AWC 封神(6)        青木無常


        
#931/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 4/19   8: 4  (182)
封神(6)        青木無常
★内容

       7

 胸から腹へ、粘い汗が這い降りていく。
 背筋から悪寒が、くりかえし、くりかえし広がる。
 額に浮き出た粘液を無意識にぬぐう。ぬぐった手の甲に、埃と土にまみれたため
か、どす黒い粒を含んだ液体がべったりと付着している。
 気にならなかった。気にするほどの思考力も残ってはいなかった。ただ、土をほ
じくり出す手の動きをくりかえすだけの、自動人形のような動作を再開した。
 扉にこびりついた土を、丹念に、ともすれば偏執的とも思えるほど執拗に、菊村
はかい出し続けた。指で。
 スコップの類の道具などはとうのむかしに放り出してしまっている。まるで、土
にまみれた素手の指先から血を流しながら掘る、というその作業そのものに呪術的
な意味あいでもあるのだ、とでもいいたげに、恍惚の笑みを浮かべて、菊村はただ
掘り続けた。
 わずかに、意識の片隅にかろうじて形を保っているだけの正気が、疑問を投じた。
 なぜ、こんな真似をしているのか。
 解答は、用意されてはいなかった。ただ、なにかが彼に命じ続けているのだ。掘
れ、と。そのなにかがなんなのかは、当の菊村にもわからなかった。
 たとえ一人ででも発掘を続けたい、という情熱は、そして欲求はたしかに強烈だ。
 死者が出た以上、早晩作業は禁止され、最終的に一帯が封鎖されることさえあり
得る。遺蹟は立入禁止のうたい文句とともに永久に埋もれたままとなり、幻想の古
代へと開かれるのを待つ扉は未来永劫閉ざされたままとなることだろう。
 無論、常識では考えられない奇怪な力が働き始めているのは、菊村もその眼前で
目撃したとおりだ。なにか得体の知れない超常的なものが、扉の奥に隠されている
だろうことも、武彦の言葉を待つまでもなく想像がつく。
 それだけに、禁断の扉の彼方に眠る別次元の世界への、抑えがたい好奇心には熱
病のごとき強烈さがあった。せめて、自分にでき得るだけでも、発掘を続けたい。
たとえ一目だけでも、扉の向こうをのぞいてみたい――沸き起こる熱望は、恋を知
ったばかりの少年の激情にも似て菊村の胸を絞めつけるのである。
 が――
 そんな想いに憑かれて扉を掘りかえしはじめた菊村も今や、自分ではない何者か
の意志によって己れが操られていることにおぼろげに気づきかけていたのだ。
 自分の魂の中に、なにか異質な存在が侵入し、その超自然的な力を駆使して菊村
を己れの手足のように自在に操っているのである。
 それは、どろどろとした、煮えたぎる溶岩のように赤く熱い、恐ろしく邪なおぞ
ましきものであった。汚汁にまみれた鋭利な爪が菊村の心臓をその掌中にしっかり
ととらえ、そこから得体の知れない邪悪な力を次々と菊村に向かって送り出してく
るのである。
 その力は、腐汁にまみれた汚濁への生理的な嫌悪感とともに、どろどろに溶け崩
れた闇と背徳に服従する屈辱的な快感をも、菊村に供給しつづけていた。
 光の対極に位置する、闇という空間――ひとはそれを忌み嫌い、恐れながらも、
一方ではそれにどうしようもなく牽かれ、踏みこまずにはいられない衝動を心の奥
底に隠し持っている。だが、いま菊村を衝き動かしているのは、それだけでさえな
かった。
 血の奥にうずもれたなにか――遠い、太古の記憶に呼びかけられてざわざわと騒
ぎ出し、抑えようもなく呼応しはじめた魂の奥底に潜むもう一人の自分。
 扉の向こうの存在に共鳴し、生爪のはがれた血まみれの指先で奉仕することを強
要するもう一人の自分が、たしかに存在することを菊村は確信した。
 考古学に――というより、太古の日本に、なぜ自分はこれほどまでに魅きつけら
れるのだろう、という疑問は一度ならず訪れている。
 それは、ひとのもつ知的欲求よりはむしろ、郷愁、という言葉にこそふさわしい
感覚であった。自分の戻るべき場所を、永い間さがしつづけてきたのだ――啓示の
ように、そんな不条理な解答が脳裏に閃いた。
 魂が震えるのを、菊村は感じた。歓喜と法悦に震えるのだ。それは、射精時の快
感にも似て、視界を揺らめかせ、全身に電流を奔らせた。
 その間も、土を掘り払い除ける手を休めることはなかった。

