AWC ハイ−アングル(前編1)       青木無常


        
#1861/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  92/ 6/25  10:43  (195)
ハイ−アングル(前編1)       青木無常
★内容


    1


 「奈良場教授がいらっしゃいました」
 さしだすタオルとともに、笠森美貴がいった。和晃はしたたり落ちる水滴を手の
ひらでぬぐい、精力的に首を左右にうちふりながら浮力の解放感からあふれる陽光
のもとへと身をのり出した。
 「なにか進展があったのかな」
 礼をいって受けとったタオルで全身をぬぐいながら、和晃は秘書に問いかけた。
返答は歯切れよく、明快だった。
 「お聞きしておりません」
 和晃は快活に笑う。いつものごとく、はやく奴を呼べの一点張りだったのだろう。
 「あいかわらずか?」
 「はい」
 いかなる感情もまじえないアンドロイドの美貌が無表情に、かつ迅速にうなずく。
和晃はもう一度はじけるように一声わらうと、笠森美貴にタオルをわたしながら力
づよい足どりで建物へと足をむけた。
 機能的なデザインのだだっ広い客間に、奈良場教授は仏頂面で和晃の来訪を待ち
うけていた。するどい眉のしたの目がせわしなく周囲をうかがっているのは、もち
前の好奇心の発露だ。和晃は大仰な身ぶりをまじえながら来訪を歓迎する言葉をな
らべたて、警戒心もあらわに腰をひく教授の両手をとって上下にふりまわす。
 「前おきなぞどうでもいい、例の装置の件じゃがの、うまくいきそうじゃ」
 もぎはなすように和晃の握手と抱擁から己れのからだをとり戻すと、教授は仏頂
面をいっそう歪ませながら吐き捨てるようにして言った。和晃は内心にやりとほく
そえむ。奈良場教授は和晃という男を大仰に感情をアピールするアメリカ人のよう
なやつ、と思っているようだが、だれにでもこのアメリカ式挨拶のカリカチュアの
ような態度をとるわけではない。気にくわない相手に対して最初にこれを敢行して
おけば、あとは相手のほうが自動的に一定の距離をおくようになる。一度ホモセク
シュアルにせまられた前例はあるものの、この方法はおおかた有効だった。
 「ほう、すると、例の工学部の教授に?」
 内心の思いをおくびにも出さずににこやかに問いかける和晃に、奈良場教授はし
かめ面で首をふる。
 「あんな眉唾なアイディアをまともな人間がとりあうものか。その教授を通して
紹介された院生じゃよ」
 院生、と耳にしたとたん、和晃はあからさまに顔を曇らせた。がっくりと肩をお
とし、みるからに落胆の体だがこれはどうやら演技ではなさそうだ。
 「院生、ですか」
 と和晃があからさまに投げやりな口調で訊くのへ、教授はにやりといたずらっ子
のように相好を崩し、
 「そう捨てたもんでもない」
 「は?」とたんに、現金に目を輝かせる。
 「いわゆる天才と紙一重というタイプの学生でな。まあいってみればマッドサイ
エンティストの卵だな。いままでもいろいろと奇妙というか異常な発明をしてきた
男らしい。ほとんどは役にたたんガラクタ同然の代物だがな」
 「ほう、それは」
 喜ぶべきか落胆すべきかわからない妙な表情を一瞬うかべてから、和晃は笑顔を
ふたたび絞りあげた。
 「なかなかおもしろそうな人材ですな。一度会わせてもらえませんか」
 「そう思ってな。つれてきておいた」
 じろりと横目でにらんだ。和晃はあわてて迷惑そうな顔をひっこめる。にやり、
と教授は笑い、
 「安心しろ。宿の方で待たせてある。夏季休暇の間はわしともどもここに留めて
おくつもりだから、都合がついたら来ればよろしい」
 「しかし、こんなところでは研究設備もそろわないし、不都合はありませんか」
 「よくはしらんが、大丈夫らしいな。なにしろその学生というのが、漫画にでも
出てきそうな町の奇妙な発明家のような男での」そんな男、昨今は漫画にさえ出て
こないのだが、大学教授というものはそういうことはあまりよく知らないらしい。
「廃工場のガラクタ置場でテレビ電話をつくったとかいう話だ。本当か嘘かはわか
らんが、あんたのいうようなわけのわからん装置をつくらせるんなら、そういう破
格な人間の方が都合がいいというものだろう」
 自分の破格さは棚にあげてしれっと言う。和晃は考えこむように話をきいていた
が、にこやかにうなずいてみせた。納得したからではない。頭を切りかえたのだ。
 「わかりました。それについては先生におまかせします。ところで、もうひとつ
の件なんですがね」
 もうひとつ、といっても実はこちらの方が本命だ。思いつきが実現すればもうけ
