AWC 我がマンガ小史  KEKE


        
#965/3137 空中分解2
★タイトル (UYD     )  91/ 5/17  15:20  (187)
我がマンガ小史  KEKE
★内容
 初めて読んだマンガは何だったんだろう。この間からしきりに考
えているのだが、よく分からない。霧のなかでボーと霞んでいるみ
たいでどうもよく思い出せないのである。
たとえば5才の時に初めて読んだとしても、もう30年以上の歳月
が過ぎているのだから当然といえば当然かもしれない。
 今ここに『現代用語の基礎知識』1989年版別冊付録の動く年
表というのがある。副題にテーマ別に読むニュースの動き、とある。
要するにトピックごとに年表になっているものだ。
これのマンガの項目を見てみる。
 私が生まれた年、1955年にはどんなことが書いてあるか。
「二級天使」(石ノ森章太郎)
『ぼくら』『なかよし』『りぼん』創刊
とある。
いずれも月刊誌である。当時は皆そうだったのだ。まだゆっくりし
た時代だったのだろう。これらの他に『少年』『少年画報』『冒険
王』といった月刊マンガ雑誌がすでにあったはずであるが、当然な
がら0才の私はそれらを読んでいない。
後になって私はこれらの雑誌を読むことになるのであるが、ほとん
ど買って読んだことはなかったはずである。ではどうしたのかとい
うと借りて読んだ。当時は貸し本屋といって、マンガ雑誌やマンガ
の単行本を1回10円くらいで貸してくれたのである。
なにしろ当時(7〜8才)の時の1日のこずかいが5円だったから、
とてもマンガ雑誌を買うことなどできるものではない。だからこれ
らのマンガの貸し本屋の存在はまことにありがたかった。
 これらの貸し本屋では雑誌だけではなく単行本もあつかっていた。
貸し本専門に描くマンガ家も多数いたもようである。
『ロボット三等兵』(前谷惟光)はかなり熱心に読んだ。これが描
かれるのが1957年である。私が2才の時である。わずか2才で
これを読んでいるはずないから、読んだのはもっと後年である。こ
れが雑誌に描かれたのが1957年ということなのであろう。それ
がまとめられて単行本になり貸し本屋の店頭に並んで借りだされ、
いいかげん擦り切れてぼろぼろになったころ私が借りて読んだのだ
ろう。そういえばかなり古びてとじの糸などもばらけていて本が分
解寸前だったのを思い出す。
 「海の王子」(藤子不二雄)「0マン」(手塚治虫)「忍者武芸
帖」(白土三平)が登場するのが1969年である。いずれもマン
ガの世界では有名な作品で、いわば古典みたいなものばかりである。
当然ながら当時4才の私がこれらを読んでいるはずはない。読んだ
のは後のことである。20才前後に復刻版がでてからであろう。そ
の時思ったことは、みんな意外に絵が下手だなということ、少なく
とも今日ではこの程度の絵ではデビューできないだろうと思う。こ
れなら恵理のほうがまだましだ。当時はこれでも十分いけた、ので
ある。要求されるレベルが低かったのである。今日ではそうとう完
成された状態で出てこないと相手にされないのはかなり不幸なこと
なんじゃないか。描いているうちにうまくなるということがある。
事実これらの諸子のその後のうまくなりようは驚異的である。
 そして、『少年サンデー』『少年マガジン』がいよいよ創刊され
たのもこの1959年である。マンガの世界もいよいよ週刊誌の時
代にはいるのである。

1960年にはいると「漫画家残酷物語」(永島慎二)が登場して
くる。これと「フーテン」という作品は20才前後の私の愛読書だ
ったことがある。ひとくちにいうとこれらの作品に描かれている生
活にあこがれたということである。こんな生活してみたい、と上京
してみれば、あにはからんや、そんな生活はどこにもなかった。か
つてはあったかもしれないが、オイルショック後の日本にそんな気
楽な生活は見あたらなかったのである。
1961年は「伊賀の影丸」(横山光輝)「サスケ」(白土三平」
である。これらどの作品にもいえることであるが、雑誌に登場した
