AWC 景山民夫氏について  KEKE


        
#971/3137 空中分解2
★タイトル (UYD     )  91/ 5/28  12:32  (128)
景山民夫氏について  KEKE
★内容
 最近、景山民夫の本を盛んに読んでいる。
この人は私と五つ六つ年が違うのだが、どこか私と似ている気がするのだ。
というより、正確にいえば、私がかくありたいという理想像に似ている気がす
る。

 まずその経歴が良い。
慶応を中退して武蔵野美術大学に入り卒業。その後、アメリカに渡り一年ほど
各地を放浪。帰国後、テレビの構成作家になる。
『シャボン玉ホリディ』の最後あたりから制作に参加したのを手始めに、各種
番組の構成を担当。
最近になってエッセイを書き始め、しかるのちに小説を書く。そして『遠い海
から来たクー』により直木賞を受賞。

 どうにもカッコイイではないか。まさにトレンディという感じ。
小説書きとしての本道を歩いてきたという感じがする。
 こういう経歴ならば、書くべきことがいっぱい溜まっているだろうと思う。
しかも多くの人々が関心を持ちそうなことが。

 テレビ関係者から、小説界に転向して成功した人は、五木寛之、井上ひさし
をはじめ何人かいるが、いずれも才能豊かな人ばかりである。
 これは、いかにテレビというものが才能を引きつける力があるかという証明
のようなものである。
 現代において、いささか自らの才能を頼みとする者たちは、まずテレビを目
指すのだろう。

 私もまた、それらの人々の一員だったことがある。もう十年ちかくも前のこ
とだ。
 当時私は神田にあった、あるコピーライター養成学校に通っていた。
私としては、テレビの脚本を書くとか構成とか、なにかそんなことをしたかっ
たのだが、どうすればそうなれるのか分からなかった。
 ユキの一族の者に相談すると(当時私は彼女の屋敷に下宿というか、いそう
ろうしていた「セックスは、むろん外でしてましたよ。いそうろうしているお
屋敷の中でするほど、私は恥知らずではない。」)彼は、まずコピーライター
にでもなってはどうかと提案した。
そうすれば、彼の知っている小さな広告代理店に私を押し込むことができるだ
ろうと言う。
 広告代理店でしばらく働いて、じょじょにテレビ関係者にわたりをつけ、い
つのまにかテレビで働いている、というようにしたらいいじゃないか。
 それに君は、長い文章が書けないと言っていたじゃないか。脚本というのは
一ページじゃないんだからね。

 当時私がノートに書いていたのは、せいぜい一ページくらいの、エッセイと
もコントともつかぬものだった。それ以上長いものは、どうしても書けなかっ
た。

 コピーライターといっても、正直いってイメージが湧かなかった。今と違い
当時はコピーライターはとても地味なものだった。
広告の文章を書いている人、くらいの知識しかなかった。
 彼によれば、数行から数十行も文章を書けば十分だということだった。
「そのかわり、独特のセンスがいるけれどね」
と彼は言った。
「独特のセンスってどんなもんなんです。」
と私がたずねると、
「君は短歌かなんかやっていたろ。あれだよ」
という返事がかえってきた。

 実際のところ、当時好きでよく書いていたのは短歌ではなく、川柳や狂歌だ
ったが、あんな感じで書けばいいのだろうか。
なんだか自信はなかったが、やってみようかという気を起こした。
 そもそも、テレビ関係の仕事をしたいというのだって、はなはだ漠然とした
希望以上のものではなかったのだ。暇なのでテレビはよく見ていたし、そこで
働けたらいいだろうなと思ったというのが、最初の動機だった。
 インドから帰って、行くところもなく、ユキの家に住みついてしまったのだ
が(なにしろ部屋はいくらでも余っていた)、長い旅を終えた虚脱感もあった
し、これから何をしていけばいいのか分からず茫然としていた。

 そこへ、小なりといえど広告代理店という、具体的な働き場所を与えてやろ
うというのだから、とりあえずやる気をおこしたのは、むしろ当然だったかも
しれない。
 彼は、それから数日後にはコピーライター養成学校の案内書を持ってきてく
れた。それに必要事項を書き込むと、あっという間に、私はそこの学生になっ
ていた。

 古ぼけたビルの三階にあったその学校では、現役のコピーライターだという
はなはだ風采の上がらない中年男に、コピーの書き方なぞを教わった。
しかし私には、時折彼が話す業界の裏話のほうがむしろ興味深かった。
授業のほうは、率直に言って教科書を読めば十分という感じだった。
 それでも、何とか一人前のコピーライターになって就職しなければと私は懸
命だった。
 その講師は、よく例題をだした。そしてその回答を評することで授業をすす
めることが多かった。これは結構参考になったのではないかと思う。
 以前『週間文春』に糸井重里さんが『萬流コピー塾』というのを連載してい
たが、ちょうどあの感じだ。
 あの人も、コピー学校出だったはずだが、あれはまさに彼が教わった授業そ
のままではなかったろうか。

 この頃のことを思うと、私は何か不思議な感じに捕らわれる。
よくまあこんだけ、何かをやるバイタリティがあったなと。
やはり若かったせいだろうか。
私は二十代のなかばにさしかかったばかりだった。


 さて話は、景山民夫さんのことである。
この人の初期短編集を読むと、私はつい微笑してしまう。
はっきりいってヘタである。というより小説になってないものが多い。
コントかせいぜいスケッチという作品ばかりだ。
 おそらくこの頃は、小説の書き方が分からず、彼自身迷っていた時期なので
はないだろうか。それは時折、妙に小説っぽい、小説の出来損ないといった作
品があることで知れる。

 この人のエッセイは最初から面白く、できがいいことから、やはり初期の小
説は、習作の段階だったのだろうと思う。
 それが証拠に、この人の作品は、最近のものになるにつれ、ずんずん上手く
なっている。短期間にこれだけ上手くなった人も稀なのではないだろうか。
今はその才能のきらびやかさに目がくらんでしまう。
この人が直木賞をとったのは、当然の話だ。

 そんな才能の豊かな人と、自分を比べるのもおこがましい話だが、人間とい
うものは、ついそんなことをしてしまうのだ。
 私も、あのままコピーライターになっていたら、そして広告代理店に入って
活躍し、機を見てテレビ界に転向し、そしてその豊かな経験をいかして小説を
書いたとしたら、どうなっていただろう、なんて。
 言ってもしょうがないことを、つい考えてしまう。

 正直言って、今の私の文章はヘタである。でもこれも書いているうち、大化
けしないともかぎらないではないか。
何より、景山民夫という前例がある。
「これなら、俺のほうが上手いんじゃないの」
という作品を書いていたと思ったら、あっという間に上手くなり、直木賞であ
る。
 私もそうならないとも限らないではないか、というのはやっぱりおこがまし
すぎるか。

 でもそういった、かすかな、そう、かすかな希望をあたえてくれるだけでも
、私にとって景山民夫という人は貴重なひとである。

 あと二ヵ月たたぬうちに、私は三五歳になる。
あーあ、今まで何をしてたんだろう。




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