ものという性質のさきの用件とはちがい、こちらは現実問題としていま和晃の眼前
にぶらさがっている。
 「京都の浄土家のことか」
 教授の顔が重くかげった。あふれるようなエネルギーが唯一のとりえとしか見え
ない奈良場教授には、似つかわしくない顔つきだった。
 「あんた、この件から手をひく気はないか」
 傲慢な教授にはめずらしく、真摯に問いかけた。が、和晃は言下に否定する。
 「もう遅いでしょうな。教授のところにもなにかありましたか」
 質問ではなく、確認の口調だった。
 そして、百八十センチ、九十キロのたくましく若々しい体躯が、ふいに凍りつく。
 奈良場教授の顔に、恐怖の翳を見たからだった。
 十年近くも以前のことだったろうか。奈良場教授は暴力団とトラブルを起こした
ことがある。伊勢あたりの旧家の来歴を調べていたときのことだ。近世、この地方
で神かくしが頻発したことがある。この事件は現在にいたるまで未解明のままだが、
教授は調査の途上でこの神かくし事件にくだんの旧家が関係していることをつきと
めた。十一代目の当主が近隣の処女をさらって夜ごとその生き血をしぼり延命をは
かっていた、との記録を発見したのである。現在でも名家のほまれを満喫する一族
は真相の抹殺を画策し、家をとびだして地もとの暴力団の大幹部におさまっていた
長男にたよった。が、教授はさまざまな形での威嚇や脅迫にも屈することなく、逆
に大幹部宅に単身のりこみ、論理と真理への情熱のみを武器に大幹部以下屈強のな
らず者ぞろいを相手にわたりあったあげく、ついに調査の続行を承諾させたばかり
か荒らくれ者どもの尊敬と称賛さえ勝ちとったのである。
 「実際」と、のちに教授は自慢げにもらしたことがある。「くだんの大幹部に義
兄弟にならないかとせまられてな。ことわるのにまた一苦労じゃったよ」
 この話に嘘いつわりのないことは、のちになって和晃もその大幹部自身に会い、
直接その口から確認している。やせて小柄な、見るからに学究肌のこの教授のどこ
にそんな胆力が、と唖然とする和晃を前にして当の大幹部自身、「あの先生だけは
いまだによくわからねえ」と苦笑しながら当惑を語ったものだ。
 その、奈良場教授が、怯懦に身をふるわせたのだ。
 和晃は、あらためて自分の手がけたものがとてつもない危険に充ちた代物である
ことを実感した。
 「なにがあったんです?」
 きく和晃に教授はよわよわしく首を左右にふり、
 「あんたには、なにが起こったんだったかな」
 「夢枕にたたれたんですよ」こともなげに和晃はこたえる。「呪いがこわくはな
いのかと脅迫されましてね。ただの夢ではないという証拠に、ごていねいに寝室の
壁に六芒星の刻印まで描かれてましたよ。二三日したら自然に消えちまいましたが」
 「あんた、それを見て恐ろしくはなかったのかね」
 「そりゃあぞっとはしましたがね」言って、不敵な笑いをうかべた。「おもしろ
いじゃあないですか。どうやれば他人の夢枕にたてるか、なんて。ひそかに屋敷に
侵入、眠っている私に催眠術をかけ、同時に二三日できれいに消失するインクかな
にかをつかって壁に文字を書いておく――説明がつかないことでもないんですがね。
私の家にはいたるところに防犯カメラがしかけてある。たとえそれらをすりぬけら
れたとしても、あの夢自体、そんなちゃちなものじゃないことはこの私自身が確信
している。もっとも、単なる催眠術でもかまいませんがね。短時間にあれだけ強烈
な暗示を刻印できる方法なら、ぜひご教授ねがいたいもんですな。実際、俺以外の
者があれをかけられたら、尻に帆かけて逃げだしてることうけあいですよ」
 豪快に笑う和晃を、奈良場教授はなかばあきれたように眺めやる。
 「あんたならそういうふうに感じるかもしれんの」
 ため息とともにつぶやいた。
 「ヤクザとわたりあった先生の口にする言葉とも思えませんな」なおも笑いの余
韻をとどめたまま和晃はいう。「いったいなにがあったんです? 教えてください
よ」
 どこか駄々っ子を思わせるような口調できく和晃に、教授はふと微笑をもらし、
すぐにふたたび沈みこんだ。
 「娘がな……」
 それだけ言って、黙りこむ。重い沈黙だ。
 しばらくのあいだ和晃は教授の憂欝な表情を観察していたが、これ以上はきき出
せない、とふんで瞬時に見切りをつけた。
 「教授、そのマッドサイエンティストの院生に会いに、いずれ近いうちに宿泊先
を訪ねさせてもらいますよ。それじゃ、私は家族会議にいかなきゃならんものでこ
れで。なにしろあの豪傑親父が来てるんでね。一分でもおくれたら殺されかねない」
 笑いながらのしのしと遠ざかる背中に、奈良場教授は長いあいだその場にたたず
んだままじっと目をむけていた。