時期と私が読んだ時期がかなりずれている。雑誌に連載され、ある
程度の分量になったら単行本化され貸し本屋に並びそして何年か後
に私が手にとるということになっているわけだ。でも「伊賀の影丸」
は週刊誌で読んだ記憶があるのだが、この時私は6才、当然ながら
字を読めない。おかしいな。何年も連載されていたはずだから、も
っと後に読んだのだろう。
1962年。「おそ松くん」(赤塚不二夫)「ちいさな恋のものが
たり」(みちはしちかこ)
おそ松くんではちびたのファンだった。
ちいさな恋のものがたり、はこんな時期から始まっていたのか。い
やあビックリするな。
1963年。「サブマリン707」(小沢さとる)「8マン」(平
井和正・桑田次郎)「忍者部隊月光」(吉田竜夫)
8マンと忍者部隊月光はやはりテレビの印象のほうが強い。
サブマリン707は海洋冒険マンガである。実をいうと私は中学を
でたとき、船員になりたかったのである。実際に船員学校の願書な
ども取り寄せたのであるが、とうとう受験しなかった。脊が低かっ
たからである。せめて150センチあれば受験したと思うのである
が、なにせ143センチである。これでは力仕事はできないと思い
諦めてしまった。そういったもろもろのはじまりはどうやらこのあ
たりにあるらしい。
1964年。「丸出だめ夫」(森田拳次)「オバケのQ太郎」(藤
子不二雄)「サイボーグ009」(石ノ森章太郎)
『ガロ』創刊。オバケのQ太郎、サイボーグ009はともに有名な
作品である。いずれも大ヒットした。でも丸出だめ夫くんもなかな
かよかったよ。勉強も運動もまるでダメなだめ夫くんのほうに私は
より親近感をもったな。
1966年「巨人の星」(梶原一騎・川崎のぼる)「パットマンX」
(ジョージ秋山)でました。巨人の星。思い込んだら試練の道をゆ
くが男のド根性。眼のなかでメラメラ燃える炎が印象的でした。現
在30才以上の男性でこのマンガにガツンとやられなかった人のほ
うが珍しいのじゃないか。このマンガを見て、野球を始めた人間も
多いと思う。
甲子園へ行く飛雄馬に向かってVサインを突き出した父星一徹の姿
も忘れられない。
パットマンXも面白かった。新しい才能が登場したと感じた。その
後の大活躍を予感させる作品であった。
1968年。「あしたのジョー」(高森朝雄・つばてつや)「ハレ
ンチ学園」(永井豪)「男一匹ガキ大将」(本宮ひろし)
ボクシングマンガとしてのあしたジョーはいわれているほど凄いと
は思わない。ただストーリーテリングの巧みさは見事である。読者
をグイグイ引っ張っていく。原作の高森朝雄こと梶原一騎の力であ
ろう。しかしボクシングマンガとなれば、なんといっても「頑張れ
元気」に過ぎるものはない。
ハレンチ学園。このころ小、中学校でスカートめくりが大流行した
のはすべてこのマンガの影響である。はい、私もやりました。
男一匹ガキ大将。このマンガの凄さというものはかなり後になるま
で気がつかなかった。これが連載されていた少年ジャンプというの
は今でこそ超ビックであるが、当時は創刊されたばかりで、執筆陣
も無名な新人ばかり。本宮ひろしもそんなひとりであったわけだ。
私もサンデー、マガジンで手一杯でとてもジャンプまで手がまわら
ない。まして、当時の本宮ひろしは絵が実にへたくそで、セリフは
おおげさ。とても読むほどのものではない、と無視してしまったの
も無理はないと思う。後に単行本で読んで、むむ、こりゃ凄いと思
った。だから、この男一匹ガキ大将もリアルタイムでは読んでいな
いのだ。
1969年。「ゴルゴ13」(さいとうプロ)「ワイルド7」〔望
月三起也)当時私は14才。すこし背伸びしたがる年である。サン
デー、マガジン、の少年マンガ誌ではあきたらず
、ビックコミックなどの青年誌にてをのばそうとしていたようだ。
そこでであったのがゴルゴ13である。
1970年。「銭ゲバ」(ジョージ秋山)「ファイヤー」(水野英
子)この年はなんといっても万博の年である。世間は浮かれ騒いで
