#1868/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 6/25 11:14 (154)
ハイ−アングル(前編8) 青木無常
★内容
「お生まれはどちらなんでしょう?」
「さて……都下じゃなかったかな。八王子あたりだったような気がするが」
「華僑の娘とのあいだにできた落とし種という話も聞きましたが」
「ああ、そいつは俺も聞いたことがある。語学に堪能だが、広東語はとくに流暢
だしな。となると、横浜の中華街あたりから来たとか、な。いずれにしろ親父から
は何も聞かされていないし、俺自身さして興味もわかなかったからな」
少々意外に感じた。和晃は好奇心の塊のようなところがある。出自のさだかでな
い弟の素性をさぐったことがないなど、考えられないことだ。
「ふん、女づれか。やっぱりな」
美貴たちの乗るクラウンといましもすれちがわんとする車にむけて片手をあげて
みせながら、和晃はにやりと笑った。プレリュードのステアリングを握る紅四郎の
隣には、陽射しがきついせいかヴェールで顔をかくした女性の姿がたしかにある。
「白い肌だな」後方に遠ざかる車をふりかえりながら、和晃はぽつりといった。
「ロンドンでひっかけてきた女かな?」
なにかひっかかるものがあった。
その正体をさぐる間もなく、前方の助手席からすっとんきょうな声があがった。
「見ろ、動きはじめたぞ。サイの使い手がそばにいるんだ!」
江多十郎は鼻息あらく前方の軽トラと和晃たちとを見比べながらしきりにすごい、
見ろ、すごいだろうとくりかえす。
ピックアップの荷台上で、奇妙なガラクタはその表面にへばりついたいくつもの
豆電球をたしかに盛んに明滅させていた。まるで季節はずれのクリスマスツリーの
ようだ。どう見ても科学の最先端を先どりする画期的なシステムの駆動の瞬間とは
思えない。
「ほら、あの点滅。異常なパターンの生体電流を感知して光ってるんだぞ。生体
電流、知ってるだろ? あんな微弱なものを、接触もせずに感知できるんだからこ
れだけでノーベル賞ものだぜ。それからあそこでくねくねしてるの。あれはな、特
殊な場を感知してるんだ。重力場じゃないぞ。PSY場だ。わかる? PSYは場
なんだ。フィールドなんだ。ここんとこの考え方が画期的なんだからな。それにあ
そこの赤いの。あれはな、ワープロを改造して組み込んだコンピュータに覚えさせ
た特殊な電磁波パターンを検知してるんだ。これ全部、サイ波の特徴なんだよ。わ
かる? わかるわけないかハハハ」
実に憎々しい。苦笑をかわそうと美貴はかたわらの和晃を見やる。
茫然と後方をふりかえる馬鹿面にいきあたり、途方にくれた。和晃の視線を追っ
て背後をふりかえり――息をのんだ。
《天神》。
だが、ホテルのスイートで遭遇した“闇閂の雷蔵”ではない。身長は小柄な雷蔵
の優に二倍はこえている。針のように痩せほそった四肢と胴。風に吹かれて藍色の
空になびくながい髪、陰鬱な灰色のロングコートも雷蔵のファッションセンスとは
まるでちがう。
が、そんなことはまったく問題ではなかった。六十キロで走るクラウンと並走で
きるのはなぜなのか? しかも、宙を。
思考の停止した美貴のかたわらで、和晃はすっと眉をひそめる。驚愕はそのまま、
冷徹な観察がはたらき出したらしい。
「うしろのヘリも連動しているのか……?」
見ると宙にうく人影の背後に、たしかにヘリコプターが追随していた。打浜新報
ときいたこともないような社名を横腹に刻んだヘリは右に左に体をふりつつ、その
鼻先を確実にクラウンに固定している。残照に見る操縦席に、これも《天神》の仮
面がおさまっているような気がした。
「遠山か。スピードをあげろ」いちはやく携帯電話で前方のダットサンのドライ
バーに指示をあたえると、今度は後方にぴたりとついてくるカローラの番号を押し
た。「森か。まわりに車影がないのを充分たしかめてから、発砲してみろ。……威
嚇だぞ。八田と高木の惨状を忘れるな。……いや、だめだ! ……自信があるんだ
な? ……なら、やってみろ。だが無理はするな。いいか、必ず一発でしとめるん
だぞ。それが不可能なら威嚇にとどめておくんだ。わかったな」
八田の同僚が仇をうつと強硬に言いはっているようだ。和晃はむっつりとした表
情で電話を切る。
後方のカローラがスピードを落とすのを尻目に、ダットサンとクラウンは急激に
加速しはじめた。
内陸側に大きく切れこむカーブをタイヤをきしらせてえぐりこむ。強烈な横Gと
ともに、後方の視界からカローラと空中のふたつの影が消えた。道はそのままゆっ
たりとしたラインを描いてふたたび海岸側へと戻っていく。それがみたび逆方向へ
と転換しはじめる矢先、さきのカーブから護衛の車が姿を現した。
トランクルームに、なにか塔かアンテナのようなものがつき立っているのを見た
ような気がした。次の瞬間、天空で閃いた薄暮のなかの雷光に視線を奪われた。
ヘリの下方から、その雷鳴は発したように見えた。目の錯覚だろう。そう思いた
かった。
視界が崖にさえぎられ、盛大な爆発音が後を追う。煙が側方に黒々と噴きあがる
のがちらりと見えた。
そこまでだった。道は内陸部にわけいり後方の道路はつらなる緑の集積の彼方に