 オ「「「「「「「「「「「「「「「ン

 共鳴が、周囲をどよもした。樹々がざわめき、曇天を雷光が切り裂いた。
 こびりついた最後の土を払い除け、菊村は閉ざされた扉から数歩、後退った。
 太古に刻まれた文字を見上げる。
 ――この扉、何人たりとも開くこと許さざるなり
 ――葦船なればなり
 そう読めた。
 読めるはずがなかった。神代文字に興味を持ち、一部の種類の読み方なども片手
間に研究したことはある。が、もとより種類も多く、多分に偽作的な部分の混入さ
れている神代文字を本格的に解読したことはない。まして、いま目の前にしている
古代の文字には、見覚えさえまったくない。
 にもかかわらず、菊村には理解できたのである。そこに書かれているものが、は
っきりと。
 ――葦船なればなり。
 『古事記』の一節を想起させる言葉だ。然れども、くみどに興して生める子はヒ
ルコ。この子は葦船にいれて流し去てき。
 イサナギとイサナミの神生みで最初に生まれたのがヒルコ。片輪であるために、
葦の船にのせて捨てられた――と『古事記』は語っている。
 その『古事記』に記された一文を思わせるものが今、眼前に刻みこまれているの
だ。
 読めるはずもない、古代の文字で。
 だが、もはや「なぜ?」という疑問さえ、菊村は脳裏に描くことができなかった。
 全身がわなないていた。
 やっと、帰ってきた――説明さえ不要な原初的感覚が、菊村に告げる。
 帰ってきたのだ――神の、御前に。
 知らず、涙が頬を流れた。
 「カムイ――」
 感涙にわななく唇が、ひとつの言葉を紡ぎ出す。
 「アガ……カムイ…………」
 そして感極まった時、ふいに菊村の喉が奇怪な音を立てて鳴りはじめた。

