AWC 影の棲む館(15)       青木無常


        
#900/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 3/25  16:34  (140)
影の棲む館(15)       青木無常
★内容
 「あったぞ。待ってくれ、今明かりをつける。……どうしたんだ? つか
ないじゃないか。電池が切れているのか?」
 「そんな――この前かえたばかりなのに」
 答えた千種の声も、パニックに陥りかけていた。
 「奴だ」武彦の声が静かに言った。「どうやら灯火管制を強行していらっ
しゃるようだ。ライターの火もつかない」
 「どうする?」
 「おちついてください。大丈夫です。みんなは今いる場所を動かないよう
に」
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……
 おおお〜〜〜おお〜〜〜〜おおおおおおおおおおお〜〜〜〜…………
 “声”の反響が、館を激しく震わせた。まるで、館自体が苦悶しているか
 「ゆかり」
 「先導してくれ」
 「はい、兄さま」
 闇の中を、少女が軽々と移動していく気配が伝わった。まるで闇などまっ
たく苦にもならないかのように。
 武彦の手をとって、ゆかりはゆっくりと室内を移動していく。
 あああああああああああああ!
 “声”にこめられているのは、激しい憎悪に他ならなかった。
 圧力が、吹きつける風のように武彦とゆかりの前進を阻んだ。強靭な弾力
の壁にさえぎられるようにして、二人の進行が停止する。
 「どけよ」つぶやくように、武彦は言った。「おまえは、今まで何人の生
命を奪ってきた……? 南条隆行の魂にはふさわしいかもしれんがな。だが、
殺人鬼にこの世に生まれ出てきてもらっちゃ困るんだ。いいや、このおれが
それを許さねえ! どけ!」
 轟音が反響した。
 なにかが壁に叩きつけられる音――
 と同時に、屋敷内に光が戻ってきた。
 幻惑に、家族三人が立ちすくむ。
 ……その時にはすでに、武彦とゆかりは暖炉の前にたどりついていた。
 暖炉の内側に手をのばすと、武彦は積みあげられた煉瓦をひとつひとつ、
点検しはじめた。やがて三つの煉瓦が、塗り固められずに残されているのを
発見した。
 最初から取り外しが自由にできるように設計されていたのだろう。目立た
ないよう偽装されてはいたが、三つの煉瓦は意外に簡単に取り除くことがで
き、その下からは差し込み口と、そして底部に収容されたレバーが出てきた
のである。
 武彦は、そのレバーを取り出して差し込み口に当てた。
 さびの浮いた歯車がぎりぎりと音を立ててまわり、幅広い底部がゆっくり
と持ち上がっていった。
 扉、というよりは蓋といった方がいいだろう。かなり広い面積を持つその
蓋は、暖炉の巨大さのためにつかえることもなく全開した。大きさは、かろ
うじて人ひとりが入ることのできる程度だ。
 そしてそこに開いた暗い空洞の一端には、垂直に地下へと続く鉄製の梯子
があった。
 内側には、蓋の開閉装置は見当たらない。つまり内側からは出ることがで
きないというわけだ。地下室? 否、牢獄だ。
 「うまくできてやがる」
 つぶやき、武彦はさらに奥をのぞきこんだ。
 そこには――暗黒が渦巻いていた。
 「懐中電灯を」顔を上げ、武彦は言った。「おれひとりでいきます」
 「兄さま――」
 「大丈夫だ。おまえは待ってろ」
 なにか言いかけたゆかりを制して、武彦は秀明から電灯を浮けとった。
 「待って、兄さま」地下への階段に手をかけようとした武彦をゆかりが制
止した。「大事なものを忘れてるわ」
 言って部屋を走り出たゆかりが再び戻ってきた時、その手には布にくるま
れた棒状のものが握られていた。
 差し出すゆかりに武彦はうなずき、受け取った。
 一端に手をかけ、つ、と引くと布の下から現れたのはまばゆい白光。
 短剣であった。漆黒に塗装された鞘と柄の、奇妙な形をした短剣。
 灯火に映える白刃が神々しく輝いている。
 霊光、と呼ぶべきだろう。葉子が車の中で武彦のコートの内側におさめら
れているのを看破したものだ。
 両刃の刀身を鞘に戻すと、武彦は懐中電灯を頼りに地下への降下を開始し
た。
 意外なほど深さがあった。大声で泣きわめいても、外部には声も届くまい。
なにもかもが、うまくできていた。――ひたすら残酷に。
 南条家の人びとは、なんのためにこの地下室をつくらせたのか。隆行を法
の追求からかくまうために、外界から隔てられた濃密な闇の底へ、幽閉し去
ったのか。
 足が、床をとらえた。隆行の個室にたどりついたらしい。すえた臭いが鼻
をつく。黴と、埃と――墓所の臭い。
 コンクリートで固められた床面に降り立つと、武彦は電灯の光をゆっくり
と巡らせた。生活に必要な種々雑多なものの他に、画材道具と額におさめら
れた絵画が目につく。
 ダリ、マグリット、ゴッホ――狂気に蝕まれたいかなる画家であろうと、
これほどまでに妄執を作品の中に封じこめられた者はいなかっただろう。
 我知らず、武彦は眉をひそめていた。
 その表情が、ふいに一変した。
 叩きつけられてきた激烈な妖気に、間髪入れず反応する。
 向けられた懐中電灯の光輪の中に、乱雑に立てかけられたいくつものイー
ゼルが映し出された。
 その向こうに、南条隆行の蒼白い微笑が浮かんだ。
 異音が炸裂した。


