AWC ハイ−アングル(前編7)       青木無常


        
#1867/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  92/ 6/25  11:10  (178)
ハイ−アングル(前編7)       青木無常
★内容


 笹塚のマンションに帰りついたとき、陽はすでに暮れかけていた。重く闇が室内
にわだかまっていたが電気をつける気にもならず、薄闇のなか美貴は冷蔵庫からク
アーズをとりだして一気に喉に流しこみながらソファになだれむ。
 留守電の点滅が無機質にくりかえされていた。しばらくのあいだ痴呆のように赤
い明滅を眺めた後、けだるく再生ボタンに手をのばす。
 『家でゆっくり休めといっておいただろう』
 軽い叱責の口調で、和晃が言った。
 「余計なお世話よ」
 口のなかでつぶやきかえす。そんなこととはまったく無関係に、電話は再生をつ
づけた。
 『帰ったらすぐに連絡をくれ。奈良場先生の娘さんが戻ったらしい』知っている
わ、と言葉がうかんだが、唇がかすかに動いただけだった。『ほかにもいくつか知
らせたいことがある。疲れていたら明日も休んでいい。とにかくあまり出歩くんじ
ゃない。連絡を待つ』
 いいようのない衝動につきあげられて、手もとの灰皿を電話機に投げつけた。ご
ん、と重い音につづいて『ピーッ、午後四時二十二分です』と機械じみた女声が告
げる。
 頭をかかえてうずくまる。そのまま長いあいだ頭をかきむしっていたが、やにわ
に立ちあがると荒々しい動作で部屋をでた。いくあてなどもとよりない。ただ無性
にむしゃくしゃしてじっとしていられないだけだ。
 汗を流しながらあてどなく住宅街をさまよい歩き、さすがにばかばかしくなって
踵をかえす。
 立ちどまった。
 青い闇がわだかまる薄暮のなか、コンクリート塀のうえに人の影が腰かけて美貴
を見おろしていた。
 少女だった。年のころは十六、七、淡い色の髪を頭上でポニーテールに高くまと
めている。ふわりと塀のうえから飛びおりると、邪気のない瞳でまじまじと美貴を
見つめた。塀のうえでの第一印象とはうらはらに、意外に小柄な少女だった。
 「笠森美貴さん?」
 とまどいながらうなずいてみせる。どうやら己のあずかりしらぬところで美貴は
ちょっとした有名人にされてしまっているらしい。
 「ええそうよ。あなたは?」
 少々挑戦的な気分で問いかけ、返ってきた答えに心底から驚愕させられた。
 「浄土ゆかり」
 少女はそう答えて微笑んだ。
 くたびれたタンクトップにデニム地のショートパンツ。すこしばかり小汚い印象
をのぞけば、年相応の少女にしかみえない。ふたつの勾玉をはさんだ長い数珠を二
重まきに首にまきつけているのが異様といえば異様だが、それもまた少女の雰囲気
にふしぎに似合ってもいる。いずれにせよ、この少女があの闇閂の雷蔵と名乗った
奇怪な殺人者とおなじ種類の人間だとはとうてい考えがたかった。
 「手をひいて。死にたいわけじゃないでしょ?」
 脅迫の口調ではなかった。むしろ真摯な忠告のひびきがあった。が、美貴は胸を
抱きながら二、三歩あとずさっていた。浄土姓を名のる娘だ。
 「あたしだって、そうしたいわ」
 声にふるえがまじっている。なにをおびえているのだろう、と心のどこかで妙に
冷静なもうひとりの自分が問いかけた。わからない。野に咲く花のように美しく愛
らしい少女のどこにも、恐怖を抱かせるような要素はなかった。
 「なら、どうしてそうしないの? そりゃ大神グループトップの秘書の座は魅力
だろうけど、命とひきかえに義理だてるほどではないでしょ?」
 美貴は思わず歯がみしていた。和晃の性格をしらないのか。もうひとつ、自分と
和晃の関係を。
 問いかける少女の、しなやかで美しい獣を思わせる双の瞳に邪気は見えなかった。
逡巡が美貴をとらえる。目の前の少女をどう扱えばいいのか判断がつきかねた。邪
