#1862/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 6/25 10:47 (188)
ハイ−アングル(前編2) 青木無常
★内容
そしらぬ顔をして絵画を眺める景明にむけてもう一度、音たかく舌うちをして和
晃は実の弟から視線をはずす。
室内に集うた五人の弟妹たちは、一様に笑顔と歓談の下に得体のしれぬ不安をひ
そませていた。大神グループをとりしきる希代の独裁者・大神泰山の入来を待つ身
とあらば、むりもあるまい。六人の兄弟姉妹のだれひとりとして、泰山と父子らし
い交流をもったことのある者はいない。泰山のもとで働く腹心の部下たちのほうが
むしろ、よほど人間的なつきあい方をされているだろう。無口で厳格、つねに山の
ように重々しい泰山の存在は、彼ら兄弟にとってはこえられぬ壁、畏怖の代名詞で
しかないのだ。
ドアノブのまわる音が、やけに重く室内に鳴り響いた。一同はぎくりとしたよう
にいっせいに扉に視線をはしらせる。
ゆっくりと開かれた重厚な扉のむこうから、膨大な肉のかたまりがあらわれた。
2
父の姿を目のあたりする瞬間、和晃がいつも思い出す映画の場面がある。ずいぶ
ん前に映画館で見たジョージ・ルーカスの映画だ。出世作の続編第三弾、空前のヒ
ットメーカーの名を不動のものにした宇宙活劇娯楽大作の一場面、凸凹ロボットコ
ンビが異星の暗黒街をたばねる大ボスの異星人を前にするシーンである。
大画面を占領した軟体動物を思わせる肉のかたまりのその異星人と、大神泰山の
外見とが、酷似しているのである。
実際泰山のかかえる重量は、地球上の重力のもとでは負担以外のなにものでもあ
るまい。脚は数十年前からすでに悪くしているし、病にたおれてからは動作も目に
みえて重たげでけだるい。が、にもかかわらず日本の財界の頂点にたつ男は依然、
重鎮の名にふさわしい威厳をたもっていた。
室内をゆっくりと睥睨したあげく、肉の山はおもむろに動きだす。足腰の衰弱が
ひどくよちよち歩きでしか移動できないのだが、泰山はつねに背後にひかえる二人
の側近に手をかすことを許していない。第一線を退いたいまも泰山は、重く、悠然
と、つねにひとの先頭を歩いている。
側近のひとり――これもかなりの老齢だが――がテーブルにたどりついた泰山の
横にすばやくまわりこんで椅子がひかれるまでに、ずいぶん長い時間が経過したよ
うな気がした。
ロココ調の椅子が積載された重量に悲鳴をあげるのを待って、六人の兄弟も泰山
をかこんで腰をおろす。
なおも重々しい沈黙を長々とおいたのち――大神泰山はゆっくりと和晃を指さし
た。
「……あれはどうなっておる」
のどにからんだ聞き取りにくい声が、言った。
ぎくりと、和晃は背筋をふるわせていた。己を鼓舞するように下腹に力をこめ、
ぐいと身を乗りだす。
「もうしわけありません、会長」
全身に謝罪をこめて、深々と頭をさげた。そのままの姿勢で数瞬、やにわにがば
と首だけあげ、
「まったく進展はありません」
叫ぶようにしてそれだけいうと、ふたたび深々とうち伏す。伏したまま、泰山の
顔色をうかがう。
かすかに、笑っているような気がする。さだかではなかった。おさないころから
和晃は泰山の表情を読みとることができなかった。父の顔色がわからなかったから
こそ、他人の表情を読むすべに長けたのかもしれない。
長い沈黙をおいて、泰山がこたえた。
「まったく、ということはあるまい」
半顔だけ上むかせ、和晃は泰山を見あげる。
「なにか、動きのひとつもあったのだろうが」
財界の首魁が鷹揚にそう問うた。
やはり誤魔化せんか、と内心の苦々しい思いを隠すようにしてさらに頭を下げ、
そのままの姿勢で奈良場教授が脅迫をうけた一件を語った。和晃が語るあいだ、泰
山は微動だにせず耳をかたむけていたが、話し終えた和晃がなおもテーブルに額を
すりつけたまま硬直しているのへ、やっとのように「わかった」と声をかける。
つづいて泰山は景明にむけて同じことを問うた。景明もまた、無言のまま深々と
頭をたれるだけだった。重い沈黙が室内に息苦しく充満する。
「西の浄土、東の安倍……」
ふと、泰山がつぶやくように、そうもらした。
それだけで、一同は父がなにを言いたいのかを理解していた。
くりかえし、くりかえし聞かされてきたことだった。
浄土、安倍という名前が「ふたつの日本」という言葉に言いかえられることもあ
る。このふたつの日本が、財界を牛耳る巨魁のひとりである大神泰山の後半生に重
くのしかかりつづけてきたのだ。
泰山の父、雄岳が基礎を築いた大神グループは次代にうけつがれてから爆発的な