いた。そんな世相に冷水をあびせるように登場したのが銭ゲバであ
る。当時の小、中、高校生にかなりのショックをあたえたのである。
なお、当時の私のあだなは、銭ゲバである。金に汚いからではない。
当時の学生は汚くできるほどの金を持っていなかった。ではなぜか
というと、顔が似ているからだそうである。変な顔してたんだな、
当時は。今もか。
ファイヤーはセブンティーンという少女雑誌に連載されていた。一
読するやたちまち引き込まれ毎回雑誌が発売されるつどむさぼるよ
うに立ち読みした。私が少女雑誌を読むようになったはじまりがこ
のファイヤーであるようだ。
1971年。「男おいどん」(松本零士)こういう作品に、何とい
うか親近感を感じるんだわ。
1972年「キャプテン」(ちばあきお)「ベルサイユのばら」
(池田理代子)あのキャプテンがこんな前から描かれていたなんて
意外だな。もっともただひたすら野球ばかりしているマンガだった
けれど、なにしろ月刊だもの。1年たってもまだ野球は7〜8回と
いうことが珍しくないマンガだった。とにかく全編これ野球をやっ
ている場面ばかりというマンガ。ここまでやるとほんと立派だ。ベ
ルサイユのばらについてはあんまり印象がないんだよ。世間は騒い
でいたけど。私はほどんど読んでないのだ。
1973年。「愛と誠」(梶原一騎・ながやす功)「おれは直角」
(小山ゆう)愛と誠についてはクサイ話だなとは思うのだが、気が
つくと毎週読んでいるということになっている。やはり梶原一騎は
天才だぜ。おれは直角。今テレビでやっているがマンガのほうも十
分面白い。このひとの作品には駄作がない。でもこのおれは直角と
頑張れ元気でピークに達してしまったかなという感じはあるな。
1974年。「がきデカ」(山上たつひこ)衝撃的作品とはこうい
うのを言うんだろうな。わらった、わらった。どどどーんと笑いま
したよ。
1975年。「サーキットの狼」(池沢さとし)絵がへたなんだわ。
車の物語なのに、かんじんのその車のデッサンがくるっているの。
そいでもって男も女もみんなおんなじ顔しているの。ただ髪型と眉
毛なんかの太い細いで区別しているの。にもかかわらず面白いのは
いったいなぜなんだ。当時スーパーカーブームを巻き起こした作品
である。
1976年。「まことちゃん」(うめ図かずお)「がんばれ元気」
(小山ゆう)がんばれ元気を読んで私は泣いた。マンガを読んで泣
いたのはこれがはじめてで最後である。男ならこれを読んで泣かな
いはずないと思うのである。真の傑作とはこういう作品のことをい
うのである。
1977年。「銀河鉄道999」(松本零士)「すすめパイレーツ」
(江口寿史)江口寿史は面白い。でもこのパイレーツではその面白
さの半分もでていないように思った。わらわせてやろうとしてこれ
でもかこれでもかとくるのだが、失敗している部分が多かったよう
だ。

 このあたりから私はマンガを読まなくなったようである。少なく
とも週刊誌は読んでいない。ひとつにはあちこち旅にでるようにな
りその間あいだがあいてしまうと読む気がしなくなるということも
あった。マンガより小説やエッセイといったもののほうにより惹か
れるものがあったという事もあるだろう。だから、これ以降のもの
は単行本で読んだものがほとんどである。
「うる星やつら」(高橋留美子)「釣りバカ日誌」(やまさき十三
・北見けんいち)
「日出処の天子」(山岸涼子)「みゆき」(あだち充)「童夢」
(大友克洋)「めぞん一刻」(高橋留美子)
といったあたりかな。ごく最近のものはない。みごとにない。
もうこれからは、これらの作品を読んだときのような熱心さでマン
ガを読むことはないような気がする。
それはもうマンガを卒業したというような意味ではなく、マンガと
私のいい関係が終ったということなのだろう。いわば蜜月が終った
のだ。これからはシビアな眼でマンガを見、読むことになるだろう。
 これが私のマンガ小史である。






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