AWC 影の棲む館(8)        青木無常


        
#893/3137 空中分解2
★タイトル (GVJ     )  91/ 3/19   5:47  (140)
影の棲む館(8)        青木無常
★内容
 現在秋月秀明の所有している《南条邸》に憑いているものが、いかなる因
縁をこの館に抱いているのかはまだわからない。が、武彦は奇妙なことに気
づいていた。
 凶悪な霊気が館に巣くっていることは確実だが、その発源点がはっきりと
しないのである。
 屋敷内に物理的な怪現象を引き起こしている以上、その力の発せられる源
を感知することは、容易とはいえなくとも必ずしも不可能ではない。が、過
去、ここを訪れた霊覚者たちと同様、武彦もまたそれを特定できずにいる。
 なぜか。いわばそれは、奇しくも死に至る直前に柳瀬がつぶやいた言葉―
―「霊気が屋敷全体に拡散している」との言葉のごとく、邸内の柱から床板
に至るまでのすべてのものに霊気が分散されてしまっているかららしい。ま
るで、屋敷全体が憑霊されてしまってでもいるかのように。
 武彦が口寄せを提案したのは、霊と交信する必要を感じたためであると同
時に、分散された霊気を一ヶ所に集中させてしまうためでもあった。
 「今からこの家に憑いている霊との対話を試みてみます」
 家族を居間に集めると、武彦は気楽な調子で宣言した。催眠術で一家を欺
いたときの威圧感や冷厳な雰囲気は微塵も感じさせない口調だ。それどころ
か、まるで今から車座になって一同におもしろおかしい旅の話でも披露しか
ねない雰囲気である。
 その気楽さを、葉子は安心感、と取っていた。
 身を小ぎれいに洗い清めた武彦の容貌には、貴族的な優雅さと野性的な精
悍さとがバランスよく同居している。とくにいい男というわけでもないが、
どことなく、男女の別なく人を魅きつけるなにかが秘められているのだ。そ
して、笑顔を見せているわけでも、頼もしげな態度を取っているわけでもな
いのだが、なにか不思議に見ている者を落ち着かせるような雰囲気がある。
 やっぱり霊能者といわれるような人とは違うのだな――葉子はあらためて
そんな感想を抱いた。今まで出会ってきた霊能者たちに共通して感じられた
神秘的な陰りや威圧感のかわりに葉子が武彦から感じたものはいわば、もっ
と根源的ななにか、としか表現できないものだった。
 「この屋敷の《主》は一家に危害を及ぼす気はなさそうですが……」武彦
は世間話の口調で言う。「場合によってはその原則が破られるかもしれませ
ん。その時には、おれたちにかまわずさっさと逃げ出してしまってください」
 だれも笑わなかったのは、それが単なる冗談ではないということを知って
いたからだが、今までこの一家にぬぐいがたく存在していた悲壮感がきれい
さっぱり消失してしまっているのは、やはり武彦の人格が為せるわざだった
のか。テーブルを除いて円状に配置された一同は、思いおもいの姿勢で来た
るべき時に立ち向かう決心を固めていた。
 アンティーク調の応接セットに、暖炉を上座にしてゆかり、秀明、千種、
葉子、そして武彦の順で、一同はごく大雑把な車座になっている。
 「じゃ、始めましょうか」
 ピクニックにでも出かけるような口調で武彦が宣言した。
 両眼を閉じ、威儀を正したゆかりがつぶやくように呪文を唱え始める。そ
れはまるで、甘美な音楽かなにかのように広い部屋を満たしていった。武彦
は半眼に閉じた双眸をゆかりに向けているだけだ。見ようによっては、鼻歌
に居眠り、といった雰囲気である。
 そんな、緊張感をぬぐい去ってしまいかねないリラックスした雰囲気を圧
するようにして、強烈な鬼気が充満しはじめた。
 館への新参者に対する明白な敵意が、しこりのように凝り固まった妖気と
化して噴き上がる。
 「ふうん」
 間延びした調子で、武彦がつぶやく。
 「人間の霊気じゃないのかな?」
 凝り固まっていく妖気を評した言葉なのか。
 どこからともなく、音が響いてきた。聞く者によって、地獄の底からもが
き出ようとする亡者のうめき声にも、あるいはこの世のものならぬ猛悪な獣
があげる不吉なうなり声にも聞こえるであろう。耳がとらえる音ではなく、
精神に直接響いてくるその声は、人それぞれの感覚で受け取り方に微妙な違
いが生じる。共通するものはただひとつ――恐怖のみ。
 家具や小物が、カタカタと音を立てて揺れ始めた。ポルターガイストだ。
 苛立つような小刻みな震動に囲まれて、ひとり武彦だけが悠然としていた。
 バシッ!
