AWC 封神(7)        青木無常


        
#932/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 4/19   8: 9  (194)
封神(7)        青木無常
★内容
 激痛に気をとられた武彦に、くるりと向き直った妖人が急襲をかけた。五十キロ
そこそこの痩身がぶちかました体当たりは弾丸の重量を武彦に伝達した。玉突きの
玉と化して跳ね飛ばされる。
 さらにそれを追って、菊村の勝利の哄笑が宙に飛んだ。
 そこへ、黒い塊が叩きつけられた。
 優雅な五条の爪が菊村の心臓を奪い去り、大量の血をまき散らして妖人の肉体が
地上に叩きつけられた。
 牙を剥き出した美しい少女の顔は、たしかにゆかりのものであった。
 憎悪に歪んだ菊村の顔が、天に向かって声を放った。

 ララララララ――
 ラララララララララララララララララララララララララララララララッ!

 「雷撃だ!」
 逃げろ、ゆかり、と叫びかけて、血塊が喉をふさいで溢れ出す。肋骨を数本はや
られていた。
 気配を察して、ゆかりは飛んだ。それを狙いすましたように、電撃が天を割って
襲来した。
 轟音が大地を揺るがし、雷柱のさなかに少女の肢体がシルエットとなって浮かび
あがる。
 音もなく、武彦の肉体が地上をすべり出した。激痛は怒気によって完全に抑えら
れていた。古の秘法を、人間の強烈な感情が凌駕したのだ。
 殺気に反応したか、心臓を失い首を切断された菊村の痩躯が跳ね起きた。
 血まみれの鈎爪と霊光放つ小刀とが交錯した。
 風がやみ、閃く天の光さ#,一瞬、静止したかに見えた。
 武彦のこめかみに刻まれた五条の傷口から、血管を破ってどっと朱が溢れ出た。
そして、左手に握られた黒い柄の懐剣が消えていた。
 移動していたのである。武彦の掌中から、菊村の頭頂へ。
 頭蓋骨を易々と貫通して深く突き立てられた刃は、延髄にまで達しているだろう。
だが、妖魔の力を与えられた菊村の、人間を超越した生命力を断ち切ったのはむし
ろ、小刀を突き立てると同時に放たれた武彦の、念であったに違いない。
 どう、と菊村の身体が地面に打ちつけられた。
 ほぼ同時に武彦も、がくりと膝をついた。抑制されていた激痛が一挙に復活する。
呼気は激しく乱れ、悪寒が全身を絞り雑巾のように絞めつけていた。
 「へ」
 荒い息の合間に、武彦は唇をつりあげて笑った。
 大の字に倒れてしまいたかった。が、かわりに武彦は、ついた膝を地面からひき
はがし、左脚を引きずりながら歩き出した。
 少女の身体はぶすぶすと音を立てる炭柱と化していた。
 武彦は舌を打ち、空を見上げた。黒雲の彼方を見透そうとでもいうように。
 「手ひどくやられちまったな。しかし……この程度なら大丈夫だ」
 不可解なつぶやきを、奇怪な物音が中断した。
 ごっ――、ごっ――、ごっ――、ごっ――
 ふりむいた武彦の視界に、禁断の扉が開いていく光景が入りこむ。
 武彦はため息をついた。
 「勘弁してくれよ」
 つぶやき、二本の懐剣をひろいあげ、扉に向き直った。
 暗黒の空洞がぽっかりと口を開いて、武彦の来るのを待ちうけていた。
 「待ってな、ゆかり」
 ささやきにも似た言葉に、黒焦げの炭塊がうなずいた、と見えたのは単なる錯覚
なのか。
 武彦は、ゆっくりと歩を踏み出した。

