#1864/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 6/25 10:57 (199)
ハイ−アングル(前編4) 青木無常
★内容
「京都の浄土家にかんしては、まるでしっぽがつかめんのだがね……」
「それで?」
ずいと一歩ふみこんで、教授の肩をいたわるようにそっと、つかんだ。
「以前、わしが憑きものの取材のために霊能者を二、三人、あたってみたことが
あるのをおぼえているかね」
「ええ。私のつてで、ひとりご紹介した記憶があります」
「ああいうものを信じているわけじゃないがね……。なかにひとり、どう考えて
も説明のつかん奇現象をわしに見せてくれたひとがおってな。そのひととはいまで
もある程度のつきあいがあるんだ」
「ほう」
「そのひとがな……最近、あちこちで噂を耳にするといって、ひとりの術者のな
まえをあげよった。乞食のようなかっこうをしてなんのつもりか妹といっしょに全
国をめぐりあるいている男なんだそうだが……その男の名が……」
「浄土……?」
奈良場教授の肩をつかんだ和晃の手にぐっと力のこめられるのが、はた目に見て
いる美貴にさえはっきりとわかった。
教授は苦痛に顔をしかめつつうなずく。
「武彦、というそうじゃ。浄土武彦とな。年齢は三十前後、住所、職業、ともに
不定――いまどきめずらしい、というべきかな」
「いまはどこにいるか、わかりますか?」
「はっきりとはわからん。一、二ヵ月前には近畿あたりにいたらしいが……そや
つらしき男を新宿あたりで見かけた、という話もあるらしい。最近のことだそうだ
が」
「いつごろの話なんでしょうかね?」
「二、三週間まえ……かな。なにせまた聞きだし、見かけた者自身、確信はない
ということなんでな。ま、まゆつばと見たほうがまちがいはないんだろうが……」
「その前は近畿でしたね」和晃は嬉々とした笑顔を満面にうかべていた。「支社
のものにあたらせましょう。新宿のほうは、私自身が」
「なに、先生につきあえとはいいませんよ。江多とかいうあの学生をお願いしま
す。ああ、それからその、霊能者の先生にも連絡をとってもらえませんかね。でき
ればお会いして話を聞いてみたいんですが」
「……手配しておくよ」
「もうしわけありません。恩にきますよ」
ふん、と憎々しげに教授は鼻をならした。
「おまえなんぞに恩にきられとうはないわい。お礼だといって酒の席につれこん
でおきながら、頭のなかにはさらにやっかいな頼みごとを用意しておるんじゃから
な」
しかめ面をぐいとつきだす。これで教授もあとにひけなくなった――美貴は思い、
ひそかにため息をついた。
「二……三日まえなら、いたんだけどね……」
ききとりにくいささやくような声で、浮浪者は訥々と語った。耳を唇にこすりつ
けるようにしてよせなければ、声が出ているのかどうかさえ判然としない話しぶり
だった。
「それで、どこへ、いったの?」
と和晃は、これも浮浪者の耳に唇をおもいきりよせて叫んだ。この老人は耳も遠
いのである。うす汚れた、何ヵ月も、あるいは何年も水にさえつかったことのない
ような老人に対してよくもまああんなまねができるものだと美貴は感嘆さえしてい
た。
「……いんや、聞いでね」
返答に和晃は肩をすくめた。
「んでも……」あわてて耳をよせる財界のお大尽。「しばらぐは、東京離れねっ
て、いってた」
「なにか、当てでも、あったのかな?」
「知らね……土木でもやって、金かせぐって……」
「車はどうしてたのかな?」
和晃の質問に老人はぽかんと大口あける。
浄土武彦はシトロエンという車にのっていたはずだということを苦労して伝えた
が、かえったきたのは「おら、知らねだ」というそっけないこたえだけだった。
それ以上の質問をあきらめたか和晃は首を左右にふりつつ紙幣を何枚か握らせ、
老人に背をむけた。
その背中へ、
「おもしれぇ、ひとだっただなや……」
やけにはっきりと、つぶやくのがきこえた。
電光石火にふりかえり、
「なんだって?」
叫ぶように和晃はきいた。
おびえてあとずさる浮浪者の肩をぐいとつかみ、なだめすかすようにいう。
「なんて言ったんだ、いま? おもしろいひとだった……そう言ったのか?」
老人は魂をぬかれたような顔をしてよわよわしくうなずく。
「おもしろかったのか。話してくれないか? どういうふうに、おもしろかった
のか」
老人はしばらくのあいだ、和晃の熱気にあてられたかもぐもぐと口をうごめかせ
ているだけだったが、やがて重い口をひらいてぽつりぽつりと語った。