 ラップ音とともに、その武彦目掛けて四方から三つの物体が襲来した。
 年代ものの置時計。
 壁にかけられていた装飾用の鏡。
 黒塗りの、ライオンの置物。
 異なった方向から一斉に飛来した凶器が、見えない壁に当たったように四
散した。
 武彦は泰然とした姿勢を崩す素振りも見せてはいない。
 半眼に閉じた双眸をじろりと宙に向け、
 「遊んでないで、さっさと出てこいよ」
 挑発した。
 脇に除けたテーブルや床に落ちた凶器が、怒り狂ったように激しく飛び跳
ね、空中を旋回する。ラップ音があちこちで騒々しく鳴りわたり、その底を
縫うようにゆかりの唱える呪文の声が粛々と流れていく。
 ビシッと鋭い音が響き、暖炉上の巨大な花瓶にひびが走った。
 同時に、ゆかりがカッと双眸を見開いた。
 そしてふいに、館は静寂につつまれた。あらゆる超常現象がぴたりとなり
を潜め――
 「出せ!」
 底冷えさせるような男の声で、それは言った。
 ――葉子の、口を通して。
 千種が、小さく悲鳴をあげた。秀明も腰を浮かせたまま凍りついている。
 「出せ……おれをここから出せ!」
 不安と恐怖の入り混じった両親の注視の前で、葉子は、葉子のものではあ
り得ない声で喚いた。
 武彦が、静かな声音で口火を切った。
 「あんた、誰だい」
 まるで危機感を欠いた、涼しげな口調だ。愛情に飢えた有閑少女が街なか
でこう訊かれたなら、名前どころか電話番号までためらわずに答えてしまう
かもしれない。
 だが、葉子に憑いたものに対しては、そんな効果は望み得べくもなかった。
 「おれは誰でもない!」武彦に向けられた猛悪な視線は、断じて葉子のも
のではあり得なかった。「おれは誰でもない! おれをここから出せ!」
 「おまえはどこにいる?」
 平然と訊き返す。
 「ここだ! おれはここにいる! 四角く囲まれた狭苦しいここだ! 出
せ! 出せ! おれをここから出せ!」
 吠えながら、葉子は形相さえも一変させている。憎悪に醜く歪んだその顔
が、この世に生きるすべてのものへの呪咀を吐き出しながら、ごうごうと獣
のように吠え立てている。
 武彦の質問にはなにひとつ、まともに答えようとはしなかった。答えたく
ないのか、それとも答えられないのか、それはただ「おれをここから出せ」
と喚き続けるだけだった。
 「世話焼かすなよ」しまいに、うんざりしたように武彦は言った。「どこ
にいるのかわからなけりゃ、出しようがないだろう――」
 言葉は、途中で断ち切られた。
 原因は――跳躍だった。
 葉子の。
 十五の少女のどこからこれほどの力が――そう思わせる勢いと高さで飛び
上がった葉子が、武彦の喉もと目がけて突っ込んできた。
 「葉子!」
 母の悲痛な叫びが放たれる一瞬前に――決着はついていた。
 額に当てられた武彦の掌を支点に、ニュートンの法則を無視したまま葉子
の身体は空中に静止した。
 その顔から噴きつけるような邪気が剥がれ落ちるようにして消失した途端、
思い出したように重力が回復した。
 「葉――」
 千草が両の眼を見開いて叫んだ時にはもう、葉子の小さな身体は武彦の腕
にがっしりと受け止められていた。
 「大丈夫。ちょっと気を失ってるだけです」
 武彦の言葉に、千草はへなへなと崩おれた。
 小さくうめき声が上がり、葉子が眠たげに目を瞬かせた。
 「どうしたんですか、わたし……」
 きょとんとして訊く葉子に、武彦は答えた。
 「除霊はできなかったが、すこしおもしろいことを聞き出せたよ。手違い
があって、“彼”は君に憑いちまった。すまなかった」
 「そうですか」得心いったという風にうなずいてみせた葉子もまた、尋常
の神経ではないといえそうだ。「きっと、ゆかりさんよりわたしの方が相性
がよかったんでしょうね」
 葉子のその言葉に、手違いとは何事だと怒鳴りつけようとしていた秀明が
あきれたように口をつぐんだ。気がつかなかったのだろう。葉子の全身が、
小刻みに震えていたことには。
 「とりあえず安心していい」
 条件つきの台詞とともに、武彦の手が葉子の肩をそっと抱いた。そこから
なにか暖かいものが流れこんできて、強ばった葉子の全身からゆっくりと緊
張をぬぐい去っていく。
 恐怖が氷解し、深い安堵感が葉子を暖かく抱擁した。
 経過と結果を見るまでもなく、交霊は失敗に終わった。が――
 「四角く囲まれた、狭苦しい場所……ね」
 目を閉じて気を受ける葉子をソファにかけさせながら、武彦はつぶやいた。




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