 ラララララララララララララララララララララララララララララララララ!
 上顎に舌が立て続けに打ちつけられ、鳥声の如く叫びは山中に響きわたった。
 雷光が閃いた。衝撃に大地が揺らぎ、飛び散った火花が樹々にからんで炎を呼ん
だ。
 菊村は、両の腕を前方に向かってゆっくりと突き出した。
 手のひらを扉に向け、声を限りに絶叫を放ちながら押した。
 ゴ………………
 重い音とともに、扉はゆっくりと開き始めた。
 「やめろ!」
 凛とした声が響くと同時に、開きかけた扉の重い動きが、ぴたりと静止する。
 菊村は、おもむろにふりむいた。
 浄土武彦がそこにいた。
 「やめろ」
 もう一度、武彦はつぶやくように言った。
 菊村の顔に、嘲るような笑みがへばりついていた。
 形相が一変している。知的で温和な、学者めいた風貌はきれいに消し飛んでいた。
かわりに、嘲笑と憎悪が、呪咀と怒りが、満面を醜く歪めている。
 「憑かれちまったかよ、菊村先生……」
 静かに、武彦は言った。
 「我は再び地上に帰る」
 嘲笑を浮かべた唇が決然と言い放った。
 菊村の声ではなかった。
 「肉体までのっとられてるのか……?」
 武彦のつぶやきに、菊村に憑いたものは行動で答えた。
 疾風と化した痩身が音速を従えて飛翔する。一陣の風が空を薙ぎ、一瞬の差で身
を沈めた武彦の首筋に朱の線を刻みこんだ。
 跳躍時の唐突さと同様に、ストップモーションの不自然さで菊村はピタリと静止
し、素早くふりかえった武彦と正対していた。いつの間にか鋭利な刃と化した強靭
な爪を、顔前にひらひらとふってみせる。
 「このとおりだ」
 「なるほど」
 珠を結んだ血を指先でぬぐい、武彦はぺろりと舌でなめとった。
 「こうも完璧に肉体をのっとれるとはな」
 「我を崇めし民の転生なれば」
 菊村の口を通して、太古の超存在が告げた。
 そして、その双眸がすうと細められた。
 「おまえ……スサノオの末裔か」
 武彦の顔から、表情が消えた。
 入れかわるように菊村の眼が、驚喜に見開かれた。その唇から、異様に長い舌が
ぞろりと現れる。
 「殺してやる」
 憎悪に色彩られた微笑がつぶやくと同時に、熱風が武彦を襲った。
 むき出しになった地面に武彦の身体が叩きつけられた、と見えた瞬間、懐中から
放たれた手裏剣が菊村の痩せた胸板に突き立った。
 その唇を割って、血があふれ出した。だが、嘲笑は消えなかった。
 ごぶっ
 うす汚れた血塊が胸もとをどす黒く染めた。
 一連の残像を結んで、弓なりに跳躍した憑かれし男の全身が、一本の重い大鉈と
化して襲来する。
 物理学の諸法則をことごとく無視した超絶の動きとスピードがふり降ろす必殺の
一撃は、武彦の側頭部を一気に貫いた。
 その残像を。
 いかなる力が働いたのか、数百分の一秒の差で武彦は魔怪の強襲を逃れていた。
小さく円を描いて後方に難を避けた時、犠牲に強いられたのは足首だった。骨肉の
こすれる不快な音とともに、脛の肉がごっそりと剥ぎ取られていった。
 両腕の力だけで、空をふわりと回転して体勢を立て直そうとした武彦の眼前に、
残酷な喜悦の笑みが迫った。
 腹部に激痛が生まれる。肉の内部にめりこんだ鈎爪が、片腹の内部でうねうねと
蠢いた。
 「死ね」
 狂気の微笑が、至福の言葉を紡ぎ出した時、激痛に歪む武彦の顔面に笑みが湧い
た。
 一条の閃光が刻まれた。強靭な腹筋にかみこまれた鈎爪が強引に引き抜かれる。
絶叫とともに。
 地面のひと蹴りで十メートルも後方に位置する巨木の樹上に後退した菊村の両眼
が、憎悪に見開かれた。首筋を切り裂いた傷は食道の位置にまで達しているだろう。
妄執に憑かれた首は不自然な方向に傾いていた。
 「眩しい――」
 苦鳴とともにもらしたつぶやきには、恐怖の響きが含まれていた。
 「我を地上より追いし剣か――おのれ」
 血まみれの牙がぎりりと音を立てた。
 獰猛な微笑を浮かべた武彦の手に、小刀が握られていた。黒い柄の、両刃の懐剣
――。
 「行くぜ、おっさん」
 つぶやきを後に残して疾走した。肉と骨をこそぎ取られた激痛をそのままその位
置に留めて。――古来より伝えられた究極の肉体制御の秘法――だが、場合によっ
ては死に至る危険な禁断の奥義だ。しかも、痛覚を制御できる部位は一箇所が限度。
腹部からじわじわと広がる鈍痛をどれだけ無視できるか――。
 樹上から痩身が舞い降りる。大気をジグザグに切り刻んで悪鬼の形相が迫る。
 つづけざまに四本の鋭い光が空を切り裂いた。
 血玉がぷつぷつとわいた。武彦の背中から。
 そして、菊村の顔面にも。
 霊光が反転した。と同時に、視界にとらえた敵の姿に違和感を覚える。瞬時、た
たらを踏んだ。その一瞬が隙を生んだ。
 武彦に背を向けて佇んでいた菊村の首筋に穿たれた傷口から、粘液にまみれた長
大な肉塊が飛び出した。
 幾百の肉玉におおわれた伸縮自在の肉棒が、武彦の二の腕に牙を立てた。懐剣が
ぽろりと落ちる。
 同時に残された左腕の握るもうひとふりの小刀が肉棒を分断した。
 ぎふう――
 分断された肉棒の先端が、うめいた。笑ったのかもしれない。本体から分離され
てなお、立てられた牙にいよいよ力がこもる。




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