埋もれていく。護衛のつめたカローラがどういう運命をたどったのか、いまは知る
すべもない。なによりも己の運命のほうが急務だった。
「来たぞ」
丈高く切り立った崖を越えて、ローター音もすさましくヘリが姿を現した。白い
ラインの周囲で蒼白の火花がスパークをくりかえしている。闇閂の雷蔵か。
「くそ、どういう手品だ」
荒々しく吐き捨てる和晃の視線の先には、地上にへばりついた乗用車を嘲るよう
に見下ろす浮遊する人影がある。左手には黒々とした巨大な棒状のものが握られて
いる。
「釘……ですか」
美貴はきいた。新宿のスウィートで遭遇した、高木の死体を縫いとめていた得物
を思い出したのだ。
「破格だよな。五寸釘なんて目じゃない」こたえる和晃の口調もうんざりとして
いる。「あれが避雷針てわけだ。あれだけの大きさなら、目標を違えることもない
だろうさ」
「どういう法則がはたらいてるんだろう」ひとり嬉々としながら江多が口を開く。
「重力を遮断しているのか、それともなんらかの力が下方にむかって働いてるのか
……どっちにしても、とてつもないエネルギーが必要だぞ。浮くだけじゃない、宙
で姿勢を定めたまま、自在に四方に移動できるんだからな。どうなってるんだろう。
降りてこないかなあ」
冗談じゃない。と和晃は戦慄した。この男、尋常の神経じゃない。
灰色のロングコートをふわりとなびかせて、浮遊する《天神》が左手をかかげる。
つぎの瞬間、巨大釘ごと左手は神速に消失し――
急激な横Gに体をはげしく圧しつけられた。ぎりぎりとタイヤのあげる悲鳴が神
経を狂おしく逆撫でし、同時に、躱した路上にどおんと重く巨大釘がつき立てられ
た。
感発いれず閃いた稲妻がアスファルトにまばゆくスパークを散らし、強烈なイオ
ン臭が瞬時、鼻を衝く。
「手品みたいだっ」
こどものように耳障りな叫び声を江多があげた。
見上げる夜空の黒影の手に、三本目の大釘。業腹だが、江多と同じ感想を和晃と
美貴も抱く。どこから取り出したというのか。そして――あと何本?
ふりあげた手が、ふいにぴたりと静止する。逡巡、と気づいたのはさらに数瞬を
費やした後だ。たしかに《天神》は釘を投げおろすのをためらっている。なんに?
移動速度はそのまま、仮面は後方をふりかえっている。ダットサンとクラウンの
疾走する先――
切り開かれた山肌をぬけた田園地帯、前方反対車線に走りよる車影があった。洗
練された、それでいて愛敬のあるシルエット――シトロエン2CV!
点灯したハロゲン・ランプにはばまれて、車内の様子は判然としない。人影が―
―ふたつ?
「浄土武彦か!」
恋いこがれた憧れのひとを前にした少年のように、和晃が叫ぶ。美貴もまた、同
じ感慨を抱いていた。ただしこちらは――浄土ゆかりに。
ぱたぱたと場にそぐわない間のぬけたエンジン音がわきをすりぬけた。若く精悍
な男と、ポニーテールの娘らしき影を見たような気がする。
ふいに、いましも分解しそうな音をたてて車体が側方にシフトし――ずわりと瞬
時に回転した。そのまま和晃たちのクラウンを追走する形となる。
「糞っ!」
汚らしく毒づく和晃の脇で美貴は、全開された助手席側の窓から小柄なポニーテ
ールの影がするりと車上にすべり出るのを目撃した。
疾走する車のルーフ上で少女の影は微動だにせずつい、と身をかがめる。
風をきる音が聞こえたような気がした。
宙を切り裂く鋭利な黒矢。
浮遊する《天神》が一瞬、ぴくりと痙攣した――と見る間もなく、危なげなく空
を滑走していたシルエットが糸を断たれたように落下する。
見定めたのか、背後のローター音がふいに反転した。追う視線を逃れるように山
陰にその姿を隠す。
「どういうことだ……?」
呆然と和晃がつぶやく。美貴はこたえず、確信した。
味方だ、と。
「PSSは――沈黙している。なぜだ」
和晃の詰問口調に江多は憮然と、
「知らないよ」そっぽを向く。「だれもPSYを使ってないんだろ。ぼくのせい
じゃない。うっうっ疑うのか? 疑うのか、天才のこのぼっぼっぼくを!」
「いいや」どうでもいい、とでもいいたげに和晃は手のひらを左右にうちふり、
「山本、車をわきによせてくれ」
先刻みごとなハンドルさばきで大釘の強襲を間一髪、避けてのけたベテランショ
ーファーに命じる。
「ですが、和晃さま」
大神家に仕えるようになって半世紀あまりの運転手から、予想外の反応がかえっ
た。目をむく和晃に山本、と呼ばれた老紳士はバックミラーのなかでちらりと目礼
し、
「うしろのシトロエン、この車を追いぬきにかかっております」
なに、とふりむく脇を、愛敬のある車体からは想像もつかぬ加速でフランス車が
あざやかにすりぬけた。そのまま加速をつづけ、みるみる遠ざかっていく。
「追え!」
との命令を待つまでもなく、老運転手はアクセルを目一杯ふみおろしていた。安
全運転を身上としているこの男を和晃が自分専用の運転手として父よりゆずりうけ
た理由は、いざというときF1レーサーなみのアクロバティックなドラテクを発揮
できる手腕を内包しているからにほかならない。
前方を進行していたダットサンをおきざりにして、どっぷりと暮れた夏の夜を切
り裂いてクラウンは追撃を開始した。
だが華奢なフランス車にいかなる魔法がほどこされたか、クラウンはついにシト
ロエンの車影を補足することはできなかった。
(後編につづく)