蒸し暑い風のふくある夜半、若者はその街にふらりとあらわれた。浮浪者仲間の
うち、二、三人はその若者を見知った顔だといった。ときおりあらわれてはなにを
するでもなくごく自然に自由人の仲間にとけこみ、そのまま何週間かすごしたあと
ふたたびどこかへいってしまうのだという。以前、病で死にそうになっていた仲間
のひとりを呪文のようなもので治してからは、彼のことを悪く言うものもいなくな
ったということらしい。
十六、七の、おなじようにうす汚れた身なりをした少女をつれてあらわれたこと
もある。妹だと紹介されたが、ほんとうのところはどうだかわからない。
今回も、ふたりであらわれた。そのおり、浮浪者仲間のひとりが衰弱して死にか
けていた。呪文の奇跡をおぼえていた者は、好奇と期待とあきらめの入りまじった
目で若者を見たのだが、当の死にかけた老人自身が「やすらかに死なせてくれ」と
願ったために、若者はついに再生の呪文を口にしなかった。
そのかわりにもうひとつの、ささやかな奇跡を若者は見せてくれた。
どこからかひろってきた、公告の印刷された紙片をこまかくちぎり、それを無造
作に路上にぶちまけると歌うようにして呪文を唱えはじめたのである。
高く、低く、ゆるやかに、若者の声はビルの谷間をふきぬけ、夜の空へと深くし
み透っていった。朗唱のような呪文だった。その清澄なるしらべに、みな声もなく
聞き入っていた。
奇跡は最初、風のいたずらのようにしてあらわれた。紙片のいくつかがふわり、
ふわりと舞いあがりはじめたのである。
蒸し暑い夜の谷間にすずやかな風が、静かに、やさしく吹きすぎたような気がし
た。
やがて響きわたる歌声にあわせるようにして、無数の紙片は蝶のように、雪のよ
うに、ビルにはさまれた夏の夜空を舞い踊りはじめた。ゆるやかに踊る舞姫のごと
く、ゆらめきあがり、ひるがえり、地をはい、そしてふたたび舞いあがる。
そのまま数刻、音もなく踊りつづける紙片を死にかけた老人はおだやかに見まも
っていた。そして、老人がやすらかに息をひきとったとき、無数の紙片は老人の魂
を導くようにしてゆっくりと、空高く去っていったのだという……。
老人の話を聞きおえて、美貴はかすかにため息をついていた。
話自体の幻想的な内容もさることながら、語る老人のこどものように無邪気でお
だやかな表情に深く、静かに感銘をうけていたのである。
和晃の表情からも、つかのま険がとれていたような気がした。
やがて和晃はちいさくうなずき、ありがとうといってさらに数枚の紙幣を老人に
さしだした。
老人はうけとらなかった。夢を見ているような顔で、いつまでも虚空を眺めやっ
ているだけだった。
土木作業工事現場の探索を直属の部下数人にあたらせるよう手配した和晃は、つ
ぎに奈良場教授とともに霊能者宅をおとずれた。
名を浜田ツネというその霊能者のすまいは、本郷裏手の老朽化したアパートの一
室にあった。易占のたぐいの看板をかかげているわけでもなく、ここがそうだと教
授が保証しなければいきあたることさえできなかっただろう。
無愛想にうなずきかけただけでずかずかとあがりこむ教授にむけられた五十がら
みの管理人の好意的な微笑からすると、案外あしげく通っているのかもしれない。
和晃と美貴は顔を見あわせつつ、ぎしぎしときしむ廊下にあがりこむ。
古びた外観とはいささかうらはらに、内部は意外と清潔に保たれていた。ちらり
とのぞいた共同風呂も情緒にみちており、なによりくだんの霊能者の借りた六畳一
間の部屋に一歩足をふみいれたとたん、和晃は幽玄、という言葉をおもわずうかべ
ている自分に気づいて驚いた。
簡潔な内装の部屋であった。床の間に仏壇がつつましく飾られている以外にはあ
やしげな札や祭壇のたぐいなどつゆほども見あたらず、畳のうえにすえられた文机
と座布団以外には目につく家具のたぐいも見あたらない。
そしてその文机をわきにして座布団のうえにすわっているのは、しわにうもれた
満面におだやかな微笑をうかべる、ひとりの老婆であった。
縁台にでもすわらせて猫の一匹も抱かせたら、それだけで日本の情景を語りつく
してしまうだろう。そう思わせる老婆が、奈良場教授の説明をにこやかにうなずき
ながら聞く。
聞きおえると、
「散歩にでもいきませんか」
なにか玉をでもころがすような声で、そう言った。
和晃が返事をするまえに美貴が「あら、いいですねえ、おばあちゃん」とこれも
天使のような微笑をうかべながら立ちあがる。その顔や口調には、和晃にはまった
く見覚えのない天真爛漫な、こどものような無邪気さがあふれていた。
手をさしだす美貴にこころよくしわくちゃの手をあずけて立ちあがる老婆は、そ