 兄弟六人が一同に会するのは何年ぶりかな。
 葉山の凪いだ海を見るともなく眺めながら、和晃はふとそんなことを考えていた。
 そういう感慨めいたことを感じたのは、こと家族のことに関してははじめてであ
った。おさなくして母と死にわかれ、一番下をのぞいた三人とは血のつながりが半
分だけ。そのうえ、すえの弟の紅四郎は十数年前、養子に入籍されただけの赤の他
人だ。父親との精神的交流も皆無にちかく、もとより家族などというものに愛着な
ど感じる環境には育ってさえいない。
 それがなぜこんなことを考えているのだろう。ふとそんなことを感じ、同時に、
さきの疑問への解答も出ていた。二年ぶりだ。
 二年前の父の誕生日、一族は旧軽の別荘であつまっている。季節はいまよりすこ
し早いころ、晩春、というよりは初夏といったところだったか。意外に近い過去だ。
去年の誕生日は父が病に倒れたので全員があつまる機会にはめぐまれなかった。今
年は、回復した父をかこむ輪のなかに三人の姿が欠けていた。次男の景明、長女の
あざみ、そして養子の紅四郎――それぞれ、欠席の理由にもっともらしい口実をつ
けてはいるが、あざみは年下の男とのアバンチュール、紅四郎も出張と称してロン
ドンで金髪娘とよろしくやっていたという裏をとってある。二十八、まだまだ女遊
びの楽しさの色褪せない紅四郎はともかくとして、三十路もおちついた頃のはずの
あざみが子供を放りだして若い男に血道をあげる、というのが和晃にはどうにも納
得できない。五人の兄弟のなかでもっとも親しく、愛情らしきものをまがりなりに
も覚えているのがあざみであったから、そういう思いを抱くのかもしれなかった。
 だが本当に問題なのは――と和晃は考える――次男の景明だ。二つちがいで和晃
と唯一おなじ母をもつ真正の兄弟にはちがいないのだが、和晃は幼いころからこの
景明にだけは心ゆるせないものがあった。景明はことあるごとに兄に対する対抗心
をめらめらと燃やしてきた。学校の成績はいうにおよばず、運動会の順位から友人
の数に至るまで、いちいち兄と己とをひき比べては一喜一憂してきたのだ。長じて
父の傘下の会社をまかせられるようになってからは、その敵愾心は一段と青白く燃
え盛るようになった。
 それにしても、会社の業績を競う程度なら問題もなかろうが、どうやらこの次男
は和晃の失墜を画策している節があるのだ。
 己をじっと見つめる和晃に気づいて、モネの複製画を眺めていた景明がわざとら
しい微笑をうかべる。たいしたタマだ、と和晃はあからさまに舌をうってみせた。
微笑に翳りさえみせず、景明はさりげなく絵画に視線を戻す。この弟にはたしかに
したたかさがあった。それが問題なのだ。兄に対していわれなく敵愾心を燃やす無
能な弟など歯牙にさえかける必要はない。すくなくとも景明は、そういう種類の無
視すべき人間ではなかった。それどころか、油断のならない、毒蛇の性をもつ男だ。
 和晃は過去三度、生死の境をさまよったことがある。一度めはまだ幼いころのこ
とだった。場所はこの葉山。どこでどうして何が起こったのかはよく覚えていない
ものの、ひとつだけ鮮明に思いうかぶことがある。おぼれ、必死になって救けをも
とめる和晃を見つめる、稚い、そして冷たい観察者の顔。波の間に垣間みた景明の
双眸には、見まちがえようのない憎悪と、そして愉悦が青白く燃えていたのだ。
 二度めは十七歳の冬のことだった。暴走族どうしの抗争事件にまきこまれて加減
をしらぬ暴力の嵐にさらされ、死にかけたのみならず危うく警察沙汰にもなりかけ
たのだ。幸いにして父親の名声が効いたのか通りがかりの被害者として処理された
ものの、厳格な父はむしろ自分の名前をつかって危地を切りぬけたことで和晃に叱
責を加えた。当時、たしかに暴走族に参加していた中学時代の同級生との交遊はあ
ったものの、その日彼の名をかたって和晃を呼びだした電話の声は、いまにして思
えば景明のとりまきの一人のような気がしてならない。
 そして三度目は――つい最近のことだ。和晃傘下の企業の創立二十年祭のパーテ
ィ会場で、毒入りのバカルディが供応された。バカルディのような飲み物を飲みた
がる人間は、そうは多くない。その場に出されていたのも、社長の和晃がそれをと
くに好んでいたからだ。致死性の毒物を飲みほした和晃は医者につれこまれて三日
三晩生死の境をさまよったあげく、奇跡的な生還をはたしている。その間、笠森美
貴の適確な判断によって事件は警察に知らされることなく処理され、和晃と会社の
名前に傷がつく事態はかろうじてまぬかれたものの、和晃のほかにもバカルディに
手をつけた女子社員が一名死亡しており、もみけしにはそうとう苦労したらしい。
むろん事件の真相もひそかに追求されたのだが、いまだ薮の中だ。
 毒物を使った殺人は痕跡を追いやすい。にもかかわらず、入手経路から混入方法
まで一切が謎のまま残されている。綿密な計画、バックアップ、実行者の手腕、ど
れひとつ欠けてもこうはいくまい。
 景明なら可能だ。すべて。運を必要とはしただろうが、景明は自分の運に自信を
もってもいる。みっつの事件のどれひとつとして証拠のかけらもないが、和晃は黒
幕に景明がいることを確信していた。




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