AWC 大和の空(2)        YASU


        
#1489/3137 空中分解2
★タイトル (UTJ     )  92/ 3/ 3  23:53  (117)
大和の空(2)        YASU
★内容
                             (3)

 翌年、つまり白雉五年の十一月天皇は世を去った。
 淋しい晩年であった。
 あわただしい葬儀の後、都は正式に大和に移された。結局、天皇
が住まう所が都であるというむなしい慣習が守られたにすぎない。
 有馬皇子は難波の宮のうらぶれた屋敷に残った。皇子と一緒に残
った者は米麿という若い舎人と飯炊きの媼だけであった。だが、皇
子にとっては久しぶりに心のなごむ日々であった。
 父の憤死にも似た最後は、彼には苦い記憶ではあるが、父があれ
ほど固執した天皇の地位をもう誰も彼から奪えなくなったのだから
、父も黄泉の国で安逸に暮らすことができるだろう。
 この頃の自分が一生で一番幸福だった、と皇子は後になって思う。
彼はまたこの時期、自分の生や天皇家や、それらを背後で動かす運
命のようなものをしきりに考えた。
 彼は毎日を黙想のうちに送った。
 大和に移った中央は激動していた。
 前代未聞の天皇重祚が行われ、孝徳天皇の姉でかつての皇極天皇
は斉明天皇として高御座についた。しかし、政治の実権は中大兄皇
子と中臣鎌子に握られていた。大化改新後十年、いまや彼らは改新
の名の下に天皇の地位を絶対的なものにするため、着々と政治制度
や身分制度の改革に当たっていた。
 天皇の即位を耳にしても有馬皇子は格別の感情は抱かなかった。
ただ、さすがは中大兄皇子や中臣鎌子は利発だ、天皇などという地
位に固執していない、広大な天の下を統治していくには自らが天皇
になるよりも補佐役の立場でいて実権を持つ方が都合がいいことを
よく知っている、そう思った。
 この時期、皇子はひたすら歌作にはげんだ。
 ここ一年余り、気に入るような和歌は全然できなかった。それが
今はどんな言葉を並べてもすばらしい出来映えのように皇子には思
えた。彼はこれらの歌を自分の師であるあの舎人に送り、評を乞お
うと考えた。もしかしたら自分も後世に残る和歌が詠めるかもしれ
ない。
 毎日皇子は難波津あたりを散策しながら歌作のことばかり考えて
過ごした。
 そんなある日、有馬皇子はふと思いついていつもより遠出をした。
 海辺に沿って歩き、山が突き出しているむこうの岬まで行ってみ
ようという気になった。いつも連れてくる米麿がほかの用事で来ら
れなかったのでそんな冒険を思いついたのだった。
 打ち寄せる波が岩に砕けて一面に水しぶきを上げるのを見おろし
ながら、少し恐い気持ちを抑えて岩肌を上ったり下りたりした。
 やっと岬の崖の下にたどりついたとき、彼は一人の海人の子ども
が塩を焼きながらこちらを見ているのに気付いた。年は十二、三と
おぼしい娘だった。裸足で短い着物に縄帯をきゅっと締め、いかに
も活発そうな海人の子だ。ときどき手に持った棒切れで火をかきま
ぜながら皇子の方を盗み見る。その表情が愛くるしい。皇子は自分
が見られていることを意識していないふうを装って、ゆっくり彼女
に近づいて行った。すると、彼女も皇子のことは気がついていない
かのように知らん顔をして、自分の仕事に熱中しだした。その様子
がおかしくもあり可愛くもあった。
 有馬皇子は彼女から十歩ほど離れたところの岩に腰を下ろした。
そっと海人の娘を見やると、彼女も石の上に坐り火を無心にかきま
ぜている。皇子は彼女に話しかけたくてたまらないが、きっかけが
どうしてもつかめない。
 二人は黙って並んで坐っていた。
 皇子は少女の口元が今にもほころびそうなのを、そして彼女が懸
命にそれを抑えているのを見て取った。彼女の健康そうな紅い唇か
ら乙女らしい笑い声がはじけるのを皇子は期待した。
 そのとき突然二人の背後から男の怒鳴り声が響いた。
 振り返ると髭面の大男が岩の上に立ってこちらを睨んでいた。男
の背後に小さな堀立小屋があり漁師の家とみえた。少女は飛び上が
ると男の方に駆けて行った。彼女が近づくや男はやにわに手を振り
上げた。次の瞬間少女は地面にたたき伏せられていた。
 皇子は乱暴なことをする、彼女の父親だろうか、と腹立たしく思
った。
 ゆっくり立ち上がると、彼は道を引き返し始めた。海に目を転じ
ると、白い波頭が生き物のように繰り返し繰り返し浜に押し寄せて
くる。人影のない浜辺のあちこちから、塩焼く煙が細々立ち上って
いる。遠くの水平線はかすんで見え、海はどこまでものどかだった。
 旧宮に帰ってきたとき、有馬皇子は南庭の孝徳帝の殯宮の前にた
たずむ一人の老人の姿を見つけた。それは彼の和歌の師のあの舎人
であった。
 老舎人は彼に気付かないで殯宮(もがりのみや)の前で一心に祈
っていた。
 皇子は父が生前この舎人を可愛がっていたことを思いだした。そ
して、自分以外に父のことを偲んでくれる者がいることをうれしく
思った。
 腰が曲がり枯木のように痩せてしまった舎人を伴って、彼は広い
宮の自分達だけが侘び住まいしている部屋に戻った。
 さっそく彼は最近詠んだ和歌を取り出して老舎人に見せた。
 一首ずつ手に取り口ずさんでは、目をしょぼしょぼさせていたが
、一通り読み終えると曲がった腰を精いっぱい伸ばすようにしてから、
「上手になられた、上手になられた」と言った。
「これだけ詠まれる方は今の世にそうおられますまい」
「それでは後世に詠み継がれるような歌を、私もいつかは作れるよ
うになりましょうか。そして、そうなるためには和歌の心というも
のをどう考えてたらよいのか、ぜひお教えください」
「和歌の心と言われるか」
「はい」
「皇子、いまここで一首詠んでみていただけませんかな」
「はい」
 有馬皇子は目を閉じた。
 先ほど会った海乙女のことが浮かんだ。筆を取ると、かの少女の
ういういしさ、あどけなさを、のどかな海辺のたたずまいと悠久の
時間に対比させて歌い上げた。
 彼の歌に目を通しながら、老いた舎人はつぶやいた。
「上手と言わずやある、言わずやある」
 皇子はあまり誉められている気がしなかった。
 そのことを率直に告げると、老師は
「さよう、決して誉めてはおらぬでな。当今の歌詠みからは上手の
名をいただけましょう、と申し上げているだけです」
「どこが気に入りませぬか、おっしゃってください」
 憮然となって有馬皇子は尋ねた。
 老人は彼の顔を見つめた。それまで皺に隠れて見えなかった細い
目が、かつての彼に和歌や漢詩を教えていたころの澄んで輝いてい
た目に変わっていた。
「あなた様には和歌の天分というものがございます。どうかもっと
自分に素直になられよ。表面だけの率直さは誰でも繕えます。表面
を歌ってはなりませぬ。心の奥を歌われよ」
「・・・」
「歌を詠むのは決して楽しくばかりはありませぬ。一時の歓楽のた
めに歌を詠むのは歌の心にもとりまする」
 皇子は彼の言う意味が分からなかった。
 舎人ももはや何も言わず、彼の目は再び深く刻まれて皺の中で輝
きを失っていった。
 翌日舎人は自分の国である和泉へ帰って行った。





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