れでも意外に足腰はしっかりとしているらしい。階段をおりる姿もあぶなげなく、
管理人と笑みかわして玄関をくぐる。
「もうずいぶん前の話だったかねえ」
武蔵野のおもかげをいまなお残す町なみをどこへいくともなく散策しながら、老
婆は語りはじめた。
「遠縁のものに頼まれて、秋月という家の憑きもの落としをやってみたことがあ
るんだけど、それがうまくいかなかったんだよ」
老婆の話によると、その秋月家は家縁とともにひとり娘の近来まれなる霊能が逆
にわざわいして、憑霊を完全に浄化することは不可能な状態にあったらしい。たち
の悪い憑きものだけを選んでなんとかおとしてはみたものの、根本的にはなんの解
決にもいたらなかったという。その秋月家のことはその後も気になってはいたが解
決の手だてもうかばぬまま当の一家が関西の方へ移転してしまう。
ところが思わぬところから、その秋月家にからんだ悲報がとどく。旧来の知友で
ある柳瀬真治という霊能者が除霊に失敗して落命した、というのである。あわてて
兵庫をおとずれた浜田ツネは、依頼先があの秋月家であること、そしてさらにはツ
ネでさえ尊敬してやまないすぐれた霊能者であり人格者でもある柳瀬真治が命をお
としたという悪質な憑霊を、二昼夜の苦闘ののちに落としたものがいる、というこ
とを知った。
柳瀬の仏前でひとしきり死を悼んだのちツネは、秋月家の住むという洋館をたず
ねた。そこで不思議なものを感じた。ひとを祟り殺すという悪質な憑きものの妖気
は微塵もなく、なにやら涼風のようにすずやかな雰囲気さえ覚えたのだ。
そのうえ、秋月の家のものに会ってさらに驚かされた。以前にはぬぐいきれぬよ
どみにあきらめきっていた感のある一家から、諦念や悲哀といったものが拭払され
ていたのである。とりわけ一人娘の葉子は目のさめるようなかわりようで、以前み
られた影のような暗さやおどおどとしたおびえのようなものがきれいに消えさって
おり、かわりに歳相応の溌剌とした明るさにみちあふれていた。それに触発された
か彼女のもつ類まれなる霊能もまた理想的なかたちで顕現しつつあり、ツネはわれ
しらず歓喜の涙があふれるのをおさえきれずにいたほどだという。
そして、秋月家によどんでだれも手を出すことのできなかった闇を風のように吹
きはらっていった男が、浄土武彦と名乗っていたというのである。
「それから、あたしゃその浄土武彦というひとにぜひ一度会ってみたいと思って
ねえ。いろいろとあちこち、聞きまわってみたんだよ」
とツネはつづけた。
これは、と思われる話はいくつかあったが、それがたしかに浄土武彦のことであ
るという確証は得られなかった。それがつい最近、思いがけぬ場所でその名を目に
することとなる。
陣内遥、といえば音にきこえた呪術師の名だが、その遥がつい最近、凶漢におし
いられてみまかったという話をきいた。面識はなかったが互いに手紙のやりとりを
したこともあるので葬儀の場に顔をだした。記帳をしているときに、ふと見知った
名が目に入る。そこにはやや崩れた字体ながら墨々と、たしかに「浄土武彦、ゆか
り」と記されていたのである。
あわてて周囲を見まわしてみたが、それらしいふたりづれは見あたらない。葬儀
のあいだも気をつけていたのだが出棺の段になっても姿をあらわすことなく、おち
つかぬ気分のまま帰路につくよりなかった。
それが後日、これも人死ににからんで友人からふたりの名を耳にする。新進の占
星術家である姫野涙子という人物の葬儀の場に、よれよれの小汚いコートをはおっ
た男と、やはり似たりよったりの身なりの娘とが焼香にきたというのである。友人
はそのふたり組に興味をもったので見まもっていると、案の定あやしく思った受付
の人間に誰何された。そのときに耳にした名が「浄土武彦と妹のゆかり」であった。
ツネから最近きかされていた名だったので一瞬どうしようか迷ったのだが、葬儀の
場であることに気おくれて結局声はかけずじまいだったらしい。それが後日、歌舞
伎町をうろついているときにふいにその兄妹を見かけたのだが、やはり声をかける
間もなく雑踏のなかに見失ってしまったのだという。
「ひとの死んだのに不謹慎なことだけど、その話をきいたときはなんだかひどく
残念なことをしたような気がしてならなかったねえ」
ツネはそう結んで、口をとざした。
沈黙を厳粛に解釈して、奈良場教授も和晃も無言のまま、てくてくと先をいくツ
ネにしたがう。が、横にたってツネをささえるように歩く美貴は、しわにうもれた
ツネの顔のなかに、気がかりな表情を見つけて困惑した。