#1683/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 92/ 5/12 8:42 (131)
ネパールの三馬鹿(26) 青木無常PLUS
★内容
と飯屋を物色しつつ歩いていると笛売りがつきまといはじめた。笛売りは実にあ
ちこちにいてバザール地区を歩いていると必ず一度や二度はつきまとわれる。竹に
穴をあけただけのちゃちいシロモノのわりに結構な値段をふっかけてくるので、カ
トマンズでもポカラでもまったく相手にしなかったのだが、この笛売りやけに粘り
腰だ。めんどうなのでめちゃくちゃ安い値段で追いはらってしまおうと思ったのだ
が、なにげなく値段を口にしたとたん「よしOK、その値段で買ってくれ」ときた。
しまった。さして安い値でもない。こんな竹っきれ、荷物になるだけだしどう考え
てもこっちの損だ。うー。うー。うー。しまった。ほんっとうに、しまった! 一
日中歩いたは腹は減ったはで思考力が低下していたのだ。それにしてもよくよく思
考力の低下する奴だ。しょうもない。ああ。今さらいらねえやというわけにもいか
ず、しかたがないので買わされてやった。はあ。吹いてみる。ああ。いい音が出ね
え。だいたい俺って小学生時代から笛だけは苦手だったんだよなあ。ああ、いった
いなにやってんだろなあ。馬鹿。
がっくりきてると前方から歩いてきた男が「こんばんは」と日本語で声をかけて
きた。トレッキングに来た日本人という感じだ。今度はなんなんだ、と思うと「飯
食いましたか」とくる。ははあ、ひとり旅で日本人恋しで一緒に飯食う奴でもさが
してるんだなと一人合点し、一緒に食おうってのいーよと言うと、いや俺はもう食
っちゃったんですけどね、とか言う。なんだ?
「いや、そこの食堂なんですげとね、今食ってきたとこ。めちゃくちゃうまかっ
たんで、もしよかったらどうかと思って」
なあるほど、そういうことか。こっちもいい加減腹減りまくってたとこだし、じ
ゃあ入ってみるよありがとうと、手をふって別れ、くだんの食堂に入ってみた。
うーん。
こりゃ怪しい。
一歩足を踏みいれて最初に抱いた感想がこれだ。
開け放った扉の店先から辺りはばからぬ笑声が響きわたるのを耳にした時から、
予感はあった。内部のつくりは店の手前にキャッシャー、その奥に雑然とならぶテ
ーブルが八、九卓。少々うす汚れたテーブルクロスに巨大厚手コップに満載された
水。厨房は店の奥に配置されているらしい。夜だから電球が煌々と輝いているが、
昼間入ればうす暗い印象を受けるだろう。
この手のつくりの店は今までにも何軒か見かけた。食事はしなかったが、壜ジュ
ースを飲みに入ったことも何度かある。だが、こうして食事をしに夜入ってみると
どうにも怪しい雰囲気だ。それに拍車をかけていたのが、その店の客層。
妙に、若い奴らが多かったのだ。群れて楽しげに歓談している。店員らしき若い
女の子も、なんの躊躇も見せずにその輪に加わっている。これはカトマンズでは少
しばかり不思議な光景だった。若い男女が群れをつくって歓談にうち興じている、
という姿はたぶんこの時はじめて見たと思う。むー。俺も仲間に入りたい。
さっきの日本人は「チベット料理の食堂」だと言っていたのだが、手渡されたメ
ニューをざっと眺めわたすとメインはやはりカレーだ。チベットもカレーベースの
食文化なのかなあ。モモ……はポカラでひどい目にあったからやめ。オーソドック
スにチキンカレーとコーラをオーダーする。
さほど待たされることもなく、カップ入りのカレーと皿に山盛りのインディカ米
