#962/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ ) 91/ 5/17 2:38 (195)
ポケットベル(上) 青木無常
★内容
得意先回りを放ったらかして映画を見ていたら、突然おれの胸がピピピと鳴り出
した。ポケットベルだ。
まわりの人目を気にしながらあわてて取り出し、内容を見る。
奇妙な数字がならんでいた。
5642194
電話番号なのだろうが、まるで覚えのない数字のならびだ。どう区切るのかもよ
くわからない。市外局番を入れず区切り符号も入れない連中ははいて捨てるほどた
くさんいるので始末が悪い。それにしても、桁数からすると都内の番号ではなさそ
うだ。といって武蔵野や多摩地区なら市外局番を入れると字数がひとつ余計になる。
神奈川か? しかし神奈川方面からおれにポケベルを鳴らす奴の心当たりがない。
ああなるほど、これは東京03の市外局番に3を加えてみれば辻褄が会う。たぶ
ん古い番号をそのまま入れたのに違いない。だれだか知らないが、新局番が施行さ
れてからずいぶん経つというのに未だにこんな粗忽なことをしているとは、のんび
りした野郎だ。文句を述べ立ててやろう。
暇つぶしに入った退屈な映画への未練を瞬時に断ち切ると、おれはロビーに出て
緑色の公衆電話にテレフォンカードを挿入する。
聞き慣れない女の声が答えた。
「もしもし」
愛想など二十代の前半に使い果したとでも言いたげな不機嫌そうな声だ。おれは
少々がっかりした。
「あの、篠原ですけど」
「は?」
これだ。ひとのポケベルを鳴らしておいてこれだ。鳴らした本人が電話をとらな
いという例はたしかにままあるが、それならそれで電話を取りそうな人物にこれこ
れこういう人間から電話が入るよと説明しておけばいいだろうに、こういうことが
あるからポケベルというのは嫌だ。時には喫茶店などから入れてくる奴もいるので、
そういう時は本当に往生してしまう。電話を取ったウェイトレスにベルを鳴らしそ
うな奴の名前を片っ端から列挙して何度も呼び出しをさせたという間抜けな経験も
一度ある(自分の名前を告げて呼び出してもらえばいい、と知ったのは後のことだ
った)。
「あの、篠原なんですけどね。ポケットベルが鳴って、そちらの番号が入ってい
たので電話したんですけど」
「はあ?」
電話の向こうの中年婦人は一層声に刺を突き出した。腹の立つおばはんだな、こ
いつは。こっちだって好きでてめえに電話かけてんじゃねえや。こいつはきっとド
ラムカンのような体型をして壜底のような眼鏡をかけた、目が細くて体臭のきつい
四十過ぎの糞婆ァにちがいない。
「だからそちらに私を呼び出した人がだれかいるはずなんですけどね。ちょっと
聞いてみてもらえませんかね?」
どうもこう、イライラしてきた。おれは気の長い方じゃない。
それにしても妙だ。しんとしているので喫茶店やどこかの店、ということはなさ
そうだが、オフィスにしても妙な感じがする。なんだかカッチコッチと古臭い時計
の音がするのは、もしかしてだれかの家かなにかなのか。
「うちは今あたし一人なんですけどねえ」
と嫌味ったらしい声が応えた。
え? とおれは聞き返す。
「失礼ですけど、そちらはどちらさん?」
間抜けな問答だが仕方がない、と思って聞いたら、実にこの憎々しい答えが返っ
てきた。
「そんなこと簡単に答えるわけにはいかなしでしょうに。あんたさんがどなたさ
んかもわからないのに」
当然のことだろうとでも言うように糞婆ァは吐き捨てる。そりゃそのとおりだ。
まったくもっともなことだ。あんた以外のだれかにこの台詞をいわれたら、おれも
納得できるんだがな、この糞婆ァ!