       8

 憎悪の思念が渦巻く。
 扉の彼方から。そして、背後からも。
 濃密な闇を分け入りながら、武彦は背筋を震わせていた。
 常人であれば、その邪悪な毒気に触れただけで発狂するしかない、凝縮された毒
念。かつて、神、と呼ばれたものの憎悪だ。
 荒らぶる神。益をもたらさぬ神。
 放たれる忌まわしき瘴気は世界を暗黒で充たし、生けとし生きるものすべては死
の絶望を悟らずにはいられなかっただろう。
 恐怖と忌避によって崇められた神だ。その毒念は実在の形をとって妖魔と呼ばれ、
世界を混沌と破局に向けて疾走させる。恐怖と呪咀と、絶望を食らって増殖をくり
かえすそれは時に、山野海空に充ちてあらゆるところに魔力を及ぼす多頭の毒蛇に
例えられることもあった。だが、だれもその姿を見たものはいない。なぜなら、そ
の本質は実体を持たなかったのだから。
 そして神話は語る。恐るべき魔神の跳梁は、長くは続かなかった、と。英雄神が
現れ、邪神を討ち滅ぼしたからである、と。
 神話とは、世界のあちこちにちりばめられた人類のおぼろげな記憶に過ぎない。
事実は神話のごとく英雄的なものではなく、そこには来たるべき絶望が秘め隠され
ている。
 神は、死んではいない。そもそもそのような存在を死なしめる術など、あり得よ
うはずもない。せいぜい特殊な呪法によって封印を施し、再び地上へと返り咲くこ
とのないよう万感の祈りをこめて、昏い地下の牢獄にでも追いやるぐらいしかでき
ることはなかったのである。
 その憎悪の念がこの草深い山中に及ぼした悪夢のような現実を思い描くがいい。
神は未だ、蘇ってはいない。施された封印の、ほんの一部が解き放たれ、怒りに充
ちた大いなる悪夢の断片が漏れ出てきただけで、あれだけの死がばらまかれたのだ。
 そして今、武彦が分け入る闇の奥には、その毒念の本体が危うい眠りの向こうに
待ち受けている。
 さらに、背後に潜むもうひとつの憎悪。
 邪神の毒念の陰に潜んで機を待つ、おしころされた殺意。あれほどの冗舌も今は
なりを潜め、彪太は間違いなく手負いの野獣が力つきるのを待ち続けている。
 足もとはわずかに地下へと傾斜しているらしい。草深い山中の地下に大迷宮が隠
されていると、この世に住む何人の者が知っているのか。
 痛めた足を引きずり、ゆっくりと進んでいた武彦の歩みがふいに停まった。
 闇の懐に抱かれて隔絶された第二の扉が、そこにあった。
 封印がひとつ破られるごとに、太古の神はその力を増していく。武彦の力では、
それに抗し得るのはここまでが限界だった。
 うおおん――
 壁が、反響した。
 渦巻く邪念が、武彦に向けて徐々に凝集していく。
 待った。
 ほどもなく、それは来た。
 強烈な圧力が側面から襲いかかり、武彦は空中にからめとられた。回転する激流
がきりきりと全身を締めつけながら体力を奪い去りにかかる。
 骨が軋み、筋肉が膨張して圧力に対抗する。と、ふいに力のベクトルが方向を換
えた。
 壁が激しく揺らぎ、叩きつけられた武彦は血反吐を吐いて倒れこむ。
 哄笑が反響した。
 限界だった。
 それでも、武彦は立ち上がった。
 哄笑がやむ。
 かすんだ視界の彼方に、ぼうっ、と光が生まれた。
 鬼火のように頼りなげなその光が、次の瞬間、弾丸と化して武彦を襲った。
 後ろの壁に強く叩きつけられた。堅い石の床の感触が二度、三度と背や腰を打ち、
武彦は際限なく血を吐いた。四肢はひくひくと痙攣をくりかえし、目の前が闇に閉
ざされていく。
 だが、また、立ち上がる。
 待っていたように、闇の中に無数の炎が浮かび上がる。
 ごおっと風を巻いて、炎の群れは一斉に襲来した。
 熱と光が強烈に渦巻き、皮膚と髪を焼いた。火中に新たな力が生まれ、武彦は天
井に向かって思い切り打ちつけられた。
 反転して脚を向けなかったら、その頭部はトマトのように粉砕されていただろう。
衝撃が脳天を突き抜ける。
 傷ついた脚は体重を支え切れず、そのまま床に叩きつけられた。炎の塊がどっと
降りかかり、武彦は火の玉と化して転げまわる。呼吸ができない。鉄板の上を跳ね
回るポップコーンのように全身を狂おしくあちこちに叩きつけた。