が俺の目の前にならべられた。スプーンをつっこんでとろとろとご飯にかける。日
本のカレーよりはしゃぶしゃぶだが、今まで食ってきたものに比べると少しとろみ
がつけられているようだ。
一口、口にしてみた。
うまい。かっ、と辛味が口中に広がり、つづいてぐわあっと複雑なうまみがおし
寄せる。かっ、ぐわあっ、かっ、ぐわあっと一心に食った。うまい。これはたしか
になかなかだ。貪り食って一息つき、コーラを傾けつつ555をくわえながら相席
したおっさん二人とカタコト会話を交わし、店を後にした。
電球の灯された街の佇まいを眺めながら歩いていると、風がなんだか冷たい。T
シャツ一枚では昼はちょうどよくても、日陰や夜は肌寒い国、季節だ。さっそくさ
っき物々交換したティベタンの上着を着てみよう。と神社の傍に腰をおろしズタ袋
ひらく。ズタ袋の中はあちこちで山のように買いあさったガラクタの土産ものでい
っぱいだ。あったあった、これだこれ。
着てみる。なんだかこれは、複雑なつくりだな。む? このボタンをここにとめ
るんだな。よし。と。で、これがここで……これがここ、と。……あれ、ちょっと
きついな。えーと、これがここでこれがここで、これが、ここ、と。合ってるよな
あ。……きつい。……着れないことはないが……はっきりいってこれ……窮屈だ。
だああああああああああああああまたやりやがったサイズが合わない。なんてこ
った物々交換に夢中で試着するのを忘れてた。相手はしっかり裏地の感触まで確か
めていたのに俺はいったいなにをしとるのかっ。はあ。
しかたがないので手近の店に飛びこみ、また少しちがった形をした同じ模様の一
品を買った。うーん。デザインはさっきの奴のほうがいいんだがなあ。でもこれ、
かなりあったかくて具合がいいぞ。
さあそれじゃ日もすっかり暮れちまったしそろそろ帰るかな、とふらふら歩き出
したのだがなんだかまわりの風景まるで見覚えない。どうも裏側に来ちまったらし
い。こっちの方へいけば王宮通りに出られそうな気がする。よし、こっちだ。
ところがなんだかちっとも出ない。街がごちゃごちゃしていて細部の構造が基本
的に同じなので、見覚えのある場所に出たと思ってもまるで知らないところだった
りする。
煙草が切れたので雑貨屋に入った。ちょっと年のいったご婦人が、店先に集った
ガキどもになにやら説教口調で話しかけている。どうもどこの国でもガキというの
は一緒だな。
555とチョコレートを手に入れて、もう少し歩いてみた。すっかり闇に沈んだ
街の一角で、四人組の爺さんが煌々と照る電球のもと、太鼓とハルモニウムを並べ
ていかにも楽しげに演奏している姿に出くわした。ああ。気持ちよさそうだなあ。
飛びいりしたいけど、俺のへたくそなリズムじゃばらばらになっちまうよなあ。い
いなあ。俺もあんなふうに調子よく叩けるようになりたいなあ。
そのうちに、道が下りはじめた。最初にタメルをうろついた時に出たあの坂の方
角に向かっているらしい。いかんこりゃ正反対だ。くるりと踵を返す。またしばら
く歩く。うーん、このあたりなんか、すごく見覚えあるんだけどなあ。あの寺とい
いあの食堂といい……ありゃ? なんだあの食堂、さっき飯を食ったチベット料理
の店じゃないか。げ。笛売りがまだうろついてやがる。こりゃもういかん。リクシ
ャを頼んでしまおう。
俺はついに自力でタメルの土地勘を養うことをあきらめ、リクシャに声をかけた。
おーい、いいかい。ラトナ公園のあたりまでやってくれ。なに? 10ルピー?
