AWC ハイ−アングル(前編3)       青木無常


        
#1863/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  92/ 6/25  10:52  (196)
ハイ−アングル(前編3)       青木無常
★内容
 「わしにとってはまさに目のうえの瘤だった……」
 重く、ゆっくりと、泰山は述懐した。
 その口調に和晃はぎくりとして思わず顔をあげた。
 疲労が、重く濃くにじんでいたのだ。
 泰山の言葉にそんな響きがふくまれることなどいまだかつてなかったことだ。錯
覚であってほしいと強く念じつつ、和晃は泰山の顔を凝視した。
 重くたれた肉のかたまりの奥に、和晃はたしかに敗北と挫折を見た。
 衝撃にあんぐりと口をひらく。景明を見ると、やはり同じような阿呆面をして和
晃を見かえしている。こんなときにまだお互いの顔色が気になるのだから始末に悪
い、とおぼろげに思いつつふたたび泰山に視線をもどす。
 そして政財界の首魁は、よわよわしげな口調で言ったのだった。
 「わしも……命が惜しくなった」
 と。
 信じがたい言葉だった。
 大神泰山が金輪際口にしないと豪語していたセリフが、いま、あっさりとその口
をついて出たのである。わきに持した側近も呆然と泰山を凝視していた。ふだんな
ら絶対にしない行為だ。
 声もなく自分を見かえす一同に、ゆっくりと視線をそそぎつつ泰山はつづけた。
 「歳をとった。死ぬのがこわくなった」
 そして長々と、深いため息をついた。
 ひどく哀しい想いが風のように胸のうちを吹きすぎていくのを和晃は感じた。
 こえることのできない壁だった。厳格で、一片の情さえも感じさせない男だった。
他人よりも遠い存在だった。憎悪の対象でもあった。
 それがふいに崩れたのだ。
 いや、崩れてはいない。壁は壁のまま――消え失せてしまったのである。
 得体のしれない感情が、ふつふつと溶岩のようにわきあがる。
 怒りだった。わけのわからない怒りが、火山のようにおさえがたく噴きあげてき
たのだ。
 そんな和晃の心中にも気づかぬように、泰山はさらにいった。
 「わしは全権をおまえたちにゆだねることにする。すべての実権を……な。今日
はそれを話そうと思って、おまえたちにわざわざ集まってもらったのだ……」
 景明の顔に一瞬、喜色がうかんだのを和晃は見のがさなかった。三男の満宏と長
女のあざみは、ただただ呆然とするばかり。次女のさゆりは、はやくも目に涙をた
めている。末子・養子の紅四郎は――眉をひそめている。不信感だ。和晃もおなじ
思いだった。冗談をしかけるような父親ではない。だが力量や性格を見きわめるた
めには、これくらいはやりかねない人物であることもたしかだった。
 しかし目の前の泰山の疲れはてた老人然とした姿が演技だとは、とうてい思えな
かった。
 老人はふたたび長子と次男に視線をめぐらし、
 「おまえたちももう、ふたつの日本のことは忘れろ……」静かに、そういった。
「それぞれの事業をよりいっそう発展させるよう、精進するがいい……」
 「納得できません!」
 叫び、はっと和晃は我にかえった。
 衝動にかられて無意識に椅子を蹴倒し、立ちあがっていたのだ。
 呆然とし、みっともなくきょろきょろとあたりを見まわした。さすがに景明もい
つものように揶揄や嘲弄の視線をおくるようなことはしていない。力を得てなおも
言いつのろうと泰山に視線を戻した。
 言葉は出なかった。
 微笑んでいた。政財界の黒幕と呼ばれた男が。
 まるで成長した息子をたのもしげに見守る年老いた慈父のような顔つきで、妖怪
と呼ばれていた巨大な壁が、微笑んでいたのだ
 全身から力がぬけていくのを和晃はおぼろげに感じていた。立ちあがったときと
同様、いつ椅子にへたりこんでしまったのかもさだかでない。だが気分は百八十度
転換していた。つまさきから脳天まで、脱力感に占拠されていたのだ。
 「今日の用件はそれだけだ」
 和晃がへたりこむのを合図のように、泰山は言った。
 「みな、ゆっくりしていくがええ……」
 膨大な肉のかたまりは、来たときとおなじように重い動作で、長い時間をかけて
部屋をあとにした。が、肉の重圧が立ちさったあとも一同は、長いあいだ重く黙り
こんだままだった。


