AWC ポケットベル(中)       青木無常


        
#963/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 5/17   2:45  (182)
ポケットベル(中)       青木無常
★内容

 会社に帰って山田三平のまぬけ面をふんづかまえ、おいおまえ本当に知らないん
だろうなと凄んだらきょとんとしてやがる。こりゃ本当にこいつは無関係だな。
 先輩おれ本当にフラれちゃうかもしれませんよどうしてくれるんですと泣きっ面
で愚痴をこぼす山田を適当になだめながら、おれは帰宅の用意をする。酒の一杯も
奢りつつ思う存分愚痴をきいてやるべきところだろうが、なにせ命がかかってるん
だ、そこまでの余裕は今のおれにはねえ。よしよし希望を捨てちゃあいけないよと
露骨な慰めを置き去りに、おれは会社のビルと山田の不景気なツラを後にした。
 一杯ひっかけていきたいところだが、泥酔状態を襲われでもしたらことだから素
面でいようと地下鉄の駅に直行する。
 命を狙われるような覚えはない、といいたいところだが、人間どこで恨みを買う
かわからねえからな。
 という決心も束の間、地元の駅で降りた時点でおれは記憶喪失一歩手前の悪質な
酔っ払いと化していた。ああ、意志が弱ェ!
 こんなおれでもよかったらあ〜、嫁でもなんでも来やがれよお〜、とわけのわか
らない即興の歌を歌いながら漫画の酔漢よろしく右に左によろよろと歩いていると、
背後から一定の感覚をおいて着いてくる奴の足音がする。出やがったな。
 鉄骨剥き出しの掘り下げになった工事現場のわきで、おれはくるりとふりかえり、
 「やい、このやろお、おれになんの恨みがあるってんだってんだってんだっ」
 と怒鳴りつけたら、目を丸くした見知らぬきれいな姉ちゃんが
 「はあ?」
 と恐怖と困惑の表情で問い返した。あれ?
 いやあ、すいません、おれの勘違いです、許してくださいところでお茶でも飲み
ませんかとしどろもどろに弁解しながら手をのばすおれを、狂人でも見るような顔
で避けながら、姉ちゃんは足早に立ち去っていった。悲鳴を上げられなかっただけ
ましか。ははは。なんだか急に気分が悪くなってきたな。
 掘り下げの薄暗い工事現場にげろげろとやっていると、再び死神が背後に忍び寄
ってきた。どんと背中を押される。
 もちろん、おれは同じ間違いは二度とおかさない。なかば予期していた襲撃にぐ
いと足をふんばり、すかさず振り向いて死神の顔を見る。
 「うわはははあ、見〜た〜ぞ〜〜」
 これだから酔っ払いは。
 縞背広の顔にはたしかに見覚えがあった。山田三平とは違うが、似たような種類
の間抜け面だ。しかしどこで見たんだっけかな。
 と考えていたら、すううううっと視界が変化していく。どうやら回転しているら
しい。こりゃまずい。
 一転、風景がしゅっと上方に流れ、次に頭部を主体として壮烈な衝撃がおれを強
襲した。目が回る。地球が回る。こんなぐるぐる回る家欲しかねえや。なんのこと
だ。
 いつつつつつ、と間抜けなうめきをもらしつつ、頭を押さえながら半身を起こし
た。実は痛みなどほとんど感じていない。酔った勢いで感覚が阿波踊りしているの
だろう。明日の朝が恐い。
 中央線沿線のサイコキラーはどうしたと頭上を見上げてみると、いやがった、こ
ともあろうに足場を伝ってよろよろと降りてこようとしている。
 こんな人目につかないところで殺人未遂野郎と対決するのか、とげんなりする反
面、あんな山田三平に雰囲気の似た冴えない奴に何ができるという驕慢が首をもた
げ、逃げろの三文字がおれの頭から消しとんだ。あっ、ほれみろ、足をすべらせて
落下しやがった。間違いなく山田の同類だ。
 大丈夫かなとうずくまる背中にのこのこ近づいてみたら、いきなり振り向いて腕
を突き出してきた。常夜灯にナイフの刃がきらりと光る。からくも飛びすさって逃
れたおれを、奴はくやしそうに眺めやった。フェイントだったか、あなどれない奴
だ。
 「やいてめえ! いったいおれになんの恨みがあるんだこの!」
 と叫ぶと、
 「ぼくのことを忘れたのかい、篠原くん」
 ぼく、と来やがった。年令は三十後半、どう見てもおれより年下には見えねえ。
 「よおく顔をごらんよ」
 と言われ、なるべく殺傷圏内に近づかぬよう用心しながら奴の顔を見ると、なる
ほどたしかに見覚えがある。
 「ああっ!」とおれは叫んだ。「おめえ、不渡エンタープライズの……!」
 不渡エンタープライズとはおれのもっている得意先のひとつだ。チラシの発注は
少ない、支払い期限を守らない、文句や直しを必ず入れる、と三拍子そろった不良
会社だ。早く縁を切りたいのだが、忘れたころに注文を入れてくるから始末が悪い。
まったく、あの会社ときたら――いけねえ、今はそれどころじゃねえんだ。畜生、
どうもこの手の顔を相手にすると緊迫感が沸かねえな。
 この男はたしかにあの会社で二、三度見かけたことがある。印象に残ってるのは
上司にこっぴどくとっちめられてる後ろ姿だけだったから忘れてた。となると、や
はりおれの直感は全面的に正しかったようだな。顔はまるでちがうが、人格は山田
に生き写しのうすのろ野郎だ。
 しかしこの男がなぜおれに恨みを抱いているのかはまだわからない。話をしたこ
ともなかったはずだぞ。電話でなら、可能性は否定しきれないが。そういえば不渡
ンところとは、電話の発注の件で一度もめたことがあるな。それか?