悪な殺人者の集団である浄土一族の人間として扱うか、あるいは真摯な忠告者とし
て接するべきなのか。
 いずれにしろ答えはひとつだった。
 「手はひけないわ。それが社長の意志よ」
 少女の美貌に翳りがうかぶ。
 「大神和晃が好きなの?」
 そうきいた。
 美貴はそうだ、と答えようとして――言葉を喪失した。
 そうではないような気がした。
 美貴が己の胸の奥に回答をさがし求めているうちに、事態は変形をとげた。
 ふいに、浄土ゆかりの眉がよせられたのである。――警戒のかたちに。
 なにごとかとふりむいた美貴の目に、ブロック塀の陰からひとりの男がゆっくり
と歩みでてくる姿が映る。
 見たことのある顔だった。和晃の秘書について二、三週間も経ったころだったろ
うか、仕事で沖縄に出かけたときにわずかな空き時間を利用して見学にいった琉球
空手のとある道場の師範代だった男だ。たしか比矢根といったはずだ。印象的な名
まえと超人的な体技とのとりあわせが、美貴の脳裏にあざやかによみがえる。
 美貴にガードがつけられていることは知っていた。だがそんなに以前から、しか
も沖縄などという遠隔の地の人材をスカウトしていたなどとは知らなかった。
 当惑して浄土ゆかりをふりかえり――その背後からももう一人、いや二人の屈強
な男があらわれたことを知って声をのむ。
 三人の男たちはしずかに少女をとりかこんだ。
 「待って、誤解よ」
 思わずそう叫びかけた美貴を、比矢根がさりげなく背後に追いやる。
 「この娘は浄土、と名のりました」土くれのように武骨な声がいった。「笠森さ
んは下がっていてください。われわれの仕事はあなたを奇禍からお守りすることと
もうひとつ、浄土一族に関する情報をかたっぱしから収集することです」
 なにか言いかける美貴を視線で制し、比矢根は浄土ゆかりにむきなおる。
 受ける少女は――落ちついた、そして誇りたかい野獣の双眸で眼前の大男を見あ
げるように見かえした。
 「いっしょにきてもらおうか」
 十六、七の娘に呼びかける口調ではない。同じ年ごろの男でも、比矢根から噴き
つけられるすさまじい闘気にのまれて声ひとつ出すこともできずに唯々諾々と意に
従わざるを得ないだろう。
 が、少女は怯えのかけらをさえ見せはしなかった。
 「へたなナンパ」にっこりと微笑んでそう言った。「あなたの雰囲気にはあって
るけどね。でもそれでついていく女の子なんて、まずいないと思うよ」
 男は眉ひとつ動かさず、浄土ゆかりの肩にすっと手をのばした。
 空をきった。
 少女の姿勢に変化はない。ただ立っている位置だけが、瞬時にして横方向に移動
していた。
 背後に立つふたりがぎょっと目をむいた。比矢根はやはり表情をかえてはいない。
浄土、と彼女が名のった瞬間に、そこにいる人間がただの少女ではありえないのだ
とあらかじめ己にいいきかせていたのかもしれない。
 二人組があわてて少女をはがいじめにかかる。が、少女のほうが速かった。つい、
と背をくぐめ、かろやかにのけぞり、そしてふわりと跳びあがる。二人組は漫画の
ようにあたふたと両腕を宙で交差させ、ブロック塀のうえに猫のように降りたつ少
女を呆然と見つめた。
 「また今度ね」
 言いはなち、くるりと背をむけた。
 そして、
 「笠森美貴さん」
 二、三歩走りかけてから、首だけふりかえらせて浄土ゆかりは呼んだ。
 「はい?」
 と間のぬけた返事をしてしまう。
 くすりと少女は笑い――すぐにその顔から微笑が消えた。
 「手をひいて。お願い」
 無駄だとわかっているような口調だった。返事を待たずに少女は塀の上から家屋
へと飛びうつり、屋根のむこうに消えていった。
 呆然と見まもるなか、琉球空手の師範代だけが美貴をふりかえって口をひらいた。
 「あの程度は序の口だ。そうでしょう?」
 ぽかんと口をあけた美貴にむかってそう言うと、比矢根は笑った。太陽のにおい
がただよってくるような微笑だった。