発展をとげ、いまや明治に端を発する財閥連をしのぐほどの権勢をほこっている。
にもかかわらず泰山は不動の地位を築きあげる以前から、背後に立つものの影を感
じていた。
それはまさに影、としかいいようのないものだった。財界の首魁たる泰山がなに
かことをおしすすめようとするとき、外部からそれと気づかぬほどさりげなく、修
正の加えられることがあるのに気づきはじめたのである。ときには泰山の意向にそ
うように、そして時には不可抗力の形をとって行く手をはばむ、不可解な力。それ
に人為的なもの、なにものかの意志をを感じはじめたのはいつからだったろうか。
古くから権力の座を維持する政財界の知己にそれとなく問うて得られた反応は、つ
めたい無関心とその奥にほの見える恐怖のふたつだけだった。
このうえまだ黒幕がひかえているのか、と泰山自身なかば背筋をふるわせつつ単
独で調査をはじめた。進展はなかった。ただひとつを除いては。
脅迫が、とどいたのだ。形の残るような方法ではない。当時はまだめずらしかっ
たオフィス・コンピュータのラインに、出所不明の一文がとどけられたのだ。
むささびは木ぬれ求むとあしひきの山の猟夫にあひにけるかも
志貴皇子のうたった歌だ。万葉集に収録されている。意味は梢を飛び渡るむささ
びが運悪く猟師にいきあたってしまった、といったところか。だが、この歌には古
来寓意説がある。すなわち、野望への冷たい返礼、という解釈。和歌にさして興味
を抱いたことは特にないが、調べるまでもなく明白な意志の表象を理解できた。そ
して、この歌をさしだしたのが、何者であるのかも。
権力者のままでいたければ、余計な真似はするな。歌は泰山にそう語りかけてき
ていたのだ。
警告であった。そしてまた、自分のあずかりしらぬ権力がさらに背後にひかえて
いる、という明白な証拠でもあった。
恐怖を感じた。裏界にひそむ者が意にそわぬ相手をどのようにして追い落として
いくのかが、泰山には手にとるように理解できる。いままでは彼がそれを行使する
側だった。いざ自分にその矛先がむけられたと知ったとき、腰が抜けるほどの恐怖
におそわれた。
が、同時に、闘志もわいていた。
おまえは釈迦の掌のうえで権力者を気取っていればいい――正体のしれぬ謎の存
在は、泰山にむけてそう宣言したのである。海千山千の政財界人をおしのけて現在
の地位にたつことのできた泰山にとって、これは屈辱的な言葉だった。
そして誓った。白日の許になにもかも暴きだしてやる、と。
形をかえてなおも続行された調査は、しかしあいかわらず難航をきわめていた。
さぐりだされた事実は不気味さを助長するばかりで役にたつものはなにひとつなく、
警告は形をかえてくりかえされる。時には、死という形をとって。
泰山の最初の妻は景明を生んだ半年後、突然の死をとげた。不調をうったえはじ
めたのがその三日前。泰山はその時点ではそれを、肉体の不調だとは考えなかった。
虫がいる、というのである。
己れの皮膚と肉のあわいに。
最初は、ただなんとなくむずがゆいだけだった。もともと肌がよわいほうだった
ので、なにかにかぶれたのかもしれないと軽く考えていた。それが、ときが経つに
つれてエスカレートしはじめた。なにかが皮膚のしたでもぞもぞと動いているよう
な感覚がするというのである。いまも動いている、と妻は泰山にうったえた。必死
の形相で。みても、妻の白い肌にはなんの変調もあらわれてはいない。気のせいだ
ろう、と泰山はいった。むかしから神経質なところのある女だった。一時的な幻覚
にちがいない。この状態がつづくようなら専門家にみてもらえばいい、と。
その判断が的確だったか否か、いまもってわからない。三日後に妻は死んだ。前
日まで、すくなくとも外観から異状はみられなかった。だが、照りつける朝の陽光
に目をさました泰山が隣の床に視線をやったとき、そこに妻の姿はなかった。ぐず
ぐずに崩れた豆腐のかたまりのようなものが、妻の夜着につつまれて横たわってい
るだけだった。
死因は不明。予想された答えだった。虫、という妻の言葉がなにを意味するのか
はいまもってわからない。体内をひそかに蝕んでいた病巣を感知した直感が告げさ
せた言葉なのか、あるいは――あるいは、ほんとうに虫のようなものが妻の皮膚の
したに蠢いていたのか――。焼かれた棺のなかに骨は一片だにみられず、立ち昇る
煙はまるでこの世への未練を断ち切れぬようにいつまでも頭上にただよっていた。
二人めの妻は、事故で死んだ。これはどうとでもとれる。陰謀とも、そうでない