 居室でくつろぐ和晃のうしろ姿をみて、笠森美貴はふと憐愍をおぼえた。
 ロッキング・チェアに深く背をあずけて、葉山の海景をみるともなく眺めている
和晃には、いつもの若々しく精力的なオーラが欠落していた。
 ひどく疲れているように思え、声をかけるのがためらわれた。音をたてないよう
サイドテーブルに歩みより、そっとティーセットを着地させる。
 かたわらの和晃にふと視線をやり――見かえす双眸に胸をつかれた。
 こどものようにまっすぐで、そして心細げな視線だった。
 社長、と呼びかけの言葉が喉につまる。
 そのまま、沈黙のときが凍りつく。
 美貴は胸にわきあがる衝動のまま、和晃の手をとった。
 よわよわしく、たよりなく握りかえす四十男の手に――やにわに力が加わった。
 不自然な姿勢にたおれこみ、つよく抱きすくめられた。
 抱きかえす。そして社長、とかすれるような声でささやきかけた。
 応えるように和晃は美貴の唇を貪りはじめた。
 「……外からみえます……」
 唇を解放され、ふたたびつよく抱きすくめられた美貴はかろうじてそれだけを言
った。
 ふいに、つきとばされるようにして美貴は解放された。
 わけもわからず和晃を見かえし、ぎくりとした。
 怒っていた。
 憤怒の形相に和晃の顔は激しくひき歪んでいたのだ。
 その怒りの視線が自分にむけられたものではない、ということに気がつくまでに、
長い時間がかかった。
 と、そのぎらぎらと燃えるような両眼が唐突に美貴にむけられ、
 「奈良場教授に連絡してくれ」
 低くおさえた口調で命じた。
 間のぬけた空白を一拍おいて美貴は小さく、はい、とうなずき、逃げるようにし
て部屋をあとにする。
 和晃にいつもの精力と若々しさが復活していた。だが喪われていたものもある。
快活さと懐の深さ――美貴がもっとも愛していた和晃の特質だ。それが根こそぎ剥
ぎとられてしまったような気が、美貴にはしたのだった。


