#1865/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 6/25 11: 1 (185)
ハイ−アングル(前編5) 青木無常
★内容
自分を見つめる美貴に気づいて、ツネはかげりのある微笑をうかべてみせた。
「会ったこともないひとのことでこんなことをいうのもなんだけど、あたしゃな
んだか心配でねえ……」
つぶやくように、気よわげにいう。
「心配って、なにが? おばあちゃん」
「いやね……その、浄土武彦というひとのことを聞くときは、かならずひとが死
んだことを哀しむ場じゃないか。それに、もしかしたらその人のことかもしれない
って話をいくつか聞いたっていったろう? その話もどうも、あまりいい話ばかり
じゃないんでねえ……」
と深いため息をついた。美貴は声もなく老婆を見まもる。
「どうもあたしゃ、このひとは影に魅入られているような気がしてならないんだ
よ……」
最後にそうつぶやいたきり、老婆は長いあいだ口を重く閉ざしたままだった。
4
「お電話でございます」
言いながらフロア長がコードレス電話を和晃にさしだしたのは、三人のまえにオ
ードブルの皿がならべられた直後だった。ありがとうと愛想よく微笑みながら受話
器を耳にあてた和晃は、開口いちばん「八田か」とささやくように言う。
八田、というのはつかず離れずの体勢でつねに大神和晃をガードする護衛役のリ
ーダー格だ。護衛役はほかにあわせて五人、三交代制でふたり一組、二十四時間和
晃について歩いているはずだが、おなじように一日の大半を和晃とともに行動する
美貴でさえその姿を直接目にすることはほとんどない。それでも以前、派閥がらみ
のトラブルで暴漢に銃撃をうけたときなどどこからともなく電光石火のすばやさで
ふたりの男があらわれ、またたくまに騒乱を収拾した手腕は驚嘆にあたいする。美
貴自身にもべつにふたりの男が常時ガードについているときいたことがあるのだが、
顔を見たことさえない。
「高木がいったのか。何分前だ? ……かかりすぎだな。いや、いい、おまえは
持ち場を離れるな。美貴のガードはどうしてる? ……そうか、わかった。ひきつ
づき頼む」
なにか異変があったらしい。目顔で問いかける美貴に和晃はかるく肩をすくめて
みせ、
「護衛の高木が不審な人間を見つけて、接触にかかったらしいんだがな。二十分も
経つってのに戻ってこないらしいんだ」
言って、愛用の葉巻に火をつけかけ、目の前にならぶオードブルに気づいてあわ
ててシガレットケースに戻す。
「社長……お疲れなのでは?」
気づかわしげに美貴がきくのへ和晃は微笑みながらうなずいてみせた。
「そうかもしれんな……」
そしてふいに、考えこむようにして真顔でだまりこんだ。美貴は和晃の思考をさ
またげぬよう気づかって窓外に視線をむける。
地上をうめつくす都市の光は、ときに天へとその触手をのばしはじめる。屹立す
る四つのバベルの塔はそれでも遠く宇宙へはとどかない。喪われた星辰を狂おしく
求めるひらかれた掌のように、美貴は感じた。
世界を手にし、さらに広大な可能性へと強迫的に触手をのばす挑戦者たちの掌だ。
どこまでも満足はすまい。彼らはつねにおびやかされるようにして進みつづける。
立ちどまればまたたくまに追随者の手に包囲され、やがて力をふるえぬ高みに囲い
こまれてしまうだろう。
浄土、そして安倍とよばれるふたつの影もまた、そうなのだろうか。美貴はふと
そう思った。死と恐怖をもって脅迫をくりかえすのはそれがためなのか。あるいは、
それとも……それとも……?