 「チラシの電話番号がまちがっていた件でもめた時の、あの最初に電話をかけて
きたのがあんたなのか?」
 と訊いてみると、奴はにたあと気持ち悪い顔で笑い、
 「半分だけ思い出したようだね」と言った。なんだ、半分だけてなあ? 「そう
さ、あの時、チラシの原稿の内容を間違えて伝えてしまったのがこのぼくだったの
さ。おかげでぼくはあの会社を馘になってしまったよ」
 「そりゃ気の毒に……」
 と一瞬同情しかけて思い直した。電話やFAXだけで急ぎの原稿の打ち合わせを
すませてしまうというのはよくあることだが、おれはそういう場合でも一度もミス
を出したことがない。その時も電話番号が前のと違っていたのでくどいほど確認し
たのだが、電話口でうすらぼけた声を出す奴が大丈夫ですと何度も太鼓判をおすの
で原版を組んじまったのだ。始末の悪いことに、試し刷りはいいから半分だけでも
至急頼むといわれていたのでそのまま五千枚刷り上げさせてしまい、いざ配送した
ところで怒涛のクレームが入ったという次第だ。その上絶対におれのミスではない
と確信があったにもかかわらず、すったもんだの末、最終的におれの責任にされち
まったはずなのだが、あの糞会社、社内でもちゃっかり馘切りをしてやがったのか。
 それにしても、この手のまちがいはけっこうあちこちで起こっているものだが、
それが原因で馘になる奴が出たという話は聞いたことがない。ということはこの男、
厄介払いされた可能性が大だ。よほど使えない奴なのだろう。山田でもそれほどで
はない。
 「おいおいこの野郎、あれは全部てめえの責任だろうが。逆恨みもいいところだ。
それともなにか? まちがった原稿をつくったのは別の奴で、あんたはそのとばっ
ちりをくっただけだったのかい? だとしたら気の毒だが、それにしてもおれを恨
むのは筋違いってもんだぜ。え? そうだろう?」
 と諭すように言うと、
 「いいや、あれはたしかにぼくのミスさ」
 と来た。ふざけてやがるのか?
 「するとなにか? おめえは単なる逆恨みでおれをホームに突き落としたっての
か?」
 「そうだよ、と言いたいところだが、ちがうんだねこれが」と男はニヤニヤ笑い
ながら言う。会社を馘になってなにがうれしいのか。「さっき言っただろう。半分
だけって。君はまだ思い出していないことがあるんだよ。もう一度よくごらんよ。
ぼくの顔を」
 なんなんだこいつはと思いつつ、おれはしげしげとニヤニヤしている奴の顔をの
ぞきこんだ。
 途端、ナイフがぐわあああっと迫ってきた。
 「っと! おい! こここここの野郎! 油断も隙もありゃしねえ」うろたえて
十メートルくらい遁走しつつおれはわめいた。「なんなんだ、てめえは畜生! あ
れ以外に見覚えなんてねえぞ! もったいぶってねえでさっさと種明かししやがれ!」
 鉄骨にしがみついて罵るおれに、奴は、ゆらり、ゆらりと近づきながら、なんだ
かいかにもうれしそうな口調で言った。
 「もう十五年も前のことさ。ぼくらが小学五年の時。どうだい、思い出さないか
い? 薄情なひとだねえ、君は。あんなにひどいことをしておきながら。じゃあ、
ぼくの口から言うよ。断っておくけど、これは高くつくからね。なにしろ思い出し
たくもない苦い記憶を、ぼく自身の口から言わせようとしているんだからね、君は」
 ひとを殺そうとしておいて高くつくも糞もあるもんか。能書きたれてねえで早く
言え!
 「あのころ君は、クラスメートにひどいあだ名をつけては喜んでいただろう?
