AWC 呪術士(4)        青木無常


        
#991/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 6/ 6  11:12  (192)
呪術士(4)        青木無常
★内容

     4

 軽く朝食をすませ、後かたづけを終えた後になっても、少女の口は重く閉ざされ
ていた。
 姫野涙子を警戒して口を閉ざしている、というわけでもなさそうだ。むしろ、も
っと直接的な感情が口数を少なくさせている。
 涙子はそれを嫉妬、と読んだ。
 ゆかりとは以前、一度会って話もしている。一年と何ヵ月か前のことだが、その
時にはこういうぎこちなさはまるでなかった。たしかにものしずかな印象のある娘
だが、これほど極端に警戒心を発露させることもなかった。
 今朝も、扉口で話していた時には、なにかに気をとられて緊張はしていはしたが、
涙子に対してこのような頑なな態度を示しているわけではなかった。
 それが目に見えて硬化したのは、涙子が武彦に唇を重ねてからだ。おそらく、読
みに間違いはない。
 キッチンのつくりつけの食器棚からそろいのカップを取り出し、コーヒー・ポッ
トとともにダイニングに運びながら、涙子は心中ひそかに微笑を浮かべる。
 「どうしたの、黙りこんじゃって」
 口調に笑みをのせてゆかりにコーヒーを差し出した。むっつりとしたまま、少女
はカップを受け取り、
 「別に黙りこんでなんていません」
 涙子は、ふき出しそうになるのを必死にこらえた。ゆかりのふくれっ面の、年相
応の可愛らしさが好ましかった。
 「ご機嫌ななめね。どうして?」
 「そうですか」
 からかうような質問に、ゆかりは一層頑なになる。
 と、カップを口もとに寄せたゆかりの目の前に、涙子のからかうような微笑がず
いと乗り出した。
 「やきもちを焼いているのね」
 ゆかりはぷいと顔をそむける。頬に朱がさしていた。
 「いけないんだ。兄妹のくせに」
 「いいでしょ、血のつながりはないんだから」
 むきになった反論が返る。
 「そうだったわね」涙子は屈託なく笑った。「それに彼、頼りがいあるものね。
ほんものの兄妹でも、魅かれたってちっともおかしくないわよ」
 ゆかりの表情が複雑に歪んだ。兄が誉められて我がことのように喜ぶ笑みと、眼
前の美女に対する敵意と警戒心の生む仏頂面がないまぜになっているのだ。
 「安心しなさいって。武彦はあれで結構身持ちがかたいのよ。わたしになんか見
向きもしないわ」
 「知ってます。身持ちがかたいってこと」
 あいかわらずつっぱねるような口調だが、雰囲気は途端に軟化していた。微笑ま
しい光景だな、と涙子はふと思う。以前来た時には、こんな他愛のない可愛らしさ
は見られなかった気がする。それだけ武彦という存在が、この少女にとって大きな
ものであるのかもしれない。
 「そう」とうなずいてから涙子もがらりと口調を改め、「ところで、そろそろ説
明してくれるかしら。何が起こったのか」
 ゆかりも真顔になってうなずいた。
 どこから話そうか考えるようにして、しばらくの間カップの中のコーヒーを眺め
ていたが、やがて口を開く。
 「陣内遥さん――ご存じですか?」
 「以前、お世話になったことがあるわ」
 そう言ってうなずいてみせる。
 「お亡くなりになったことは、お聞きになりました?」
 褐色の液体を意味もなくかきまわしていた手が、硬直した。
 驚きに見開かれた目が食い入るようにゆかりに据えられ、半開きになった唇がわ
ななくように閉じられた。
 「――つづけて」
 表情を仮面の下に抑えて、涙子は促した。
 「三日前のことです。十時過ぎだったかしら……」
 大きくはないが、伝統的な日本家屋の風格をそなえた陣内遥宅を訪ねた武彦とゆ
かりは、玄関の前に立った時から異変を感じていた。
 日没前には必ず玄関灯に火を入れる習慣が守られてきたはずの家は、濃くなりま
さる夕闇の中にあってなお黒ぐろと、闇に閉ざされていた。一夜の宿を乞う旨、事
前に連絡を入れておいたから、出かけているのならメモぐらいは残されていそうな
ものだが、それもない。そして、玄関の扉は半開きにあけ放たれていた。
 闇に沈む屋内には、異様な静けさが充満していた。
 雨が降り出していた。
 胸の底に、なにかごりごりとした嫌な感触のものを感じながら、二人は家屋に足
を踏み入れた。
 広い家ではない。ただ一人の住人の所在はすぐに知れた。
 うめき声が聞こえてきたのである。
 居間の片隅で、イヤホンをさしこまれたテレビが軽薄な口調で報道を垂れ流すニ
ュースキャスターを白々と映し出していた。ちゃぶ台の上で湯呑みが横倒しになっ
ている。
 こぼれた液体は、すっかり乾き上がっていた。
 床に小さく体をおり曲げて、陣内遥はしわくちゃの手を左胸に当て、苦しげに、
弱々しくもがいた。
 「しっかりしろ、婆さん」
 救急車を呼ぶようにゆかりに指示すると、武彦は遥の半身を抱きあげた。紙を抱
くように手ごたえがなかった。
 「盗られた……人形……」
 うめきと息切れの合間に、しぼり出すようにして老婆は告げた。
 「人形? あれがか」
 武彦の声も、うめきに近かった。
 武彦がその人形を見たのは、もう三年も前のことだった。桐の箱におさめられて
なお、心胆寒からしめる妖気を発する人形だった。
 着ている衣裳や髪型からすると、大陸あたりで作られたものらしい。側頭後方に
