AWC ネパールの三馬鹿(25)   青木無常PLUS


        
#1682/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  92/ 5/12   8:38  (138)
ネパールの三馬鹿(25)   青木無常PLUS
★内容


    6.太鼓とサリー


 3月24日(火)。ホテルでブレックファーストを食っていると、自転車に乗っ
て新聞屋の爺さんがやってきた。新聞屋といっても新聞配達ではない。なんでもジ
ャーナリストのチーフ格の人物らしい。そんな人物がなぜ訪ねてきたかというと、
Yが現地の新聞を郵送で定期講読するというからだ。そんなお偉い人物がなぜ自転
車でというと――よくわからない。ネパールでは車は貴重品らしいが、この爺さん
ビル一件もっているお金持ちらしいので、車買う金がないということもなさそうな
のだが。
 さて「俺のビルならいつでもタダで泊めてやるぜ」と豪語して新聞屋の爺さんが
ぎこぎこ自転車で颯爽と帰ってからしばらくして、俺たちは銀行へいった。先日も
いったスイス銀行だ。スイス銀行だが、働いている行員は全員ネパールの人だった。
あたりまえだ。でもなんだか妙な気分だ。
 昼飯は『コト』という店にいくことにする。これもS(ネ)とM(日)さんのご
推薦。日本食レストランは二日連続になってしまうが、いいかげんカレーにもあき
が来ていたしみそ汁はなつかしいし、この時は知らなかったけどYは赤痢患者で腹
具合が最悪だったしで、なんでわざわざネパールまできて日本食、とちらりと思わ
ないでもなかったのだがまあよかろう。俺は最初『コト』を『琴』と思っていたの
だが、看板には漢字で『古都』と書かれていた。あ、なーるほど、古都、ね(Y注:
“古都”と“串藤”では“古都”の方が良い店でした)。
 この店はきのうの店とちがってつくりが小規模で、全体の雰囲気もより日本風と
いう感じだった。そしてなによりカウンターの奥で調理に精出してる数人のうちの
ひとりが、なぜか日本の大衆食堂の親父という感じだ。ふむん。
 ここでも日本式にやたらといろいろ頼んだ。天ぷら、コロッケ、あげだし豆腐、
かつ丼、うどん、天そば、みな死ぬほど懐かしくてうまい。ああ。もっとも豆腐だ
けは駄目だ。まずくはないのだがこれは豆腐ではない。俺はこれいらない。
 なんだかYはもそもそとあまり食が進まない。そうとう具合が悪そうだ。そりゃ
そうだ、われわれは誰ひとりとしてまるで思いあたりもしなかったのだが、この時
点ですでにこの娘は……しつこいからやめておこう。
 飯を食い終えてバザールをゆっくりと経めぐる。なんだかあっちでもこっちでも
バザールばっかりまわっているみたいだけど、ちっとも飽きがこない。それに安も
のの義理ものばかりで、メインの土産をまだ買っていない。で、曼陀羅屋、装身具
屋とまわった。曼陀羅は交渉がうまくいかずになにも購入せず、装身具屋で数種類
の耳飾りを買った。けっこうな値段だ。だけど耳飾りなんぞ切実にほしいものでも
ないのでどうも交渉に身が入らず、あまり値切る気になれないのだ。
 バザールをぬけて川のほとりに出た。なんのこたない、また道に迷っているのだ
がネパールタイムにすっかり感化されたか三人とももともとそういう性格なのか、
道に迷っているという感覚さえ希薄だ。橋の上の歩道に沿って商店が軒をつらねて
いる。妙な野菜。なんだこりゃ大根か? 赤い大根。うーん。
 橋の端から下をのぞく。うわあ。汚い川だなあ。どぶどろという感じだ。仮にこ
の水を口にしたとしたら一夜にして体内の養分すべてが肛門から光速で流出しはて、
運よく生き延びても骨川筋衛門だ。ちなみに俺は生涯通じて極端な痩身で、よく親
父に「骨川筋衛門」と呼ばれたものだった。
 川の傍にはなにやら汚い身なりをした婦人が――洗濯をしている。こんな川で洗
濯なんかしたら汚れものがいっそう汚れてしまうことうけあいなのだが、よくもま
あ躊躇なく……。あれをやるから川の汚れにも拍車がかけられているのかもしれな
い。俺が熱で寝ている時に二人が訪れたパタンの識字学校では、文字の読み方書き
方の講習のほかに「あなたたちが飲み水として自分で使う井戸で洗濯をすると、飲
み水が不潔になって病気が流行してしまいます」などということを紙芝居ふうに講
義していたという。衛生観念。
 軒をつらねるスラムの彼方に、どぶどろの川はとうとうと流れていく。反対側に
目を向けると地震で崩れたらしい旧い橋のむこうに、高いビルが遠景までせせこま
しく占拠している。
 肉屋の店先で、解体された肉に蝿が縦横無尽に飛び交っている。頭上に巨大な荷
物をのせて、重く、ゆったりとした足取りで行きすぎていく老人。女たち。裸で跳
ねまわるガキども。橋の下には巨大な豚の家族がどぶどろの水をうまそうにすすっ
ている。盛大に排気ガスをまきちらしながらせわしく行き交う車の群れ。笑顔、疲
労、絶望、日常。表裏一体の聖俗の街。そしていきずりの旅人。