食事をおえるまで、奈良場教授をふくめた三人は重くだまりこんだままだった。
教授は教授で、浜田ツネとわかれてから放心したようにだまりこんだまま一言も口
をきいていない。いまは姿を消した愛娘のためにも家にいるべきなのだろうが、な
ぜか教授にはそれを忌避している節がみえる。恐怖と怯えのためか。ちがう、と美
貴は考えていた。論拠のない直感にすぎなかった。
「景明だ」
食後のデザートにとりくむ美貴に、和晃がそっと耳うちする。顔をあげて入口に
目をやると、追従笑いをうかべる数人のとりまきにかこまれた景明が大声で笑いな
がら入ってくるところだった。
一行がいったん席をさだめた後、景明だけが兄を見つけて微笑み、席をたつ。
「やあ兄さん、下に車があったからきてるとは思ってたよ。笠森さんもお元気そ
うで。こちらのかたは?」
紹介された奈良場教授に景明はにこやかに笑いながら大げさに握手をした。教授
はにがりきった顔で手が上下にふりまわされるのを眺めている。
「あいかわらずにぎやかだな、おまえのまわりは」
和晃がいう。皮肉のひびきはない。景明もまた「おかげさまで楽しくやらせても
らってるよ」と屈託なく応じる。
じっさい和晃は弟の集人能力を高く評価している。美貴や教授からみれば金にあ
かせて阿諛追従をまとわりつかせておかなければ気のすまない景明よりも、人間的
度量でひとを魅きつけることのできる和晃のほうがすぐれている、としか見えない
のだが――金さえ手に入れば何をやるにも手段は選ばぬという手あいを数かぎりな
く、それも何種類にもわたる広範さで呼びよせることのできる景明をうらやましく
思っている、と和晃自身がもらしたこともある。景明にもまた兄の人格を評価する
言動がときおりほの見えるところからしても、骨肉の争いを展開してはいるものの
この兄弟はそれぞれの能力と限界を正確に把握しているようだ。
それだけにやっかいな関係なのかもしれない、とは教授のもらした感想だがこれ
はまさに美貴がふだんから感じていることと一致する意見だ。
「兄さんは葉山の方でもう少しゆっくりしていくと思っていたんだけど」
「そうもいかん。いろいろとかたづけておかなきゃならんことが山積みだからな」
「ああ、そうだろうね。ぼくのまわりにもネズミが二三、とびかってる」
ずばりと、切りこんでくる。和晃もまた平然たる態度で、
「なかなかしっぽを出さないんでね。トムくんは」
切りかえす。
「ぼくにばかり気をとられていると」一拍おいて、景明は言った。「足もとをす
くわれるよ、兄さん」
「ほう」瞬間、和晃の目にぎらりと炎がうかぶ。「おまえ以外にも毒蛇がいる、
と?」
対して、景明は自信なげに目をふせてみせた。
「ぼく自身、確信をもてないけどね……」
平静をよそおいながらも和晃は内心おどろいていた。景明が和晃の前でこんな態
度をとったことなど、幼少のころ以来たえてないことだった。泰山といい景明とい
い、昨今は省察が大神家の流行らしい。
「おぼえておくよ。いいことをきいた」
和晃のその言葉をきっかけに、兄弟はふたたび右と左にわかれる。
厨房に忙しく働くシェフにかるく目礼をおくってレストランをあとにした一行は、
息つくまもなくロビーの一角で人だかりに出くわすこととなった。
七、八人あつまった野次馬たちの身なりがどれもこれも一定の品格を保っている
のは日本でも有数の一流ホテル内でのできごととしてみれば違和感はない。事実、
情況を検分している制服警官が異様にうきあがってみえる。
「どうしたんです?」
野次馬のひとりに見知った顔をみつけて、和晃は声をひそめて問いかけた。
「ああ、大神さん――殺人ですよ、殺人」
声をかけられた中年紳士は、あいさつもそこそこに好奇心まるだしでそう答えた。
「若い男がひとり、首を切られて死んでるんですよ、首を」
美貴は胃の腑がきゅっと縮まるのを感じた。教授の顔色もかわっている。
「首を切られて、ですか?」
「ええ、そりゃもう壮烈なものですわ」
「ご覧になられたんで?」
「はい。ちらりと」
そこからはききだすまでもなく、身なりのいい中年紳士は嬉々とした口調で一部
始終を語りはじめた。彼が騒乱に出くわしてから警官が到着するまでの数分間に発
