#875/3137 空中分解2
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CAMPUS> 降霊 (5) ■ 榊 ■ (67/75)
★内容
それ以前の記憶は他の人と同様に無い。
そして、綾の叔父の被保護者として育った頃からは、めだって女性と接触した
事はなかったし、少なくとも意識した事はなかった。
綾の環境は御影よりはましなものではあったが、異性に対する認識は乏しく、
男女分け隔てない交友関係が、今の彼女の明るさと純粋さを作り上げてきていた。
そして、二人が出会ったとき −−−− それはほんの一年前の事 −
じめてお互いに異性という者を認識したのだった。
それは、初恋にはほど遠く、だからといって友人としての出逢いではなく、そ
の中間に位置するような、より淡い、純粋な出逢いだった。
榊が考えたあのいたずらは、それから一歩も進展しない二人を少し刺激してや
ろうとしての事だったのかも知れないし、それとも本当にただ単なる冗談だった
のかも知れない。
どちらにしろ、なにか憎めない、思わず苦笑するしかないような行動をする
−−−−− それが榊という男だった。
現に、二人はもう榊のことを恨んではいない。
ただその行動が、確かに二人の間に何かを作り出し、向かい合う二人を黙らせ
てしまっていた。
やがてある程度落ちついてきた綾はもう一度、団扇を揺り動かして御影の背に
風をおくりはじめた。
同時に、鳴き忘れていた庭の虫も、ふいに鳴きだす。
そよそよそよと、背中に心地よい風を受けながら、やっと御影は低い声で「あ
の……」と、ひと言目だけ発することができた。
綾はそれに対し、「はい」、とだけ答える。
そしてまた、二人は黙ってしまう。
相変わらず、庭の虫は鳴いていた。
綾も、御影が何を言いたいのかわかっていた。
御影もどうしたらいいか解っていた。
ただ、純情な二人の口から、言葉はなかなか出てこなかった。
「あの………その………すまなかった」
御影はやっと一言だけ、呟くことができた。
そして、それに対する綾の返答もまた、簡潔であった。
「はい………あの、私は………気にしていませんから」
そして、ふたたび静寂があたりを包む。
ただゆっくりと団扇は揺られ、柔らかな風が御影の背中にあたる。
そんな時ただ一つ、縁側の風鈴が、ちりーん、と鳴った。
「すまない」
御影はもう一度、呟いた。
綾は何も答えず、ただゆっくりと団扇を動かす。
綾の沈黙は否定を意味しているわけではない。
不器用な彼の精一杯の言葉を聞いて、ただ微笑むしかなかったのだ。
その沈黙が否定か肯定か、そんなことには関係なく、御影は肩の荷が下りたよ
うな気がして、不意に眠気が襲ってくるのを感じていた。
目をつぶれば、背中に風を感じる。
涼しく、そして柔らかいそよ風。
そのまるで全身が綿に囲まれているような感触は、もはや憶えてもいない母の
ぬくもりを御影に思い出させていた。
暖かく、そして…………
「誠一郎さん?」
黙りこくってしまった御影に顔を近づけると、かすかな寝息が聞こえた。
本当にかすかな、まるで子供のような寝息が。
−−−− まだ三分もたっていないのに
綾はちょっとだけ微笑んで、下がっていた布団を御影のためになおした。
「きゃっ! やだ! ちょっと、きゃあーーーー!!!」
体全体で弥生に抱きつきながら、美里は叫べるだけの悲鳴をあげる。
男どもは笑いころげているが、そんなことを気にしている暇もなかった。
美里の叫び声は、いつまでたっても止む事を知らない。
30分をすぎてやっと笑うのに飽きてきた榊が、先頭の弥生に声をかけた。
「おーーい、弥生ぃーー。そろそろ引き返そう」
しかし、弥生は振り向かず、ただ歩き続ける。
「ん? おい、弥生」
榊の声は闇に吸い込まれていった。
まだ歩き続ける弥生を不信に思った未杉が、軽く歩を進め弥生の肩に手をかけ
た。
「どうしたんですか? 弥生さん」