 道を引きかえして数刻、俺たちはダーバースクエアに出た。うろうろとしている
と、なんだか古道具屋みたいな店があるのでなんだと思ったら楽器屋だった。
 縦二畳ほどの狭いスペースに、おもしろそうな楽器が山づみになっている。西洋
も東洋もごちゃまぜだ。ほー。これはラッパだね。これはコンガ、ありゃシタール
もある。いいなあ。カティ? え? そりゃ破格だ。五十分の一でも手が出ねえや。
ちょっとこれ吹いてみていい? ぶわー。なんだこの音。うーん。むかし吹いてた
ことあるんだけどなあ、これ。まあいいや。これは? 叩いていい? よし。
 おお! いい音だ。これは、どう表現すればいいんだろう、なんというか、底の
底まで響きわたるような感じ。いいねえこれ。カティ? え、そりゃちょっと高い
なあ。うん? こっちの方はもう少し安い? ほう。おお、音はやや落ちるが響き
は同じだ。よし、これを買うぞ。買う。さあ、あんたの最初のラストプライスはい
くらだい?
 てな調子で俺は、なんだか椰子の実を半分に割ってそれに水牛の皮をかぶせたよ
うな妙な太鼓をわきに抱えて店を出た。先行していたYとKに鞄屋で合流、ぽんぽ
こぽんぽこ太鼓叩きながらバザールの裏側までいくと――
 なんだか妙な喫茶店がある。店先のショーウインドウに数種類のケーキがディス
プレイされてて、つくりは小ぎれいだがなんとなく小汚い雰囲気で、なんつうか日
本のさびれた街の裏通りあたりで長髪の胡散臭い連中がたむろしていそうな感じの
店だ。喉もかわいていることだし、入ってみるかと入ってみた。大きなまちがいだ
った。
 そりゃね。
 べつにユーミンはいいと思うよ。べつにね。文句をいうつもりはないよ。はい。
東京大好き。ああそうですか。卒業シーズンの定番。たいへん結構。リゾートの定
番。いいですとも。しかしネパールはリゾートか? まあそれはいい。いいけどさ。
なにも、アルバムまるごとダビングした品、最初から最後までかけなくてもいいと
思うんだけどさ。それに、ね。やっと終わった、ああネパールにきてからこっち最
悪の拷問だったなあ、ああほっとした――なんて人をほっとさせといて、おんなじ
LPをもう一度最初からかけ直すなんてそんな人非人な真似……しなくてもいいじ
ないか。糞っ。ばかやろう。ふざけるんじゃねえよ。男だったら泉谷しげるを聴け
ばかやろう。いい歳こいてふにゃけてんじゃねえよテーブルひっくりかえして暴れ
ちゃうよ。ぐわああああああああああああああああああ!
 と爆発寸前の癇癪をかろうじて抑えてどうにか無事に店を出た。あああ、死ぬか
と思った。助かった。
 それから、スダさんの見立てでサリーを買いにいくというK、Yとわかれて俺は
ひとりになった。
 バザールのあちこちで、なんだか妙な台に特大オハジキみたいな変なシロモノを
配置して指ではじいて遊んでいる。こどものグループも多いが、たいがいいい歳し
た大人が数人で台をかこんでいる。台上にはオハジキの大きさにあわせて何本か仕
切り線が引かれていて、四隅にはやはり、オハジキがすこんと落ちこむのにちょう