ぼくもその被害にあった一人さ。しかも、それが原因でとんでもない失態を披露す
ることとなって、そのあげくに転校までしなければならなかったんだよ」
 「ああっ! てめえ、糞尿野郎!」
 とおれは思わず叫んでいた。
 思い出した。たしかこいつは小学校五年の時におれのクラスに転校してきた糞尿
野郎……畜生、名前が出てこねえ、なにしろおれのつけたあだ名とそれにあまりに
も見合いすぎたこいつの所業が強烈すぎるからな。
 「そうだよ。やっと思い出したんだね。そうさ、ぼくは君がそのひどいあだ名を
つけた山室さ」
 そう、思い出した山室だ。しかし山田と名前が似てるな。雰囲気が似ると名前ま
で似るもんなのか。
 そんなことはどうでもいいが、この山室は転校初日に、緊張のあまりかこともあ
ろうに挨拶をする教壇の真前で糞小便を垂れ流した破格な男だ。こいつも言うとお
り、当時「あだ名製造マシーン」の異名をとっていたおれは(全然進歩してねえな、
あの頃から)すかさず立ち上がってはやしたて、以降「糞尿野郎」というニックネ
ームをクラス全員にインプリンティングし、奴が転校するまでの一ヵ月間さんざん
罵倒しまくってやったのである。しかもこの男はその一ヵ月間で都合三回も、教室
で脱糞をくりかえしているのだ。べつに糞をしろと拳ふりかざして迫ったわけでは
ない。いくらおれでも授業中はそんなことしない。いきなりぷうんと臭ってきたの
で、「糞尿野郎、おまえだろ!」と指摘したら本当に三回ともそうだったのだ。三
回目など、子供ごころにもあまりに気の毒なので黙っていてやったのだが、授業が
終わっても一向に立ち上がろうとしないところを別の奴に指摘されてさんざんはや
され、翌日から一週間ほど欠席した後、転校の報を耳にしたのだった。
 「そうか。おまえ、山室だったのか。悪かったなあ、強烈なあだ名つけちまって
よ。おまえの緊張ぶりがあまりにも人間離れしてたもんだからよお」
 とわけのわからない慰め方をする。当時から罪悪感はあったのだが、謝る暇もな
く転校してしまったのだ。もっとも、あの当時はたとえ転校しなかったとしても素
直に謝りなどしなかっただろうが。
 「しかしなあ、おまえ。そりゃたしかにひどいことをしたとは思うが、だからと
いって人殺しをしようなんてのは度が過ぎちゃあいねえか? まあ、今回の事件も
あるけどよ。それにしても殺しに走るってのは極端だぜ。それともおまえ、なにか、
あの事件がきっかけで、緊張すると糞もらす癖がついちまった、とかよ」
 と言ってはははと笑ってみせると、奴は炎の噴き出てきそうな目つきでおれをに
らみつけ、
 「そのとおりだ」
 と言った。
 あ? と大口おっぴろげて間抜けなリアクションをするおれに向かって、もう笑
っていない奴の顔が、
 「君のご指摘のとおりなのさ。ばかばかしい話だが、君があのあだ名をつけてク
ラスのみんなを扇動したために、ぼくはちょっとでも緊張すると途端に腹が痛くな
ってきて、必ずといっていいほど我慢しきれないほどの下痢に襲われてしまうよう
になっちゃったのさ。先生に当てられただけで腹が痛くなってくるんだ。あの時は
まだよかったさ。ぼくは極度に緊張するたちだったから、つまらない失敗をしでか
して苛められるのには結構慣れていたしね。でも、下痢を我慢できないでもらして
しまうってのは……しかもそれがしょっちゅう繰り返すようになっちゃったっての
は、本当につらかったよ。中学を卒業するまで、この癖は治らなかったんだからね」
 それは確かに、想像するだに恐ろしい。しかし……
 「君はひどい奴だよ。あれ以前もあれ以後も、たしかにうんこをもらしたことは
あったし、そのたびにひどいあだ名をつけられたものだけど、君のつけてくれたあ
だ名ほどぼくを傷つけてしまったものはなかったんだからね。なんであんなひどい
あだ名をつけてくれたんだい? 小学生が下痢をもらすことなんて、べつに珍しい
ことじゃないだろう?」
 そうかあ? 小学五年生だぜえ? しかも、それが癖になっちまうなんて、驚異
的な体質だぜえ。
 「で、ででで、ででも治ったんだろ? 中学を卒業するころに」
 あまりにも救われない話に少しでも光明を見いだそうとおれは言った。
 「治ったさ」
 おれはほっと息をついた。早計だった。
 「つい最近まではね。でも、君がぼくの会社に営業にきた時に、再発するように
なってしまったんだよ」
 げげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげっ! なんなんだこいつはっ!
                                                  (下につづく。本気か?)




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