 火勢が弱まった。転がりながら体勢を立て直そうとしたが、たたみかけるように
して音もなく圧力が来襲し、側壁に吹き飛ばされた。
 そのまま、磔のような姿勢で抑えつけられた。骨格がぎしぎしと音を立て、内蔵
が口もとまでせりあがる。
 鼻が、血を噴いた。目尻から際限なく涙がたれる。その涙もまた、赤い色をして
いた。指一本自由にならず、加えられる圧力が増していく。
 ふっと、意識が遠退いた。
 かろうじて形を保っていた闘志も、ナイフでえぐられるように削り取られていく。
 これで終わりか? 遠ざかる意識の底で、つぶやきが聞こえた。
 耳の奥で、声が叫んだ。
 兄さま。
 空耳だったのだろう。それで充分だった。生きていることが確認できた。
 血まみれの唇が、呪文を紡ぎ出す。
 双眸がぎらりと光を放ち、充満した鬼気が一瞬、凍りつく。
 気合いが轟くとともに霊光が爆散した。
 圧力が消失し、妖気が一斉に扉の向こうへと退却していく。
 うつぶせに転がった武彦は、ふうと息をついた。
 「終わったか……?」
 「いや、まだだ」
 背後から、声が響いた。
 がば、と上体を起こして、武彦は向き直る。
 床を踏む音が近づいた。
 小柄な影が、眼前に立つ。
 「彪太……」
 呼びかけは、苦痛のうめきに他ならなかった。死人も同然だった。
 その、両の眼に宿る、炎のような闘志を除いては。
 その双眸が、目の前に佇む一メートル五十に充たない小兵に向けられる。
 受ける彪太の両眼もまた、燃えていた。
 憎悪に。そして賛嘆に。
 「たいしたもんだぜ、ミコト」その声音から、嘲りが消失していた。「ここまで
やるとは思っちゃいなかったよ。逃げ出しちまえばいいのによ。ばかだよ、てめえ
はよ」
 「……おれをミコトと呼ぶな」
 苦鳴の合間から、刃のような拒否が放たれた。
 同時に右手が風を裂く。
 うおっと叫んで彪太は飛び退いた。背後の壁に、手裏剣が突き立つ。
 「……つくづくてめえは」苦々しく吐き捨てるように、彪太は言った。「脳味噌
膿んでやがるな、まったく。手の施しようがねえぜ。だが安心しな。いま治してや
るからな。馬鹿をよ」
 闇に紛れた黒衣の懐に手をやって、彪太がじりりと前進する。武彦も同じ姿勢で
身構え――
 漆黒の闇が数条、交錯した。
 白刃が火花を放ち、右と左に分裂する。武彦の手には黒塗りの柄の懐剣。そして
彪太の手には大振りの鎌。
 「横を見なよ、武彦」
 言った彪太の口もとが、笑いの形に歪んでいた。ライターを掲げ、火を灯す。
 ちらりと横目で扉を見やり、武彦は、馬鹿な、とつぶやいた。
 壁から、白い靄のようなものが這いずり出てきていた。
 「神だよ、武彦。太古の神だ」彪太が言った。勝ち誇ったような口調だった。
「おれの勝ちだな、武彦」
 「どうかな」
 残像を残してその身体が消失した。
 おう、と叫んで彪太は転身し、迫る刃を鎌で受ける。
 次の瞬間、その鎌の柄の底がきりりと音を立てて抜けた。銀光が線を結び、武彦
の腕を貫いた。懐剣が音を立てて地に落ちる。
 「ちいっ」
 と彪太は、舌を鳴らして柄を引き抜いた。血飛沫を道連れに現れたのは、仕込み
針であった。
 針と鎌を振り立て、彪太は再度強襲をかけた。
 突き出された仕込み針を、腰を落としてやり過ごす。ほぼ同時に頭上から降り降
ろされた鎌の一撃を傷ついた右腕で受け、自由な左腕を足もとにのばした。
 その先の懐剣を、彪太の足が蹴り上げる。
 きん、と音を立てて懐剣は闇の奥に紛れこみ、彪太が会心の笑みを浮かべた。
 「死ね、武彦!」
 引き抜かれた鎌が弧を描き――懐中に飛び込んだ武彦の左腕が引き抜かれた。
 金属のぶつかりあう音が耳障りに闇中に響きわたり、武彦の脚がうなりを上げて
彪太の鳩尾に吸いこまれた。
 跳ね飛ばされた彪太の身体がくるりと円を描いて着地する。その顔は、驚きに愕
然としていた。
 「一本じゃねえぜ」
 ニヤリと笑う武彦の右手に、短刀が握られていた。
 「霊剣じゃねえ!」
 叫び、前進する彪太に歩調をあわせるようにして武彦は後退する。闇に紛れる霊
光目指して。




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