弥生の足がぴたりと止まる。
「……………………」
歩を止めてもしばらく振り向かなかった弥生は、やがてゆっくりと未杉の方を
振り向いた。
その振り向いた弥生の顔を見た美里が、あらん限りの悲鳴をあげた。
振り向いた弥生の顔は、焼けただれた骸骨だった。
「ん? 榊達はおらんのか」
暇になった理事長が話し相手を求めて部屋にやってきたが、中には御影と綾が
いるだけだった。
御影が寝てしまったためか、つけっぱなしのTVの音量も小さくなっていて、
静かな虫の音のみが部屋に広がっている。
「ええ、お墓の方に散歩に出かけたみたいです」
「ふむ」
理事長は顎に手を当てしばらく考えていたが、ふいに綾にこう声をかけた。
「綾、おそらく2・3人は倒れて帰ってくるだろうから、布団の用意をしておい
てくれんか? …………何もせずに帰ってくるようなタマじゃないからな、奴ら
は………」
理事長の予言は、忠実に再現されていた。
美里が弥生の服をつかんだまま気絶し、由岐がそのまま後ろにぶっ倒れ、意外
にも未杉が立ったまま意識を無くし、斉藤が墓石を抱いている中、榊だけはかん
らかんらと高笑いをしていた。
「さすが演劇部部長。メーキャップのうまいこと」
どうにも本物としか思えない骸骨がため息をつくと、おもむろにその仮面をひ
っぺがえした。
「何でそんな平然としてられるの? 面白くない」
「あいにく、ずっと一人で先頭を歩いている事でぴんと来たもんでね………さて
さて困ったもんだ。未杉まで気絶しちゃったよ」
しかし、榊の声はそれほど困った様子でもなかった。
腹の奧から息を吐き出して、やっと落ちついた斉藤は妙に疲れた足どりで榊の
そばまでたどりついた。
「おっ、お前らは……」
「斉藤は無事だったな。すまんが、由岐を頼む」
「…………………………解った」
反抗する気力もなくなった斉藤は、いちばん小柄な由岐を背負った。
「弥生は未杉が起きたら、二人で歩いて戻ってきてくれないか? もし嫌だった
ら、由岐を背負ってもらう事になるが」
「待っているわ。未杉君の寝顔でもじっくり見ながらね」
相変わらず恐がる表情一つ見せずに弥生が答えると、榊は美里を背負い、斉藤
と共に歩きだした。
しばらく動かずに榊達の後ろ姿を眺めていたが、やがて角を曲がり見えなくな
ると弥生は道ばたに倒れた未杉の横に座り込んだ。
同時に、静けさが辺りを覆う。
静かすぎるほどの闇の世界では、耳元をすぎる風だけが唯一の音だった。
「静かね……」
その声さえも、闇に吸い込まれていくようだった。
恐さはない。
しだいに意識が外側に拡散していき、周りには墓石と草木しかない事を肌で確
認しようとも、弥生に恐さはなかった。
いつもよりも強気でいられる自分をちょっと不思議に思いながら、弥生は髪を
後ろにながした。
同時に風が吹き抜ける。弥生は目をつぶった。
そのすべてを感じとろうとするかの様に。
そして、ほんの少しだけ身震いした。
右側ほんの数メートル離れたところにある柳がぼうっとした光をのばし、ここ
まで影を落としている。足下には熱を放射しきった石が、ひんやりと冷たい。
美里は恐がったが、墓石も不思議に暖かい色の光を反射して、見ていても綺麗
だった。
弥生は未杉を起こす事も忘れ、しばらく膝を抱え込み、目を閉じた。
『浴衣なんて久しぶり………』などと考えながら。
虫の音が再開される。
静かな、それでいて遠くまで響く、確かな音色。
『次の劇は日本古典でもいいな……』
そこまで思考を進め、弥生は思わず笑ってしまった。
ここまで来て、学校の事を考える事はないなと思い当たったのだ。
目を開け、弥生は目下とるべき行動を開始した。
「未杉くーーん。起きてぇ」
弥生は未杉の頭をポンポンとたたく。まったく反応はなかったが、だからと言
ってやめる事もできず、もう一度同じ事を繰り返そうとした。
ざわっ
「ん?」
音のした柳の方を向くと、そこには見知らぬ男の子が立っていた。
透き通るような白い肌。
ぱっちりとした目。