    6


 海風に吹かれて進むダットサンのピックアップの荷台に、その巨大なシステムは
不気味に鎮座していた。積載作業に午後いっぱい費やすことを強要したそれは、機
械というよりは前衛芸術のオブジェかなにかのようにガラクタを積みあげただけの
代物にしか見えない。
 が、和晃も美貴もそんな感想などかけらも抱いていない、とでもいいたげなわざ
とらしいほど平然とした表情を懸命に維持しつづけていた。いうまでもなく助手席
にへろりと腰をおろしてほこらしげにシステムを眺める江多十郎の異常な直感への
対策である。
 「PSSだ」
 数時間前、宿の部屋のなかにどっかりと横たわるそれを前にして江多十郎は、で
きのいい息子かなにかを紹介するときのように満面に喜色をうかべてそういった。
 P.S.S.――PSY SENSING SYSTEM。超常機能感知装置、
とでも訳せばいいだろうか。和晃は以前“気”に関する文献を読みあさったことが
あるのだが、そのとき“気”を科学的に検知する試みが行われたという記事を幾度
か見かけた。確証となり得るほどの結果が得られたという報告はなかったものの、
それらしきなんらかの反応が得られたという記録にいきあたり、以来、超常能力を
物理的に検知することも可能かもしれないという考えにとりつかれ、その方面にコ
ネのある知人に冗談半分でほのめかしていた。
 針の穴ほどではあるが、可能性が現実味を帯びはじめたのは奈良場教授の話をき
いてからのことだ。同じ大学の理工学部の教授が以前、イギリスの学者から要請を
うけて超常能力実験用の装置の設計に加わるために渡英していたことがある、とい
うのである。
 結局イギリスでの実験自体が惨憺たるありさまだったこともあって、くだんの教
授からははかばかしい返事は得られなかったものの、折にふれて心あたりをあたっ
てみる、という承諾を強引にとりつけることに成功した。
 その結果が、P.S.S.――ご大層な名前はついているものの、その異様な外
観からはとてもまともに機能する代物とは思えない。和晃は心中の深い落胆をおし
隠すのに非常な努力を強いられていた。
 「バッテリ駆動なんだぞ、バッテリ駆動」
 と江多は自慢げにいうのだが、こんな巨大なシステムがバッテリーで動いたとし
てなんのメリットがあるのだろうかと和晃はひそかに頭をかかえたものだ。道理で
宿の従業員からの苦情が耐えないはずだ。ガラクタをもちこまれただけでも迷惑こ
のうえないだろうに、あろうことか大量の電力を消費したあげく閉め出されていた
部屋の内部にいつのまにか巨大なゴミの集積物が鎮座ましましていたとくればいい
かげん堪忍袋の緒も切れそうなところだろう。にもかかわらず海を眺めながらもう
しばらく静養していくと一人残った教授の宿泊をしぶしぶながら認めるのだから、
世の中もすてたものではない。
 「社長、紅四郎さんです」
 美貴の呼びかけにふと我にかえって指さす先に視線をやった和晃は、曲がりくね
った海岸どおりの彼方から近づいてくる車影を目にする。パールホワイトのプレリ
ュード――たしかに紅四郎の車だ。
 「別荘に忘れものでもしたのか? ……まさかな」
 別荘に忘れものをしたとしても本人がとりにくる要はない。外国好きの紅四郎が
わざわざUターンしてまで葉山を避暑地に選ぶとも思えない。
 「先月の集まりで、こっちにいい女でも見つけたか……」
 ひとりごち、和晃は渋いものをのみこんだように顔をしかめて不機嫌に黙りこむ。
泰山への苦い失望を思い出してでもいるのだろう。美貴は気をきかす意味も含めて
話しかけた。
 「紅四郎さんがなぜ会長の養子に選ばれたのか、というのはグループの内部でも
よく話題になるなぞのひとつですね」
 「ああ。頭は切れるようだが野心がまるでない。とりわけ企業に貢献してるわけ
でもないし、金にあかせてあちこち遊びまわっているような奴だからな」
 「ほんとうのところはどうなんでしょうか?」
 「さてな。俺も噂ていどの知識しかないよ。あいつとは十以上も歳が離れてるし、
それ以上に、なんというかな……奴とはどうもいまひとつ気があわなくてな。妾腹
の息子のうち、いちばん出来がよかった男子――ってところじゃないのかね」




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