AWC 水銀灯         あきちゃ


        
#1230/3137 空中分解2
★タイトル (SKM     )  91/10/14   6:13  (189)
水銀灯         あきちゃ
★内容
 ゴゴゴゴゴ…。轟音が天井を通り抜けていく。チーフの勝田は調理場の壁に掛けられ
た時計をチラと見た。十二時四十五分。終電が到着する時刻だ。
「よし、遅れてない。太麺十、あと六十秒。味噌七、醤油三。餃子五。いいな」
 勝田は早口でまくしたてると、自分はバーナーに火をつけ中華鍋にラードをひとすく
い入れた。強い火力に煽られてラードはみるみる溶けて油煙を上げ始める。挽き肉や野
菜を次々に放り込んで手際よく炒める。
 セカンドチーフのミノルは手が早い。ジャズドラマーへの夢を捨てきれずにいるだけ
あって、狭い調理場の中でも、まるでドラムスを叩くような身のこなしで、きびきびと
仕事をしていく。チーフの指示があった瞬間に同じ時計の秒針をとらえ、きっかり六十
秒後にお湯が沸騰している寸胴(ずんどう)の縁のザルの中へ指示された数の麺をほぐ
しながら入れて、タイマーを二分後に鳴るようにセットした。麺を入れ終わるとすぐに
餃子焼き機の蓋を開けて、生餃子を五人前その熱い鉄板の上に並べて、水をカップで計
って入れた。瞬間的に蒸気が沸き上がり調理場の中には圧縮された熱気が充満した。息
つく暇もなく、今度はどんぶりを三つ取り出してスープをおたまで入れてから醤油を小
さな柄杓で計って加え、醤油ラーメン用のスープを準備した。
 皿洗いのムーミンは学生アルバイトだ。ムーミンというのはミノルがつけたあだ名で
、ずんぐりした体つきで動作が鈍く、男としては異様に色が白い。そのうえ、性格がお
っとりしているので、ムーミンだといわれれば、うなづける。そんなムーミンでも、年
末をひかえたこの頃は客が多く、今日も夕方から休む暇がない。皿洗いといってもずっ
と皿ばかり洗っているわけではなく、出来上がったラーメンや餃子を客席まで運んだり
もする。まして、十時にウエイトレスのアケミが帰ってしまってからは、その忙しさは
極致に達する。そして、この終電の客が引けるまでの三十分ばかりが正念場だ。いつも
のとつとつとした口調も消えて、ひたすらどんぶりを洗っては、ラーメンを運ぶ、水を
出す、レジを打つ、テーブルを片づける。少し太り気味の体をくねらせて調理場と客席
を行き来する。

 ここはガード下の札幌ラーメンの店。都心から1時間ほどでたどり着ける私鉄の小さ
な駅のすぐ脇にある。駅の周辺は色合いとしては、むしろ下町で、昔ながらの商店街と
新しく侵攻してきたコンビニストアーやバーガーショップが静かにせめぎあっている。
この店はそんなベッドタウンの町の中にあって、カウンターに八席、テーブルに二十席
と小さな店ではあるが、通勤客や学生客を集めて、早い旨い安いの三拍子で、昼、夜、
深夜の一日中客がよく入って繁盛していた。

 終電から降りた客の第一陣がやってきた。
 寒そうにコートの衿をたてているサラリーマン風。走って来たのか少し息を弾ませて
いる。酔っていないところを見ると、仕事で遅くなったのだろう。カウンターに座るや
いなや箸立から割り箸を一膳抜き取って、パチンと割った。メニューも見ずに「味噌」
とチーフの勝田に声をかけた。「あいよ」と返事した勝田はちょうどミノルがどんぶり
に移したばかりの、ゆであがった麺の上に野菜入りの味噌スープをおたまで注ぎ入れた
。カウンター越しにミノルが客の前に差し出す。この間約五秒。レンズが湯気で曇るの
かサラリーマンはどんぶりの脇に眼鏡をはずして置いた。麺をすくい上げてフウフウ吹
いては飲み込んでいく。すごい食欲だ。
 次々に客が入ってくる。勤め帰りの客が多い。女性の客もいる。明らかに酔っている
と思われる客もいる。それぞれが自分の注文をカウンターの中の勝田やミノルに向かっ
て告げる。勝田は味噌、ミノルは醤油、客の顔と注文を聞き分けて、瞬時に作り上げて
いく。それをカウンターの客にはミノルが、テーブルの客にはムーミンが出す。「おい
ムーミン違う、それは3番テーブルさんだ」勝田の容赦のないしわがれ声が飛ぶ。その
たびに「あっ、そうか」とムーミンは右往左往する。