高いなあ。もうちょっと負けろよ。ダメ? しようがねえなあ。じゃあそれでいい
よ。よいしょっと。ん? なにこのおっさん。あんたの友だち? なに、このリク
シャのオーナー? 公園までついてくんの? あ、そ。べつにいいけど、料金も二
人ぶんで20ルピーなんて言っても払わないかんねっ。
という具合で十四、五の笑顔の素敵なリクシャマンは俺とオーナーのおっさんを
乗せて筋肉を躍動させながら夜の大通りを勢いよくかけぬけた。道々、公園につい
たら飲みものをおごってくれないかと要求する。ダメだよ、俺はさっさと帰りたい
んだ。だいいちこんな時間だしもう店しまっちゃってんじゃないの?
歩道橋ゲートでリクシャとわかれ、やっとのことでホテルにたどりついた。Yと
Kの部屋をノックすると、ジャヤさんがいた。オーJさん、ネパールダンス来ない、
ピクニック来ない、わたしたちのこと忘れてしまいましたか、わたしとても哀しい
とくる。いやいやいや熱出して寝こんでたんですよ、ホント、いきたかったんだけ
ど。我ながら調子のいい奴だなあ。
Yが新聞紙にくるまれたサリーを自慢げに見せた。赤いサリーだ。色はきれいだ
けど、どうも俺には単なる布きれにしか見えないな。Kのも同じ赤色、ただしこち
らのほうが若干色調が明るい。年令にあわせての選定だという。さぞ高かったろう
なと思ったらなんと、最初の日に俺が買ったティベタンの衣裳上下ひとそろいと同
じくらいの値段だったという。そりゃスダさんご用達の店だということで顔きいた
んだろうけど、ちょっとねえよなあと少々落胆した。Yはこのサリーのほかにむく
むくとしたヤクのセーターも手提げ袋に山盛り購入していた。日本に帰ったらまず
あぶら抜きしなきゃと、いかにも嬉しそうに言う。またこの娘はかさばるものばか
り買って。
ああそうだ。この衣裳、ジャケットと交換に買ったんだけどサイズあわなくてさ
あ。K、着てみろよ。と試着させてみると、おお可愛いじゃねえか、似合ってるよ。
あんたにあげるそれ。なに? やっぱりちょっときつい? ダイエットしなさい。
ティベタンの衣裳着て鏡の前でくるくるするKを横目に、ジャヤさん見て見てこ
れダーバーで買ったんだよと太鼓をぽんぽこ叩いてみると、ああそれはこう叩くん
だよと俺の隣に腰をおろして太鼓を抱え、
ぼん、ぱん、ぼん、ぱん、ぼぼぱぱぼぼぱぱぱんぱかぱっぱぼんぱんぼぱぼぱぼ
ぱぼん。
俺がぽこぽこ叩くのと響きがまるでちがう。店のおっさんが叩いた音と同じ、じ
つにすばらしい響きだ。Jさん、いですか、ここで叩くんです。ライクジス。と太
鼓のへりに手をかけてぼん! 底まで響くいい音がする。ははあそこですか、なる
ほど。とやってみると、ほわん。なんだこの気のぬけた音は。Jさん違うよ、こう
叩くんだよ貸してみ? とKがぽん。そうかそうかよしわかったと叩いてみると、
ほへん。ああっなぜだっ。Jさんこうですライクジス、ぼん、ぱん、ぼん、ぱん、
ぼん、ぱん、ぼん、これが基本ね。こういう叩き方もできるよ、ぼんたかたった、
ぼぱぼぱととんと、ぼんかっ、ぼんかっ、かっ、ぽっ、かっ、ぽっぽっかっ、ぼぼ
んぽぼん、ぽん。かっぽん。ははあ、なるほど、指輪を使って太鼓の側面を叩きな
がらオカズを入れるわけですね。明日俺も指輪買おう。で、基本練習がこうですね。
ほひん。あれ? 違うったらJさん、あたしが見本みせてやるってば。ぼん。ね、
こうやって指の腹で叩くの。ぼん。ぱん。そうか。よし。じゃそれやってみる。こ
うだな、ほら。こぽん。
夜に轟く太鼓の響き。