輪状に結い上げられた黒髪には、髪の主の怨念がこめられていただろう。真っ白に
塗りあげられたなめらかな手触りの肌、ふっくらとした紅の頬、生気を宿している
かのような黒瞳――名も知れぬ人形づくりは、その少女人形にいかなる思いをこめ
つつ生命を注ぎこんでいったのか。
 朱のさした小さな唇は、見る人やその時々の気分によって、うっすらと微笑して
いるとも、今にも泣き出しそうな顔ともとれるに違いない。
 たしかに言えることは、背筋を震わせるほどの美相を、その人形が秘めている、
ということだ。
 その内奥に、見る者から生気と運を奪い去らずにはおかない強い陰気を隠した、
美を。
 古来、“形が似れば魂が宿る”という観念がある。路傍の石ころや木片であろう
と、その形が人やなにかに似ているだけで、それにふさわしい魂がそこに居ついて
しまうという観念である。
 気魂、ともいう。
 元来、“気”と呼ばれるものには正邪の区別はない。ただ陰陽の別があるのみで
ある。その陰陽にしても、極まれば転ずるといわれるように、決して陰なら陰、陽
なら陽と固定されたものではない。そのような気に正邪の区別を固着させてしまう
のは、人の観念、強烈な思念に気が染められてしまうから、というのである。
 染められた気は、凝固して空間に留まる。これが気魂と呼ばれる。
 もちろん、いうまでもないことだが、邪念、悪想念によって放射された気魂が、
漂い消え失せることなく特定の場所や物体に留まった場合は、極めて危険だ。生物
や家や石、そして人形などを憑代として気魂が固着した場合、それは時として異様
な形で我々の日常に影響を及ぼうようになる。触れたら祟るなどといわれる神石、
日を置かずして暴力事件の頻発する特定の場所、持ち主に凶運をもたらす宝物など、
その具体例には枚挙に暇がない。
 しかも、それだけに留まらない場合もある。
 気魂といい、気といっても、それ自体には実体もなければ意志もない。だが、こ
の世に未練や怨念を断ち切れずさまよう死霊や性質の悪い動物霊なども、格好の憑
代を見つければ群れをなして集まってくる。それらが邪念に染まった気魂と同化し、
意志を付与してしまうのである。
 邪悪な意志を持つに至った憑代は、生物の気を貪り喰らって衰退させ、凶運をも
たらし、やがては鬼と呼ばれるようになる――。
 その人形の背後に渦巻くすさまじい妖気は、実はそういうものである、と遥は解
説した。
 それが、三年前のことだった。
 所有者に強い霊障をもたらす人形が巡りめぐって神社仏閣や霊能者などのところ
に預けられる事例も少なくない。その人形もまた、そういう具合に遥のところへ流
れついたのだろう。
 除霊も効果は薄く、焼くも手放すもならずに桐の箱におさめたまま、少女人形は
幾年かを遥のもとで過ごした。
 その人形が、盗まれたというのだ。
 「だれに盗られたんだ、婆さん」
 顔面が土気色になっている老婆の耳に、武彦はささやくように訊いた。
 あえぐように老婆は答える。
 「わしの息子じゃ……陣内……陣内蒼龍じゃ……!」
 耳を寄せた武彦に、老婆はたしかにそう言った。希代の凶漢・呪殺屋蒼龍が自分
の息子である、と。その息子が己の母をこんな目にあわせて、人形を盗みとってい
ったのだ、と。
 けたたましいサイレンの音が停まった時、外には豪雨が降りしきっていた。
 救急病院へと運ばれる車内で、遥は途切れとぎれに語った。息子と娘のこと、十
六の時に息子は家を出、それ以来音沙汰のなかったこと、十数年ぶりに帰ってきた
その息子が、呪殺に利用するために人形を強奪しようとして、争いになったこと―
―
 そして、かけつける娘を待たずに病院のベッドで息を引きとる前、末期の言葉を
二人に告げたのである。
 「あの男は悪魔だ…………。蒼龍を――殺してくれ…………」
 と。
 「そのまま昏睡状態に陥って、それっきりでした」
 ゆかりは語り終え、沈黙が訪れた。
 武彦が不思議がっていたことをゆかりは思い出していた。あれほどすさまじい怨
念の憑依した人形とともに暮らしていながら、なぜ遥婆さんは健康を害することも
なく無事に生活できたのか――。
 その疑問は解かれたのである。偉大なる霊能者、陣内遥もまた、凶気から免れて
いたわけではなかった。陣内蒼龍という名の、親殺しの凶漢を招び寄せることによ
って、人形はその実力を証明してみせたのだ。
 そしてさらに、その効果は姫野涙子と浄土ゆかりにまでも波及していたのかもし
れない。
 「なあるほど。いきさつは大体のみこめたぜ」
 ふいに、扉口から野太い声が聞こえてきたのである。
 ぎくりとしてふりかえった二人は、開け放された扉にもたれかかってニヤニヤ笑
いを浮かべる巨人を発見する。
 噴きつけてくるような重量感が、声を出すまでは気配さえ感じさせなかった。
 ゆかりはすばやく立ち上がり、涙子を後ろにかばうように身構えた。
 「無駄だぜ、お嬢ちゃん」
 からかうように蒼龍が言った。
 同感だった。不調時のゆかりでも、そこいらのチンピラ程度なら軽くあしらうこ
ともできる。だが、眼前の男は、相手が悪すぎた。
 ゆかりの戦意が喪失したのを見てとったか、陣内蒼龍はにたりと笑ってあがりこ
んできた。
 「それじゃ、一緒に来てもらおうか。女二人――人質にはうってつけだな」
 好色な笑いとは裏腹に、蒼龍の身ごなしには隙がまったくなかった。
 なす術もなく、二人は敵の手中に陥ってしまったのである。

