AWC 幻の破壊者 1−2  ◇MISSING LINK◇  今朝未明


        
#885/3137 空中分解2
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幻の破壊者 1−2  ◇MISSING LINK◇  今朝未明
★内容
           ◆           ◆

 蒼い蒼い海を封印した壁は、遠い両端を連結し、色彩はそのままに縮小し、
青銅の水槽となった。不毛の白い砂丘のあった場所には、宮殿が聳えていた。
 楽の音。杯に注がれる酒。篝火。嬌声。踊り子たちの銀の腕輪の触れ合う音。
 宮殿とその周辺には、それらの気配が満ちていた。宴はたけなわであるらし
かった。
 そしてその宮殿から僅かに離れた台地に、堂々たる男と女、その二人を常に
取り巻く家臣や奴隷、また兵士たちが佇んでいた。
 女を除く者たちはすべて、懼れにその場に凍り付いている。女はひとり扇を
使いつつ嗤っていた。彼らの視線は、唯一人の人間に集中していた。
 ヴェールを纏い、金色に瞼を塗った美しい少女に。
 月は一際輝きを増した。黄昏は西の涯に放逐された。
 夜であった。冷たい、禍事を予感させる風が舞っていた。
 美しい少女は、自分の前に置かれた銀の盾に載せられているものを掴んだ。
男と女のまわりに居た者たちは、恐怖に耐え切れずに膝を折って祈り始めた。
「ヨカナーン、ヨカナーン!」
 少女は手にしたものに向かって囁いた。少女は微笑んでいた。少女と似た面
差しの女とは全く異なる笑い。無垢な残酷な微笑。
「ああ! ヨカナーン、お前ひとりなのだよ、あたしが恋した男は。お前の体
は銀の台座に据えた象牙の柱。それは鳩が群り、白百合の咲きこぼれる庭。象
牙の楯を飾りつけた銀の塔。……お前の声は、不思議な香りをふりまく香炉、
そしてお前を見つめていると不思議な楽の音がきこえてきたのに!」
 少女の声は、空に劣らず暗く響き渡った。
 少女は美しかった。周囲のものすべてを圧して、少女は輝きを放つかに見え
た。
 炎が消える寸前に最も明るく燃える様に、少女はまさしく光り輝いていた。
「ああ! どうしてお前はあたしを見なかったのだい、ヨカナーン? 一目で
いい、あたしを見てくれさえしたら、きっといとしゅう思うてくれたろうに。
そうとも、そうに決まっている。恋の測りがたさにくらべれば、死の測りがた
さなど、なにほどのことでもあるまいに。恋だけを、人は一途に想うておれば
よいものを」
 少女は今や声をあげて笑い始めた。泣けぬが故に、笑い始めた。
 涙などで心を慰めようのない程に泣いているものは、笑う以外に術がないの
であった。いくら求めても手に入らぬものは、滅ぼす以外に術がないのと同様
に。
 月が、その光景から眼を背けた。篝火が消された。その場に居た者は逃げ散
った。
 辺りは真の闇。
 それを粉々に砕いて、少女の歓喜とも悲哀ともつかぬ絶叫が夜空を駆け巡る。
声は、永遠にその場に谺するかと思われた。
「ヨカナーン、あたしはお前に口づけしたよ、ヨカナーン、お前に口づけした
よ。お前の唇は苦い味がする。血の味なのかい、これは? ……いいえ、そう
ではなくて、多分それは恋の味なのだよ。恋は苦い味がするとか……でも、そ
れがどうしたのだい? どうしたというのだい? あたしはとうとうお前に口
づけしたよ。ヨカナーン、お前に口づけしたのだよ」
 一筋の青ざめた月光が、少女を照らす。
 そのとき、宮殿へ続く階を昇っていた男は振り返り、少女を指差して叫んだ。
「殺せ、あの女を!!」
 すると兵士たちは突き進み、その銀の盾の下に少女を、ユダヤの王女サロメ
を押し殺した−−

           ◆                     ◆

 少女の血潮は赤く飛沫き、それは細かな霧と化して大地を覆った。宮殿も水
槽も、紅い霧に霞み、それを吸って瓦解していった。人々は泥人形の様に溶け
崩れた。
 そして、後には砂漠と凍えた海とが、黄昏の中に薄く蒼く耀いて広がってい
た。
 が、何事もなかった様に佇む『彼』の前には、血に汚れた少女の屍と、黒髪
の美しい男の首とがひっそりと横たわっているのだった。
 影とは、何者かの頭から投影された、当人からすらも忘れられていた『イメ
ージ』であったのだ。それに関する記憶がありながらもおぼろで確固としてい
なかったが故に、存在しながらもそれには実体がなかったのだ。
 『彼』がその『イメージ』の受け取り手である以上は手の下し様がなかった
が、『彼』がそれに名をつけることにより己の内部に組み込み、『イメージ』
に新たな心象の形を与えたとき、半ば元来の姿を失っていた『イメージ』はよ
り強烈な心象と同化し、そしてそれが『彼』の心象の世界で迎えた通りの死を
受け入れてしまったのだった。
 『彼』は形を持たないものに壊れるべき形を与え、そしてそれを壊したのだ
った。
 風が吹いた。
 風は少女のヴェールを吹き飛ばし、その顔を顕にした。
 それを目に留めた『彼』の眉根が僅かに曇った。
 少女の顔は、『彼』をあの『街』の誘惑から救った幻の姿と何処か似通って
いた。
 だが『彼』は頭をひとつ振ると、屍を後に歩み始めた。
 『彼』の背後で、『彼』に忘れられた屍が虚空に溶けて消え失せた。
 『彼』は蒼い壁の前に立つと、再び剣をふるった。
 残像が銀色に通過した後から、海は再び怒涛となって奔出した。
 蒼い狂瀾は今こそ完全に砂の呪縛を打ち破り、耳を覆う凶暴な喜びの歓声を
あげて砂漠を飲み干した。砂丘は悉くうねりどよめく怒涛と化し、永却の静止
から開放され、砂漠は青い復讐の掌に完全に掴み取られた。
 だが、『彼』はその海原を、さながら平坦な乾いた大地を行く様に、歩んで
ゆく。波は『彼』に手を延ばすが、触れる前に砕け散る。
 『彼』はひとり、荒れ狂う波の彼方に見える黄金の門へと、新たな幻を屠る
為に進むのであった。

                <続>




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