どいいくらいの大きさの穴が穿たれている。ぼんやり眺めていると何だかビリヤー
ドの変種のようなルールらしい。各玉は三種類に色分けされ、まんなかの色、自分
の色、敵手の色と決まっているようだ。対戦は二人で行なわれている。あとの数人
はギャラリーか順番待ちだろう。
 自分のオハジキを指ではじいて、自分の玉を穴に落とす。うまく落ちればつづけ
てもう一発打つことができる。失敗したら今度は敵手の番だ。同じように自分の玉
に玉あてて穴めがけてシュッとすべらせる。シュッ、カチン、シュッ。なんだか二
人ともあまり手慣れていない。が、真剣さだけは人一倍だ。賭てでもいるのだろう。
一勝負つくまで俺はじっくりとそれに見入っていた。ふと気づくと夕方になってい
た。
 タメルでもうろつこうか。と方向もさだめず闇雲に歩き出した。ビル群のわきを
通って裏通りにまぎれこんだ。銀工房で一心に細工の腕をふるう褐色の肌の職人た
ち。みな若い。そして真剣だ。奴らが汗を流して銀を打ちつづけている姿を見て、
こういう暮らしもいいかもしれないとふと思った。でもカーストの関係もあるだろ
うし、職にあぶれた連中も街にあふれているらしい。俺はあくまで局外者だ。
 この日、俺は得意のティベタンの衣裳はホテルにおきざりにして、ブレザーにジ
ーパンとごく尋常な格好をしている。なぜかというとこのブレザー、あまり気にい
ってない奴で日本ではまず着ることがない。だからネパールで盗まれてもいーやと
着てきたシロモノだ。ところが意に反してちっとも盗まれない。だからいっそ物々
交換してしまおうと着てきたわけだ。
 で、タメルの裏側あたりまでたどりついたところでさっそく行商をかけてみた。
まずは二日目に購入したティベタンの衣裳と同じ柄の、胸前であわせて着るシロモ
ノを選定。ここからが難物だ。
 これと交換してくれと俺の着ているブレザーさすと、女店員「あちきには着りゃ
れませんえ」と微笑みながらいう。じゃあそこに男がいるじゃないか、サイズも合
いそうだぞと言うと男、ちょっとばかり食指の動いた様子。よし試着してみるのだ
それそれそれそれと無理矢理わたすと、まず裏地をたしかめ、つぎに製造地を確認
する。ところが、このブレザー「日本製」と日本語では書かれているのだがなぜか
「MADE IN JAPAN」の文字がない。これ日本語だよちゃんと日本製と
書いてあるぞ本当だってばと力説する間も店の人間全員集まってしげしげと見てる。
なかなかしっかりしてる。日本製品ステータスといってもやはりモノはしっかり見
るわけだ。
 結局物々交換はなんとか成立し、俺はニューティベタンの衣裳をズタ袋につめて
さらに奥地へと進軍した。ずらずらずらと歩いていると何だかまるで見覚えのない
街なみだ。またもや道に迷ったらしいが、なに歩いていればそのうちどこかに着く
だろう。しかしそれにしても日も暮れちまったし腹も減った。このへんで飯でも食
うか。うまくて安そうなレストランは、と。




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