見者からひきだした話によると、発見者は当初、ロビーの奥のテーブルのうえに奇
妙なオブジェがのっていると思ったらしい。気にもとめず、約束していた人物のあ
らわれるのを待っていたのだが、周囲の空間との調和を乱すとしか思えないその奇
妙なオブジェのことが気になり、たしかめるために近づいてみて初めて、人間の首
だと気づいたのだという。
胴体のほうはテーブルセットの陰に隠れるようにして横たわっていた。中年紳士
自身が目撃したその死体の服装をくわしく聞きだすと、和晃は礼をいってその場を
あとにした。
エレベータ内部で和晃は、天井の隅に視線を固定させたまま彫像の無表情さでぽ
つりともらした。
「八田だ」
と。
放心の体でベッドに横たわる美貴に背をむけて、和晃は愛用の葉巻に火をつけた。
香りのきつい煙が神経質に数度吐き出されるのを、美貴は薄目のむこうに眺めや
る。
あわただしく奈良場教授とわかれたあと和晃は突発的に部屋をとり、ドアが閉じ
るのを待つ間もなく美貴を抱きしめた。そのままベッドになだれこみ、狂ったよう
に攻めたてた。間をおかず三度、狂おしい営みを終えて、やっとのことで嵐が去っ
た。
炎が消え、茫漠と窓外に視線をさまよわせながら葉巻をふかす和晃のうしろ姿は
美貴にとって、道に迷って途方にくれているこどものような印象を抱かせた。
焦慮がほのみえる。そしてもうひとつ。虚脱感も。
いましも崩おれて泣きだしてしまいそうな気がした。
和晃はそうせず、背をむけたままぼそりといった。
「シャワーをあびてこい」
美貴はこたえず、そのまま長いあいだ和晃の背中を見つめつづけていた。
ふいに、電話がなった。
ちらりと一瞥をくれてから和晃は面倒くさげに立ちあがり、受話器を手にした。
「あざみか……」
短い沈黙のあと、疲れた声音で和晃がいった。
ベッドのなかで、美貴の裸身が小さくふるえる。
気づかず、和晃は受話器の彼方からひびきわたる妹の言葉に気怠げに耳をかたむ
けていた。
「おたがいさまだろう」
つぶやくようにいうのをきいた。知らず、涙がこみあげてきた。
「いまじゃ、おまえも俺ももういい歳だ。それぞれにつれあいもいる。愛する、
とはいかんかもしれんがな」
声に皮肉のひびきがこもる。ふだんの和晃ならおくびにも出さない口調。
「そうとも。そいつもおまえには関係ないことだ」
あざみが自分のことを口にしたのだ、と美貴は知っていた。あざみが和晃の常用
するスウィートに電話をかけてきて口にする内容など、手にとるようにわかってい
た。
声をたてず、美貴は泣きつづけた。
「シャワーをあびてこい」
ふりかえり、あわれむように自分を見る和晃の視線に気づいて顔をそむける。
逃げるようにしてベッドルームをあとにした。送話器からあざみのヒステリック
な罵り声が追いかけてくるような気がした。
顔をおおって泣きながらシャワー室にかけこみ、寒々としたタイルに膝をついて
灯もつけずに泣きつづけた。
ずいぶん長いあいだ、そのままでいた。ふとまばゆく灯がともり、背後で和晃が
息をのむのを感じた。
「……高木……!」
うめくような和晃のつぶやきを耳にとらえ、展開する光景をなかば予想しながら
美貴はおそるおそる薄目をあけた。
眼前の光景は、想像を絶していた。
タイルの壁に、四肢が大の字にへばりついていた。胴体と分断されて。
きれいに切り離された切断面から浴槽にむけて、いまもなお血がしたたり落ちて
いる。のこされた胴体は戯画としか思えない巨大な釘に文字どおり壁に釘づけにさ
れ――うなだれた蒼白の顔面が、ゆっくりとあげられていった。
「社長ぉ……」
蚊のなくような声で発されたその一言には、悲哀と怨念がみちあふれていた。
そうしてひとしきり和晃を凝視した後、首はふたたびがくりとうなだれた。まる
で和晃があらわれるまでは死ぬまいと決心でもしていたかのように。
和晃にしがみつきながら美貴は、こみあげる悲鳴と吐き気を懸命にこらえていた。
和晃もまたふるえる手で美貴を抱きしめたまま一言もない。
そのまま数刻、痙攣的な沈黙からようやく逃れでた和晃が「いこう」とつぶやい
て美貴の肩をそっとおしたとき――
灯がいっせいに消えた。