とも。これが警告だと思ったほうがましだった。こういうかたちでの警告なら、泰
山にも理解ができた。だが事実がどうだったのかは確認する術もなかった。
三人めは本屋敷の梁で首をつって死んだ。遺書はのこされていなかった。他殺の
形跡もむろん見つかってはいない。この女性はふたりのこどもを流産している。ひ
とりめは巨頭症、ふたりめは頭蓋破裂。唯一生まれたひとり娘のさゆりも精神薄弱
児だった。
長じたこどもたちを不幸が襲うことがなかったというのは、和晃たちにしてみれ
ば幸いだったろう。累はかわりに、泰山の有能な側近たちにおよんでいる。四半世
紀ものあいだ泰山のかたわらで執務をとりつづけてきた腹心の男は、経験こそ浅い
ものの将来の有望株ともくされて泰山のそば仕えを許された若く有能な部下に頚と
胴を切断されて死んだ。発作的に発狂して凶行におよんだ当の部下自身も、収容先
の病院で夜明けを待たずして突然の衰弱死。
もうひとり。少年時代からの泰山の知友であり大神のふところ刀、泰山の右腕と
まで呼ばれた男がある未明、泰山が訪問中の別宅のひとつで発見された。全身はぼ
ろ雑巾のように壮絶な力でねじまげられ、畳一面を血と汚物にまみれさせて。
不気味なのは、その男が発見された時点では生きていた、という事実だ。ねじり
ん棒になった左足のうらを右顔面の側面に横たえたまま、男は泰山を呼べと終始さ
けびつづけていたのだという。巨魁の到来とともにねじり雑巾は「きさまもこうな
りたいか!」と半世紀にもおよぶ主人を一喝、つぎの瞬間、最初の妻とおなじよう
にひきつぶされた豆腐のように崩れ、ついえさった。
さすがの妖怪泰山も、探求の断念を真剣に検討しはじめた。そのやさきだった。
転回がおとずれたのは。
それは思いがけない形をとってあらわれた。俗悪な三流雑誌で「二つの日本」と
いう言葉を目にしたときである。つねに目を通すようこころがけている無数の雑誌
のなかにまぎれこんでいたオカルトまがいの雑誌だ。あらゆる分野の情報を貪欲に
吸収しつづけていた泰山も、さすがにそういう種類の雑誌を開いたことはなかった。
部下が買ってくるもののなかにも、そういうものはなかった。それが偶然のように
まぎれこんでいた。
「二つの日本」という言葉に、泰山はぎくりと背筋をはしるものを感じた。わけ
もわからず、むさぼるように記事を読んだ。忍者、闇の権力者、ユダヤと日本の血
統、内容はおよそ愚にもつかぬことのよせあつめだったが、己れの経験にてらして
思いあたる部分もあった。なにより、日本を二分するふたつの闇の権力構造という
一文が泰山の頭のなかに強く刻印された。
さっそくみずからの手で収集したデータを検討した。
整合した。ぴたりと、とはいかない。あまりにもデータの内容と、そして分量自
体がかぎられていたからだ。それでもつじつまのあわなかった多くのことに説明を
つけることができた。闇にひそんだふたつの勢力の、権力闘争の名のもとに。
あまりの偶然に背筋がふるえる思いだった。罠ではないのかと考えてもみた。だ
が、ありえないとしか思えない偶然が人生には幾度かおとずれるものだ。尻ごみし
て機会を逃すのは愚かもののすることだった。あるいはもしかしたら最初の直感ど
おり罠なのかもしれない。泰山になにかをさせるために仕込んだ、巧妙な罠。
が、泰山はそれでもいいと思った。己れの死への拘泥さえ忘れて、泰山はみずか
ら陣頭にたって指揮をあたえた。ふたつの日本をさがせ、と。
ふしぎなことにそのころから有形無形の脅迫もぴたりとなりをひそめていた。目
につく妨害工作もないまま、ふたつの一族の名が浮かびあがった。ひとつは安倍。
東北、まつろわぬ民の末裔が住む津軽の旧家である。そしてもうひとつは浄土。京
都の一角に居をさだめる名家のひとつだ。
どちらも耳にしたことのない名前だった。調べさせてみたがさほどめだつ経歴が
出てくるわけでもなかった。小規模だが安定した事業を少数、営んでいる。庶民と
はいえないが権勢をほしいままにしているわけでもなく、表面的には周囲に大きな
影響力をもっているわけでもない。税金も馬鹿正直すぎるほど額面どおりに納入し
ている。だが複雑に入り組んだ権力地図を綿密に組みあげていくと、最後の指標は
この二つの名をさし示しているのだ。
人をやってひそかにこの二家をさぐらせた。ときには表ざたにはできないような
手段を使った。だが収穫はまったくなかった。
以来、泰山の追求は暗礁にのりあげたままだ。和晃と景明がそれぞれ浄土家、安
倍家に関する調査をひきついだが、やはりはかばかしい進展はみられないまま、今
日にいたっている。