかぬ場所に追いやられてしまった、遠い人。バルナは幾度も、幾
度も、奥殿の年ふりた威容を遠く眺めるために神殿へと足を運び、狂おしい衝動に
わめき出したながら攻めこんでいこうかという煩悶に悩まされながら、身をもぎ離
すようにして神の宮に背を向ける、ということを繰り返してきた。そしてついに、
夜があけた。
長く短い一日がはじまった。人びとの歓喜はきわまって爆発し、全土が笑いで染
めあげられた。ねり歩く山車の許で男たちの凶猛なエネルギーが抑えようもなく爆
発し、ぶつかりあい、ののしり声と歓声とが激しく交錯する。恥じらいと、そして
泥にまみれた労働への重圧とにおしつぶされていた日常をきれいに洗い清め、能う
かぎり入念な化粧と装いをほどこした、天をも歓喜に震わす笑い声をあげる女たち
の視線もまた、この日、控えめに、そして抜け目なく屈強で陽気な若者たちにそそ
がれ、そして――
そして――正午の鐘が高らかに鳴りわたるころ、奥殿の門が重々しく開かれた。
全土からよりすぐって集められた屈強な十人の若者にかつがれ、そしてさらにそ
の周囲を二十人の神官戦士に囲まれて、塔のように高く光のように壮麗な神輿が現
われた。
天頂に座して地上を睥睨するハーリヴァータの威容を筆頭に、街にあふれかえる
どれほど派手な神輿もとうていかなわぬほどの華々しさを伴って、無数の伝説の神
像、英雄像が、そこには精緻に刻みこまれていた。そしてその中腹、四方に神威と
恵みとをふりまくようにして設けられた虚ろの中に、神々への供物たる、生神の席
がしつらえられていた。
バルナはとり憑かれたような目つきで、手のとどかぬ高みに麗々しく着飾ったフ
ィーの姿を追った。事情を知っている幾人かの神官戦士が刺すような目つきで若者
を牽制するのだが、まるで目にさえ入らない。