    3


 崩壊寸前といってもいいほどさびれた旅館の、山側に面した部屋に奈良場教授他
一名は部屋をとっていた。貧相な体躯を旅館の浴衣につつみ、いつもにもましてぼ
さぼさの頭をばりばりとかきながら階段を途中までおりてきた教授は、和晃と笠森
美貴に会釈ひとつかえさないまま「こい」というように投げやりな動作で手を上下
にふり、そのままあとをもふりかえらず部屋に戻っていく。和晃と美貴はしかたな
く従業員に会釈してわきをすりぬけながら教授の後を追った。
 人目をはばからぬ教授の格好におとらず、部屋のなかの惨状には尋常ならざるも
のがあった。およそ役にたちそうもないようなガラクタの山がところせましと放り
だされているのである。ふき掃除のひとつも施していないと知れる汚れのこびりつ
いた品々は、一目でゴミ捨て場からひろってきたものとわかる。
 そのゴミの山にうもれてこれまたゴミとしか思えないかたまりが、部屋に侵入し
てきた二人にむけて神経質そうな視線をむけた。ビン底めがねが汚れほうだいの鈍
い輝きを放つ。己れの城への侵入者への不快感を露骨に表明したその迷惑げな視線
に、和晃は心底うんざりしていた。
 「紹介するよ。江多十郎、うちの大学の工学部の院生だ」
 という教授の口調にも疲労と不快感が重くにじんでいる。さもありなん、この男
とひとつ部屋で暮らしていれば半日を経ずしてみのりなき疲労感の重圧におしつぶ
されずにはいくまい。
 江多十郎は無愛想にうなずいたきりで背をむけ、ガラクタをいじくりまわす作業
に没頭しはじめた。
 「これは……いかにも、という感じだな」
 和晃は美貴の耳にぼそぼそとささやいた。美貴の口もとがかすかにあがる。初対
面の人間には、これが普段の美貴の笑い顔だとはまったくわからないにちがいない。
 と、和晃が部屋の内部に視線を戻したとき――苦虫をかみつぶしたような教授の
しかめ面のむこうに、江多十郎の不気味な笑い顔があった。
 「きっ、きっ、きっ、きっ」
 異様な笑い声をあげている。と思いきや、
 「聞こえたぞ!」
 ときた。どうやら目と歯をむきだして唇の両端をつりあげているあの表情は、笑
っているのではなく怒っているらしい。
 「ぼっぼっぼっぼっぼくをオタクだと思ってるんだろう!」思わずうなずいてし
まいそうになる。「ちっ、ちがうぞ! だんじてちがう! あんな非生産的な自己
満足の連中とぼくを一緒にするなんて失礼きわまりないことだ! ぼっぼっ、ぼく
はアリストテレス、ダ・ヴィンチ、そしてアインシュタイン以来の大天才なのだぞ!
どうだ、おどろいたかっ。おどろいたら、もっと尊敬しろ! そんな目でぼっぼっ
ぼくを見るんじゃない! 見るなったら!」
 ひとしきり意味不明の罵詈雑言を吐きまくると、口をつぐんでしばらく凝視した
のち満足したのか呆然とする和晃と美貴をおきざりにするようにくるりと背をむけ、
もとの不健康で自閉的な姿勢に復元した。教授が苦笑いしながら「刺激するな」と
でもいうようにせわしなく手のひらを左右にふる。
 場所をかえようか、という意志の疎通は目線だけで完了した。古ぼけ、うらさび
れた卓球場にたどりついて三人はやっと深いため息をつく。
 「いやあ……」
 と和晃が述懐するよりはやく、
 「あんな人物が実在するとは夢にも思いませんでした」
 とアンドロイド美女の笠森美貴がもらすのをきいて、一同の顔にようやく微笑が
うかぶ。
 が、うちとけた雰囲気もつかのまのことにすぎなかった。
 「例の探索は中止にしよう」
 和晃がなにか言いだす前に、先手をとって教授が切りだした。
 あきらかに切迫した口調に和晃も、いつもの態度をおさえて眉根をよせる。
 「どうなさったんです急に。なにかあったんですか?」
 「娘が消えたことは話したか?」
 「いえ、はっきりとは。ですが見当はついていました」
 「帰ってきた」
 それはよかった、と和晃がいうのをさえぎるようにして、教授がかなきり声をあ
げた。
 「声だけだ!」
 意味がとれず見返すふたりの姿も目に入らぬように、教授は興奮した体であたり
を意味もなく歩きはじめた。
 「家に電話してみたんだ、さっき。すると家内が、声が聞こえる、というんだ」
 「……久美ちゃんの声が、ですか?」
 久美、というのが今年十八になる教授の娘の名前である。
 「あたりまえだろう!」と癇癪を爆発させてから教授は、力なく首を左右にふっ
た。「ほかにだれの声がある……?」
 悄然とうなだれる教授に質問をさしはさむも先をうながすもならず、和晃は黙っ
てつぎの言葉をまった。
 「たすけて、と言ったそうだ」やがて教授は、静かにそう言った。「家のなかの
どこからか、声がきこえてくるんだそうだ……。たすけて、とな……」
 「しかし……どこをさがしても姿はない、と……?」
 和晃の言葉に教授は無言でうなずく。
 「例のなんたらいう装置は江多につくらせる」しばしの間をおいて教授は、哀願
口調で口をひらいた。「だからもう、これ以上わしを深入りさせんでくれ。いや、
わしはいい。だが家族に累がおよぶのは……我慢ならんのだ! たのむ!」
 口を真一文字にむすび、和晃はじっと教授を凝視した。教授もまた、涙をにじま
せて和晃を見かえす。
 傲岸不遜がうりものの奈良場教授にこんな顔をされては、さすがの大神和晃もひ
きさがらざるを得ないだろう、美貴はそう思い、心中安堵のため息をもらしていた。
 和晃には知らせていないものの、美貴自身も幾度か姿なき脅迫者の影を感じてい
る。鏡台にむかいあったとき、鏡のなかにうつる自分以外のなにものかの顔が唇の
両端をつりあげて微笑みかえし、「サ・グ・ル・ナ」と声なき言葉を発したときは、
心底からふるえあがったものだった。
 自分のことより、和晃のことが心配でならなかった。その心配も、このことで終
わりになるだろう。
 心の奥の奥底で、もうひとりの美貴が首を左右にふった。甘いわ、と。
 うらづけるように、和晃が笑った。
 牙をむきだしにして。
 「俺はひきませんよ、先生」
 深く、低くひびく力づよい言葉に、教授はおもわず目をふせていた。
 「肝心なことを聞きそびれていたのを思い出しましてね」その教授にかぶせるよ
うにして、和晃は底冷えのするような表情で問いかけた。「なにか新しい成果はな
かったんですか? 質問はしたんですが、こたえはまだでしたよね、先生。どうな
んです?」
 「君は悪魔だ」
 目をふせたまま教授は言った。あきらめの入りまじった、苦々しい響きだった。
 「あるんですね?」
 かさねてきく和晃から目をそむけたまま、奈良場教授はながいあいだ無言のまま
でいたが、やがて力なく首をうなずかせた。




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