「あの、ほんとに失礼なんですがね、おたくの旦那さんが私を呼び出したのかも
しれないですし」
となかば憤然としながら言うと、こともあろうに、
「あたし、独身なんですけど」
という答えが返ってきた。へええええええ、そりゃお気の毒。その年で独身とは、
そりゃ愛敬も使い果して当然のことだわなあ、などという感想はおくびにも出さず、
おれは詫びを言って電話を切った。
どういうことだ、これは。単なる番号の入れ間違いか、それとも悪戯の類か。可
能性としては五分五分だろう。悪戯だとすれば、まあ可愛い部類だ。この前なんか、
見慣れない番号が入っていたので、だれなんだろうと思いつつ電話したらテレクラ
の女性専用電話につながってしまい、ヤクザみたいな奴に凄まれてしまった。この
手の悪質な悪戯はだれがやっているのか見当がつく。
つまらない映画を改めて見る気にもならず、おれはそのまま映画館を後にした。
とそこへ再び、ピピピとベルが鳴った。
今度こそ正しい番号を入れてくれよな、などと思いつつ取り出して見れば、さっ
きのとは似ても似つかぬ数字のならび。とはいえ、今度の番号ははっきりと見覚え
がある。しょっちゅう公告を発注してくれる大のお得意様だ。市外局番を省いては
いるものの、区切りのところにきちんとハイフンが入っており実にわかりやすい。
皆こういう風にしてくれればいいのだが。
ただし、今度のメッセージには電話番号の後に空白ひとつおいて「49」という
数字が加わっている。「至急」の読みかえだ。この手の読みかえをする奴も結構い
る。カタカナでいいから日本語が入るタイプのポケベルならこういう、ともすれば
ややこしくなりがちな手続きなどいらないのだが……。
と、そこまで考えてはっとした。そうか、さっきのも読みかえなのかもしれない。
メモリをさらってみると、出てきたぞ、これだこれだ。
5642194
背筋にぞっと悪寒が走る。
コ・ロ・シ・ニ・イ・ク・ヨ
……たちの悪い冗談だ。一瞬恐怖に震え上がり、しばし呆然とし、次にはむらむ
らと怒りが沸き上がってきた。実にたちの悪い冗談だ。犯人の見当もつく。山田三
平にちがいない。あの野郎、なめた真似してくれるじゃねえか、効果は抜群だった
が、そのかわりただではすまさねえぜふふふふふふふふ。
至急の用事を片付けてからじっくり料理してやろうと得意先に連絡を入れたら、
なんのことはないチラシの注文だった。会社に電話を入れて手続きをすませ、おれ
はニヤリとほくそ笑みながら電子手帳を取り出した。この時間なら山田三平の奴は
飯田橋の喫茶店だなふふふふ待っていろよ。
呼び出し音二回で若くて歯切れのいい声の姉ちゃんが店名を告げた。この姉ちゃ
んだ、山田の野郎が熱を上げているのは。ふふふふふふふふ、最高のセッティング
だぜ、三平ちゃんよ。
「やあ、お姉さんいい声してるねえ、今度おれとデートしない? あ、そう。ま
あいいや。ところでそっちに山田三平って来てないかなあ。ちんくしゃ丸顔出ッパ
ラの足の臭そうな男なんだけど。そう、山田三平。しょっちゅう出入りしてるらし
いから、すぐにわかると思うんだけどなあ。いる? あそうラッキー! いやあ、
実は内緒の話なんだけどさあ、その山田三平がそこのウェイトレスに熱あげてるら
しくてねえ。ねえ、そんなにいい女、いるの? え? ウェイトレスはひとりしか
いない? じゃあお姉さんがそうなんだあ。へえええええ知らなかったなあ。いや、
でもまずいなあ、このことは山田三平には内緒ね。ね? ねね、ね? ところで、
お姉さん、彼のことどう思う? そ、山田三平。うん、そういう名前なの彼。嘘み
たいだろ? これがほんとなんだよなあ。で、どうなの? え? タイプじゃない。
いやいやいやいやそうだろうねえええ。いや、三平には悪いんだけどね、実際、ね
え。あっこのことは三平には内緒にね。うん、わかってるよね。うん、山田三平に
はね。ところでさあ、お姉さん名前なんての? え、教えてくんない? うん、そ
りゃそうだ。初対面の相手にはねえ。え? まだ会ってもいないって。あ、そうか
そうか。でもさ、ほんとに今度デートしない? ダメ? まあいいや、今度そっち
寄せてもらうからさ、そん時ゆっくり話そうよ。ね? あ、それからついでに山田
呼んでくれる? そ、山田三平。うん。よろしくね」
ういひひひひひひひひひどんなもんだい山田三平! ついでに断っておくと、こ
の三平という名前は本名ではない。おれが奴につけたニックネームだ。本人はこの
呼ばれ方を心底いやがっているのだが、おれがあまりにも三平三平と連呼するもの
だから社内でもすっかり定着してしまって、ほとんどの奴が山田三平が本名だと思
いこんでいるのだ。三平はこのことを根にもってことあるごとにおれに陰険な嫌が