     5

 奥羽の黒猫にとって、人形は鏡にも等しかった。
 己を映し出す鏡だ。
 雑踏を行き交う人の群れの中で、黒猫は男たちの大半をふりむかせた。多くは、
好色な興味をその瞳にみなぎらせて、遠ざかっていく形のいい腰を見送っていくだ
けだが、中にはふと眉を曇らせる者もいる。
 春の午後の暖かい陽光にその虹彩が針となる瞳は、妖気に充ちた美貌や抜群のプ
ロポーション以上に興味の対象となり得るであろう。
 その猫の瞳は、一人の男を捜していた。
 男の名は浄土武彦。確立百パーセント、一度たりとも獲物を逃したことのないの
が最大のセールス・ポイントの猛悪なる呪殺者陣内蒼龍が、激烈な怨念の塊そのも
のの人形を媒介に全霊を傾けて送った呪行を、ものの見事に打ち破ってみせた恐る
べき男。
 黒猫は、その男を捜して町をさ迷い歩いていたのである。
 奥羽の黒猫の本名を知る者はいない。出生地も、両親の名も、年齢も、なにひと
つ知られていない。
 それは、彼女自身が自分のことを語ろうとしないという以上に、老若男女別け隔
てなく彼女と関わった人間はことごとく凶運に見舞われるからであり、彼女のこと
を深く知れば知るほど、非業の死を間近に呼び寄せてしまうからに他ならない。
 ひとつところに身を落ち着けることもせず、親しい友も得ぬまま、彼女は長い間
あちこちをさ迷い歩いてきた。一年ほど前、陣内蒼龍と出会うまでは。




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