 ラーメンは麺のゆで具合で味が大きく左右される。一般的には、客の注文を聞いてか
らゆでるのが定石だが、この店に配属されてから五年目の勝田には、終電客の注文数の
バランスが見えている。季節による違い、天気による違い、曜日による違い、それらを
飲み込んでいる勝田の勘はめったに外れない。座ってすぐに食べられて、しかも旨い。
それを知っている客達は改札口を出ると走るようにしてやってくる。ほとんどが常連客
だ。勝田のラーメンに対するセンスの良さと、ミノルやムーミンとの連係プレー。それ
らが効を奏してここのところ店の売上が以前に較べて飛躍的に延びている。

 さっき勝田が指示した麺の数ははやくも消化して足りなくなった。あらたに入った注
文の麺を追加してミノルがざるの中に急いで入れた。
 皆もくもくとラーメンをすすっている。テーブルの客達はほとんどが相席になってい
る。それでも座りきれない客が入り口のあたりや外に並び始めた。十二月の東京の夜は
風が冷たい。コートのポケットに手を突っ込んで背中を丸めた待機組が、自動ドアが開
いて客が出ていくたびに中をのぞき込んで自分の順番を待っている。開いたドアから漏
れてくる匂いに、皆、あたたかいラーメンの味が唾液に混ざって口の奥のほうから沸き
上がって来ている。

 最後の客が席を立ったのは一時半を過ぎた頃だった。
 ムーミンがのれんを引っ込めて、自動ドアのスイッチを切った。勝田とミノルは調理
場の片づけを始めている。
「ミノル、そいつはそんなに念いれて洗わなくてもいい。それから、スープ、捨てちま
っていいぞ」
 勝田が餃子焼き機を洗っているミノルに声をかけた。
「そうですよね。つい、いつもの癖で…」
 ミノルが手を止めて答えた。
 ミノルはスープ用の寸胴をバーナー台から降ろして、中のスープを排水溝に流した。
底のほうから皮をむかれただけの豚の頭がその形のまま現れた。
「チーフ、一度聞こうと思っていたんですけど、この豚もそうですけど、顔のところに
驍るデコボコはなんですか?」
 北京鍋を洗っている勝田にミノルが聞いた。
「それか。それは病気で死んだ豚だ。癌かなにかじゃねえか。社長がどっか裏から安い
やつを仕入れてくるんだ。挽き肉だってそうだ。たまにミミズみてえなもんが混ざって
るだろ。ありゃ、血管だよ。臓物のどこかは知らねえけど、挽いちまえばわかんねえと
ころがあるらしい。だけど、血管は細くて弾力があるから、機械の穴をくぐって、残っ
ちまうことがあるんだ。そんなことは客は知らねえから、入れねえようにすんのに、大
変だよ。まあ、いいや。ミノル、座れよ。よっこらしょっと」
 勝田はラードの入った一斗缶に腰を降ろし、帽子をとって膝の上できちんと四角にた
たみながら、うつむき加減に言った。
「終わったな」
「ええ」
 ミノルは答ながら勝田にならって胡麻油の缶を引き寄せて座り込んだ。
 勝田は白髪が少し混ざり始めている角刈の頭をかきながら、もう一度立ち上がって、
客席で掃除をしているムーミンに声をかけた。
「おい、ムーミン、テーブル、もう拭かんでいいぞ。テーブルも道具もみんな処分しち
まうそうだから、掃除してもおんなじだ。それより、ビール持ってきてくれ。グラスも
3つ。最後の乾杯しよう」

 今日はこの店の最後の営業日となった。駅周辺の再開発とやらで、古くなった駅舎が
取り壊されて、新しくステーションビルに生まれ変わることになっている。それに伴っ
てガード下の店もすべて取り壊されて、希望する店は新しいビルの中に優先的に出店で
きることになっていたが、新たに取り交わされる契約の内容をめぐって、このチェーン
店の社長と、ビルのオーナーである私鉄関連会社との話し合いがもつれ、とうとう出店
できないことになってしまった。チーフの勝田は待遇は変わらないものの、他のチェー
ン店のセカンドチーフとして配属されることが決まっていた。

