#1018/3137 空中分解2
★タイトル (NJF ) 91/ 7/12 1:17 ( 33)
お題>「鏡」 ニーチェ
★内容
鏡の中に男が映っている。男は髭面で、頬骨と鰓が張っていること
以外は、うまく表情が読み取れない。時々充血した目を見開いて、鏡
の向こう側の風景を眺めている。
男の後ろには白いタイル張りの壁しか見えない。男の姿と一緒に、
薄靄の中で影を潜めているように輪郭がはっきりしない。温室の中に
でもいるような、湿度の高い空気が充満している。
咳払いを何度かしたように見えるが、音声が存在しない。顔色が青
冷めている。唇が変色している。
鏡の中に腕が生える。白くぼやけてはいるが、薄く不健康に血管の
浮きだした細い腕は女の物だ。体温のない掌で男の顔を撫で回す。男
は身動きしない。鏡の中に女の顔が現れる。細く釣り上がった、狐目
だ。顔は人形のように表情がなく、唇の端で笑っているようにも見え
る。
男は自分の顔に触れる。他人の物を値踏みするような几帳面な触れ
方だ。時々手を止めて、忙しなく鏡の向こうの風景を眺め回している。
女の存在を気にも留めない。
男の首に白い腕を絡めて、女は目を閉じる。それだけ描き忘れられ
た瀬戸物の人形のようだ。薄い唇を両側へ引っ張るように笑い、だら
しなくよだれを流す。男に纏わり付く腕が白い蛇のようだ。女は鏡の
中を見ようともしない。
男が太い両腕を振り回す。女は跳ね飛ばされて鏡の中から消滅する。
鏡の中に男が映っている。男は髭面で、頬骨と鰓が張っていること
以外は、うまく表情が読み取れない...
《’91.7.11筆》