らせをするのだが、本人は匿名でやっているつもりでもおれにはお見通しだ。ざま
あみろ、三平め。余談だがおれはこの手の本人が嫌がるニックネームを人口に膾炙
させるのが得意だ。今用意しているバリエーションに三太郎というのがあって、会
社にフジという名字の奴が入ってきたら定着させてやろうともくろんでいるのだが
(女でも)、なかなか都合よくそういう名字の奴が入ってこない。残念だ。
受話器に耳をすましていると、遠くからしきりに「ぼくの名前は三平じゃないか
らね、ほんとだからね」と弁解する声が聞こえてくる。ざまをみろ三平、けけけけ
けけけけ。
「もしもし」
と景気の悪い声におれはめいっぱい明るく、
「よお、三平! そんなとこでさぼってんじゃねえよ」
「篠原せんぱあい、その三平ってのやめてくださいよお、お願いだから」
「ばあか、てめえ、三平は三平じゃねえかよ。おめえ、この名前聞いたらだれだ
って一発で名前覚えてくれるぜ。あこがれの彼女にももう二度とおまえの名前忘れ
ねえよう、たっぷりふきこんどいてやったからよ。よかったじゃねえかよ、感謝し
ろよ、三平」
「もおお、やめてくださいよお、ほんとにィ。ふられちゃったら先輩のせいです
からねえ」
とすねた声を出す。ばかやろう、てめえがそんな声出してもちっとも可愛かねえ
よ。それにてめえは最初っからふられてんだよ、この馬鹿! 身のほどを知れって
んだ。
「それより先輩、なんの用なんですか? お金はありませんよ、今月はおれピン
チで」
「ばあか、すっとぼけてんじゃねえ、この野郎。ネタはすべて割れてんだぞ、タ
ゴ。妙なメッセージ、ポケベルに入れやがってよ、いいかげんにしろよ」
「はあ? なんのことです?」
これだ。
「馬鹿野郎、てめえこの、わかってんだぞ。殺しにいくよ、たあ秀逸じゃねえか。
なかなかよくできてんぜ、ぞっとしちまったわ」
と水を向ける。三平は単純だからちょっと誉め言葉をまぜると、えへへへへそう
ですかあ、ぼくもそうじゃないかと思ってたんですけどねえと来る。馬鹿め。
と思っていたら、予想に反する反応が返ってきた。
「はあ、殺しにいくよぉ?」
間延びした声出してんじゃねえ。
「とぼけるなよ、おい。おまえだろ? ポケベルに入れたの。わかってんだぞ、
この」
と優しい声を出して誘導したが、
「いやあ、なんのことだか。ポケベルに入ってたんですか? 殺しにいくよって。
……56…3……アレッ?」
「5642194だよ! てめえで入れといてとぼけてんじゃねえよ」
「いや、おれじゃないっすよ。ほんとですって、信じてくださいよお」
だれがてめえなんぞ信じるか、このスッタコ野郎。とはいえ、この調子じゃどう
やら犯人は山田じゃないかもしれないな。こいつのトボケ方はもっと不器用ですぐ
わかるしなあ。となればちょっとひどいことしちまったかな? うーん……ま、い
っか、どうせこいつはフラれる運命にあったに決まってるんだ。
うだうだと自分の無実をならべたてる山田にわかったわかったと生返事をして受
話器を置き、おれは考えこんでしまった。
山田三平でないとしたら、いったいだれが……?
時計を見てみると、ぶらぶらしながら帰社するにはちょうどいい時間帯だ。おれ
は駅に向かうことにする。なに、人に悪質な悪戯をしかけて喜ぶ手合いははいて捨
てるほどいるんだ。べつに気にするほどのことはない。
と、背筋に悪寒が走り、おれはふりむいた。交差点の手前だ。信号は赤。一瞬、
背中を押されるような気がしたのだ。気のせいだといわれればそれまでだが、おれ
は勘だけはいい。
目の端に、角を曲がってビルの影に消える格子縞の背広が見えた。ひどくあわて
ていやがった。奴か?
どうも気持ちが悪ィな。殺意を感じたぞ。気のせいならいいんだが。それにして
も、あの後ろ姿にはなんとなく覚えがある。どこだったかな……。
しかしそんなことは駅のホームについたころにはすっかり忘れ果てていた。
死神は人の油断をついて現れる。
すべりこんできた中央線の電車が目の前に近づいてきた時、おれは再度強烈な殺
意を感じた。
今度は、身構えるひまもなかった。
ぐんと強く背中を押され、おれは線路に転がり落ちた。
運転手が両目を見開いておれを見つめるのがはっきりと見えた。
死を覚悟した。同時に、身体が動いていた。
この時ほど、自分の反射神経に感謝したことはない。脳天に突き抜けるようなブ
レーキ音を背に、おれは這い上がったホームにへたりと腰をついていた。
駅員が数人、わらわらと走り寄ってくる。無事を確認する言葉が事情を問い正す
質問に変わり、それに非難が混じり始めたころ、おれはやっとのことで周囲を見回
す余裕を取り戻していた。
格子縞の背広は見当らなかった。畜生、いったい、どこのどいつだ……?
(中につづく)