「ミノル、おまえ、会社辞めるんだってな?」
 一息でビールを飲み干した後、口の周りを掌で拭いながら勝田が切り出した。
「ええ、少しは金も貯まったし、やっぱりバークリーに行こうと思ってるんですよ」
「ジャズか。ドラムだったよな。本場に行かなきゃだめか?」
「だめってこともないんですけど、やっぱり行ってみたいですね」
「ミノルは一人身だしな、やれるときに好きなことやっておくのはいいことだ」
「チーフも、そのうち自分のお店持つんでしょ?」
「いや、いつになるか見当もつかんよ。ガキが二人もいちゃな…。それに…」
「それに、なんですか?」
「いやあ、いろいろあってね…。ところで、ミノル、おまえ、最後まで腹に時計が出来
なかったな」
「時計って?」
「麺のゆで加減さ。俺はおまえがラーメンを一生やるつもりがないことを知っていたか
ら、うるさく言わなかったが、麺のゆで具合はタイマーじゃ計れねえんだよ、ほんとの
ところは。ひとつの寸胴の中でも火のまわり具合が違うだろ。だから、おんなじ時間ゆ
でても硬さが少しづつ違うんだ。それに、お湯が汚れてくると早くゆだるだろ。早くゆ
だるが腰がなくなる。そういったことは自分の腹で計らねえと、旨い麺はできねえんだ
。だけど、いままで、ほんとによくやてくれたな。礼を言うよ」
 勝田はしまっている自動ドアの方に一旦視線をはずしてから、振り返って、後ろに座
っているムーミンに声をかけた。
「ムーミン、おまえはどうするんだ?」
「俺ですか。俺はきっと、もしかしたら、インドに行くことになるかな」
 グラスに一杯飲んだだけで、ムーミンの顔は気の毒なほど赤くなっている。
「インドへ行くって、学校はどうするんだ?」
 勝田は眉間のしわを更に深くして訊いた。
「来年の春まで、どっかでバイトして、休学して…」
「ムーミンも変わってるよな。おやじさんから金ならいくらでも貰えるっていうのに、
バイトしてんだから」
 ミノルが少し羨ましそうに言った。
 ムーミンの父親は秋田で代々続いた大きな酒造メーカーを経営している。大学を卒業
したらすぐに地元に帰って家業に専念する約束で東京に出てきていた。
「俺、あんまり、帰りたくないんですよ、田舎に」
 ムーミンはグラスの中の泡を見つめながら力なく言った。
「まあいいや、若い時にゃ…」
 そこまで言いかけて勝田はまたドアの方を見た。半透明になっているガラス越しに赤
い服が動いているのが見える。勝田は立ち上がって客席の方にまわり、ドアを手で開け
た。大粒の雪が風とともに吹き込んできた。スカート丈より短い、はやりの赤いコート
を着て、アケミがそこに立っていた。
「やっぱりおまえか、遅くなったから気になってたんだ。わるいわるい。雪になったの
か」
 勝田は一歩外に出て、暗い空を見上げながら、アケミにだけ聞こえるように、小さな
声で言った。中の二人の視線を背中に感じながらも勝田の表情が緩んだ。仕事の時には
決して見せないその優しい目の光をミノルもムーミンも見逃さなっかった。
「あんまり遅いから、心配になって来ちゃった。立って待ってたら凍えそうなんだもん
…。うわー、中はあったかい」
 アケミが傘をたたむと着いていた湿った雪のかたまりが足元を濡らした。アケミの履
いているパンプスもすっかり濡れている。
「みんなで飲んでたの?」
 コートの雪を払い落としてから、アケミはミノルとムーミンにほほえみかけて言った
。明らかに照れ隠しののほほえみだ。
 ミノルとムーミンは立ち上がって顔を見合わせた。
 しばらく見つめ合っていた二人は、同時に合点がいった。二人の表情に複雑な笑みが
浮かんだ。
「アケミも飲む?」
 ミノルが訊いた。
「うううん、寒いからいらない。それより、ごめんなさいね、ミノルさん、このあいだ
、せっかくミノルさんの出るライブに誘ってもらったたのに、行かなくて」
「いやあ、いいんだよ。ライブっていうほどのもんじゃないし」
 ミノルはときどき新宿のピットインの朝の部に出演していた。ギャラはほとんどなく
、ドラムスのセットを赤帽を頼んで運んで貰うと足が出る。それでも、セッションを組
んで活動していないと腕が上がらない。ミノルはアケミに自分の演奏を聞かせたかった
。ミノルは勝田とアケミの関係に少しも気づいていなかった。
「さっき、あたしが上がるとき、みんな忙しそうだったから、あいさつもろくにしなか
ったけど、今日でおしまいよね。また、逢えるかしら」
 アケミはミノルの目の中をのぞき込みながら言った。
 ミノルは勝田の目を一瞬見て、言葉に詰まった。
 その視線の会話を断ち切るように勝田が幾分大きな声で言った。
「さあ、帰ろう」

 帰り仕度をして四人はそろって外に出た。雪はなお激しく降っている。店の前で四人
は二組みに分かれて、右と左に歩き始めた。
 ミノルとムーミンは二人ともポケットに手を突っ込んだまま、しばらく無言で歩いて
いたが、ムーミンが口火を切った。
「だいぶ歳が離れてますよね」
「そうだろうね。親子ほど…」
 ミノルは路面から目を離さずに答えた。
「チーフ、今夜は家に帰らないんかな」
「そうだろうね」
 ミノルとムーミンの頭の上に雪が積もり始めている。
「アケミさんって、優しい人ですよね」
「ああ」
 ムーミンが振り返ると、ひとつの傘の中に寄り添うようにして歩いて行く二人の姿が
、水銀灯の明かりの中に小さく見えた。

             完




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