 ひっ、と葉子の喉が音を立てた。
 つい今までのぞきこんでいた暖炉の底の奈落へ、糸の切られた人形のよう
にふらりと傾く。暗黒の支配する魔域へと吸いこまれる寸前、ゆかりの腕が
力のぬけた少女のからだを支えた。
 「葉子」
 「どうした」
 電光の勢いで走り寄る両親に、気を失った葉子の体を託す。受け取った秀
明の表情が、なにが起こったのかと問いかけていた。
 それには直接答えず、ゆかりはただ穴の底へと鋭い視線を投げかけていた。
 「気が流れた……」抑揚を欠いた口調がそのまま、不安を暗示していた。
「兄さま……!」
 「葉子は……」
 千種の悲痛な問いかけにゆかりはふりむき、わからないと首をふった。
 「でもたぶん――意識をさらわれたんだと思います」
 「意識を?」
 おうむがえしに訊きかえす秀明に向かって小さくうなずくと、その腕の中
で目を閉じている葉子に、ゆっくりと手をのばした。
 「なにをする気だ」
 詰問と期待がないまぜになった口調に、ゆかりの輝く双眸が向けられた。
 十六歳の少女とは思えない、強い意志を秘めた輝きだった。
 「葉子ちゃんはたぶん、兄さまと同じ場所に呼び出されたんだわ。想像以
上に強い力です。なんとかして行かなきゃ。あたしの助けがいるかもしれな
い」
 戸惑い、顔を見合わせる両親に大丈夫です、と告げるようにうなずきかけ
ると、葉子の額に掌を当てた。
 澄んだ声音が空気を心地よく震わせ始めた。呪文、というよりは美しいア
リアと呼んだ方がふさわしい声音だった。
 つかの間、秀明と千種は不安を忘れてその詠唱に聞き入った。
 そしてふと我に返った時、葉子の額に手を当てたまま、ゆかりもまた結跏
跌座の姿勢で意識を遠く飛ばしていたのである。

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 惑乱した意識が戻るのに数秒の時が要されたが、肉体だけはすでに身構え
ていた。
 平衡感覚が妙に頼りない。夢の内部に迷いこんでしまったような非現実感
が武彦をとらえていた。
 回転していた視界が徐々に定まってくる。
 見慣れぬ世界がそこにはあった。
 なじみの日常からすっかり締め出されてしまったことを否応なく認識させ
る風景だ。
 奇怪な、極彩色の霧が渦巻く中を、上下の区別なく壊れた時計や漆黒の蒸
気機関車の漂う世界が、悪夢の中以外のどこに存在するというのか。
 ここでは、未来永劫足下に横たわるはずの確固たる大地の感触とも無縁ら
しい。無重量状態、と形容すれば的確か。ただし、真空中とはいえそうにな
い。それとも、人は空気なしには生きられないという黄金律さえ超越した世
界、と言い換えるべきか。
 濃密な質量を伴った霧の中で、なんの支えもなく浮かぶ身体は、思うまま
に動かすことさえ困難だった。
 はるか上空で、硬質の輝きをもった蛇が、その長大な体躯をくねらせつつ
漂い流れていく。いや、上空とは呼べまい。わずかな気の乱れに反応して、
武彦の身体はゆっくりと回転していた。上下感覚はまるで存在しない。




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