AWC 炎狼鬼 第三章(1) おうざき


        
#1536/3137 空中分解2
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炎狼鬼 第三章(1) おうざき
★内容
   (一)
 炎狼鬼の放った咆哮は、村の三方を囲む山々にまで達し、こだまとなって空に
散る。
 普通の人間がそれを耳にしたなら、すぐさまに後ろを向いて見苦しく逃げ出す
か、腰を抜かして泡を吹くかの、二つに一つであろう。
 炎狼鬼にあいまみえてもなお、両の足を踏み締めて地に立つ事のできる者は、
ごくごくひと握りでしかない。世にもまれな根を持つその男が三人、炎狼鬼を相
手に、睨みあっていた。
 森口栄一郎、この年二十六歳。井岡の国に並ぶ者も少なき剣豪、森口大善の一
粒種である。親の血を受け、比類なき剣の腕を持つ。奉行所において同心を勤め
るが、憶えなき辻斬りの疑いで投牢された。角井源之進に助けられ、炎狼鬼討伐
の旅に出た。
 その角井源之進は、三十一歳である。彼もまた、宮津の国にその名を光らせる
剣の達人であり、不敵な性格とあいまって、「宮津の豪傑」の異称が知られてい
る。牢より助け出した栄一郎を、炎狼鬼と関わらせたのは、この男である。
 そして今一人の男がある。名は正影英明、歳は二十六。幼少には栄一郎とは親
友であった。井岡の奉行所にあって、栄一郎とともに同心を勤める。時の流れは、
いつしか親友を宿敵に変える。栄一郎の奉行所脱出劇において、栄一郎に斬りか
かるが、角井に逆撃をこうむった。それは顔面の傷となって、ますます正影の心
をねじ曲げた。二人を追い、彼もまた宮津の国、炎狼鬼にあいまみえる事となっ
た。
   (二)
 炎狼鬼は、後ろ足で仁王立ちとなって男達を睨みおろしていた。その姿は、学
者ではない栄一郎には、何と形容してよいのか、見当すらつかぬ。
 宝羽に生きた、炎狼鬼を知る一部の文人は、これを称して「時の流れに産み落
とされた悪夢」「息をする災厄」などと詠んだものであった。
 炎狼鬼をつけ狙う剣人は、両手両足の指をはるかに越えていた。角井もまた、
その一人だったのである。
 何があったのかは、多くは伝わっておらぬ。宮津の国が世に誇る剣の達人が、
宝羽三年に、刃物で切り落としたごとくに激減している理由につき、宝羽の史料
は沈黙している。
 とにかく、現在では、炎狼鬼を相手にしているのは、宮津の国では角井ただ一
人であった。
 栄一郎は、角井に質した事がある。なぜに炎狼鬼に対すに、わざわざ剣をもっ
て向かうのか、槍なり弓なりを使えばよいではないか、と。
 角井は少し考え、答えを返した。
「今は宝羽三年で、ここは宮津の国なのだ」
 実より名が意味を持つ、この時代を象徴する言である。
   (三)
 鉄の音が、周囲を圧して響いた。指の一本すら動かす事のできぬ中で、角井の
腕だけが動いて、名鉄定宗を抜き放ったのである。
 雨に濡れた刀身が朝の光を映す。その照り返しを目に受け、炎狼鬼が、ごく短
いうなりを、白く短く鋭い歯の間から漏らす。
 炎狼鬼は、いまだ正体を知る者なき謎の怪物であるが、唯一、知られた癖を持
っていた。それは、光り物に対する態度である。剣や、光が反射する物を目にす
ると、凶暴さを増すというのである。
 角井のまとう歌舞伎まがいの着物など、その最たるものであろう。光をはね返
して鋭く輝く名鉄定宗といい、炎狼鬼を逆撫でする事おびただしい。
 そして、角井自身がそれを知っている事もまた、まず疑いない。それどころか、
承知の上でいるに相違なかろう。良くも悪くも、そういう男である。
 すでに剣を抜き持つ二人に加え、正影も剣を抜いた。鉄の音が響き、栄一郎の
耳を刺した。
 栄一郎は、顔をしかめた。
 やっかいな事になったものであった。正影の存在が、事態をもつれさせている
のである。この男は、剣を抜いて、どうするのであろう。一体、誰に斬りかかろ
うというのであろうか。
 目の前の炎狼鬼に踊りかかるのか、そうではなく、顔に傷を掘った角井を襲う
のか、それとも、人生で目障りだった栄一郎に斬りかかるのであろうか。
 鉄の枝を生やした三人の内の、二人がなびくように動いた。ただ一人、栄一郎
だけが動きえぬ。炎狼鬼の姿は、すでに栄一郎達の視野の大半をふさぐまでにせ
まっていた。
 その身の丈が、人の三倍にはなろうかという炎狼鬼が、剣を構えた角井を、う
なりを発しつつ睨む。その背後を、今しがたまで炎狼鬼が水をむさぼっていた川
がせせらぐ。
 景色を白く隠していた霧が、日が上るにつけて、晴れつつあった。
   (四)
 剣を握り、栄一郎はうつけて立っていた。その目は酔うたごとくに濁っている。
 この時、栄一郎は、炎狼鬼に何かを感じたのである。恐怖の類ではない。それ
が何かは、理解しえなかった。剣の腕では国で片手の指にはいる男も、万能なら
ぬ身であった。
 栄一郎は、とまどいを振り切るがごとく、頭を振った。
「怪物め」
 うめくと、闘志をかき起こし、一歩を踏み出した。国を隔ててここまでやって
来た訳を、忘れてはならぬ。角井源之進とともに炎狼鬼を討つべく、ここに立っ
ているのではなかったか。
 炎狼鬼の二度目のおたけびが空に響いたのは、その時であった。
 それを合図としめし合わせてでもあったかのごとく、角井がまた動いた。それ
を、炎狼鬼は下目使いに睨みおろす。
「けだものが」
 名鉄定宗をひと振りして腕力をつけ、走り出した。握る剣はまっすぐに、炎狼
鬼へと向いている。
 その時である。奇妙な光景が栄一郎の目を刺した、その主は、正影である。彼
の血走った眼と切先とは、炎狼鬼にあらず、栄一郎でもなく、角井の後ろ姿に向
けられていたのだった。
 角井が名鉄定宗を振りかざす。
「炎狼鬼、死んで行った剣勇の恨み、今こそ晴らそうぞ!」
 叫びとともに、角井は眼の前を占有する獣に襲いかかろうとした。その彼に向
けて、炎狼鬼の反対の方向から光が伸びる。この期におよんでなお角井を襲おう
とする、それは正影の刃先であった。
「角井源之進!」
 次の瞬間、栄一郎は絶叫していた。
「や、やめろ!」
 炎狼鬼に向かっていた角井の動きが止まる。振り向いた訳ではない。栄一郎の
声を聞いた訳でもあるまい、気配を捕らえたのであろう。立ち止まり、顔は前に
向けたまま、名鉄定宗を逆手に持ちかえ、脇から後ろの人物に向け刺し放つ。全
てが一瞬の半分にも満たぬ事であった。
   (五)
「ぐむっ!」
 手ごたえと同時に、背中の一点に焼けるがごとき感覚が生まれた。それは胸に
まで抜け、たちまち冷えて痛みとなる。




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